サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
体力トレーニング
www.h2.dion.ne.jp/~hkm_yawa
独りぼっちの匂いは黒髪ロングに溶ける 原作:新海誠 漫画:山口つばさ「彼女と彼女の猫」 講談社 アフタヌーンKC 東京で一人暮らしをする黒髪ロングの彼女がある日橋の下で拾った猫との日々を描く冒頭、穏やかな時間が流れる描写が続く。近くの高架橋を渡る電車の音、鼻歌を唄いながら洗濯物を干し、日向ぼっこをしながら猫を抱えて読書をする。これら余裕のある描写を散りばめつつ、不意に母親からの電話が鳴った。他愛ない会話なのに、どこか不穏な気配を察する猫のモノローグが物語を牽引する。そう、この作品の主人公は、彼女ではなく猫である。 白猫の彼は、黒髪の彼女とよく映える。夕飯を食べるテレビの向こう側からの音だろうか、あるいは彼女の回想だろうか、母親の再婚が話題に上がる。ご飯の美味しさに打ち震える彼女に、その話題は流されたかのように思えたが、猫の能天気なモノローグがかえって、彼女に忍び寄ってくる孤独感を少しずつ
「帰ってきたサチコさん」 光射す方へ 小学館 flowersコミックス 朔ユキ蔵 短編集「帰ってきたサチコさん」に収められ5つの短編は、どれも面白い作品ばかりだが、とりわけ表題作の「帰ってきたサチコさん」が素晴らしい。1930年代の日本にタイムスリップしたサチコが、そこで過ごした10年も、現代に戻れば10か月しか経っていなかった、というSFの体裁を借りながら、SF要素がかりそめに過ぎないことは読んですぐに気付くだろう。 もっとも、そのような主人公の境遇が明らかにされるのは物語の中盤以降である。前半は、10年ぶりに戻った現代の生活に右往左往するサチコの日常を描写しながら、マキオという男性視点の従軍場面が交互に描かれ、サチコのモノローグの意味が計り知れず、そもそもサチコと男性の接点ははっきりしていない。マキオは冒頭から2013年を目指そうとその西暦を反芻する。サチコが生きる年号が何を意味する
「逃げるは恥だが役に立つ」5巻 えへっ 講談社 KC kiss 海野つなみ 契約結婚(事実婚)という形で同居する男女を、雇用と労働という視点で描き始めた「逃げるは恥だが役に立つ」が巻を重ねるごとに恋愛模様を濃くしていく展開は、おまえらさっさとやることやっちまえよという突っ込みをしながらニヤニヤ読んでいる読者を増やしたに違いない。就職難から定職に就けず、ひょんな発想から家事代行として・仕事としての妻という役割を演じているはずの主人公が、次第に夫という役割の雇用主に惹かれていく。 対話劇を中心としたロジカルな物語のなかにあって、当初あった社会派的な結婚観は、二人が同居する理由を経済的に結び付けていたわけだが、二人が惹かれあえばあうほど、雇用関係が障壁となってしまうのだから面白い。 結婚生活という職場で繰り広げられた二人の関係は、傍から見れば極めて乾いた関係に見えてしまい、実際に同僚の一人に
「イチゴーイチハチ!」1巻 敗者たち 「イチゴーイチハチ!」 小学館 ビックコミックス 相田裕 「GUNSLINGER GIRL」の相田裕の新作「イチゴーイチハチ!」は、同人時代から彼の作品を知る人々のすべからく感ある感想もあるようだが、無知な私には学園物と知って驚かない理由がない。 「GUNSLINGER GIRL」との共通点探しは辞めようと思いながらも、新作の内容が冒頭から受験に敗れた人々が滑り止めに併願した高校が舞台というだけで、もう前作と同じ主題を抱えていることを察したけれども、やはりここは「イチゴーイチハチ!」の面白さについて語るべきだろう。 公立トップの進学校の受験に敗れた高校生たちが通う、通称「松武高校」は、もちろん全員がそれというわけではなく、スポーツも盛んで野球部は甲子園にも出場した過去があり、制服の評判もいい、そういう理由で入学した生徒もいるわけだ。 主人公の丸山
「だがしかし」1~2巻 2巻と言ったら 「だがしかし」1~2巻 小学館 少年サンデーコミックス コトヤマ なんかペンギン村を思い出すような懐かしさに惹かれる田舎町を舞台に、毎回8ページという掌編の中で、ひとつの駄菓子を紹介がてら、駄菓子屋の跡継ぎを父から嘱望される主人公のココノツ少年と、父に協力するお菓子会社のご令嬢ほたるのドタバタを中心に描きながら、永遠の夏休みを満喫しているギャグマンガが「だがしかし」である(ペンギン村と言っても、喫茶店がソラマメならぬエンドウ(マメ)ってだけなんだけど……古いネタですんません)。 本作のコメディリリーフにして狂言回しとも言えるほたるが物語の牽引役であることに異論はあるまい。美人な彼女のおしとやかそうな容貌からは想起できない、突拍子もないアクションによる登場場面を出落ちにしつつ、翻弄されるココノツと思いがけず披露される駄菓子の薀蓄は、掌編ゆえのテンポの
「甘々と稲妻」4巻 食卓の欠片 「甘々と稲妻」4巻 講談社 アフタヌーンKC 雨隠ギド 4巻80頁。ああ、そうか。楽しい料理場面が続くので忘れていた。どちらかというと、母を亡くした子の物語という側面が強調されていたように思うし、母のいない子の寂しさを慮る父の物語という展開が主だったように思えたが、裏を返せば、この作品は、妻を失った男の物語でもあったということを今更思い知らされた。 四角いテーブルを囲む三人の犬塚家。父の隣に子、父の向かい側に母。小皿が並ばれた三人分の食卓は、それぞれ分量に差があり、一番食べる父、次に食べる母、もっとも食べる量の少ない子のちんまりと盛られたご飯やおかず、そして子ども用のフォークとスプーンが置かれ、おそらくミルクが入ったコップも見える。 副菜を添えようと取り出した小鉢がきっかけで、不意に思い出された過去の絵は、言葉なく、キャラクターの表情もなく、ここで彼が何
たらちねの蚕は黒髪ロングを紡ぐ 雨隠ギド「甘々と稲妻」3巻 「甘々と稲妻」3巻 講談社 アフタヌーンKC 雨隠ギド 高校教師の犬塚は、半年前に妻を亡くし、5歳の娘を一人で育てているものの、仕事に追われて食事はコンビニ弁当や冷凍食品頼みの日々である。そんな父子が、ある春の晴れた公園の花見で出会った少女は、小料理屋の娘である女子高生・小鳥であった…… 各所で評判のこの物語も単行本が3巻目に突入した。妻あるいは母を失った父子の物語であり、料理専門家として多忙な日々を送る母とはなかなか会えず、一人で小料理屋を守る娘の物語でもありながら、本編を彩るのは、毎回三人が懸命に作って、おいしく食べる、日常の中の食にあるのは言うまでもない。単行本には劇中料理のレシピも付いているとなれば、すでに実際に作ってみた方もいるだろう。私も毎回出てくる日常的な料理に、ほくほくしながら面白く読んでいる。 さてしかし前述
阿部共実「ちーちゃんはちょっと足りない」 ここを過ぎて悲しみのマチ 少年チャンピオンコミックスEXTRA MOTTO! 秋田書店 傑作文学である。 その前に、漫画を文学的と評するときに注意しなければならない点がある。小説は漫画より高尚なものという先入観である。誰もが抱きやすい持論あるいは世間一般には当然のこととして受け入れられている前提を排しなければ、漫画を評価することなんて出来ない。 阿部共実「ちーちゃんはちょっと足りない」に冠せられるであろう文学的と言う評価にも細心の注意が必要だ。この作品で語られる主人公の内語は確かに文学的であるが、それはこの作品が小説に匹敵するという意味ではない。小説とか何やらとか表現媒体に依存しない、作品そのものに文学的な躍動感があるのである。 というような前置きを書いたのも、私のこの作品の感想がとかく文学的である点を強調してしまう結果になることを憂うからで
「富士山さんは思春期」1~3巻 人形としてのカンバ視点 双葉社 アクションコミックス オジロマコト 身長181センチの中学二年生の女子バレー部のエース・富士山(ふじやま)の挙措がかわいいこの作品には常に違和感が付きまとっている。うん、富士山さんの可愛らしい表情や艶やかな肢体や豊満な躯体だけを見ているだけでも十分に楽しい。みんなに内緒で幼馴染の身長160センチの上場(かんば)と交際を始めたことから様々な彼女の姿を捉え続ける演出も面白い。彼女のいろいろを引き出し続ける存在として物語の主語を担う上場の活躍・彼の内面の言葉は冒頭から読者の代理然と機能してもいるだろう。けれども、何かしっくりこないのである。何故だろうか。 本作の構図の多くを担っている上場の視点は、富士山さんをいろいろな角度から描く動機付けになっている。第1話の下乳から始まった上場の意識は、こっそり彼女を見る視点がそのまま読者自身に
人の涙は黒髪ロングに還る 岩明均「寄生獣」 岩明均「寄生獣」 講談社 アフタヌーンKC 全10巻 岩明均 言わずと知れた傑作であり読み継がれる名作、岩明均「寄生獣」を改めて読み返すと、この作品が女性の黒髪に大きな意味を与えていたことに気付かされる(ホントかよ)。 この作品の二大ヒロインと言えば、ひとりが主人公の新一のガールフレンドであるショートカットの里美であるのは論を待たない。そもそもヒロインなんているのかよ、という声を無視してもう一人を挙げるとすれば、他ならぬ田村玲子(あるいは田宮良子。ここでは田村と呼称する)である。 田村は寄生獣・劇中で言うところのパラサイトであり、外見は女性であるが頭は寄生生物である。人間よりはるかに生命力の強い細胞を礎に、そして誰よりも強い好奇心から、田村は昆虫さながらの本能で行動するパラサイトでありながら、自分たちの存在意義を問い詰めた。 さらに自分自身
「聲の形」 彼女の欲望 講談社 週刊少年マガジン2013年12号(2月20日発売) 大今良時 今年の2月20日発売の週刊少年マガジン12号に掲載された大今良時の読み切り「聲の形」が話題になって三月が過ぎていた。遅きに失した感もあるが、備忘録替わりに個人的な感想を残しておきたい(なお、「聲の形」は同誌で夏からの連載が決定している)。 さて、簡単なあらすじ。小学校高学年の主人公・石田のクラスに聾唖の少女・西宮が転校してくる。彼女はノートを通してクラスメイトとの交流を希望していたが、石田にとって彼女とのそれは煩雑で面倒で手間がかかるものだった。石田ははっきりと彼女のことが嫌いであると意思表示し、いじめへと発展する。やがてクラス全体で彼女を異物として扱い始めると、いじめは公然のものとなった。だが、学校側にいじめが露見すると、クラスメイトは石田がその首謀者であると主張し、生贄として石田は捧げられた
「よつばと!」第12巻 よつばとひっくり返す メディアワークス 電撃コミックス あずまきよひこ 第80話「よつばとハロウィン」の回で、風香としまうーにかぼちゃの格好をさせられたよつばは、二人に連れられて恵那の友達のみうらの家にやってきた。「トリック オア トリート」と言えば、お菓子しが貰えることに興奮するよつばは、登場したみうらの母にイタズラかお菓子かを迫った。みうら母に「いたずらしていいよ」と言われると、よつばは玄関にある靴を「ひっくりかえしてやった」と、次々とひっくり返していく。子どものとてもかわいらしい挿話の一つとして捉えられるわけだが、よつばの参ったか!みたいな顔には、実はこれまでのひっくり返す苦闘の歴史が刻まれているのである! と言うのは大袈裟だけれども、よつばの言動の裏には・「よつばと!」という作品のキャラクターたちの行動原理には、これまで静かに積み上げてきた展開の収束と、そこ
思春期の煩悩は黒髪ロングに淀む 谷川ニコ「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」 スクウェア・エニックス ガンガンコミックスオンライン 1~2巻 谷川ニコ 女性の容姿の特徴の捉え方として、髪型が挙げられる。たとえば、ある女子高生の容姿を第三者に伝えようとした場合、それはショートなのかロングなのかが重要視される。ショートならば活発な女性を・ロングならば清純な女性を各々想起するとしたら、それは極めて正しい反応といえよう。ステレオタイプは想像力を補う上で重要なキーワードになりえるからである。 マンガのキャラクターならば、ある程度の典型にのっとったキャラクター造形が一つの面白みとなる。黒髪ロングの女性キャラクターであるならば、読者の期待をいい意味で裏切る性格を付け加えることで奥行きが生まれるだろう。ツンデレ、ヤンデレといった見た目とのギャップをひとつの面白さとして作り上げる例が示すように、
「3月のライオン」第7巻 おはよう、ちほちゃん 白泉社 JETS COMICS 羽海野チカ 「3月のライオン」7巻を読んで複雑な気分になった。 主人公の棋士・桐山零が世話になっている三姉妹の次女・ひなが通う中学校では、ひなの幼馴染・ちほがいじめられたことで転校してしまう事態にまで発展して、なお続いていた。次の標的にされたひなは、クラスの中から孤立しつつも、零との絆を深め、また姉のあかりや新しい担任教師の尽力により「解決」に向かって動き出した…… あるいは、いじめと「戦う」ひなは、いじめグループのリーダー格・高城と対峙し一歩も引くことなく立ち向かった……このような表現をもって語られる7巻のひなのいじめ話は、教師たちがいじめグループを個別に面談し、反省の姿勢をクラスの前で表明される形で一応「決着」となった…… 「3月のライオン」という物語にとって、いじめ問題がどのように結実するのかは不透
「ベイビーステップ」18-19巻 王者の視線 講談社 少年マガジンコミックス 18-19巻 勝木光 18巻から続いていた関東ジュニア準決勝の対難波江戦は丸尾が第一セットを取るか否かという展開で19巻を迎えた。劇中で「理想的な状態」=「ゾーン」になった立ち上がりは結果的に難波江の意表をつく形で立て続けにブレイクし、有利な状態でゲームを運んでいたかに見えた。だが、ゾーンから普段の状態に戻った丸尾は、難波江の冷静沈着なプレーにじわりと押され始め、第一セット奪取も怪しくなってきたところで、青井コーチの言葉を思い出した彼は、奇襲を交えた攻撃を試みた。 ゾーンの状態についての特徴的な描写については前回書いたとおり、眼の描写に象徴されていた。理性による戦略に思考をめぐらすことなく本能によって戦略が瞬時に決まる。眼の精緻な描写は、余計な考えが消え去ったようにとてもシンプルな形状で描かれた。ところが、今回
「神戸在住」再読 講談社 アフタヌーンKC 全10巻 木村紺 神戸市に住む美術大生・辰木桂の日常を描いた物語「神戸在住」の連載が始まったのは、1998年だった。力のない線、決して上手いとは言えない絵の中で、ぽつぽつと挟まれる彼女のモノローグが、どこかエッセイ風であり、私にとってとても魅力的だった。当時、まだ「神戸」という言葉には特別な意味が込められていたように思う背景の中、日常風景で次々と彼女の仲間が紹介されていく淡々とした第一話にあって、突然、彼女の友人・タカ美が戦慄して桂の腕にしがみついた。 読者がそれぞれに思いを抱くあのときの光景・テレビ中継から伝えられる崩れ倒れたビル群や激しい火災、あるいは実際に体験した人々の記憶が想起された瞬間だった。時間が経っても、体験した恐怖は消えないわけである。「神戸」という言葉には、それほどまでに名状しがたい感情を喚起させたのである。 第二話では、仮
「3月のライオン」第5巻 肌の感触 白泉社 JETS COMICS 羽海野チカ 将棋の対局の様子を、将棋を知らない人に説明するときに最も適した表現はなんだろうか。テニスとかボクシングとかの1対1のスポーツ、あるいは長距離ランナー、喩えるとなると難しい。羽海野チカ「3月のライオン」が選んで比喩は、殴り合いだった。ボクシングというわけでもない、ガチンコ勝負という語感から作者の脳裏には総合格闘技もちらついているやも知れないが、特定の競技というよりも、互いに暗黙のルールの上で、素手で殴り合っているという印象が語気に漂っている。 5巻で描かれる宗谷対隈倉の名人戦をキャラクターたちはかように表現する。「宗谷くん かわいい顔して骨砕きに来るからね」「正面切って殴り合って 勝てるなら殴るけどね」「思い切って技をかけても怪我しない」「全力で殴っても同じ位の力で殴り返してくれる」「相手の事を力いっぱいブン回
「ベイビーステップ」14巻 敗者の視線 講談社 少年マガジンコミックス 14巻 勝木光 絶対に負けられない戦いがそこにあるってどこかで聞いたことがある惹句だけど、勝木光のテニス漫画「ベイビーステップ」の主人公・丸尾栄一郎は、まさにそんな状況で神奈川県ジュニア大会に臨んでいた。全ての試合が背水の陣という悲壮感すらどこかに漂わせた試合の連続に、一読者として、どうせ勝つんだろうなという卑屈さが脳裏の片隅にありながらも、ワクワクしながら読んでいたものである。だから14巻なのだ。未読の方には申し訳ないが、13巻から続いていた荒谷との大会決勝戦は14巻で決着が付く。それは私の予想外の結果であった。丸尾は敗れるのである。 第1セットと第2セットをともに取り合ってのファイナルセット。丸尾は巧みなボールコントロールと緩急自在のショットで自分のペースを組み立ててポイントを積み重ねていく技巧派、対する荒谷は高
「海辺へ行く道 夏」 エンターブレイン ビームコミックス 三好銀 海辺の町のある夏を中学生の奏介を中心に描いた連作集が、三好銀「海辺へ行く道 夏」である。 作者の名前は初めて聞いた。書店でもうひとつの短編集「いるのにいない日曜日」と並んでいた本だったが、表紙に惹かれて購入したのはこちらだった。さて、今読み終えて、もう一冊も買わなければならないと決めたわけだが、まずこの本の感想に触れたい。 数が少ないものの、いくつかの感想をネットで読んでみたところ、何も事件の起きないある夏を描いた不思議・変な物語とまとめるのが相応しいようだし、私もそのように感じている。だが、これらの短編群を読んでみると、どれも何かが起きそうで起きないままに不可解な点を残しつつ、あっさりと次の挿話に進んでしまうという、何か突き放された冷たさをじっとりと肌に感じ続けてもいた。なんか気持ち悪い読後感というと聞こえは悪いが、決
「バクマン。」6巻 虚構と聖域 集英社 ジャンプコミックス 原作・大場つぐみ 漫画・小畑健 「バクマン。」の面白さに乗ることが出来ない。読んでいる間に感じる面白さは、読後すぐに消えてしまう。炭酸飲料でさえゲップが出るというのに、物語から刺激が感じられないのは、私がこの作品にどこかしら言葉に出来ないもやもや感を抱いているからである。一体それが何なのか、ということをつらつらと考えてみると、とりあえずの中間結果に至ることができた。 この物語には、触れることの出来ない聖域が存在している。それは「まんが道」のような実在の漫画家か、あるいはそれを髣髴とさせる人物が登場しないという点である。モデルとなっている作家や編集者はいるだろうけれども、「まんが道」ならば手塚治虫という絶対的・神様に等しい存在とともに誌上で人気争いを繰り広げるという展開が現実にあったとしても、「バクマン。」ではそんなことは、まず許
望月峯太郎「ドラゴンヘッド」 恐怖の渚にて はじめに 道を歩くだけでもさまざまな情報が瞬時に脳で処理され続ける。視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚、五感は情報としてまず視床へ伝わり、そこに自己受容・からだの姿勢や動きの変化の感覚が加味されて、それぞれの感覚は複雑な過程を経て大脳皮質のそれぞれの感覚野に送られて、さらに処理される。その感覚には、形・色・動きといった具体的なものから、過去に経験した情報を元に発生する感情も含まれるようになる。感情をつかさどる重要な器官が扁桃体と海馬である。この二つを中心に脳は、送られた情報が危険なものかどうかを常に検討して体の動きと意識に影響を与える。車が来れば道の端に体を寄せるだろう、空き缶が落ちていれば蹴るなり拾うなりするだろう、その道が歩き馴れたものならば、私はそうした感覚をほとんど無意識におこなって気付いたら目的地に着いていたということもあるだろう、それでも
「日下兄妹」 講談社 アフタヌーンKC「虫と歌 市川春子作品集」より 市川春子 傑作「虫と歌」の発表(2006年10月)から三年が経っていた。彼女の作品が月刊誌アフタヌーンに掲載される度に、普段買わない雑誌を購入した。その分厚さにやや辟易しつつも保管し続けていたのだが、引越しと未整理等により紛失してしまう。単行本化は私にとって「待望」と言うに余りあるほどの感激だった。 4編の作品と単行本書き下ろしの掌編1つを含む作品集は、どれも再読に絶え得る美しさに満ちていた。一言で言えば、絵が好きだ、ということに尽きてしまうわけだが、マンガの要素として言葉とかなんとかかんとかとだいたい三つ抽き出す評論家が多いけれども、市川作品は、絵があればそれで事足りるほど簡潔な様式を潜めている。 どの作品を取り上げても面白いけれども、ここでは雑誌掲載作品の中で唯一未読だった「日下兄妹」についての感想を綴りたい。
拝啓 手塚治虫様第21.5回 「GUNSLINGER GIRL」試論4 トリエラの涙は希望 試論1はこれ。試論2はこれ。試論3はこれ。 伊藤剛氏は、著「テヅカ・イズ・デッド」のキャラ/キャラクター論の中で手塚治虫「地帝国の怪人」の耳男という主人公の設定が相田裕「GUNSLINGER GIRL」の義体の設定に通じていると触れながら、キャラであることを自覚している義体に「キャラの自律性」を見出し、「GUNSLINGER GIRL」が抱えている矛盾が作品を歪にしているかもしれないとほのめかしている。著書の中の言葉を要約すると、それは、作品のコマ割の変化に見て取れるというのである。稚拙ながらも映画的モンタージュや構図を捉えようとする初期の作画が青年漫画的コマ割に変わり、「5巻目になると、今度は、一転して奇妙な構図が取られ、機能のはっきりしない間白の省略といった、たいへん居心地の悪い表現が前
プラネテス 第4巻 講談社 モーニングKC 第4巻 幸村誠 「プラネテス」最終巻。まず最初に、作者・幸村誠氏に感謝したい。ありがとう、心の底からありがとう。 とにかく嬉しい。デビュー作が評価されて途端にSF作家の一人に括られそうになるも、背伸びせず、ひたすら自分の視線から人間を見詰め語り、いつも静かに笑っている。ほどなく自分の作風をつかむと、遊び心も芽生え、作品はSF漫画から脱却して幸村漫画へと成長した。着地点は全編通して描かれ続けたもの、第1話でユーリが見つけた亡妻のコンパスは、すでに木星を指していたのだ。 やっぱ演出というか構成というか、その辺の揺さぶりがとても誠実なのだ。手法としては斬新さはないと思う、常道も常道。ただそれを話の主題と融合し、伏線にしたり振りにしたりと、ネタの流れが美しいのである。第1巻からその美麗な旋律の片鱗はあったけど、まだまだ荒削りだった。もちろん
「この世界の片隅に」 双葉社 ACTION COMICS 上・中・下巻 こうの史代 映画「紙屋悦子の青春」は戦時下の鹿児島を舞台にした悦子の青春の一ページを淡々と綴った作品である。元々舞台として編まれた原作ゆえに、映画も屋内のセットを中心にキャラクターの対話が当時の世相を暗示させつつ、悦子が置かれている状況を説明していく。派手な演出も印象強い音響もあるわけではない。普通の日常を普通に描くことに徹したかのような映像。知らない人とこれからお見合いをする悦子(原田知世)と相手の青年(永瀬正敏)の様子がユーモアたっぷりに描かれる。けれども、戦争の影が消えることはない。「配給」や「沖縄」といった言葉がセリフの端々に加えられていく度に、観客は、今から見れば決してきらびやかなものではないかもしれない悦子の青春に、これが当時の一つの恋愛の形だったのだろうかと考えさせられる。 こうの史代「この世界
「坂道のアポロン」1~2巻 小学館 フラワーコミックス 小玉ユキ 現代を舞台にした作品で一番扱いに困るのが携帯電話というのを漏らす映画監督の話を聞いたか読んだことがある。そりゃそうだ、昔だったら、例えば死体を発見して大変だ警察だってときに、駐在所なり公衆電話にたどり着くまでの間に、大きな時間が出来てしまうだろうけど、今なら携帯でさくっと110番通報できる。古典的な例としては、携帯なき時代の学生同士の恋愛があるだろうし(連絡をするのには、電話に出る親という障壁を乗り越えなければならなかった、みたいな)、まあとにかく急いでいるんなら、さっさと携帯で連絡してしまえよ、という読者の突っ込みがあるわけで、作る側としても、その辺を考慮した描写が必要に迫られてしまうだろう。 さて、小玉ユキの長編「坂道のアポロン」をとても面白く読んでいるのだが、この作品の舞台が1966年から始まることに、だから
「雪の峠」 講談社 KCデラックス「雪の峠・剣の舞」より 岩明均 歴史作品と銘打たれているが、ひとつの作品として優れた完成形である。絶妙な構成、緻密に張り巡らされた伏線、冷たい描線が抑えた演出につながり、時折見られるすっとぼけた台詞・表情が漫画を読んでいるという安心感を読者に与え、締めくくり方の神業はほとんど奇跡に近い。重層する主題と確たる土台の元に展開される物語は、何度読んでも飽きないどころか読むたびに面白さが深まり、まさに至福、傑作である、何度も言う、傑作である。 物語は、十七世紀初頭・戦国時代から江戸時代の過渡期を背景に、戦国大名・佐竹家内部の確執を府(本城)の築城場所を巡る討議のなかで丁寧に綴っている。中心は主人公・渋江政光(内膳)と梶原政景(美濃守)の脳みそが震える智略戦で、新旧世代の対立が「峠」を鍵に恐ろしく静かな筆致で描かれている。しかも史実に振り回されることなく、
「よつばと!」第8巻 メディアワークス 電撃コミックス あずまきよひこ 「よつばと!」の背景が1巻から比べて精緻に描かれているようになっている。これには作者の思惑があるのは言うまでもない。すでに「あずまんが大王」から細かな描写を施していく試みはなされており(過去に書いた文章(ここ)で指摘済み)、「よつばと!」の背景の変化もその延長線上にある。 情報の多寡によって読者に伝えたいこと読み取って欲しいことを制御する。作者はこれを描線に求めたのだろう。線の多少による情報操作が背景を緻密にしていったとするならば、背景に読み取って欲しい情報がたくさんあるのか、背景から浮かび上がるキャラクターに注目して欲しいのか……まあそんな難しく考える必要はないんだけど。だってとーちゃんが何故翻訳家なのか?なんてとてもシンプルなんだから。よつばは外国の子→外国に行く機会があり、なおかつ家で仕事出来る職業→翻訳
「ヴィンランド・サガ」第6巻 講談社アフタヌーンKC 幸村誠 単行本6巻に至って漸く「ヴィンランド・サガ」が物語のひと山を越えた。正直、長すぎると思っているんだが、それでも面白いんだから仕方ない。 6巻では「プラネテス」では唐突な印象があった「愛」についての問答を、村人の大量虐殺を経て突き詰めていく。王子を護衛するヴァイキング一行は、トルケル軍によって村人たち同様に虐殺の対象にされ、死体は賭けの対象にもされてしまう。自分たちが生きるために殺し尽くした、という4巻の展開から、殺戮はさらに過剰に演出され、娯楽の対象にまでなってしまった。 そんな描写の一方で、王子の悟りが神父との対話によって導かれていく。簡単に言えば、人は生きている限り人を愛することが出来ない、というどうしようもない現実である。神父がこれまで殺戮を見ても戦いを見ても何もしなかったし何もしようともしないのも、愛ゆえの
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『ひとりで勝手にマンガ夜話』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く