サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
衆院選
www.higan.net
言葉に関わる仕事をしているせいか、日本語の意味を考えるのが好きです。 同じ音だけれど違う漢字を宛がわれて、まったく別々な場所に置かれている言葉が、実は重なり合う意味を持っていることに気づくと視界が広がったような感じがします。たとえば「話す」と「離す」。人はつらいことや悲しいことがあると、何度も同じ話を繰り返し聞いてもらいたくなります。たぶん、「話す」ことで「離す」ことをしているんじゃないかな? と考えたりするのです。 「さようなら」という言葉については、須賀敦子著『遠い朝の本たち』の中で紹介されていた、アン・モロー・リンドバーグのエッセイの一節からその語源を知りました。アンは飛行家のチャールズ・リンドバーグの妻だった人。彼女は夫妻で東京を訪れたときに「さようなら」という言葉に出会ったようです。 「この国の人たちは、別れにのぞんで「そうならねばならぬのなら」とあきらめの言葉を口にする」。英語
スマートフォンがレジになる!お寺にもSquareが届きました。 簡単ですが導入レポートを速報メモ書きしておきます。 1.まずはご本尊へお供え。 2.お勤めの後、開封の儀。革命の瞬間はドキドキしますね。 3.App Storeからダウンロードしたアプリを起動。その名もレジ。 4.起動画面。事前にサイト( https://squareup.com/jp )でアカウント登録した情報でログインします。 5.次は商品のセットアップ。商品名と金額を入力するだけ、あっという間に終わります。(商品はイメージです、念のため) 6.そしてホームへ。すでにお会計モード画面が出来上がっています。いらっしゃいませ! 7.事前に商品登録してある商品一覧からお布施1000円を選択。(商品はイメージです、もっかい念のため) 8.カード決済画面、現金決済も可能です。 9.お預かり致します。ありがとうございました。財法二
ベルリンには坊主頭がいっぱいです(スキンヘッド、ベリーショート含む)。日本では坊主頭といえば高校球児かお坊さん、もしくはそっち系の人と相場が決まっています。 この街では誰もが自然に坊主頭を楽しんでいるので、坊主頭を続けてもうすぐ10年になる拙僧も大変快適に暮らしております。そこで今日は、僕が坊主頭をおススメする3つの理由を紹介したいと思います。 1、手間いらず!2、ハゲても安心!3、ご縁が巡る! 1、手間いらず! 坊主頭は整髪の必要が全くありません(したくてもできません)。シャンプーも石けんも使わず最小限の水で洗髪ができるので、環境に優しくお金もかからない。カミソリと水さえあればいつでもどこでも頭皮を最適な状態に保てます。 カミソリは使い捨てだとすぐに剃れなくなるので品質のよいものがいいでしょう。今使っているジレット社のフュージョンというカミソリは剃刀負けもほとんどなく5日に一辺のペース
歌手でありお坊さんでもある、二階堂和美さん(以下、ニカさん)インタビュー最終回です。今回はいよいよ「お坊さんとしてのニカさん」にフォーカス。ニカさんが伝えたい仏教のこと、お坊さんとしてやってみたいことを伺っています。 「伝える」ということでは、歌手もお坊さんも同じ。でも、ひとりの表現者としてずっと「伝える」ということに真剣勝負で向き合ってきたニカさんの「伝わらなければ伝えたことにはならない」という言葉には、ぐっとくるものを感じました。私たちは毎日、誰かと、何かを伝えあっているはずだけれど、ホントに「伝わる」ってどういうことなのかをちゃんと考えられているのかどうか? 原稿をまとめながら、何度も何度もそのことについて考えさせられました。 このインタビューを通じて、ニカさんという人のことを「あなた」に伝えることができるなら、私はとてもうれしく思います。まだの方は、ニカさんインタビューの1回目、2
歌手であり、お坊さんでもある二階堂和美さん(以下、ニカさん)インタビューです。 実は、私は歌手としてのニカさんのファン。すごく会いたいけれど、ずっとその一歩が踏み出せずにいました。「ニカさんに会いたい」という気持ちだけでは、「坊主めくり」ができないと思っていたのです(案外、ストイック)。 でも、2011年7月に発表されたアルバム『にじみ』を聴いて気持ちが決まりました。ニカさんが全曲作詞作曲を手がけたこのアルバムからは、仏教がにじんでいるのを強く感じたからです。それでもまだ尻込みしていた私の背中を押してくれたのは、『お寺座LIVE』の雪山俊隆さん。「ニカさんに取り次いであげるよ」と温かく背中を押してくれて、ようやくインタビューを申し込むことができたのでした。 ニカさんの人生のこと、『にじみ』のこと、そしてお坊さんとしてのニカさんのこと。広島のニカさんのお寺で行った超ロングインタビューを3回に
もしや説法(法話)に必要なスキルって、限りなくDJに近いんじゃないか? 僧侶でありミュージシャンである二階堂和美さんの「坊主めくり」インタビューに触発されて、というわけではないのですが、ある日、そんな考えがふと頭をよぎりました。 1. イベント当日のお客さんの顔を思い浮かべて、仕込みをする クラブなどで音楽をかけるのがDJの仕事ですが、あれはただ自分のかけたい音楽を自己満足的にかけているのではないわけですよね。まず、その日のイベントにはどんなお客さんが来るのかを、前もってイメージします。 年齢層はどうか、どんなジャンルの曲が好きか、何を期待してそこへ来るのかなど、お客さんの顔を思い浮かべながら「この曲ははずせないな」「こんな曲も意外性があって面白がってもらえるかな」というふうに、選曲をするでしょう。 お坊さんの法話の場合も同じです。準備もなしに手ぶらで現場へ行ってその場で話を考えるという
このインタビュー連載を始めてしばらく経ったある日、ふと"坊主めくり"で検索してみたら、一番トップに『坊主めくり』というお坊さんのサイトが......。連絡したほうがいいかなと思いつつ見ていたら、蝉丸Pさんの『ニコニコ仏教講座』などを発見してツボにハマり「いつかインタビューを!」と思っていました。今回は、蝉丸Pさんに京都まで来ていただき、こちらの『坊主めくり』にも出ていただいた永運院さんに場所をお借りして取材を行いました。 ある日とつぜん出家を志して 出家を思い立ったのは、高校1年生の終わりです。実家が自営業だったので、子供の頃から両親に「何をやってもかまわないけど何で飯を食っていくのかはよく考えろ」と言われていて。何か自分の売りになるものをと考えたときに、まずは落語家という選択肢が出てきたんですね。中学3年生のときに落語の劇の脚本を書いたりして面白いなぁと思いましたし、着物を着る職業はかっ
6月、あの痛快な語り口もそのままに『蝉丸Pのつれづれ仏教講座』(エンターブレイン)として書籍化されました。初版発売後すぐに増刷がかかりすでに2万部が発行されています。やっと四国を再訪する機会をつかまえて、遅ればせながらの新刊著者インタビューをさせていただきました。 サブカルの皮をかぶった仏教書 ――『蝉丸Pのつれづれ仏教講座』は400ページを超えるボリュームで。読めば仏教の流れを押さえられるようになっていますね。 「仏教の」と大上段に構えてやったわけでもないんですね。「この話をするならこの話もしないといけないなあ」と、生放送でやっているのと同じように書いたわけです。 ――そうですね。『ニコ動』や『ニコ生』で話されたことがテキストになっていたり、誰かの質問に応えるかたちで書いていたり。 そうそう。聴かれたことに答えたものをまとめたらあんな感じになったんです。ホントは、三章の「もっと『仏教』
2012年9月27日、真宗高田派のお坊さん、浦上哲也さんが開いている布教所「なごみ庵」(東白楽)において「死の体験旅行」というワークショップが開催されました。このワークショップに参加した友光雅臣さんから、体験レポートをご寄稿いただきました。 死の体験旅行とは?「死の体験旅行」とは、自分が体調の変化に気付いて病院に行き、検査を受け、ガンを宣告され、病気と闘い、治療から緩和ケアへと移り、亡くなっていくストーリーを追いつつ、大切なものを捨てていかなくてはならない悲しみ、そして最後には全てを失い死を迎えるプロセスを仮想体験するワークショップです。 講師の蛭田みどり先生は、「桜町ホスピス」で山崎章郎氏(医師・作家)とともにホスピスケアに取り組まれた看護師さん。現在は在宅緩和ケアの基地である「ケアタウン小平」で訪問看護に従事し、豊富な経験をもとに患者や家族の「住み慣れた家で最期まで」という願いを叶え
TEDxKyotoに参加しました。TEDは近年、カリフォルニアから世界へ広がりを見せている催しです。頭文字が表すように、テクノロジー・エンターテインメント・デザインに関するさまざまなアイディアについて、第一人者たちが語り、魅せてくれます。 特に印象に残ったのは、平野啓一郎さんの「自己愛」のお話。平野さんの最近のテーマ「分人主義」は、人間を固定した不変の一人格とは見ません。一緒に過ごす相手によって自分の言葉使いや振る舞いが変わるように、状況に応じて「自分らしきもの」がそのときどきで成立しているのが人間の実際です。ならば自己愛も、たとえば「あの人と一緒にいるときの自分が好き」というように、「閉じた自己愛」から「開かれた他者への愛」へと捉え直すことができるのではないか、というもの。 これはまさに、仏教の「縁起」に通じます。俗に言う「縁起がいい/悪い」の話ではありません。「一切は相依って成り立って
「俺はもう既に本物のヒョウなのかもしれない」。 昨日、彼岸寺のウェブデザイナーhoxaigraphicsさんが、『メンズナックル』のコピーについて書かれた『アドタイ』の記事を「大ファンですw」というコメント付きでツイートしているのを見つけました。すかさず「草食男子の皮をかぶったメンズナックルめ!」とリプライしつつ記事URLをクリックです(ちなみに、変換第一候補は「僧職男子」だった)。 『メンズナックル』は強烈なコピーがネット上でたびたび話題になり、今では歴代の名コピーを集めたスマートフォンアプリまで出ているそうです。たしかに、コピーとしては最強。キャッチコピーどころか鷲掴みコピーです。見習うべきところがありそうです。 モノは試しというわけで、『メンズナックル』のコピーのパロディで、『彼岸寺』のコピーを考えてみることにしました。※本記事はあくまでジョークとしてお楽しみください。 俺はもう既に
一時帰国中の8月21、22、23日の三日間、何も予定をいれずにいました。 迷っていたからです。 たった3日間ですが、3日もあります。例えヒッチハイクであっても日本全国どこだっていけるでしょう。北陸、東北、静岡、兵庫の山奥も悪くない。今、日本に本当に必要な行動はなんなのだろうか。 そんなことを考えていたら「21日の夜に会いたい」と言ってくれる人がいました小学校低学年の息子さんと九州で暮らすお母さんですが、希望の場所は東京でした。母子で暮らしている彼女はお金が尽きてしまい、縁あって外国にいくことになったといいます。 普段中々いけないところに行きたかったので「東京か・・・」と一瞬躊躇しましたが、東京駅で会うことになりました。 東京駅につくと、構内の喫茶店でお母さんは息子さんと、別れた旦那さんの母親と三人で紅茶を飲んでいました。自分の身体の二倍はあるスーツケースとその上においてあるお世辞にも上質
夫が「人に勧められて」と、珍しくアニメのDVDを借りてきました。それは「魔法少女まどかマギカ」。ネタバレになるのであまり詳しくは書きませんが、ストーリー設定が非常に仏教的で、見れば見るほどその世界観に引きずり込まれるのだと、お坊さん仲間の間でもかなりの評判になっていた作品です。とは言え、アニメを見慣れないわたしにとってはあまり見やすいものとは言えず、「そうは言っても、とにかく3話まで我慢して見ればもう目が離せなくなる」との口コミを頼りに、なんとか頑張ってその3話までを見終えました。なかなかどうして、たしかに先の展開が気になって仕方ありません。そこからはいっきに最終話までを借りそろえ、あっという間に見終わってしまいました。 お話の中で、「どうして人間は、そんなに魂の在り処にこだわるんだい?」という言葉がありました。魂は体から離れて生き続けているのに(という設定)、死んで肉体が動かなくなること
先日、「日本仏教各宗派は原発についてどう考える?」というまとめ記事を掲載したところ、リツイートコメントのなかに「他宗教はどういう見解を発表しているのか?」という声がちらほらありました。記事を作成したときに、キリスト教の見解をいくつか見つけてメモしていましたので、こちらもご紹介したいと思います。 【仏教とキリスト教の違い?】 キリスト教の各教団のウェブサイトを見て驚いたのは、、震災復興を含めて社会活動に関するニュースが多数掲載されていること(日本仏教は、大本山が観光寺院化していることもあるため、サイト情報は観光案内のみというところも少なくありません)。プロテスタント系の教団では、サイトメニューに「宣言・声明」があるところもあり、社会で起きていることへのスタンスを明確に発信していこうとする姿勢がうかがえました。 また、仏教各宗派の見解に比べて非常に論理的な文面で書かれており、エネルギー問題
毎週金曜日夜、首相官邸前や大阪の関西電力本店前などで行われている、大飯原発再稼動決定に対する抗議デモはどんどん規模が大きくなっていますね。6月22日には、官邸前に4万5000人、大阪の関電本店前には1500人が集まったと言われています。 日本の仏教界では、6月12日に東本願寺(真宗大谷派)が「大飯原子力発電所再稼動に関する声明」を発表。こちらもTwitterやFacebook上で話題になりました。 ところで、日本仏教界の各宗派は、原発についてどんな意見を持っておられるのでしょうか。各宗派のウェブサイトに記載されている声明や談話を、震災後から時系列に沿ってまとめてみました。 ●東本願寺「原子力に依存する現代生活」を問い直す姿勢を表明(2011年7月7日、安原晃宗務総長) http://higashihonganji.or.jp/info/news/detail.php?id=337 宗会(
カボチャの煮物ほど、好みが別れるものもないでしょう。 ホクホクに水分少なめに仕上げるか、しっかりと出汁を吸わせてしっとりさせるか、色々あります。 ちなみに私は、しっとり派です。 しかし、しっとりと仕上げようとすると、その分煮くずれのリスクがつきまといます。 丁寧に作ったつもりでも、煮くずれしていると、テンションはダダ下がりです。 和食屋さんで上手にしっとりと炊かれたカボチャを見ると、3割り増しで美味しそうに感じます。 もちろん、コツさえ分かれば、ご家庭でも上手に炊くことは出来ますし、塩昆布との相性も良いので、一度、お試しください!! 【 レシピ 】 <2人分> ・ カボチャ・・・1/8個 ・ 塩昆布・・・適量 <合わせだし> ・ 昆布だし・・・300ml ・ 椎茸だし・・・100ml ・ 白醤油・・・大さじ1(薄口醤油でも可) ・ 日本酒・・・大さじ1 ・ 天然塩・・
東京・光明寺の「神谷町オープンテラス」(以下「テラス」)は、2005年に彼岸寺の松本圭介や青江覚峰が立ち上げて以来、「お寺カフェ」としてテレビや雑誌で何度も取りあげられ「若いお坊さんたちの新しい動き」のシンボル的な存在です。木原健さんは、この「テラス」で"店長"をするうちにお坊さんになってしまった人。いわば、「お寺カフェ」から出家された方なのです。 インタビューは、「テラス」のソファで、都心のお寺の境内に吹く風が木をわたるさざめきのような音、そして鳥たちの声をBGMにして、リラックスした時間のなかで行いました。 お坊さん、人生相談にまさかのコメント!? 木原さんは「普通のサラリーマン家庭」に生まれ、仏教とは特にご縁なく育ちました。ところがある時、思いもしないかたちで"仏縁"がヒョイと木原さんのところにやってきました。学生時代の友人、彼岸寺の松本圭介の突然の出家です。「たまたま友達がお坊さ
この絵本は、映画化されたこともありますので、ご存じの方も多いでしょう。ぼくは中学生のころに初めてこの絵本を読み、恐ろしさで身体がすくんだことをよく覚えています。夜もなかなか眠れませんでした。それほど衝撃的な作品だったのです。 表紙からもわかるように、この絵本は核戦争と、そのさなかに生きたひと組の老夫婦を描いています。 ジムとヒルダは、ジムが仕事を辞めたあと、街から遠く離れた田舎に住んでいました。ある日、ジムは街の図書館に立ち寄り、新聞で戦争が間近に迫っていることを知ります。 帰宅後、いつものように二人で静かに食事を取っていると、ラジオがけたたましく緊急ニュースを知らせました。政府が、戦争の勃発は避けられないため、3日以内に核シェルターを作るようにというのです。 戦争の報せに頭を抱えたジムでしたが、気を取り直して家の片隅に核シェルターを作りはじめました。州政府から配られたパンフレット
9月29日(土)東京卸商センター3階展示場にて、『いのフェス』こと『いのり☆フェスティバル』が開催されます。このイベントはフリーマーケットを中心とし、キリスト教につながるあらゆる人達が、キリスト教の教派などの様々な枠を超えて、普遍的な「祈り(いのり)の精神」を、多くの人に発信していこうというプロジェクトのもと行われるもの。いわば、教会版の「コミケ」or「学園祭」的なイベントです。 2011年にも開催され、各種団体や個人が出展したブースには、それこそ教派だけでなく、宗教、思想、世代、性別、職業、国籍など、あらゆる枠組みを超えた人達が集い、巷で噂の「脱教派」ムーブメントとして盛況を博しました。 今年の『いのフェス』はさらにグレードアップ。フリーマーケットはもちろん、ミニライブやワークショップも開かれ、さらには「カミとホトケと、時々、オタク」と題した対談も行われます。キリスト教界×仏教界×オタク
この写真でイスに乗っている円形のモノは、曹洞宗のお坊さんたちが坐禅に使う「坐蒲(ざふ)」です。見た目はふつうの丸いクッションですが、いちおうお寺で教わった伝統的な方法に則って手縫いしました。直径28.5cmの円形の布2枚と、15cm×114cmの長方形の布1枚を縫い合わせるだけという、シンプルかつ合理的な作り方が禅っぽいなあと思います。 実は、星覚さんの本『身体と心が美しくなる禅の作法』 のお手伝いをして以来、朝早く起きたときや夜寝る前に坐禅をしています。短い時は10分、長くても30分以内くらい。机に向かう姿勢が良くなったせいか、 長年の悩みだった肩コリと腰痛がすっきり治りましたし、自分のスイッチを切るいい時間にはなっています(無心にはなれそうもないです!)。 そんなわけで「坐禅を始めて一か月以上経ったし作ってみようかな」と思ったのがこの坐蒲です。お寺では濃紺あるいは黒の坐蒲が一般的です
マンガが"大好き"なお坊さん、吉村昇洋さん(曹洞宗普門寺副住職・臨床心理士)による仏教マンガ論『おぼうさんが読み解く仏教マンガの世界』後編です。前回は、僧侶である吉村さんのマンガ読書体験から、仏教マンガを"ストーリー"の面から4分類。仏教マンガの持つ影響力、そして「仏教マンガとは何か?」について論じられました。 仏教マンガの4分類 (I)釈尊・祖師方・名僧の伝記、仏教史 (II)仏教説話、仏教思想、仏教教理、仏教哲学、仏教用語 (III)現代の仏教者(及びその環境)の実情・生活 (IV)仏教関連キャラをモチーフにオリジナルストーリーを創作 今回は、さらに年代別の分析から現在の仏教マンガの特徴へと掘り下げられています(以上編集部注、詳しくは前編をお読みください)。 ●年代別の分析 前回に引き続き、これまで私が目にした仏教マンガを4つに分類し年代別に分けたものを図2、3、4に示した。
私はマンガが好きである。いや、大好きである。 大学院生の頃、日本漫画史研究会というマンガ研究者のサークルに参加して、マンガを構造論的に見ていく面白さに触れてからは、「自分がなぜこのマンガが好きなのか? このマンガの何に心を打たれるのか?」といった視点で、マンガを読むようになった。 本稿は、大まかに時代を切り取り、仏教に関するマンガ(以下「仏教マンガ」と記す)に関しての流れを整理しながら、その傾向を分析することを目的としている。 ●彼岸寺と仏教マンガの意外な関係 あるとき、こういったマンガの読み方の話を、彼岸寺の運営メンバーたちとしていたら、「今、水沢めぐみの『寺ガール』という作品が『Cookie』に連載中で、彼岸寺のメンバーも協力している作品なので、1本記事を書きませんか」との話をもらった。そういえば、以前も小玉ユキ『光の海』 というお坊さんが主人公のファンタジー作品を読んだ後、作者
早いもので浄土宗のお坊さんになって一年が経ちました。この一年間は、実際の現場で色々なことに戸惑いながら、ひたすら目の前のお勤めに全力投球する日々でした。 今年最後の記事は、そんなあっという間の一年の中で気づいた、お坊さんとして生きていく上で大切にしたい時間の流れについて書きたいと思います。 東京で仕事をしていた頃の生活リズムと比較してみると、お坊さんの生活に「週休二日」のように決まった休みはありません。月末に振り返ってみると「今月は休日が数日しかなかった」ということも多くあります。 大変な生活のようですが、普段の一日はかなり余裕のある時間の流れの中で過ごしています。下のイメージは9月の土日を含めた四日間の実際のスケジュールです。 朝五時半起床、午前中に「月参り」をすませ、午後からは寺務所や本堂で作務に取り組みます。夕食を終え、入浴・読書のあと、夜の十時には消灯。土日は「お年忌」や「お墓参り
お坊さんの日常生活というと、住職という呼称から想像されるようにお寺に住み、お経を誦んだり掃除をしたり時間が来たら鐘を鳴らしたりするもの...と思われる方が多いのではないでしょうか。 実際には日中、月参りやお年忌などの法要で外出している事が多く、お寺にいる時間がそれほど長くあるわけではありません。僕のお寺では、お彼岸やお盆に本堂でおこなう法要を除けば、お檀家さんの家にお伺いして読経することがお坊さんのお勤めと言ってもいいほどです。(※関東や関西などの地域や、宗派の違い、また以前にご紹介したお寺の形態によって随分違いがあるようです。) 職場=仕事をする場所という意味でいえば、お檀家さんのお仏壇の前が一番長くお勤めをしている場所になります。住まいでもあるお寺からお檀家さんのお宅に通勤させてもらっていると言えるかもしれません。 東京で働いていた頃は主に電車、場合によっては(連日のように)深夜タクシ
仙台に有名なお寺がある。といっても、立派なお堂や有名な仏像があるわけでもなく、何百年もの歴史がある古刹というわけでもない。それどころか、左官屋の事務所兼住宅だった建物を改築したお寺で、まだ出来てから10年にも満たない。にも関わらず、お参りする人も多く地域にも愛され、「理想のお寺」のひとつだと考えているお坊さんも少なくないという。 仙台市泉区の新興住宅地の一角にある「みんなの寺」は、浄土真宗の僧侶だった天野雅亮(がりょう)さんと、宗教が好きが高じて葬儀会社で働いていた天野和公(わこう)さん夫婦によって、「いつでも誰でも自由に立ち寄れ」て「気軽に悩み相談や仏教の話ができる」ことを目標に創建されたお寺だ。阿弥陀仏を本尊とする浄土真宗の教えをベースに、ヴィパッサナー瞑想などテーラワーダの教えも実践する活動をしている。 2002年の開山時には明日の収入の見込みもなかったが、法定上最短の3年で宗教法
10月5日に亡くなったアップルの共同創業者スティーブ・ジョブズ氏の禅との関わりを描いたコミック『The Zen of Steve Jobs』が、この秋に出版されます。 ジョブズ氏が若い頃に日本人僧侶から禅を学んだという話は有名ながら、これまでその詳細は明かされてきませんでした。米フォーブス誌によれば、本書は1980年代半ばの禅を学ぶスティーブ・ジョブズをテーマにした60ページのグラフィックノベル。ジョブズ氏の偉大さの源を解き明かそうと、アップルを辞めNeXT社を立ち上げようとしていたジョブズ氏が、アメリカで禅の指導に当たっていた日本人僧侶の乙川弘文師のもとで禅を学ぶ姿を描いています。 乙川弘文(おとがわこうぶん)師(1938-2002年)は新潟県加茂市出身の禅僧。13歳で得度したのち永平寺の修行を経て、1967年に渡米するとアメリカで初めての僧堂であるタサハラ禅マウンテンセンターを立ち上げ
昨年のイオンによる葬儀仲介事業参入は仏教界のみならず、全国規模で話題となりました。この事業、まるで商品のようにお布施を扱った価格表や、各宗派の大本山が事業を公認したかのような虚偽の記載が問題となったと記憶しています(参考記事:日本経済新聞 イオン参入で議論に ゆれる葬祭)。 僕はお坊さんとしての経験よりもビジネスマンとしての経験が多いがゆえに、当初から比較的冷静にこのニュースを捉えており、「いいところに目をつけたな」という感想を持ちました。 仮にイオンの新規事業担当者だったら、この事業企画を立案するときのポイントはなにか、想いを巡らせていたほどです。その時の思考を再現してみましょう。 総務省の統計によると、65歳以上を高齢者とした場合の高齢者人口は現在約3,000万人で、総人口の23.3%に当たる。2050年には高齢者人口は約3,500万人まで増加し、減少する日本の総人口に対して約40%に
さて、京都駅前のマックで娑婆とのお別れランチをしてはじまった修行生活。真言宗の修行では阿闍梨になることが修行のひとつの目標です(もちろん資格の取得だけが目的ではありませんが)。今回は、本筋から遠く離れて、真言宗の修行の仕組みについてご紹介したいと思います。 阿闍梨になるためには、四度加行という密教の修行を修め、伝法灌頂と呼ばれる儀式を受ける必要があります。最近阿闍梨として有名なお坊さんといえば、オネエ和尚として知られる水無昭善さんですね。水無さんは、高野山で修行して阿闍梨になられたんだとか。阿闍梨はもともとサンスクリット語で師匠を意味する「アーチャーリャ」を音写した言葉ですが、いま現在はお寺の住職になるために必要な資格となっています。だから、真言宗で一般的に言う"阿闍梨"は、水無さんの言うような「高僧」というよりも、ごく普通のお坊さんと考えていただいたほうが正確です(天台宗ではまた違います
9月に入って4日間、あわただしく出発準備をする中で親しい友人達と東京で話をする機会があった。そのうちの何人かは僕が托鉢行脚をすると聞いて、少しでも足しになればといって現金を渡してくれた。非常に嬉しくありがたく感動したが、無礼と知りつつ素直に受けとることができなかった。 時至るまで預かっておいてもらうことにしたのには理由がある。僕が今回の托鉢行脚で「本当にやりたいこと」、「やらなければいけないこと」を明確に表現できるようにしておきたかったからだ。 離れるとより愛しく感じるもので、震災後ベルリンに渡り、道場を開く準備をする中で日本に対する想いは決定的に強くなった。それはこのままでいいのか、という強い「危機感」と同時にこんなにも素晴らしい国はない、という強い「希望」だ。 多くの人がうすうす感じていることだとは思うけれども、近代社会は「誰もが望んでいない」方向に向かっているのではないだろうか?
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『彼岸寺[higan.net]〜超宗派仏教僧侶によるインターネット寺院』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く