古文書正集第四十四巻 奈良国立博物館(奈良市)で12日まで開催中の「第70回正倉院展」で公開されている「正倉院古文書(こもんじょ)正集(せいしゅう) 第四十四巻」は、天皇の意向を伝える「宣命(せんみょう)」の写しや、親族をコネで役所に入れようとした文書など、多様な文書を1巻に収めたユニークな宝物だ。古代の実相を今に伝える史料として来館者の注目を集めている。 「正倉院古文書正集 第四十四巻」にある「田辺真人状」。親族の「田辺岡麻呂」(右から1行目下)を写経生にするよう、「小黒卿」(1番左の行)に依頼する内容で、「真人」の名前(左から2行目の下)も見える(奈良市の奈良国立博物館で) 正倉院文書は奈良時代の文書群で、1万数千点に上る。廃棄された公文書や戸籍の裏面が奈良・東大寺の写経所で二次利用されて正倉院に伝わり、江戸~明治時代に整理・分類された。このうち「正集」は、1833~36年に国学者の穂
京都市伏見区の醍醐寺で12日、水晶に覆われた木造の阿弥陀如来立像(あみだにょらいりゅうぞう)が報道陣に公開された。鎌倉時代の仏師、快慶か弟子の作品の可能性があるという。15日から初めて一般公開される。 阿弥陀如来立像は高さ約5・5センチ。金箔(きんぱく)が貼られ、水晶はハスのつぼみの形をしている。 2002年、醍醐寺の倉庫内の木箱から見つかった。仏像はややふっくらしており、水晶を通すと光の屈折で細く見えることを意図して作られたとみられる。 切れ長の目や厚い唇、衣の状態などが、西方寺(奈良県山添村)が所蔵する快慶作の仏像に似ているという。調査した副島弘道・大正大名誉教授(日本彫刻史)は「水晶で密閉されていたため保存状態がよく、制作当時の美しさを保っている」と話している。 阿弥陀如来立像は醍醐寺霊宝館で開かれる秋期特別展で12月10日まで展示される。拝観料は大人1500円、中高生1000円。
奈良の平城宮跡で見つかった国宝の木簡などを紹介する秋期特別展「地下の正倉院展―荷札木簡をひもとく―」(読売新聞社など後援)が13日、奈良文化財研究所平城宮跡資料館(奈良市)で始まった。11月25日まで。 全国から税として都に納められた荷物に付けられた「荷札木簡」は、平城宮・京跡で約2300点発見。そのうち84点(国宝は26点)をI期(13~28日)、2期(30日~11月11日)、3期(11月13~25日)に分けて展示する。 「雑太(さわだ)郡(今の新潟県佐渡市)猪前(いさき)若海藻」と産地を明記し「ブランド」であることを示したワカメの荷札木簡や出土例が少ない荷札木簡の削りくずなども並んだ。月曜休館。入館無料。問い合わせは月~金曜の午前9時~午後5時、奈良文化財研究所(0742・30・6753)。
◇奈文研調査、液状化地層 南海トラフの可能性 奈良市の平城京跡で、古代から近世にかけて巨大地震が4回発生したことを示す液状化現象の痕跡が、奈良文化財研究所(奈文研)の調査で確認された。いずれも南海トラフ巨大地震だった可能性があり、震源から遠い内陸の遺跡から、複数の地震痕跡が確認されるのは初めてという。奈文研は今後、各地の発掘記録を集めて未知の巨大地震を含めた発生の頻度や規模の解明を進める。(夏井崇裕) 奈文研が平城宮朱雀門跡の南約100メートルを2016年に調査し、飛鳥時代から現代まで、出土した土器などから10層の地層の時期を特定した。地層をはぎ取ってX線撮影などをした結果、震度5弱以上の地震で起きる液状化で地中の砂が地表に噴き出す「噴砂」の痕跡が、4層で見つかった。 日本書紀や近世文書など複数の文献にある地震の記録と噴砂痕の年代を照合。古い順に〈1〉684年の白鳳地震〈2〉887年の畿内
石川県内各地に残る建築物や絵画など文化財の所有者が、資金不足から修復や保全に苦慮している。野々市市二日市の荒川神社では、氏子の5年越しの努力が実り、巨大な絵馬の文化財指定と、修復費用の確保にこぎ着けた。一方で、資金不足から修復できず、劣化が心配される文化財も少なくない。 ◆文化財に指定 掛け軸や古文書を修復する県文化財保存修復工房(金沢市出羽町)に6月下旬、荒川神社から縦約1メートル、横3メートル54の巨大な絵馬が二つ運び込まれた。絵馬は、絵の具や紙が無数に剥がれ、職人が丁寧に修復していた。 絵馬は、織田信長と大坂本願寺との「石山合戦」を描いたもので、江戸時代後期の作品とみられる。神社の拝殿に、もう一つの絵馬と共に飾られていた。 拝殿の改築に合わせ、氏子が約5年前に絵馬の扱いを協議した際、「修復は高額で難しい。燃やして捨てるしかない」との意見が多く出たという。危機感を抱いた氏子の北村成人さ
小山田古墳周辺の3D画像。中央やや下の白くなった部分が、方墳の名残を示す高まり=県立橿原考古学研究所提供 ◇橿考研 明日香・小山田など3か所 ◇土地開発前の写真活用 規模や形状知る手がかり 県立橿原考古学研究所(橿原市)は、終戦直後に米軍が撮影した航空写真を基に、開発で失われる以前の古墳の姿や周辺の地形を再現した3D(3次元)画像を製作した。写真さえあれば測量調査なしに3D画像化できる最新技術で、考古学研究への応用は初めて。7日、奈良市の奈良女子大で開かれた日本文化財科学会で発表した。(夏井崇裕) 3D化したい地点について、角度を変えた3枚以上の写真があれば、自動的に撮影位置や対象物の立体的な形状を推定し、正確に画像化できる技術。地図の作成などに使われている。 高度成長期などに、住宅や道路、鉄道の開発で壊された古墳は多い。ところが地形図や写真では、古墳の立体形状や詳細な地形まではわからなか
◇新庁舎完成 ◇収蔵庫拡大■特注X線CT装置 老朽化による建て替え工事が終わり、関係者に20日公開された奈良市の奈良文化財研究所(奈文研)の新庁舎。遺物や資料の収蔵数が倍近く増え、最新の分析機器も導入された。国が重視する文化財の「保存と活用」の象徴となる施設に生まれ変わった。(夏井崇裕) 奈文研は1952年、奈良市の県商工館に設置。80年に同市二条町の旧県立病院の建物を国が改修して、奈文研の施設とした。半世紀以上経た建物は老朽化が進み、30万冊を超える図書や20万点以上出土している木簡など、収蔵設備も手狭になっていた。 旧庁舎の取り壊し、新庁舎の建設が決まった2013年以降の発掘調査で、都を碁盤の目状に区画する条坊道路跡や木簡などが、旧庁舎の地下と新庁舎の予定地から出土。設計案は全面的に見直され、道路遺構のある位置には地下施設を設けず、新たな杭(くい)を打たない設計に変更された。 新庁舎(
『新釈漢文大系』58年かけ完結 「人は死んでも本は後世に残ると思うと、感慨深いです」と語る加藤徹・明治大教授(東京都新宿区の明治書院で)=奥西義和撮影 主要な中国古典の原文、訓読、注釈を網羅した『新釈漢文大系』(全120巻、別巻1)が、58年をかけて完結した。いかめしくもある各巻は、一般読者にはとっつきにくい印象もあるが、実際はどうか。中国文化学者で本紙読書委員の加藤徹・明治大教授に、読みどころを聞いた。 加藤・明治大教授に聞く 出版元の明治書院(東京都新宿区)の応接室。ずらりと並べてもらうと、加藤さんの目が輝いた。「ほぼ60年で完結したということは、人間で言えば還暦に近い。昭和が半分、平成が半分ですよね」と、感慨深げだ。 執筆にのべ134人の研究者が参加した大プロジェクトは先月、『白氏文集(はくしもんじゅう) 十三』が刊行されて完結を迎えた。枕草子で清少納言が、「文(ふみ)は文集(もんじ
創建1300年を迎えた元興寺(奈良市)ゆかりの3寺院は11日、元興寺前身の法興寺を建立した飛鳥時代の豪族・蘇我馬子を顕彰する法要を19日午前10時から、明日香村の国営飛鳥歴史公園石舞台地区のあすか風舞台前芝生広場で営むと発表した。 元興寺は718年、法興寺が飛鳥から平城京に移転されたことが始まり。「日本書紀」に記録された馬子の命日(5月20日)にちなみ、馬子の墓との伝承もある石舞台古墳で、仏教興隆に尽力した馬子に感謝をささげる。 当日は3寺院に加え、元興寺旧境内地にあるなど同寺に関係の深い5寺院と、明日香村で法興寺の法灯を継ぐ飛鳥寺など同村仏教団の7寺院から僧侶が参列する。古墳に向かって祭壇を設けて読経し、一般の参拝者も焼香できる。また、法要後は聖徳太子をテーマにした演劇と「古事記」に登場する2弦の楽器・八雲琴の演奏をそれぞれ奉納する。 真言律宗・元興寺の辻村泰善住職は「これまで悪いイメー
旧東京帝大総長を務めた名建築家、内田祥三(よしかず)(1885~1972年)が設計に携わった「東京大学臨海実験所」(神奈川県三浦市)の旧本館と水族室標本展示室が解体される見通しになった。 東大は国の文化財登録の候補と位置付けていたが、国立大への補助金削減もあり、実験所内の施設新築と併せて解体の方針を固めた。戦時中、軍特攻基地になった実験所は「日本の生物学を先導した象徴」。一部が姿を消すことを惜しむ研究者も多い。 実験所は、動物研究の先進拠点として1886年に創設された。豊かな海洋生物に恵まれた相模湾に面する約7万7000平方メートルに、旧本館や水族室標本展示室、実験研究棟などがある。 旧本館は、1936年建設の鉄筋2階、延べ床面積約1000平方メートル。鉄筋2階、延べ床面積約400平方メートルの水族室標本展示室は、32年に建設された。
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