京都国立博物館は五日、桃山時代に活躍した狩野派の重鎮、狩野山楽(さんらく)(一五五九~一六三五年)と狩野孝信(一五七一~一六一八年)の絵を新たに発見したと発表した。いずれも重要文化財クラスの作品という。 山楽の絵は「槙(まき)に白鷺(しらさぎ)図屏風(びょうぶ)」で二曲一双(各縦一六八・八センチ、横一五八・六センチ)。マキが大きく枝を張り、右下などにシラサギが休んでいる図柄。木の陰影部分の筆遣いやシラサギの脚の描き方などから山楽の作品と判断した。左右に絵が広がっている可能性が高く、大きな御殿などに飾られていたとみられる。滋賀県内の所有者が昨年十一月、同博物館に寄託した。 孝信の絵は「北野社頭遊楽(とうゆうらく)図屏風」で六曲一隻(縦八一・五センチ、横二七一センチ)。北野天満宮の前で繰り広げられる酒宴や踊り、料理をする人たちの姿が描かれている。人物の顔の描き方などから孝信の作品と判断した。女
宮内庁は5日、皇族の墓として管理している大阪府岬町の淡輪(たんのわ)ニサンザイ古墳(5世紀後半)の発掘現場を報道関係者に公開した。 昭和42年以降、同庁は全国の陵墓等で整備工事を実施。事前に遺構を確認し、工法を決める目的で考古学的調査を行い、現場を公開している。 淡輪ニサンザイ古墳でも、周濠(しゅうごう)の水に浸食されて墳丘が崩れるのを防ぐため護岸が検討されており、今年10月から同庁書陵部が墳丘の裾部分を発掘していた。 同古墳は、全長約170メートルの前方後円墳。和歌山県境に近く、大阪湾に面した場所に築かれている。学界では水運に影響力を持つ紀伊地方(和歌山県)の首長クラスの墓とする説が有力だが、宮内庁は垂仁天皇の皇子「五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)」の宇度墓(うどのはか)に指定している。
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