静岡・三島観光といえば三嶋大社! それはそうなんだけど、三嶋大社から徒歩5分のところに気になる博物館があった。 その名も「三嶋暦師の館」。 三嶋暦とは……?
![三島の暦は美しい 「三嶋暦師の館」で暦を知る](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/2f02ff6fde3fc67137510528164c2f7d9f8c8a27/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fimg.dailyportalz.jp%2F2916%2F9760%2F7010%2F231026.jpg)
今回発見された映像には関東大震災で被害を受けたとみられる、御殿場付近と思われる町の様子が写されていた。この場面は新たに確認された映像となる=原版所蔵・山端健志さん、協力・板橋区 1923年9月1日に発生した関東大震災の直後に、被災地を撮影したとみられる映像のフィルムが見つかった。静岡県旧伊東町(現伊東市)を襲った津波の跡も収められ、津波の被害を記録した国内で最も古い映像の一つとみられる。研究者は「関東大震災による津波被害を知り、防災を意識するうえで貴重な映像だ」と指摘する。 【動画】「万死を冒して」撮った被災地 涙のむ観衆 見つかったのは、13分30秒ほどの35ミリフィルム(16コマ/秒再生)。津波で家屋が押し流され、倒壊した様子や、橋の上に乗り上げた船といった被災直後とみられる旧伊東町などの状況が捉えられている。冒頭には「関東大地震 大正十二年九月一日 大阪朝日新聞社撮影」というタイトル
2005年、沼津市で歴史的に「重要」な古墳が見つかった。しかし、そこは道路の建設予定地。“道路”か“古墳”か…長らく論争が続いたが市は2023年7月、道路と古墳の両立を目指した工事の入札を公告した。 古墳時代最初期に築造された高尾山古墳 沼津市で見つかった高尾山古墳(2016年撮影) この記事の画像(11枚) 2005年、沼津市東熊堂で見つかった高尾山古墳(旧名:辻畑古墳)。全長62mの前方後方墳で、墳丘内の構造や出土した土器を調べたところ「西暦250年頃かその少し前」に築造されたと推定されている。 古墳時代は邪馬台国を治めた卑弥呼の墓との説もある箸墓古墳(奈良県桜井市)から始まったとされ、その時期は西暦250年頃と言われている。このため高尾山古墳は箸墓古墳と同時期の古墳であると同時に、弘法山古墳(長野県松本市)や高部30号墳・32号墳(千葉県木更津市)と並んで古墳時代の最初期に東日本で築
紛失資料3点、収蔵庫で発見 浜松市博物館 浜松城絵図など 浜松市博物館で収蔵資料が紛失し、職員がその事実を隠していた問題を巡り、不明となっていた資料5点のうち3点が同博物館の収蔵庫で発見されていたことが19日、関係者への取材で分かった。取得価格200万円以上の重要物品に当たる「浜松城二の丸絵図」も含まれているという。 「浜松城二の丸絵図」(紛失発表時に浜松市から提供) 関係者によると、このほかに発見されたのは「遠州五千石御替地図」と「遠州浜名五千石図」。市が収蔵資料の管理徹底に向けて庫内の再整理を進めている中、所定の保管場所とは別の未整理資料の中から発見されたという。市は残る2点についても収蔵庫内に存在している可能性があるとみて、調査を進める。 市は2021年11月、同博物館の収蔵資料6点を紛失したと発表し、その後1点を発見した。「浜松城二の丸絵図」については遅くとも18年時点で紛失が判明
新種として確認されたばかりで、謎に包まれている大型の深海魚ヨコヅナイワシについて、海洋研究開発機構の研究グループが、全長が2メートルを超えると推定される、巨大な個体を撮影することに成功したと発表しました。 ヨコヅナイワシは静岡県沖の駿河湾で発見されて、去年、新種と確認されたばかりの大型の深海魚で、これまでに捕獲されたり、撮影されたりした個体は6匹しかなく、生態は謎に包まれています。 海洋研究開発機構の研究グループは去年10月、伊豆諸島の八丈島から南西に100キロほどの沖合の水深2000メートルの深海にカメラを沈めたところ、ヨコヅナイワシをカラー映像で撮影することに成功しました。 推定された全長は2メートル53センチと巨大で、これまで駿河湾で確認された最大の個体のおよそ2倍だったということです。 ヨコヅナイワシは表面が黒く、餌が入ったかごにゆっくりと近づき、別の深海魚に大きく口を開けて威嚇し
","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"
富士・浅間古墳 海から大きく見える築造、レーザー測量で明確に 富士市文化振興課はこのほど、同市増川の国指定史跡「浅間古墳」の陰影図などを公表した。小型無人機(ドローン)による空中レーザー測量調査で得た3次元データで作成した。今後、さまざまな方角から見られる鳥瞰(ちょうかん)図をウェブなどで一般公開する予定。 浅間古墳は4世紀中頃に築造された全長91メートルの前方後方墳で、愛鷹山南西の山裾にある。前方後方墳としては東海地方最大級。2019年調査で竪穴式石室とみられる埋葬施設の残存が確認された。 詳細な形状の把握を目的にことし6月に行った調査で古墳を中心に南北150メートル、東西300メートルを測量し、普段は木々に隠れた地形のデータを取得して陰影図、測量図などを作成した。 調査で、後方部の端に平たんな部分の存在が見つかり、後方部は前方部の高さにさらに上積みした2段構造であることが分かった。古墳
300年余り前に富士山で起きた宝永噴火について新たな発見です。噴火による火山灰で集落全体が埋まったとされている静岡県小山町の須走地区で、当時の家屋の一部が初めて見つかりました。黒く焼け焦げていたことなどから高温の軽石によって燃えた可能性が高く、専門家は「富士山の噴火対策を考えるうえで重要な発見だ」としています。 富士山のふもと、静岡県小山町の須走地区には江戸時代に須走村の集落がありましたが、1707年に発生した宝永噴火で火山灰が3mほど降り積もって埋没したとされています。 さらに現在はその上に街が作られているため、須走村の集落が埋まった記録は古文書などに残されるだけで、実際に家屋が見つかったことはありませんでした。 火口近くにあった須走村の集落がどのような被害を受けたのか明らかにしようと、去年6月、小山町と、考古学や火山の専門家で作る研究チームが初めての発掘調査を行いました。 調査は初めは
7、9世紀末の東海地震津波 静岡河川地層で痕跡確認―産総研など 2019年11月19日20時51分 静岡県の太田川下流で工事が行われた際に地層を調査し、南海トラフ地震による津波の堆積物を過去4回分発見したと、産業技術総合研究所や静岡県立磐田南高校などの研究チームが19日発表した。このうち7世紀末ごろと9世紀末ごろの堆積物については、東海地域(紀伊半島・潮岬の東側)でも大地震と津波が起きたことがはっきりしたという。 【図解】南海トラフの想定震源域 7世紀末ごろの684年には南海地域(潮岬の西側)で「白鳳(天武)地震」が起きており、東海地域でも近い時期に大地震が起きた可能性が遺跡の液状化痕跡に基づき指摘されていた。ただ、今回の堆積物からは、白鳳地震と同時か、近い時期だったかは分からない。 一方、9世紀末ごろの887年には南海、東海地域で「仁和地震」が起きたことが強い揺れの歴史記録で示されており
放火事件を報じる新聞を読みながら京都アニメーション社員らを気遣う杉山卓さん、一美さん夫婦=浜松市北区で 京都アニメーションの放火事件は、世界のファンに衝撃を与え、日本のアニメ界の未来を心配する声も広がっている。同社創業者で専務の八田陽子さんの実兄で、手塚治虫を支え、創生期から日本アニメに携わってきた浜松市北区三ケ日町の杉山卓さん(82)は不安や悲しみに押しつぶされそうになりながら、「魂込めたアニメづくりをやめちゃ、だめだ」と呼び掛ける。 杉山さんは東京都出身。二十歳の時、東映動画(現東映アニメーション)に入社。原画をトレースし、セル画を描く作業に関わった。一九六三年ごろ、手塚さんに「今必要なのは、漫画よりもアニメの人材だ」と請われ、手塚さんの虫プロダクションに入り、チーフディレクターに就いた。
静岡県行政経営推進委員会(委員長・佐藤克昭浜松学院大客員教授)は26日、県庁で会合を開き、県の公文書管理の在り方を議論した。県は条例制定や文書管理規則の改正に向けた公文書管理の対応案を示し、意思決定プロセスを検証できるよう公文書の定義の範囲を拡大することや、計画中の新県立図書館で歴史的公文書などを閲覧できる体制を検討することを明らかにした。 県は森友、加計学園問題や自衛隊の日報隠蔽(いんぺい)問題などで国の公文書管理の在り方が問われる中、県の規定を見直した。公文書の定義について、現在は本庁の課長らが共有した段階以降の文書を「公文書」と規定しているのを、課長らが共有する前の段階まで範囲を広げ、新たに「上司や同僚と共有した段階」から公文書と見なす。 ただ、これで保存する公文書の量が増えるため、県は安倍川沿いに位置して洪水などでの浸水を懸念する声もある現在の文書保管施設「田町文庫」に代わる施設を
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く