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アメリカ大統領選
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1978年、サンフランシスコのオールド・ウォルドーフの楽屋にて。写真左から、ジョニー、ジョーイ、ディー・ディー、トミー Ed Perlstein/Redferns/Getty Images 今から40年前、1枚のアルバムがリリースされた。『ラモーンズの激情』―これこそが"パンクロック"という言葉を定義づけた作品だった。パティ・スミス、テレヴィジョンらとともに、ニューヨーク・パンクを牽引したザ・ラモーンズ。ジョーイ、ディー・ディー、ジョニー、トミー、そのオリジナルメンバーはもうこの世にはいない。 ステージ上では団結そのもの。家族といってもよかった。4人の男はライダースジャケット、擦り切れたジーンズ、スニーカーという同じ衣装をまとい、同じダークカラーの頭で同じ姓を名乗った。まさに一心同体。ライヴでは曲間に何も挟まないことが多く、ベースのディー・ディー・ラモーンが「ワンツースリーフォー」と狂った
現在、再評価が著しい作家・佐藤泰志。そんな佐藤の作品が、『海炭市叙景』、『そこのみにて光輝く』に続いて映画化された。"函館三部作"と呼ばれる本シリーズの最後を飾るのは、オダギリジョーと山下敦弘監督がタッグを組んだ『オーバー・フェンス』だ。 妻に見限られ、故郷の函館に戻って職業訓練校に通う白岩(オダギリジョー)と、そんな白岩が出会った"聡(さとし)"という鳥の求愛ダンスを踊るホステス(蒼井優)。生きることに不器用な彼らの交流を軸に、物語は進んでいく。今回はオダギリ&山下という同世代のふたりに、作品について語ってもらった。 ―今回山下監督は"函館三部作"のトリを任されたわけですが、ともに評価の高い熊切和嘉監督の『海炭市叙景』、呉 美保監督の『そこのみにて光輝く』の後ということで、プレッシャーもあったのでは。 山下: もちろんプレッシャーはありました。だからこそ、今回はあまり計算をせずに、真っ向
ピーター・バラカンが語るオールマン・ブラザーズ・バンド:「サザン・ ロックは、彼らの成功によって生まれた言葉」 2016/06/01 18:00
AA=の待望の新作『#5』が完成した。先行配信されたコラボ3曲「FFREE THE MONSTER」/AA=×Masato(coldrain) + Koie(Crossfaith)、「M SPECIES」/AA=×Kj(Dragon Ash )、「→MIRAI→(ポストミライ)」/AA=×J.M.(0.8秒と衝撃。)を含む全13曲は、強い音と言葉、そして明確なメッセージを持った"強いアルバム " に仕上がっている。インタヴュー前編は、歌詞に込められた思いを首謀者の上田剛士に訊いた。 ーやりたいことをやって、求められてるものにも応えて、言いたいこともちゃんと言えている。見事なバランスのアルバムですね。 ありがとうございます。言いたいことはちゃんと言っている感じですね。配信の3曲を作っている時点ではアルバムのことはあまり考えてなかったんですけど、自分が考えてることを曲にして並べてみたら、意外と
激しいヘヴィメタルと持ち前の可愛らしさを武器に世界で戦う「BABYMETAL」の存在をあなたはご存知だろうか? 「カワイイメタル」というまったく新しいジャンルを作り出した、新感覚のメタルダンスユニット。国内外のライヴハウスやフェス会場で着々とフォロワーを増やし、今年4月2日にはイギリスのウェンブリーアリーナで日本人初の公演が決定、ワールドツアーを経た後にはなんと東京ドーム公演が決まっているというから驚きだ。 もはや世界的事象となりつつあるBABYMETALの人気の秘密と、オフステージは若干10代の女の子である3人の素顔に迫ってみた。 —まず、BABYMETALとはどんなグループなのでしょうか。 SU-METAL: カワイイとヘヴィメタルの融合です。楽曲やライヴ、衣装も含めてBABYMETALという新しいジャンルを作って広めていこうというコンセプトのもと活動しています。メタルを初めて聴い
ローリングストーン日本版 アーカイヴ・インタヴュー 2015年6月号 特集 煙たい表現者たち 浅井健一 「突拍子もなかったよ、昔から。自慢なんだけど」 「この人は本当に話をしてくれるんだろうか」。はじめはそう思った。眠たそうに椅子に腰かけ、テーブルの一点をじっと見つめる姿からは、話しかけてくれるな、というオーラが漂っている。 もちろん、愛想笑いなんか一切しない。しかし、天性の詩人、浅井健一の前で、会話を盛り上げて話を引き出そうなどという努力はムダなんだということに、少しして気づく。心に浮かんだことをそのまま口にできてしまう、言葉の天才のストレートな言葉には、どんなに流暢なトークもかなわない。 ─子供の頃から変わらなそうですよね。 変わっとらんね。宇宙人と呼ばれとったしな。 ─そうなんですか(笑)。 突拍子もなかったよ、昔から。自慢なんだけど。 ─ちなみに、ご自身ではどんなふうに。 うーん
昨年7月にリリースした『MONOCHROME』以降、急速に認知度と支持率を高め、いまや本人が望むと望まざるとにかかわらず、日本のヒップホップを象徴する存在となったKOHHのサード・アルバム『DIRT』が完成した。早速アルバムを聴かせてもらったのだが、KOHHがまたもやネクストレベルに歩を進めたことはあきらかだった。本作はトラックのムードもラップの筆致も陰影に富んだものが多く、その全体像から浮かび上がるのは、彼の死生観である。死を強く意識し、今ここで湧き上がる生の脈動をいっさいの淀みなく歌うということ。ドープなビートを擁したトラックと濃密に交わりながら、死から逃避するのではなく“俺はまだ死ねないんだ”と咆哮するようなラップを浴びて、かけ値なしに高揚する。KOHHはここから何を叶えようとし、どこへ向かおうとしているのか。並ぶ者なきリリシストの現在地に迫った。 ─『MONOCHROME』のリリー
ローリングストーン日本版 アーカイヴ・インタヴュー 2015年10月号 表紙巻頭インタヴュー Ken Yokoyama 安倍さんが言う「美しい日本」と俺らの思う「美しい日本」は違う 日本において、圧倒的なパンク・ヒーローであるKen Yokoyama。彼のルーツ・ミュージックが満載に詰め込まれたニューアルバムのタイトル『SENTIMENTAL TRASH』=“センチメンタルなクズ野郎”とは、どうやら自身のことらしい。 収録曲の「Yellow Trash Blues」では、自分のことを“オレはステージに立てば みんなの憧れになる でもそのへんにいる時は ただの浮浪者さ 45歳にもなって ギター弾いて ブカブカのズボン履いて 刺青入れて”とセンチメンタルに歌っているが、“プライドとアティチュードは持ってんのさ”(共に邦訳)とも言っているように、アルバムを通してそのプライドとアティチュードは貫か
Forty-Eight® 150万円(税込)〜(ハーレーダビッドソン ジャパン ☎0800-080-8080) the dayやMANNISH BOYS、THE GOLDEN WET FINGERS、獄門島一家など、ドラマーとしてさまざまなチームと活動しながら、俳優、デザイナーなど、多彩な活動を見せる中村達也のマルチプレイヤーぶりは留まるところを知らない。彼のいつ、誰と、どこにいても『中村達也』たる、その強烈なアイデンティティの根幹に迫る。 ─2013年5月号の『MANNISH BOYS』巻頭特集を見たハーレーダビッドソンから「ぜひうちのバイクに乗ってもう一度フォトセッションを!」って熱いラブコールをいただいたんです。 「それはうれしいね。実際俺がハーレー乗ってたのはブランキーが終わるくらいの頃だけれど」 ─バンドが変わるたびにバイクも恋人も変わるって本当ですか? 「ハイ(笑)。ハーレーは
卓越した演奏技術で、数々の名演を残してきたギタリストChar。 レジェンドが切り拓いてきたロックな道のりとは。 話すと、とても優しくてユーモラス。そして人懐っこい。そんなCharだが先日、ライヴで意外な一面を見た。盛り上がったステージ。アンコールに応えて出てきたものの、機材トラブルなのか、ギターの音が出ない。途中で復旧こそしたが、最後には愛用のフェンダー・ムスタングを放り投げてしまった。「久しぶりに投げたね。一回ああいうことやっとかないと若い楽器は調子に乗るから」 Charはいつもギターと一緒だ。初めてギターを手にしたのはまだ子供の頃。5歳上の兄の影響だった。「小学校1年の時の担任が、『この子には芸術的なことを習わせたほうがいい』って母親に言ったんだよね。それで母親がピアノを習わせた。でもピアノ教室にいるのって女の子だけだし、まさに“習い事”っていう感じがして行きたくなかった。俺にとって
今月31日に行われるパーティのライヴアクトをピックアップするコーナー、今回は最年少出演者のLil Kohhを直撃。 小学生ラッパーとして注目を集めた彼に、復活ライヴとなる本イベントへの意気込みを聞いた。 ──今、おいくつなんですか。 「14歳。中3です」 ──ラップを始めたのは小学生の時ですよね。 「はい」 ──何年生でしたっけ。 「小5です」 ──お兄さんのミックステープに入っていた〝Young Forever〟っていう曲ですか。 「家にいたら、兄ちゃんに呼ばれて。行ったら準備してて、歌わされた」 ──ラップは未経験で、いきなり? 「いきなりっす」 ──その時からLil Kohhになったんですか。 「いや、その前に兄ちゃんのPVがあって。自分がKohhだから、Lil Kohhにしなよって」 ──弟分的な。 「はい。悪くない。いいっす」 ──お兄さんの友達とか、年上の人に囲まれて、怖くな
過剰でいい。情熱的で何が悪い。理解されないなら、しかたがない。 不器用かもしれない、そんな男たちの生き様に迫る新連載。第1回はSIONが登場。 煙草がやけに似合う。きけば、「13だか14だか」から吸ってるという。そう言えばステージ上でもよく煙草を吸っていたのを想い出した。 SIONのライヴを初めて観たのは、1987年。広島ピースコンサートのテレビ中継で、だった。被爆地、広島の平和を祈るコンサートだが、悲惨な過去をよそに、どこか浮かれた感じのステージが続いていた。そんななか、ライヴが始まった。ステージに立つその姿からはヒリヒリとした空気が放たれていて、身を削るような歌い方、歌詞に心震えた。バブル経済の真っただ中で異様にさえ映ったが、SIONの歌だけがリアルに胸に刺さった。 それからというもの、東京でのライヴに行くようになった。小さなライヴハウスで観ると、さらにヒリヒリとした空気を後押しして
80年代、テレビでよく観た、無邪気な笑顔で動物と戯れる姿──。 今回はなじみ深いその男の、知られざる素顔に迫る。 面と向かうと、子供の頃、よくテレビで観ていたムツゴロウさんのままだ。優しい瞳、あの柔らかな喋り口調。ちょっと意外だったのが、とにかく、煙草をよく吸うことだ。とてもおいしそうに吸う。きけば、18歳の頃から吸い始めたそうだ。「昔はいい煙草のキャッチフレーズがあったものだよ。『たばこは生活の句読点』、『今日も元気だ たばこがうまい』とかね。僕は今でも起きると一服するんだよ。それで煙草がおいしければ、今日も元気だって思う。まぁ昭和の人は味のあることを言ったもんだ」と、目を細めて笑う。50年以上前の広告のキャッチコピーだが、しっかりと身体に留めている。さすが、言葉を生業にする人だ。しかも次から次へと煙草に関する表現が口から飛び出す。 こんなふうに書くと、あれ?と思う人もいるのかもしれな
戦後すぐから、権力と対峙し、「嘘」を暴き続けてきた92歳の現役報道写真家、福島菊次郎。 戦前、戦中、戦後を体験してきた彼は、日本の現状に対し危機感を持っているという。長きにわたって権力と闘い続ける彼の目には、この国がどう映っているのだろうか。 ——福島さんの報道写真家としての活動に迫ったドキュメンタリー映画のタイトル『にっぽんの嘘』と同じく、震災後も、僕は新しい嘘が始まっているように思えるんですよ。 「まず、僕は戦争体験者だから。日本が敗戦したのは、僕が25歳の時なんですね。戦争中、僕は二等兵だったんですけど、いちばん下の階級である二等兵は、ぼろ切れみたいに使い捨てられましてね。僕の小学校時代の同級生だって、半分以上戦死していますから。戦後、政府、並びに天皇が、自分たちの戦争責任をもし明確にしてくれたなら、日本はこんなふうにならなかったと思うんですよ。ずっとうやむやに誤魔化して、嘘までつ
原発作業員で賑わう、福島県小名浜のソープランドを舞台にした劇団東京フェスティバルの『泡』。 2012年に初演、今年福島で再演されたこの舞台の作・演出を手掛けた劇団主宰者、きたむらけんじに演劇を通して訴えたかった“福島”についてきいた。 ─なぜ、小名浜のソープランドを舞台にしたお芝居を? 「僕は放送作家の仕事もしているんですが、担当するJ-WAVEの報道番組『JAM THE WORLD』の取材で被災地に行ったんです。始めは2011年の12月に宮城県の石巻に行って話を伺ったんですが、その時は物語にしようとは思わなかったんですね。震災から1年後、再び番組で被災地を取材することになり、どこに行くか考えた時、言葉は悪いかもしれませんが、宮城県や岩手県は放っておいても他が報じるだろうなと思ったんです。僕たちがやるべきことは、福島のことを伝え続けていくことなんじゃないかなって」 ─なるほど。 「できれ
山梨県一宮町発のヒップホップ・クルー、stillichimiyaの音楽的な突破力と地元で育まれたアイデンティティは、ラッパーである田我流を中心に多くの人に知られることとなった。そのリリックとサウンドを映像との相乗効果でさらに印象的なものにしているのが、MMM(とりぷるえむ)とMr.麿(みすたーまろ)のふたりだ。彼らはラップをしたり歌ったりもするけど、「スタジオ石」という映像制作プロダクションを名乗り、田我流のミュージックビデオのほか、YouTubeにアップされるstillichimiyaプレゼンツの映像コンテンツを制作し、最近ではZEN-LA-ROCK「GWIG GWIG GWIG」のビデオも手がけるなど、その映像表現が今もっとも冴え渡っているクリエイターといっても過言ではない。話をきくべく、一宮町に行ってきました。 ——田我流のツアー「B級TOUR -日本編-」に密着したDVDを観ました
家にあるレコードを大切に聴く。 そういう体験を僕たちは共有している。 アイルランド出身、平均年齢17歳のロックンロール・バンド、ザ・ストライプスが10月8日から東京、大阪、名古屋、福岡と全国4カ所にわたって来日ツアーを敢行。チケットはすべてソールドアウトとなり、アイルランドおよび英国だけでなく日本での人気の高さを知らしめた彼ら。ロックの未来を司る若き4人、ロス・ファレリー(ヴォーカル、ハーモニカ)、ジョシュ・マクローリー(ギター、ヴォーカル)、ピート・オハンロン(ベース、ハーモニカ)、エヴァン・ウォルシュ(ドラム)。東京でのライヴ開演前、彼らに話を聞くことができた。 ——皆さんは、アメリカの音楽からの影響って受けているんですか? エヴァン「そうだね。初期のブルースやロックンロール、例えばチャック・ベリーみたいなのから影響を受けているのは間違いないし、もうちょっと後の時代だとニューヨーク・
日本発のアーティスト対談企画『MTV ONE on ONE with Rolling Stone』。 新作『LUCKY』を発表する日本のポップ・ミュージック・マエストロ=テイ・トウワと、その友人でもあるサウンドクリエイター=砂原良徳によるスペシャル対談をお届けします!! ——まず、自己紹介をお願いします。 テイ「はい。新人ソングライターのテイ・トウワです」 砂原「えー、砂原です」 ——いつからの付き合いなんですか? テイ「前に僕がニューヨークに住んでた時、雨に打たれて僕の家に来なかった?」 砂原「僕の記憶では、1994年ぐらいに、たぶんGEISHA GIRLSだと思うんですけど、そのスタジオに遊びに行ったのがきっかけかな。その時は直接知り合いってわけじゃなかったんですけど、ピエール瀧が『ニューヨークでテイさんに会ったよ』って話をしてて。それで僕がニューヨークに行く時に、『会ってくればいい
お笑い芸人、ケンドーコバヤシを迎えた新連載がスタート!! テーマはズバリ“オナニー”。その表現力と妄想力と精力では他の追随を許さない彼が、はたしてどんな話を繰り広げるのか? 機会があればTVやラジオでTENGAについて語っているケンドーコバヤシ。お笑い同様、彼にとってオナニーは自己表現のツールのひとつでもある。「オナニーの話は哀愁があっていい。まるでブルースのようだ」と言う彼。シコシコする男の人生が透けて見えるような、そんな味わい深いオナニーの世界について話してくれた。今後、この連載は対談というフォーマットで継続していくことになるが、第1回目はホストであるケンコバの考えに迫ってみる。 ——男たる生き物、いくつになってもオナニーをしてしまうものですが、何がそこまでさせるんでしょう? やっぱり社会が悪いんじゃないですか。ムラムラするとか、欲情するであるとか、変態的に思われるような行為をすること
BiSの「キモイ担当」、ミッチェルことミチバヤシリオが同年代の様々な職業/アルバイトの人と話をする超不定期連載の対談企画。第3弾は女子プロレスラーの飯田美花さんです。そこまでディープではないけれど、いろいろぶっちゃけてる等身大トークをどうぞ! 「このグループだからとかじゃなくて、アイドル自体がしんどいんだと思います」ミッチェル 「アイドルの方とたまに仕事で共演したりすると、やっぱりプロ意識が高いなって思います」飯田 ミッチェル「おいくつですか?」 飯田「今年の3月に21歳になりました」 ミッチェル「1991年生まれ?」 飯田「はい。同じ学年です」 ミッチェル「栗ご飯(栗原あゆみ+飯田美花)1周年記念興行のDVDをいただいて試合を見たんですけど、すごいなーと思って。痛くないんですか?」 飯田「いや、すっごい痛いです」 ミッチェル「そうですよね。めっちゃ痛そうだなと思って見てて」 飯田「怪我
明治天皇の玄孫であり、生粋の保守という立場から反原発を訴える竹田恒泰。 震災以前から反原発の活動を続け、“日本に原発はふさわしくない”と主張する彼が語る、イデオロギーを超えた原発論。 ——これまで一般的に保守=原発推進と考える人が多かったと思うのですが、最近は反原発を訴える保守の方も多いですね。 「以前は保守と革新、右翼と左翼というイデオロギーによって対立していました。ここ何年か、様々なことが多様化し、世界の価値観が大きく変わり、今までのような単純な思想で仕分けできなくなってきています。原発の問題はまさにそうで、かつては保守なら推進、革新であれば廃止と固まっていましたが、そもそもこの二項対立のイデオロギーで語れるものではないんです。この400年ほど、お金によって富はもたらされるという近代合理主義が続いてきましたが、今『幸せとは何か』という価値観が大きく変わろうとしています。旧態然とした思
BiSの「キモイ担当」、ミッチェルことミチバヤシリオが同年代の様々な職業/アルバイトの人と話をする対談企画がスタート。第2弾は新宿Shot Bar「Cailin」の看板娘ならぬ看板ニューハーフのあゆさん。くまこママも参加しての本音トークをどうぞ! 「この感じがすごく女子っぽい」ミッチェル 「思ってないこと言い合うっていうね」あゆ ミッチェル「かわいい。緊張しちゃう」 あゆ「かわいい、ちっちゃい。小動物みたい」 ミッチェル「そんなことない! 最初は男の子だったの?」 あゆ「いや、ぜんぜん違う。物心ついた頃からずっと女の子の格好してた。途中で変わる人もいるけど、それとは別で、ずっと女の子として生きてきて」 ミッチェル「顔もずっとその顔?」 あゆ「どういうこと? お面じゃないよ」 ミッチェル「整形とか」 あゆ「整形してないよ。何もしてない。ホルモンも打ってないし」 ミッチェル「えー、凄い。かわ
日本発のアーティスト対談企画『MTV ONE on ONE with Rolling Stone』。 6回目のゲストは、THA BLUE HERBのILL-BOSSTINOとBRAHAMANの TOSHI-LOW。闘う男たちの本音に迫る。 ——MTVといえば80年代カルチャーを代表するキーワードでもあると思うんですけど、2人は80年代、特に88〜89年のバブルの時ってどんなふうに社会を見てました? BOSS「俺、ススキノのキャバレーでウェイターやってたから、チップがハンパない時代だったよ(笑)。俺にしてみればそれぐらい。『すげぇ!』『なんか盛り上がってる!』『バカばっかりっしょ!』みたいな。そういう時代だったね。面白かった。俺は函館の田舎に住んでて、大学で札幌に出てったクチで、そのままススキノのキャバレーで働き始めて。札幌に出て自分の世界が広がったのと、バブルのススキノのどんちゃん騒ぎが
人間が逃れられない死に対する不安を、ニヒリスティックにアイロニカルに描いてきた漫画家・しりあがり寿。3.11直後、多くのアーティストが何をすべきか迷っていた時に、すぐにペンをとり震災をテーマとした漫画を描き続けた。あれから1年半。原発事故は解決せず、その糸口も見つけられない現在の状況を、彼はどのようにみているのだろうか。 ——3・11の後、すぐに震災をテーマに漫画を描かれていたんですね。 「新聞に4コマ漫画の連載(『地球防衛家のヒトビト』)をやってて、締め切りがくるからしょうがないですよね。震災の翌日にこれ(『あの日からの漫画』の表紙)を描いたんです。やっぱり地震のことを描かないわけにはいかなかった。時事漫画なのに、なかったように描くっていうのもねぇ」 ——そうもいかないですよね。 「その時は、何かを整理して結論を伝えたり、感じたことを加工して出すより、鏡みたいに来たものをそのまま反射しち
BiSの「キモイ担当」、ミッチェルことミチバヤシリオが同年代の様々な職業/アルバイトの人と話をする対談企画がスタート。第一弾は18歳で風俗嬢のアルバイトを選んだ青山ケイトさん。お互いの仕事の話を軸にしながらも、その内容は想像だにしなかった方向へと展開していった。 “もっとこうしたほうがいいのかな”って。 そういうふうに初めて思えたのが風俗嬢だった ミッチェル「18なんですか?」 青山「18です」 ミッチェル「若っ! 3年前か……。いまの仕事は何歳からやってるんですか?」 青山「もちろん18です。18からじゃないと違法になっちゃうから。4月から始めたばっかりで」 ——始めた経緯から聞いていいですか? 青山「全然大したことなくて。ただこの仕事したかったから始めたんですよ」 ミッチェル「かっこいい」 青山「風俗の仕事って社会の底辺とか言われるじゃないですか? 抵抗もなかったけど、特にやりたいと
環境破壊、異常気象、人口増加、原発問題……。楳図かずおがかつて描いた漫画には、まるで今の状況を予言するような描写が多く登場する。 現在休筆中である楳図が最後に描いた長編『14歳』のテーマは人類の破滅——。 彼の描いた未来は現実になるのだろうか。そうならないためには、何をすべきなのか。 ——3・11の震災をどう捉えていますか? 「生物は思わぬ困った出来事が起こったときに、それを克服しようとして進化をしてきました。震災はとてつもない災難でしたが、それをきっかけに進化しなさいと言われている気がします。進化のやり方はいろいろだけれど、できる限り自然の摂理に則る状態がいいと思います。自然そのものに逆らわない、無理のない方法を見つければ、自然と人工の誤差を減らせると思うんです。私たちは、自然に対して謙虚な気持ちを完璧に忘れてしまった。傲慢な気持ちでいたから、しっぺ返しがきたんだと思います。原発の問
去年のフジロックで、SIONは怒りの歌を歌い、歴史に残るステージを観せてくれた。それから1年。新作『Kind of Mind』はいつものSIONらしい、“自分”の歌に溢れていた。では、SIONにとって歌とは何か?このロング・インタヴューで問うてみた。 ——今回は、SIONさんの唄について、改めてきいていきたいなと。そもそもSIONが歌い出したのっていつだったんですか? 「ええとね、2つ目の高校を辞めた頃かな」 ——高校、2つも辞めたんですか? 「正確に言うと、全部で3つ辞めてる(笑)。生意気なガキで、『なんだ、こんなもん!』って最初の高校はすぐ辞めた。ただ、体裁もあるだろうからって、違う学校に編入させてくれたんだよ。だけど、やっぱりムリでそこも1日で辞めた。でも、つまらんのだよ。『あれ? おかしいな。俺、 やりたいことをやるために辞めたくせに、やりたいことねぇじゃん』って思って。どうしたも
福島・いわき市出身、27歳の若き社会学者。2006年に福島でフィールドワークをスタートし、震災前から地元の声を拾い続ける。 歴史的経緯と社会学的考察を踏まえ、この男は“フクシマ”を、原発問題をどう見るのか──地元民として、そして社会学者として。 ——3・11前から書かれた著書『「フクシマ」論』が、福島の原発事故を受けて反響を呼んでいます。今、この本が社会の中でどのような機能を果たしてほしいと思っていますか? 「原発に対して、周辺住民は『東京電力が大丈夫と言っているから大丈夫だろう』というような、ある種の信仰のようなものを持っていた。それを拙著の中では“信心”と表現しています。その信心の対象が、新たな何かに移り変わるだけで物事が処理されてしまうことが、いちばん危険。具体的に言うと『忘却して、反復する』ということです。その構造を繰り返さないために、読まれてほしいなと思っています。それから僕は、
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