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内田樹とblogに関するpengin-stellaのブックマーク (11)

  • 及び腰ストラテジー - 内田樹の研究室

    普天間基地の移転問題がなかなか解決しない。 問題がなかなか解決しないのは、誰もが満足できるソリューションが存在しないからである。 当たり前のことを言うな、と言われそうだが、「誰もが満足できるソリューションが存在しないとき」に「早く、誰からも文句のでない決定を下せ」と言い立てるのはあまり賢いふるまいとは思えない。 「できるなら、しているよ」 ということである。 「先送り」というのはひとつのアイディアである。 これについてはかつて春日武彦先生から含蓄のあるお話しをうかがったことがある。 精神科に通ってくる患者の中にはしばしば家族関係のしがらみで「どうにも身動きならない」という窮状にあるものがいる。 あちらを立てればこちらが立たずという状況である。 そういうときには「先送り」するという手が有効だと春日先生はおっしゃっていた。 先送りにしているうちに、原因となっていた家族の誰かが死んだり、入院した

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    pengin-stella 2009/12/19
     あ~単に"素材"として→多分(人間である)>首相も、(略)「何が最適解だかぜんぜんわからないので」(略)ときっぱりとした「及び腰」を示せばよろしいかと思う>が趣意/ 但し軽々に「素材」とするの是非は別…/
  • 鳥取 revisited - 内田樹の研究室

    倉吉東高校に講演に行く。 この高校の芝野先生という方がたいへん熱心な「ウチダ読者」で、ご招請いただいたのである。 増田聡くんによると、「たいへん熱心なウチダ読者」のことを業界の一部では「タツラー」というそうである。 ええ、そうなの〜 「ウチダー」よりはいいでしょうと増田くんは言う。 まあそうだけど。 とにかく、その先生の音頭取りで全校をあげて「ウチダ」を読む運動を展開されているらしい。 生徒たちはしかたなく近くの書店に行って「ウチダタツルのありますか?」と訊くことになる。 倉吉の書店の人も次々に高校生がやってきてはウチダを求めるので、さぞや驚かれたであろう。 そのせいで倉吉の書店では「内田樹コーナー」を作ったそうである。 リバプールでレコード屋をやっていたブライアン・エプスタインのところにある日レイモンド・ジョーンズという少年が来て、「ビートルズのレコードある?」と訊いた。 ブライア

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    pengin-stella 2009/12/05
     ご本人がノリノリな稿は楽しいな/
  • こぶとりじいさんと化す - 内田樹の研究室

    金曜の午後歯を抜いた(これで8月から14目)。 そしたら、歯茎が炎症を起こしたらしく、腫れて来た。 朝起きたら、頬がぷっくりふくれている。 『あしながおじさん』に歯が痛くて顔を腫らしているジェリューシャ・アボットのマンガがあるが、それにそっくりである。 でも、仕事は待ってくれない。 『現代霊性論』の校正締め切りが月末ですよと加藤さんからリマインダーが入る。 げ。 あと二日しかないではないか。 忘れていた私が悪いのであるが、覚えていたとしてもやる時間がなかったという事実に変わりはないので、反省しても仕方がない。 困った。 月曜締め切りの原稿も二ある。 書いてない。 どうしよう。 困った。 しかし、頬を腫れ上がらせた男はこれから京都に行かねばならぬのである。 日ユダヤ学会関西例会。これは休む訳にはゆかない。 もう学会といえば、これしか入っていないのである。 これをさぼるようになったら、も

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    pengin-stella 2009/12/02
     ユダヤ研究のこと等々: コレは楽しそうだ→>留学して、現地で学位を取ってくる>/
  • 寛也さんが来た - 内田樹の研究室

    水曜日は鶴澤寛也さんの講演とワークショップ。 寛也さんは今年の4月のアートマネジメント副専攻のインターンシップの受け入れ先を矢内賢二さんに探してもらったときに、「渡りに船」というか「地獄で仏」というか、そういうタイミングでインターン生たちを受け容れてくださった方である。 当日、私は別の仕事があって、打ち上げの席に後から参加して、そのときはじめてお目にかかったのである。 江戸前の、まことに粋な方で、私は衝撃のあまりブログ日記に「玲瓏なる美女」と、ふだんあまり用いない形容詞を動員したほどであった。 そのときに、今度『考える人』のインタビューに出てくださいとお願いしたらご快諾いただき、『考える人』のときには、今度大学に来てワークショップしてくださいとお願いしたらご快諾いただき・・・というふうに「とんとん」と話がまとまってその日を迎えたのである。 ワークショップにはもう少し学生たちが集まってくれる

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    pengin-stella 2009/12/02
     う~ん…【今回のmyお土産】:→>内側から「生きる」ことである>//
  • 商品経済から贈与経済へ - 内田樹の研究室

    教育関係の取材がある。 学生や若いサラリーマンたちにどうやってコミュニケーション能力をつけたらよろしいのかというテーマである。 別に起死回生の妙手というのはありませんとお答えする。 そう答えたら、片づかない顔をしていた。 誰でもすぐにできるような妙手があれば苦労はない。 コミュニケーション能力というは平たく言えば「生きる力」ということである。 そのようなものを汎用的教育プログラムとして「はいよ」とご提案することは誰にもできない。 ときどき「これさえやればコミュニケーション能力が一気に身につきます」というような「はいよ」を書いている人がいるが、そういうを書いている人を信用してはならない。 「信用できる人間」かそうでないかをみきわめるのは「生きる力」のもっとも基礎的なもののひとつであり、このようなを手にとってふらふらと買ってしまう人は、その一点においてすでに「生きる力」の伸びしろが少ない

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    pengin-stella 2009/11/27
     ⇒見)ん~と 「反」or「脱」or「超」"sustainability-consciousness"なるもの で軽く流しておく、ことにする/
  • どうして日本軍は真珠湾を攻撃したのか - 内田樹の研究室

    朝日新聞のイシカワ記者が取材に来る。 真珠湾攻撃について歴史的検証を行うという趣向である。 朝日新聞と日経済新聞には、前に原稿にアヤをつけられて「二度と書きません」と啖呵を切ったはずなのだが、違う部署の知らない記者から寄稿を頼まれると、因縁があったことをころりと忘れて「はいはい」と即答してしまう。 原稿を書いたあとになって「あ、いけね。朝日と日経には書かないことにしてたんだ」と思い出す、ということを何度か繰り返している。 困ったものである。 朝日と日経に書かないことにしたのは、この二紙のデスクが私の原稿に「書き直し」を要求したからである。 朝日は原稿を送る前に「社の方針に合わない内容なら書き直しを要求します」と言われた。日経は原稿を送ったあとに「・・・である」という断定を「・・・であると思う」(だか「・・・だと言われている」)に直せと言われた。 私はべつに両紙の社説を書いているわけではな

  • ピュシスの贈り物 - 内田樹の研究室

    東京ツァー中。 大学での会議を終えて、ばたばたと新幹線に乗って東京は飯田橋の角川書店へ。 中沢新一さんとの対談シリーズの3回目。 「くくのち学舎」のキックオフイベント、神戸女学院大学の大学祭でのトークセッションに続いての短期集中おしゃべり企画。 新幹線車中で、中沢さんの最新作『純粋な自然の贈与』を読む。 じつにわかりやすい、よいである。 「交換と贈与」という古典的な人類学のテーマが、(重農主義の再評価という)新しい視点から論じられている。 商業というのは質的に等価交換であり、そこからは何も富は生み出されない。重農主義者たちはそう考えた。 「『純粋の商業は・・・等しい価値と価値との交換にすぎず、これらの価値にかんしては、契約者どうしの間には、損失も儲けもない。』なぜなら、『交換は何ものをも生産せず、つねにひとつの価値と等しい価値の富との交換があるだけで、その結果真の富の増加はありえない』

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    pengin-stella 2009/11/19
    11/20記:"一見別モノ"対談譚はドシドシ希望。ジブンは「構造主義」自体が"マジメに知と戯れる"ツールと云う立場。網野史観の影響か、中沢新一対談は知の交"遊"人脈的に興味深く、もう少し読みたかったところ。
  • 学力テストについて - 内田樹の研究室

    07年度の全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)と1964年度の全国テストを社会環境を加えて分析したところ、学力を左右する要因として離婚率・持ち家率・不登校率の3指標の比重が高まっていることが、大阪大などの研究グループの調査でわかった。 いずれも、家庭、地域、学校での人間関係の緊密さに関する指標で、研究チームは「年収などの経済的要因よりも、人間関係の『つながり格差』が学力を左右する傾向にある」と指摘。(毎日新聞、11月17日朝刊) ひさしく「学力格差は経済格差」であると言われてきた。 金持ちの子どもは「教育投資」額が貧乏人の子どもよりも大であるので、学力が高いというのである。 この「要するにすべては金の問題だ」という薄っぺらなリアリズムに過去20年ほど私たちの教育論は振り回されてきた。 それによって、学力のない子どもたちは「自分たちは学力がないのではなく、端的に金がないのだ」というふうに

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    pengin-stella 2009/11/18
    見:「学力による序列化」に優賞劣罰を連動は"15%のオトナ作り(若しくは15%のオトナを汲み上げる)"に失敗の証左/その"スパイラル化"をどこで絶つのか、問題提起/cf)『週末は浜松』『学校の制度制について、など』etc./
  • 論争嫌い - 内田樹の研究室

    『日辺境論』の販促活動が始まっている。 昨日、梅田の紀伊國屋書店を覗いたら、入り口のところに特設のトレーが作ってあって、『街場の教育論』や『下流志向』や『私家版・ユダヤ文化論』も並べてあった。 文楽劇場での幕間でも、POP をたくさん書かされた。 「読んでね」とか「面白いよ」とかいう、まったく知性の片鱗も感じられない惹句であるが、読んでもらわないと話にならないのであるから、とりあえずは読者のみなさまのご厚意に取りすがるのである。 今のところ寄せられた感想にはどれも好意的で、まずは一安心。 もちろん、これからさき関係各方面から怒濤のような批判が寄せられることは避けがたいのであるが、批判に反批判を加えて、泥沼の論戦に・・・ということは私の場合にはありえない。 それは「論争」というものが生産的になることはない、というのが「文科系」の学問の宿命だからであるからである。 どこまでもやってゆくと、最

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    pengin-stella 2009/11/16
    見:美しい→>わが言霊さきはふ国の手柄>/が…そのように断ずるのも如何かとも思うが→>だから、私は彼らとはかかわりあいを持たないことにしているのである。>/が、それもまた品格若しくは見識、のお話と思う/
  • 河内小阪から梅田を経由して築地へ - 内田樹の研究室

    ああ〜授業をさぼって。日のあたる場所に、いたんだよ。 というのは嘘で、授業はさぼったけれど、行った先は近畿大学文芸学部の教室である。 私は原則として自分の授業を休んで、学外の仕事をするということはしないのであるが、どういうわけだかこの仕事は引き受けてしまった。 引き受けたときにどういう経緯があったのか、遠い昔のことなので、覚えていない。 だが、約束した以上は行かねばならぬ。 讀賣新聞と近畿大学のジョイントのイベントで、お世話いただいた讀賣の山内さんと文芸学部の浅野洋・佐藤秀明両先生にご挨拶。 お題は「教養なき時代の読書」。 そういうテーマならお話しすることはある。 こういうときに「教養とは何か?」という問いかけから入るのが常道であるが、それをするのはシロート。 こういう場合はむしろその語の一義的意味について合意されていると信じられているキーワードについて、「その定義でよろしいのか?」と一段

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    pengin-stella 2009/11/12
    楽しーい。大瀧詠一「成瀬巳喜男」を論ず、の図/>映画は「観る」ものではなくて、その中を「生きる」ものだ>/書もまた、音楽もまた/見:⇒ええ、'知とマジメに戯れる'もの、かと。「関わる」「'内語的に対話'する」/
  • いつまで続くぬかるみぞ - 内田樹の研究室

    土曜日は指定校推薦入試。 指定校推薦の応募状況は堅調である。 ありがたいことである。 つねづね申し上げている通り、学のような規模の大学の場合には、120万人の高校生のうちの600人くらいが「行きたい」と行ってくれれば、それで教育活動を継続できる。それは志願者を「かき集める」必要がないということである。 必要なのは「旗幟を鮮明にする」ということである。 よその学校でもしていることをうちもしています。よその学校にある教科がうちでも学べます。よその学校で取れる資格がうちでもとれます・・・というようなタイプの「勧誘」をしているうちに、いったい私たちは「何をしたくて」そもそも大学をやっているのかという根のところの動機がわからなくなってしまう。 うちでやっているようなことはうちでしかできません。 という自負が教育機関には絶対に必要である。 そうでなければ、その学校には存在理由がないからである。 「

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    pengin-stella 2009/11/09
    思うに「大学」なるところは、建学の理念(若しくは「存在理由」)を"DNA"として組み込む”道場”かと。/それゆえ、むしろ卒業してのちその"DNA"を実感すること、年年歳歳/(以上、経験談)/
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