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大そうじへの備え
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本記事は、浄土宗・月仲山称名寺の稲田 瑞規(いなだ みずき)さんよりご寄稿をいただきました。彼岸寺のコンテンツ「 お寺の未来 」の記事に刺激を受け、書かれたものとなっております。若いお坊さんの問題提起を、多くの方に共有していただければと思います。それでは皆さま、どうぞご一読くださいませ。 ------------ 未来の話。もし仏教を学ぶ人工知能が誕生したら、仏教は、僧侶は、いったいどうなってしまうのだろうか。 未来といってもそう遠い未来の話ではない。近年、人工知能の技術は目まぐるしいほどに発展している。例えば、人工知能(AI)が映画の脚本を製作したり、人工知能が大喜利をするようになったり。 ※参考記事 「AIが脚本を書く時代、「クリエイティビティ」はいつまで人間の特権か」 「【世界初】大喜利ができる人工知能の開発者に会ってきた」 これらの人工知能のテクノロジーに共通するのが、インプット
釈徹宗さんへの「さとり」インタビュー、全5回中の2回目です! 【前回の記事はこちらです】 釈徹宗さんインタビュー/死では終わらない物語を生きること(1 / 5) ◆「すっきりさせてくれない」のが仏教の特徴 小出 :いまの「そちらに行かない」っていう話にも関連してくると思うんですけれど、日本の仏教、とくに浄土仏教、もっと言えば浄土真宗で説かれる阿弥陀如来とか浄土の「物語」って、私もいろいろ本を読んだり、話を聞いたりしているんですけれど、やっぱり、どうにもよくわからないというか、「知った」ところで簡単に納得し切れないところがあるなあって思うんですよね。 まあ、簡単に言ってしまえば、お話として完結していないというか。閉じそうで閉じていないというか。もう少しでわかりそうになるんだけれど、あと一歩のところでどうしても逃げられてしまうというか......。 釈 :閉じていないということは、物語が生きて
「さとり」ってなんだろう? ズバリお坊さんに訊いちゃおう! ......というこのインタビュー企画も6回目。今回ご登場いただくのは、浄土真宗本願寺派如来寺住職の釈徹宗さんです。 高名な宗教学者でもいらっしゃる釈先生。広大な学識と視野をもって、仏教をも含む宗教という「物語」の構造を、やわらかく、そしてユーモアたっぷりにお説きくださいました。 その場では、ただひたすらに、先生の素晴らしい語りに圧倒されるばかりだったのですが......いざ、お話を原稿にまとめようと、自室の机に向かった瞬間。私は、大変なことに気づかされてしまったのです。 これは、「さとり」という物語をも、根こそぎ吹き飛ばしてしまうお話だ―― 正直、焦りました。だってこの連載タイトルは「ひらけ! さとり!」。「さとり」ありきで、いままで何人ものお坊さんたちに体当たりで取材を続けてきたのです。それなのに、その企画自体が、ここにきて、
暑い日が続いています。「エアコンの効いた涼しい部屋で過ごしたい」「冷たいアイスやジュースが欲しい」「暑くてイライラする」「ぐったりして何もやる気がしない」「焼肉が食べたい」「美味しい焼肉が食べたい」......というように夏は欲望がむき出しになる季節ではないでしょうか。そんな欲望と上手く付き合っていくにはどうすればいいか?というギモンに、彼岸寺のお坊さんが答えました。 キッカケは子育て世代の女性に大人気の雑誌 『サンキュ!』(ベネッセコーポレーション) の企画。欲望の中でも取りわけ厄介な「物欲」への対処の仕方について、お坊さんからアドバイスがほしいというものでした。 最近お坊さんブームだそうで、身近な問題についてお坊さんの立場からの意見を求められる機会が増えています。厳しい修行をして悟りに近づいてるお坊さんなら、きっと有り難いお言葉を頂戴できるはず!という到底応えられない期待感が高まってい
「さとり」ってなんだろう? ズバリお坊さんに訊いちゃおう! ......というこのシリーズ。今回ご登場いただくのは、山口と鎌倉を往復しながら一般向けに瞑想指導を続けていらっしゃる小池龍之介さんです。 小池さんは、数多くのご著書の中でも、また実際の瞑想指導の場でも、一貫して「苦」というものに対するアプローチ、つまりは仏教の真ん中にあるものを説いてくださっています。ほかでもない、ご自身の問題としてまっすぐにそこと向き合い続けてこられた小池さんのことばは、大変やわらかく、わかりやすく噛み砕かれたものでありながら、どこか研ぎ澄まされた完全な静寂もともにあって......私自身、お話をおうかがいしながら、幾度も「はっ」とさせられました。 というか、この取材、はっきり言って「修行」そのものだったのです......。(本文をお読みいただければ、その意味は即座にご理解いただけるかと思います。笑)しかし、そ
数年前の「日日是好日」でも書きましたが、日々の法務でお念珠(数珠)を使っていると切れてしまうことがあります。これは念珠の珠と紐との摩擦で起こる現象なので、どうしても避けられないこと。ごく当たり前のことなので、縁起が悪いというわけではないにせよ、やはり少し残念な気持ちになります。皆さんも、そんな経験があるかもしれませんし、これから経験するかもしれません。 念珠・数珠にも宗派によっていろいろなタイプがあります。そのため一概には言えないのですが、浄土真宗で一般的によく使う単念珠という念珠はとてもシンプルな作りで、紐が切れても自分で直すことができます。もちろん、念珠屋さんがあれば、修理もしてもらえるのですが、自分で直すことができれば、また大切に使おうという気持ちにもなれますので、今回はその方法をご紹介したいと思います。 今回ご紹介するのは、単念珠の中でも、紐房(ひもふさ)と呼ばれるタイプの念珠で
昨年話題となった映画「マッドマックス 怒りのデス・ロード」。核戦争後の荒廃した秩序なき世界を描いた映画で、27年ぶりの新作、そしてその独特の世界観で話題となりました。 評価的にはいろいろ賛否はあったようですが、個人的にはとても楽しめました。ド派手な衣装やアクション、ヒャッハーな世界観ばかりに目が行きがちですが、考えさせられる部分もありましたので、今回は「マッドマックス 怒りのデス・ロード」を見て考えたことをつらつら書いてみたいと思います。と、ここからは少々ネタバレも含みますので、まだ映画を見ていない方はご注意をば。 この映画を見終わって、まず一番最初の感想としては、「あ、今作はロードムービーだったんだな」ということでした。恐ろしい支配者イモータン・ジョーの元から逃亡するフュリオサと5人の女性、そして主人公のマックス、ジョーの手下であったニュークスというメンバーで、まだ緑の残る楽園「緑の地
栃木県の益子町に、ご自身のお寺の境内に病院を開院して、患者さんの「いのちの苦」を緩和する「スピリチュアル・ケア」を実践されている田中雅博先生というお医者さん、兼、真言宗豊山派のお坊さんがいらっしゃいます。田中先生は、ローマ法王庁が呼びかけた国際会議にも過去 4 度も招かれ、仏教という立場からの「スピリチュアル・ケア」の大切さについて講演されました。 末期がんと診断され、余命宣告を受けた現在においてなお、田中先生が文字通り命がけで私たちにお伝えされようとしている「スピリチュアル・ケア」とは、いったいどのようなものなのでしょう? そして「いのち」の正体とは......? いまこそ、ぜひ、先生に教えを請いたい、と、無理を承知で取材をお願いさせていただいたところ、快くお引き受けくださいました。 仏の智慧を、いかに現代医療、ひいては社会全体に活かしていくべきか......。抗がん剤の副作用の真っ只中
amazonはこれまでもいろんなモノやサービスを売ってきましたし、これからその範囲はもっと広がるでしょう。その流れは止められませんし、止めようとしても無意味です。インターネットがスマートフォンやウェアラブルデバイスによって生活どころか人々の価値観にまで深く浸透し、今起きていることはこれからもっとスピードを速めて進んでいくでしょう。それを考えれば、こんなニュースはまだ序の口の序の口、今のふつうの生活の延長線上にある、想像しうる変化にすぎず、大したことではありません。 amazonが売り始めたのは、僧侶そのものではなくて(人身売買はできません)、"法事"という僧侶が提供する多様なサービスの一部です。それが今やコモディティ化(均質化)して参入障壁も高くないと見なされたため、一部の市場において標準化されたサービスが「派遣僧侶」として一律価格でパッケージングされて販売が始まり、その購入がオンラインで
最近良く耳にする「マインドフルネス」。みなさんはどのような印象をお持ちでしょうか。奈良の田舎で、いわゆる「伝統仏教」のお坊さんとして生活をしていると、あ〜また外国から横文字がやってきたなぁ〜ぐらいのことだったのですが・・・。 先日、彼岸寺の原始仏教ガールさん(中田亜希さん)が編集協力されている「グーグルのマインドフルネス革命」なる本が出版され、これはいい機会とばかりに「マインドフルネス」って美味しいの?とお話しを聞いてみることにしました。興味深いテーマも飛び出し、念仏との共通点も見つかった気がします。以下、対談形式でお届けいたします。 松島: 『グーグルのマインドフルネス』(サンガ)、ようやく読み終わりました! マインドフルネスというキーワードは知っていたものの、実際に書籍を手に取るのはこの書が初めてでとても楽しく拝読しました。実際にはいくつかの積読本がありますが、読み終わったのはこれが初
ゴールデン進出でますます話題のテレビ番組『ぶっちゃけ寺』にも出演の僧侶、大來 尚順(おおぎ しょうじゅん)さんが『英語でブッダ』(扶桑社)を上梓されました。本書は仏教用語を英語に訳して理解しようという世にも珍しいもの。しかも中学生レベルのやさしい単語だけで英訳することで、それまで日本語で難しく考えていたことが取り払われ、逆にスッと自分の中に入ることを目指した意欲作です。 タイミング良く名古屋で著者のトークイベントが企画されていることを知り、「大來さんを生で見て、ついでにサインをもらおう!」とミーハーな気持ちで名古屋まで駆けつけました。もちろん『英語でブッダ』は読了、質問もシュミレーションして参加しました。 桜満開の4月の土曜日、名古屋市内の新栄町駅前の久遠寺を会場にそのイベントは開催されました。久遠寺副住職の高山信雄さんは、お寺でヨガやライブなどイベントを数多く仕掛ける若手僧侶。「未来の住
前回の更新の後、再びパソコンが故障してしまい、2週間も開いてしまいましたが、ようやく環境が戻りました。パソコンがない期間は、特に意識することもなく、ネットからも離れることができていましたが、こうしてパソコンが戻ると、またどっぷりとネットの世界に浸かり込んでしまう自分も戻ってきてしまいました。 さて、パソコンが戻り、早速いろんな情報を見ていますと、ツイッター界隈でちょっと話題になっているまとめに出会いました。それは「翻訳者の何かのスイッチが入る瞬間」という、一種のあるあるネタ。翻訳者の方々が出会う、困惑必死のシチュエーションが取り上げられており、面白く見ていましたが、これは「お坊さんでもいけるな...」ということを思いつきましたので、今回は「(浄土真宗の)お坊さんの何かのスイッチが入る瞬間」をいくつか挙げてみたいと思います。 ・「他力本願」という言葉が「他人任せ」や「人の力を当てにしてい
あなたの宗教は何ですか?と問われると、少なからぬ日本人が「無宗教」と答えます。 その場合はたいてい「宗教」が・人の価値観や行動に規範を与える(縛る)もの・非合理的な超越者を設定し、それを盲信する態度・自ら意思決定できない心の弱い人がすがるものとして捉えられています。 自分は理性的に物事を捉えているし、誰にすがることもなく、自分は自分の足で立っており、そのような「宗教」を必要とする弱い人間ではない。それを表明するため「無宗教」を宣言します。 しかし、私が見る限り、日本人は決して「無宗教」ではありません。正月には神社へ初詣し、葬式には僧侶に読経を頼み、年末にはクリスマスを祝うということもありますが、自然に畏敬の念を抱く神道的な世界観や、世のはかなさを観ずる仏教的な世界観など、現代の日本人の価値観や行動は過去から受け継いだものに大きな影響を受けています。 さらに広い意味で宗教を捉えるならば、神道
2014年10月25日(土)と26日(日)の2日間、日本マインドフルネス学会第1回大会が、早稲田大学にて開催されました。今大会のテーマは「さまざまな領域で展開するマインドフルネス」。宗教、スポーツ、産業、矯正、精神医療という幅広い分野からのご発表があり、たいへん刺激を受けました。 各テーマの話題提供者は、宗教領域が藤田一照さん、スポーツ領域が坂入洋右さん、産業領域が清水ハン栄治さん、矯正領域が吉村仁さん。精神医療の領域は更に細かく分野が分かれ、「境界性パーソナリティ障害などで感情調節が困難な方への適用」、「慢性疼痛に対する適用」、「不安障害・うつ病に対する適応」、「脳画像による効果の検討」という演題で、5つの病院からのご発表がありました。 発表内容のいくつかのポイントや会場の雰囲気などを、この記事でお伝えできればと思います。 学会の問題意識まずは冒頭の基調講演などを通して、学会の持つ問題意
インタビュー前編からの続きです。(このインタビューは本を読んでからのほうが理解しやすいと思いますが、読まれたことのない方は特に、前編からお読みください) なお、このインタビューの後に、山下先生が御岳山接心の最中の説法で、このインタビューに関わるお話しをされました。私のインタビューの解説から、聖フランチェスコの祈りにまで触れられていて、今回のインタビューの内容をさらに深く理解することができます。一法庵のウェブサイトで配信されているPodcast説法(2014/08/15)「一粒の麦もし死なずば」から誰でも聴けますので、ぜひそちらも併せてお聞きください。 それでは、ますます盛り上がるインタビュー後編をお楽しみください!---- 英語でも語れて初めて仏教はアップデートできる 【松本】 ところで先生は「誰が瞑想するのか」という問いが大事であり、その先に主客がぴったり一致した青空の認識があると説かれ
山下良道先生と藤田一照先生の『アップデートする仏教』が、日本各地(そしてこれから世界にも!)で伝統仏教界に新たな旋風を巻き起こしています。私の知る限り、一般社会もさることながら、仏教界でも大きな影響を受けている僧侶も少なくありません。私は今回、東京に長期出張する機会があったので、週末を利用して山下良道先生の一法庵をご訪問してきました。山下先生は『青空としてのわたし』という単著も最近出されたばかりです。 鎌倉湘南、稲村ケ崎駅から徒歩五分。駅の公衆案内地図には「一法庵」の文字とともに、オレンジ色の衣をまとったお坊さんのアイコンが掲載されて、地元に溶け込みつつあることが分かります。訪問した日は接近する台風のおかげで絶好のサーフィン日和。お寺へ向かう道すがら、大勢のサーファーたちの姿が見えて、ちょっとした観光気分も味わえました。 お寺に着いたちょうどそのとき、一法庵で開かれている吾妻麗子先生の
LINEクリエイターズスタンプが先月5月に解禁され、盛り上がっています。 皆さんも新しいスタンプ、入手されていますか? 彼岸寺メンバーもチェックしているのですが 「どうも使いたいシチュエーションのスタンプが、ないね」。 「南無阿弥陀仏」と唱えたい時......。 檀家さんのお宅に向かう時......。 「ようこそお参りくださいました」と感謝を伝えたい時......。 それならいっそ作ってしまおう。 ということで 彼岸寺発「仏教/お坊さんLINEスタンプ」プロジェクト、始めます。皆さんからのリクエストも大募集!!! 「こんなシチュエーションで使うスタンプが欲しい」 「お坊さんのこの名言のスタンプが欲しい」等、 あなたの希望のスタンプが出来上がるかもしれません。 ※いただいたアイディアの著作権などその利用に関する権利はすべて彼岸寺およびイラストレーターに帰属します。何卒ご了承ください。 彼岸寺
変わらないことの大切さ なぜ僧侶になったのですかと聞かれたら「お寺を変えたかったから」と答えてきたような私ですが、最近は「お寺は変わってほしくない」と思うようになりました。 北海道のお寺の孫に生まれて、よくある田舎のごくふつうのお寺の営みを身近で見ながら育った私は、思春期にオウム真理教の事件なども経験し、仏教やお寺への愛着とともに、伝統仏教の閉鎖的な体質への反発を持ちました。仏教界に飛び込んだ当初の「お寺が変わり、もっと社会に開かれて、人々が仏教に親しみやすくなれば、きっと社会は良くなっていくんじゃないか」という思いが、その後さまざまな活動を経て、現在の未来の住職塾へとつながっています。 未来の住職塾では、1年間の学びを通して、参加者一人ひとりに自分のお寺の将来像を描いた「寺業計画書」を発表していただきます。その中身は当然、現在のお寺の弱い部分を強化する計画だったり、まったく新しい取
最近Twitterを中心に「◯◯のハンドサイン」というのが流行っているようですね。以前も「悪循環コラ」が話題になった時には流行りにのってみた(参照)ので、今回もあやかってみようかなと思ったのですが... よく考えたら仏教界ではもっと古くからハンドサインが使われていた、ということに気づきました。そう、仏像の印相(いんぞう)と呼ばれる手のジェスチャーですね。 そこで今回はいくつか有名な印相を眺めつつ、それを超訳してみたいと思います。 まず一番ポピュラーなものが、この「施無畏印(せむいいん)」と「与願印(よがんいん)」です。奈良の大仏さまはこの印相を結んでおられます。「施無畏印」は相手の畏れをなくすサインで、「与願印」は相手の願いを聞き届けようという姿勢を表しています。この2つはセットで用いられることが多く、釈迦如来像に多く見られる印相です。 続いては、これもポピュラーな印相、「定印(じょうい
臨済宗妙心寺派・退蔵院の副住職、松山大耕さんにお招きいただき、お彼岸にお檀家さんの前で対談をさせていただきました。思えばこれまでいろんなお寺で貴重なご縁をたくさんいただきながら、音声記録を残して来なかったことを悔やみつつ、今年からはできるだけマメにメモをして共有していきたいと思います。 ーーー 【松山大耕さん(以下、大耕)】 今回のお彼岸の対談相手は松本紹圭さん。 本願寺派の和尚さんです。 私の大学の1年後輩でもあり、東大の哲学科を卒業されました。 もともと松本さんはお坊さんのお生まれじゃないんですね。 一般の在家のご出身ですが、そこからお坊さんになられました。 その後、インドに留学され、MBAという経営学修士号をとられて。 それから日本に帰ってきて、未来の住職塾という、お坊さん向けの塾をされています。 いろんな活動が認められまして、 去年は世界経済フォーラム(ダボス会議
最近ネットを見ていますと、「◯◯の悪循環」という画像が流行っているようです。元々は「薬物依存の悪循環」ということの周知のために宮城県が2010年に掲載した画像なのですが、どういうわけか昨年末頃からいろんなコラージュが作られており、ネットを賑わせています。 これを見ていて、みんな上手に作るものだなあと感心しつつ、「これは使えるんじゃないか!」と閃きました。そこで私も流行りにのって二つばかり作ってみたのが、今回載せてある画像です。(サムネイル見にくいですが、クリックで大きな画像が見れます。) 解説するのも野暮な気もしますが、まず一つは「煩悩の悪循環」です。煩悩は一言で言えば、「全てを自分の思い通りにできる」という心の奥底にある傲慢な誤解です。今さえ良ければ、自分さえ良ければと、全てを自分の思い通りにしたいという心から、様々な欲望が生じます。欲望は一旦満たされても、砂漠で水をのむようなもので、
先日、未来の住職塾の松本・井出の講師二人で仏壇仏具の老舗、京都・小堀さんの工房へお邪魔してきました。恥ずかしながらこれまでお仏壇が作られる工程の苦労に思いが至ったことはあまりありませんでしたが、工房を見学してからというもの、お仏壇が過去から受け継がれたいくつもの職人技によって作られる宝石のように見えてきます。お寺の未来を皆で切り開いていくためにも、仏壇仏具などお寺関連業界の大切なパートナーともしっかり手を携えていくことが重要です。 関連業界といえば、イオンが葬儀事業に続いて、永代供養墓の仲介事業に乗り出しました。「噂には聞いているけど、まだ実際にどんなものなのか確認していない」という方、百聞は一件に如かずです。この機会にリンクをクリックして見てみましょう。http://www.aeonlife-eitaikuyou.jp/ イオンのサイトには3万円〜5万円という、これまでの常識と比べると「
最近、ひとつ気がついたことがありました。日本仏教にはいろんな宗派がありますが、浄土真宗が他の宗派と比べてとても異質だということです。教義の話ではありません。確かに、教義にも特徴がありますが、今日はその異質性を「ブランド戦略」の視点から考えてみます。 一般に、神社仏閣といえば「ご利益」を期待して参拝される方も多いと思います。こちらの神社は安産にいいらしいとか、あちらのお寺は商売繁盛に効き目があるとか。お寺としても、「うちのお寺の薬師如来様は昔から特に目の病気に効き目がありますよ」などと、他寺と上手に差別化を図って参拝者を集めようとすることがよくあります。 しかしこれ、どこかおかしくありませんか?「仏に参拝したら本当に現世利益が得られるか?」なんて野暮なことは言いません。今日はひとまずそこは置いておきます。今、問題にしてみたいのは、たとえば「薬師如来にお参りすれば病気の治癒に効き目がある」と仮
一般社団法人お寺の未来が運営する虚空山彼岸寺は、大阪子どもの貧困アクショングループ(代表 徳丸ゆき子)と協力し、全国のお寺とシングルマザー家庭を繋ぐ支援活動として「お寺おやつクラブ」をスタート致します。 「お寺おやつクラブ」は、お寺にお供えされるお菓子や果物などを仏さまからの「おさがり」として頂戴し、様々な事情により貧困生活を送るシングルマザーのご家庭へ「おやつ」としてお届けする活動です。 全国には108万人(※1)のシングルマザー家庭があり、その約6割(※2)が貧困生活を送っています。 そのような環境で育つ子どもにとって、食の問題は深刻であり、おやつや果物を食すること無く生活する場合も少なくありません。 一方、全国のお寺では熱心な檀信徒さまのお参りとともに、たくさんのお菓子や果物が日々お供えされます。 お寺で生活する僧侶や家族、また檀信徒さまのお茶菓子などで食されるお供え物ですが、食べき
現代人はもっと「足るを知る」必要がありますな〜(ドヤ顔) 煩悩まみれのお坊さんにこんな説教されてもなんにもありがたくないですね。 やりたいことがどんどんふえていく。そんな時代を生きています。たしかに「足るを知る」ことができたら、そのような欲求を抑えることができるということですから、苦しみのない生活が出来るかもしれません。しかし、見たい、知りたい、買いたい、体験したいという欲求を抑えることができないのが我々人間です。 だったらやりたい気持ちを抑えるのではなく、どんどんやりたいことをやったほうがいい。それが「足るを知る」近道ではないでしょうか。では「足るを知る」ための実践方法?をご紹介しましょう。 やらないことを決める 僕は何年か前に、ジャンケンするときはグーしか出さないことにしました。これでもうジャンケンするときに迷うことがなくなりました。何を出そうか悩んでジャンケンしていた時より勝てるよ
こんにちは、木原です。 今朝から何度か、NHKの朝の連続ドラマ小説「あまちゃん」を見ています。東京から北三陸にやってきた高校生の主人公が海女になり、町おこしに協力するうちに地方のアイドルになり、やがてアイドルグループの一員となるため東京に出てきて...という内容なのですが、このドラマは少し昔の2008年から時系列を追って展開しています。ドラマの中で震災をどう描くか(あるいは描かないか)といったことが注目されながら、今日(2013年9月2日)の放送では2011年3月11日を迎えました。地震や津波の生々しい描写はありませんでしたが、北三陸で震災に遭遇する登場人物と、東京から地元を思いつつも、電話もつながらないまま事態を見守るしかない主人公たちの様子が交互に写され、私もテレビの前であの日のことをまざまざと思い出すことになりました。東京にいてほとんど被災することのなかった自分にも胸にこたえるものが
最近ネットのニュースを見ていると、若者による「不適切な行為」がTwitter上にあげられ、それが拡散することで非難を呼び、炎上するという事件が多発しているようです。中には非難が集中し、学校をやめざるを得なくなってしまったり、損害賠償を請求されたり、逮捕されるというケースも出てきています。皆さまはこの一連の「不適切な行為」とそれに伴う炎上について、どのように感じておられるでしょうか。 私もいくつかの事件を目にして、「なぜこんな馬鹿馬鹿しいことをして、そしてネットに上げてしまったのか...」と感じていました。そして愚かな行為、社会的に「悪」とみなされる迷惑行為をした、その結果として制裁を受けるのも仕方のない事、自業自得だとも思いました。けれど果たして、自分自身は「正しさ」を振りかざして「不適切な行為」をした彼らを非難できるような人間なのでしょうか。 親鸞聖人の言行録と言われる『歎異抄』の中に
皆さんおはようございます。松島靖朗です。 IT技術が生活の隅々まで浸透し、消費行動を中心に人が動くところ、大量のデータが生み出される時代となりました。いま話題のビックデータ時代の到来です。なんでもビックデータを活用すると、今まで見えなかったものが見えてくる。それをもとに将来予測が出来るようになるといわれています。にわかに関連市場も賑わいはじめています。 僕が気になっているのは、大量のデータの中から見出される事象間の相関関係が、因果関係よりも重要になってくるという視点です。 仮に、膨大な電子カルテのデータから「オレンジジュースとアスピリンの組み合わせで癌が治る」ことが言えるならば、正確な理由はどうであれ、この組み合わせが癌に効く、という事実の方がはるかに重要となる。というようなお話。 我々はなにか起こると原因を求めますが、原因がわからないことも多いです。データを分析利用することで、なんらかの
今週はお寺で対話する夜が行われました。問いは「あなたはどんな縁に囲まれて生きてきましたか?」別の日には向源を共に作った仲間たちと「今年中にやりたいこと」を語りあいました。未来の住職塾の特別講座では久々に会った仲間と、住職塾で見つけたゴールに対して今どの辺にいるのかなんて話をしました。色んな人が僕に「これから何をするのか」を尋ねてくれます。とても有難いことです。そしてその度に、これからもみんなの期待を越え続けるんだと自分に言い聞かせます。 さてそんな熱い話をしながら先週辺りからずっと頭から離れない事があります。それは娘と一緒に見ていたアニメ、ドキドキ!プリキュアでのことです。 凄いザックリ言うと、プリキュアという五人組の女の子たちが束になって「愛」で世界に平和をもたらそうと戦うんです。んでその世界を荒らすのは「ジコチュー」という敵なんです。「ジコチュー!許さない!」「ジコチューなんかに絶対
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