かつてこの地球上の各所で、まるで申し合わせたように"巨大さ"を指向した建造物がつくられている。古代の闇が薄れて文明の明るみがさし始めたころ、忽然と巨大な建造物が現れるのである。エジプトのあの大ピラミッドや秦の始皇帝陵、マヤ文明の神殿ピラミッドなどなど枚挙にいとまがない。それは日本でも例外ではなかった。まさに"倭"というこの列島で最初の国が誕生しつつあった動乱の5世紀初めに、第十六代仁徳天皇の陵と伝えられる巨大古墳が築造されている――いったいこれはどうした事態なのか? いまも大阪府堺市の東郊外に濃い緑と濠に囲まれてある巨大"前方後円墳"は世界一の規模とされ、かつては現在よりずっと海に近い小高い丘の上に、海岸に沿うように築かれていたようだ。現在は樹々が生い茂って森のように見えるが、本来は径20cmほどの小石が全体を覆い、前部が方形、後部が円形というきわめて人工的な姿をして、大阪湾を一望し、海上