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ノーベル賞
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昨日(2020.4.8)、神田視聴室で、ライブを行ってきました。 観客はなく、歌って演奏するのは私1人。その場にいたのは試聴室のオーナーの根津さん1人です。 こういう形にした理由の一つは今の新コロナウイルス問題です。移動の方法も集まり方も滞在時間も、最小限にしようと思っていました。演奏は無観客で行い、配信のみ。わたしは電車を使わずに機材を背負って自転車で試聴室へ、根津さんはご自宅から車で移動。できるだけセッティングはシンプルにして、本番一時間前から準備をして、そこから終了して片づけまで、根津さんと二人だけで行おうと決めていました。作業中はお互いマスク着用で、本番のみマスクははずす。ただしモニタ卓と舞台とは十分距離をとる。PayPalで投げ銭を集めて、集まったお金は試聴室に渡す。一方、わたしは、試聴室のすばらしい音環境を独り占めにできることでおそらく報われる。 結果的に、前日、東京都に「緊急
マンガを読むとき、読者はコマという単位の中でテキストと静止画とを何度も往復し、詩的な構造を創り上げていく。 たとえば、『映像研には手を出すな!』第二巻 p142、五徳を囲んでカップ麺を食いながら、金森が読者モデルとしての水崎を売り込む策謀を語る一コマを見てみよう。 原作では、焚き火の前で金森が二つの吹きだしを用いて言う。「せっかく注目を浴びる「明るい場所」を獲得したんです。」「可能な限り煽って効果を最大限引き出す。」この二つの吹きだしにはさまれて、向こうでは金森が団扇で火をダパダパと「煽って」おり、手前では五徳の火がボウボウバチバチと燃えている。読者であるわたしはまず、激しく燃える火から「明るい場所」を、ダパダパから「可能な限り煽って」を、ボウボウバチバチから「最大限」の効果を読み取ろうとする。火を煽ることを、可能性を煽ることの比喩として読む。 もちろんこれは、コマを右から左に眺めながら、
勤務先が自転車で15分の場所にあるおかげで、朝の連続テレビ小説を見て出勤するのが長年の習慣になっている。気の合う作品と出会えると、朝の仕事にもその作品に合った調子が出て、半年間がその作品の緩急にうっすら染まる一方、一、二ヶ月で見落とすようになってしまうこともあり、そんな場合は、ドラマもそこそこに出勤してしまう。これまで、最後まで見続けたものは『オードリー』『てるてる家族』『芋たこなんきん』『ちりとてちん』と大阪放送局制作のものが多い。 『カーネーション』を、3/31まで楽しみに見続けた。『カーネーション』を見ていると、作者や演出家、スタッフが、朝の生活をいかに丁寧に描いているかがよくわかった。早い朝、眠い朝、ミシンを踏みながら迎えてしまう朝、朝帰りの朝、子どもを蒲団から追い出す朝の光が描かれ、時代ごとにかわる衣装や家のつくり、調度に配慮が行き届き、物語の朝が、見ているこちらの朝に染みてくる
10/31の『わろてんか』。北村家のごりょんさんは、ライバル店が安い米を混ぜて売っているのを知り、「お客さんの信頼を裏切るような真似をしたらあかん!それが、商いをするもんの誇りちゅうもんや」と言い放つ。てんは、まるで毅然とした商売人のあり方に突かれたように、ごりょんさんを見る。演じている鈴木京香も葵わかなも、よい表情をしている。てんの表情からすれば、北村家のごりょんさんは、遊び好きの夫が残した借金に苦しみながらも、派手に商いをするのではなく、客の一人一人を大事にする実直な商売人として描かれようとしているらしい。 にもかかわらず、ごりょんさんの台詞がちっとも響いてこないのは、この劇の中に北村家を信頼してくれるような「お客さん」がついぞ現れたためしがなかったからだ。視聴者が思い出そうとしても、北村家の得意先も、なじみの客の一人の名前すらも浮かばない。てんと楓との争いであれほど力添えをしてくれた
かつて、1980年代末から続いていたパソコン通信のひとつ、NIFTY-Serveが1990年代後半に終焉したころ、そこにあったさまざまなフォーラムの膨大な過去ログは一切なくなった。それには、よいことも悪いこともある。よいことは、ほじくり返されるべき過去が消えてくれたことで、悪いことは、考えるべき過去が消えたことだった。わたしはあわてて自分の書いた文章をテキスト・ファイルに収めたけれど、実際のところ、それは古いフロッピーディスクに入ったまま今まで見返されることもなく、もしかしたらこのままずっと見ないで済んでしまうかもしれない。もう誰にも読まれずに済んでほっとしているものも、正直ある。 ただ、そのとき、ネットワークの運営側というのは、あれだけ大量の時間を費やして人々がテキストを交わした場を、あっけなく無くしてしまうことがあるのだなという認識は持った。交わされたテキストは文脈の中で初めてある意味
ローリング・ストーン誌のweb版に、ウォルター・ベッカーとスティーリー・ダンについての、リッキー・リー・ジョーンズらしい、時間を行ったり来たりの長い長い思い出話が載っていた。1970年代のティーン・エイジャーにスティーリー・ダンがどんな存在だったかを物語るすばらしい内容なんだけれど、あまりに話が長くてとても全部は訳せない。とはいえ、十分長いと思っていただける程度には訳してみたので興味のある方はどうぞ(追記:けっきょく全部訳してしまった)。 私が最初にスティーリー・ダンをきいたのはミズーリ州カンザス・シティ、家から逃げ出した父を追いかけて一緒に住み始めてから二年目の夏。1970年で15歳だった。あの夏の夜、ラジオで「Do It Again」がかかってた。ちょっと薬をキメてから、レッド・ツェッペリンのUSAツアーを観にKCコンサートホールに向かってたときのこと。デートの相手は会ったばかりの太っ
表象文化論学会で、前橋の地にふさわしく萩原朔太郎に関するパネルディスカッションが行われた。わたしはけして萩原朔太郎の熱心な読者とは言えないが、立体写真とパノラマに関心を寄せるものとして、朔太郎について改めていろいろと考えさせられた。 とくに栗原飛宇馬氏の「手品」と立体写真に関する発表は、朔太郎にとっての立体写真のあり方を考え直させる内容だった。 朔太郎がただの「写真」ではなく「立体写真」に魅せられるのは、ひとつにはその奥行き空間ゆえだろう。そしてその奥行き空間とは、両眼に異なる像を見せることによって表される一種の「手品」の産物なのだが、この手品に朔太郎は「郷愁」を感じる。栗原氏はこの点についてこう指摘している。「朔太郎はまた、通常の平面の写真を「リアリスチツクであればあるほど、いよいよ僕の心の「夢」や「詩」から遠ざかつて」いくものと述べている。換言すれば、彼が立体写真に見る〈郷愁〉とは、こ
【本】 《単著》 2021/03/15 細馬宏通『うたのしくみ』(ぴあ) 2020/07/20 細馬宏通『いだてん噺』(河出書房新社) 2020/01/24 細馬宏通『絵はがきの時代 増補新版』(青土社) 2017/09/07 細馬宏通『二つの「この世界の片隅に」』(青土社) 《共著・訳書》 2019/06/11 細馬宏通・菊地浩平編『ELAN入門』(ひつじ書房)1-9章、14,15章担当 2018/10 『対話をめぐる現象学』西村ユミ 編(日本看護協会出版)に『開かれる絵本、開かれる詩』 2017/03/25 鈴木雅雄・中田健太郎編『マンガ視覚文化論:見る、聞く、話す』(水声社)に「吹きだしの順序と帰属について」 2017/03/31《共著》 石橋雅人(編)『高齢者介護のコミュニケーション研究』(ミネルヴァ書房)に「介護活動を表現する身体 」 2017/06/25《訳書》 『お世辞を言う
オンラインで読めるもの リンク 細馬宏通の著作 『うたのしくみ』 うたのしくみ副読本 「ミッキーはなぜ口笛を吹くか」 ミッキーはなぜ副読本 「はじめに」の前のまえがき 『介護するからだ』は、わたしが認知症高齢者グループホームに通うようになってから見たこと、その間に考えたことをまとめた本です。介護に興味のある人はもちろんですが、日常の人と人とのやりとり、とりわけ声と身体動作のあり方に興味のある人にも読んでいただければと思っています。 わたしはふだん、日常会話で人がかわす動作や、共同作業をするときの声と動作のタイミングについて調べています。これまで扱った場面は、ちょっとした雑談をはじめ、じゃんけん、カードゲーム、アニメーションの筋書きの説明、洞窟探検の紹介、漫才のボケとツッコミの関係、囃子の練習、方位についての語り、祭りの準備など多岐にわたっていますが、どの場合にも共通しているのは、当事者がお
早朝、まだ暗いうちから提灯を片手に行き交う人々。カメラはそこから「小原呉服店」という看板へと近づくと見せながら、さりげなく、地上から二階の高さへと移動している。だから、次のショットが一階ではなく二階のできごとであることが、すっと見る者に直感される。 天井から弧を描くように動くカメラが捉える、蒲団からはみ出ている子供の足。がらりと引き戸を開ける音がして、人々の「おはよう」の声が重なるが、この場所には何も起こらない。どうやら先ほどのカメラの動きから直感されたとおり、ここは二階らしく、音と声は、見えない階下からしているらしい。 いや、本当に階下だろうか。「まだ真っ暗やん。こんなはよからお父ちゃんどこ行くんやろう?」そういいながら子供の眼はまだ開いていない。「真っ暗」なのは、単に外が暗いからだけでなく、眼が開いていないからではないか。これは真っ暗な夢の中なのかもしれない。先ほどの「おはよう」の声た
うたのしくみ 副読本 ここでは、「うたのしくみ」の中で紹介した音楽について、Web上で参考になりそうなものを紹介したり、本に書ききれなかったことを紹介したりしようと思っています。まだまだとっちらかってますが、だんだん記事が増えていくと思いますので気長におつきあい下さい。(2014.3.17 おやつの時間に記す) 7-20回の副読本を追加しました。(2014.3.18) 訂正しました。(2014.3.19) 第1回の副読本 カエターノは、サンバがかえってきたとき、こんな風に声をひそめてます。 カエターノ・ヴェローソ「サンバがサンバであるからには」 第7回の副読本 いとしのクレメンタインの歌詞。 Oh My Darling, Clementine (英語版Wikipedia) 単行本に載せたのは、Raph, Theodore "The American Song Treasury 100Fav
ゲイブラー『創造の狂気』補完計画(2):ディズニー・スタジオの1930年代(1) 細馬宏通ディズニー・スタジオのペンシル・テストがもたらした悲喜劇 1930年代のディズニーのスタジオでは、「ペンシル・テスト」と呼ばれる試みが行われていた。第五章で、この「ペンシル・テスト」について書かれた箇所を、原文にそって試訳してみよう。この頃から始まったウォルトの「分析につぐ再分析」という性癖がどのような形であらわれたかがよくわかる箇所である。 ディズニースタジオのアニメーターたちは早い段階から「ペンシル・テスト」と内輪で呼ばれていた新たな方法を採っていた。これはまだラフ段階の絵を安いネガフィルムに焼いて、アニメーションが完成する前に見るというものであった。トム・パーマーは、おそらくは1931年の早い時期にペンシル・テストを試していた。彼はそれをムヴィオラという、短い場面を見るための小さなスクリーン付き
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アニメーション文献アーカイヴズ 細馬宏通 初期アニメーションの勉強をしていて、この文献はたぶん日本語で読みたい人がいるだろうな、と思うことがある。 自分でもメモがわりになるので、ときどき訳しているのですが、せっかくなので、いくつかここに載せておきます。 Gabler “Walt Disney: The triumph of American Imagination』”(2006)から。邦訳版 ゲイブラー『創造の狂気』に収録されていない部分を中心に。 http://12kai.com/gabler_introduction.html シェイマス・カルヘイン Shamus Culhane の “animation” より、彼が「パーソナル・アニメーション」に目覚めた頃の件。 (1988) http://12kai.com/culhane_flow.html C. Briggs "how to
ゲイブラー『創造の狂気』補完計画:ディズニー・スタジオの1920-30年代 細馬宏通 はじめに:Gabler "Walt Disney: The triumph of American Imagination" と 邦訳版『創造の狂気』について Niel Gabler『Walt Disney: The triumph of American Imagination』(2006)は数あるディズニー評伝の中でも、現在のところ決定版と言ってよいだろう。ディズニー家に保管されている手紙類をはじめとする数々の資料にアクセスし、しかもディズニー社の検閲なしに書かれた大著だ。文献資料のみならず、ひとつひとつのアニメーション作品に対しても適切な分析がなされ、一作ごとに進化していくディズニー・スタジオの歩みがつぶさに伝わってくる。1950年代に入ってからのTV番組製作やディズニーランドに関する記述も詳細にわ
まさに体感マシンの歴史をたどってこられたわけですね。視覚触角聴覚とあらゆる感覚をめぐった上で、しかもゲームウォッチ、ゲームボーイとゲーム機にも次々と関っておられる。 スーファミのバズーカもやりました。これはおもしろいシステムでしてね。それまでの画面を打つシステムは、画面じたいがターゲットだったんです。だから、画面から離れれば離れるほど難しくなった。でも、アメリカならともかく、日本みたいな狭い家屋の中で離れて撃つなんていっても無理じゃないですか。それなら画面の中で飛ばしてしまおうっていうのを作ったんです。撃った瞬間にはもう弾は画面の中、でその先がまだあるっていう風にした。バズーカで打ちますね。すると画面の中で、弾がしゅるしゅるーっと飛んでいくわけです。で近くの標的は当たり判定が甘く、遠くのやつは当たり判定を辛くする。
針先と指先 大谷能生『貧しい音楽』 北里義之『サウンド・アナトミア』 十代の学生たちに、今は使われていない昔の生活用品について聞き取りをしなさい、という課題を出したら、お祖母さんに話を聞いた、という学生からこんなレポートが返ってきた。 「音楽についてですが、LPレコードが主流だったそうです。針をのせるとレコードが回って音が出るそうです。」 この無垢な文だけでも十分衝撃だったが、さらに、とどめのひとことが添えられていた。 「裏面もあったそうです。」 十代の学生にとっては、二十世紀を席巻したテクノロジーも、遠い過去の遺物らしい。 もはや、レコードということば自体を一から説明する時代が来たのだろうか。いや、「東京人」の読者なら、「A面」から「B面」へと音盤を裏返した経験があるに違いないと信じて、今月はレコードの針先を論じる本の紹介から始めよう。 音楽活動を行う一方で、ジャズ、電子音楽史に関する数
『アバター』と3D表現 (監督:ジェームズ・キャメロン 2009) 虫、光点、火の粉 韓流ドラマのロケシーンを見ていて、日本のドラマと違うなと思うのは、飛んでいる虫の多さだ。主人公の顔がアップになっているまわりに、とにかく虫がやたらと飛んでいる。口や鼻に入らないかと思うほどだ。 けれども、見ていてうっとうしいわけではない。むしろ、虫が飛ぶことによって、そこに奥行き感が表れる。せわしなく虫の軌跡によって空間が何度も描き直され、主人公のまとっている空気の形が変化し、その中でゆっくりと呼吸しながら話す人間の時間が、ゆるやかに見えてくる。 『アバター』の冒頭を見て、その虫のことを思い出した。 主人公ジェイクの周りにおぼろげな青い光点がうごめいている。次第に焦点がはっきりしてくると、光点には奥行きが生まれ、ゆっくりと動くその軌跡が、ジェイクの頭を立体的になぞっていく。20世紀フォックスのロゴほど派手
2016年12月4日発売 2018年12月。「かえる目の12月 2018」 今年もやります、年末のかえる目。 詳しくは『ライブ情報』を。
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お知らせ (2008.10.29) dotimpactさん作の「ラジオ 沼」RSSを使えばiTunesでも更新ができます。 iTunesにラジオ 沼を登録する ・ラジオ 沼(12kai.com)rssのページに行く。 ・Get as RSSというオレンジ色のアイコンをiTunesにドラッグ&ドロップ。 ブラウザにラジオ 沼を登録する ・ラジオ 沼(12kai.com)rssのページに行く。 ・Get as RSSというオレンジ色のアイコンをぽちっと押す。 ・行った先のページで「購読」を押す。 2016.10.12 沼 491: 赤塚不二夫「ヒッピーちゃん」、Roger Nichols and the Small Circle of Friends "The Drifter" この放送をダウンロードする 2016.9.16 沼 490: 「造船」(ロバート・ワイアット) この放送をダウンロー
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