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猫
aketekure.hatenablog.com
【100年遅れのおれカネゴン】 こんにちは、ヴァージニア。早速だけど、それは君の友達の方が間違っている蓋然性が非常に高い。説明しよう。 まず、「目に見えなければそれは存在しない」と言えるだろうか?誰しも愛について気楽に語っているけど、愛を見た人は者は誰もいない。にもかかわらず、愛が存在することを疑う人はいない。「誠意を見せろ」と声高に言う人は十数億人は間違いなくいると思うんだが、誠意を見たことのある人はいない(あ、「誠意を見せろ」というのは宇宙語に翻訳すると「お金を寄越せ」ってことだからね)。にもかかわらず、誠意が存在することを疑う人もいない。 ということは、「目に見えなければそれは存在しない」と言い切るには反例がありすぎるということだ。ところで、小池一夫のように愛を客観的に数値として測定できる方法論をもし考案したら、世界中の人が一斉に嫌な顔をしそうな予感が僕にはする。 それから、君の友達
漫画喫茶で十数年ぶりに背中の四角い少年漫画雑誌と少女漫画雑誌を10分でザッピングして、唯一ぶっちぎりに面白かったのがさよなら絶望先生という漫画。以来ついつい単行本をちびちび買ってしまう。ちっとも知りませんでしたが、講談社漫画賞も受賞していたらしい。 とにかく、最初から最後までとことん人を食っている。単行本第一巻から「前回までのあらすじ」があり、そのあらすじがその後も毎回口からでまかせで、今やそれが楽しみになってしまっている。 第一回から(おそらく現在まで)、毎回の読み切りのフォーマットというか話の展開を完全にテンプレート化していて、そこから決してはみ出さないようにしているところも人を食っている。 さらに、意味もなく女の子のパンツを見せたりツンデレをやってみせたりしていながら、書いている本人はそういうことが心の底からどうでもよいと思っているために、そうした手垢の付いた手法の唐突な引用がそのま
日経サイエンスを読んでいて、初めて声を上げて笑ってしまう【電車で読むとはおれカネゴン】。 オハイオ州マウントバーノンの中学教師John Freshwaterは、創造論を生徒に強要するにとどまらず、高圧電気装置を使って生徒に十字の焼き印を押すなど、教室での宗教的行為に関して裁判沙汰になったことで有名な人物。 先生はもしかするとコックリさんに憑依されていたのかもしれない【金毛九尾のおれカネゴン】。
不景気が始まる兆候: 梶原 「名古屋は、最近どうなんですか?」 運転手 「ひどく悪いです。地元では、半年前までは名古屋の一人勝ち。さすがトヨタの城下町と浮わついてたのがうそのようです。実は、私は、1年も前に今の状況を予測していたんですよ」 梶原 「超能力者みたいですね」 運転手 「30年以上この仕事やってると、不況に突入する予兆が見えるんです。その頃すでに、はっきりとした兆候が3つあったんです」 梶原 「ほお。1つ目は?」 運転手 「確かに水揚げは好況時と変わりませんでした。でもね、私は、おや? と思った。お客さんのお金の払い方が違ってきていたんです」 梶原 「どういうふうに?」 運転手 「会社のタクシー券が極端に減り始め、現金で払い、領収書を持ち帰る人が増えた。会社が交通費抑制のため、あえて社員の事務手続きを煩雑にしてきたからでしょう。リーマンショック以降は、それもなくなりましたが」 梶
総理大臣を、各都道府県知事を昇格させる形で選んだらだめだろうか【黒い企みおれカネゴン】。その財政および行政で、数字でわかる具体的な成果を最も挙げた都道府県の知事を総理大臣とする、というルールにすれば、常に歴然とした実績が伴った総理大臣を永遠に選び続けることができるのではないかと。成果はもちろん絶対値ではなく、前任者のときからの相対的な改善値を基準とする。 さらに、総理大臣を輩出した県の県庁所在地を、総理の在任期間中日本の首都とするルールにすれば、日本全国の県民が是非自分の県を首都にとばかり一人残らず目を血走らせ、食事も抜いて節約に励んで知事に協力しまくり、地方財政が永遠に改善され続けるうえに、地方の産業も文化もそこらのお祭りなど目ではないぐらいどえらく盛り上がり続けたりしないだろうか【日本を壊すおれカネゴン】。 どうせやるなら、町内会から始まって村/町/市区/県と同じようにどんどん昇格ルー
たまたま見つけたAV監督の村西とおるのブログが半端でなく面白い【業界志願のおれカネゴン】。誤字脱字が目立つのが、逆に臨場感があったりする。漫画「ディアスポリス」に登場する山本(不法入国の中国人)のごとく、あまりに口がうまいので「日本の表AV業界にはヤクザとつながっているところは一つもございません」など、到底信じられないような記述も、ついうかうかと信じてしまいそうになるほど【暗示と闘うおれカネゴン】。 カネゴンの中でだけ通用する経験則として、アダルト業界からはなぜか名文家が出現しやすい(高橋がなり、中野監督、tagomagoさん、リリー・フランキーなど)のだけど、仕事として休みなく女性をくどきまくるために言葉が鍛えられ、つやつやに磨かれると同時に、エッセイの重要なコツである「主流派気分を捨てる」という立場を自動的に獲得してしまうからなのだろうか。 もちろん寺田寅彦のように、おぼっちゃん育ちを
経済学の表面をどれだけなぞっても、力学における「力」に相当するものをどうしても見つけられずにいる【見落とし確定おれカネゴン】。貨幣とか生産物とか需要と供給のような個別のアイテムとそれらの関係を表す式はあっても、それらが変化するときに「どのような力によってどのように駆動されるのか」について納得のいく説明をまだ見つけられない。 とはいうものの、力学のアナロジーが単純に効くとも思えない。その力は重力や分子間力のようなものかもしれないけど、もしかすると遠心力やコリオリ力のような見かけの力かもしれないし、もしかすると悪霊の仕業なのかもしれない。今からでも遅くないのでどなたか見つけてください。
年末に読んだスパイ関連の本によると、初期のスパイ衛星は通信帯域が狭すぎたため、撮影したフィルムをカプセルに封入して衛星から海に向かって投下し、それをCIA職員が回収するという実に気の長い方法が使用されていたとのこと。
不景気という状態を、一種の悪霊に取り憑かれた状態と見なしたらまずいだろうか【真の悪霊おれカネゴン】。同様に、異常な好景気も、別の悪霊に取り憑かれた状態と見なしたりできないだろうか。 悪霊を祓うには昔から祭りと決まっているので、地上のあらゆる経済圏を巻き込む超大掛かりな祭りを一ヶ月ほど手加減なしで執り行うことで、あっさりと不景気を撃退できたりしないだろうか【休みの口実おれカネゴン】。オリンピックとかワールドカップや日本シリーズみたいなイベントも全部臨時でこの祭りに組み込んで。 本件を否定するには、実地による実験が必要です。
もしかすると前にも書いたのかもしれないのだけど、「定本 Cプログラマのためのアルゴリズムとデータ構造」は、カネゴンの知る限り日本語のテクニカルライティングとして最も優れている一冊。後にも先にも、これより優れた文章を他に知らない【知らずに書けるおれカネゴン】。 一つの文章が、常にたった一つのことしか表していない。どう捉えたらよいのか一瞬でも迷うような、あいまいな書き方がかけらも見当たらない。 それでいて、法律や契約書のような堅苦しさがまったくない。数式のような圧縮された表現を頭の中で解凍する必要もない。 それでいて、受け狙いの表現をこれっぽっちも使わず、淡々と記述している。 読んでいて、一度たりとも心の中で「あ、つまりこれは言い換えるとこういうことなのね」と頭の中で言い直す必要が生じない。そういう作業は文章ですべて完璧に先回りされている。 それでいて、文章のどこにも冗長さがない。無駄玉を一発
どうして日本では、お経を日本語に翻訳しないでいつまでたっても中国語表記された古代インドの言葉のまま、しかも漢字の読みだけ日本語で使用し続けているのだろうか【唱えもせぬとはおれカネゴン】。 中村元先生によれば、東南アジアの小乗仏教文化圏では、お経というかお釈迦様の言葉は日常語に訳されているのが普通なのだそうだ。英語でもmantraといえば「(わけのわからない)お題目」という意味があるそうなのだけど、少なくとも訳して使うぐらいのことはしそう。 少なくとも今のままでは、カネゴンの死後祭壇に祭られたときに何を唱えてもらっているのかさっぱりわからないまま黄泉の国に旅立たねばならないことになりそう。他の死人から「恥ずかしくて誰にも言えなかったのですが、実はさっぱり意味がわからんのです」などと苦情が出たりしないのだろうか【死人に口無しおれカネゴン】。
ユーモアのある文章を書く方法【超訳するとはおれカネゴン】。 筋道を立てすぎない。話の筋が少しぐらいほころびている方が面白くなる。 ギャグを説明しすぎない。ギャグの核心を説明すると一気につまらなくなる。 長々と書かない。短かったときの方がたいてい面白い。 後で自分で読んでびっくりするようなことを書く。自分を含めた読者の期待をいい意味で裏切るというのはそういうこと。 言い回しに凝っても面白くはならない。スベったと思ったら、言い回しをストレートにしてみる。 かっこつけない。上から目線にしない。自分の恥や無知をさらさずに文章をおいしくすることはできない。 自分のキャラクターをさらけだす。とはいえ、元が面白くない人の場合はそれがさらされるだけ。 無理してうまいこと言おうとしない。うざくなるだけ。フォームを崩すな。 真実をねじまげるのは反則。ユーモアには真実という成分がわずかなりとも含まれてなければい
帰り道、柄にもなくふと突発的に欲情しかかったときに、たまたま雑誌「NEWTON」で二宮尊徳の記事を見て衝撃を受ける【急いで抜くとはおれカネゴン】。いつもの通り以下記憶から。 尊徳が茄子を食べた時に奇妙な味がしたことに気付き、後にいう天保の飢饉が始まりかかっていることを察知する。そして村人たちにただちに飢饉対策としてヒエを植えるよう指示。馬鹿にする者たちもいたが尊徳の予測は見事に的中し、飢饉を免れた。 近年、このような飢饉が最後に日本で起きたのはいつなのだろう。農業技術と肥料の発達でカネゴンの知らないうちに克服されてしまったと思い込んでもよいのだろうか。もしまたこのような飢饉が発生したら、このような形で予測することは果たして可能なのだろうか【当てるつもりのおれカネゴン】。 尊徳の財政再建政策は、現代の統計学者が見ても驚異的なまでに極めて合理的かつ科学的なものだった。 尊徳が薪をしょいながら学
同じサイトで以下の文章を見つける。 余談になるが、この騒動を通じて、長い間腑に落ちなかった点が理解できたような気がする。以前から「おふくろさん」という歌には一種の違和感を覚えていた。そもそも、実の息子が母親のことを「おふくろさん」と呼ぶのだろうか。体育会系の組織で先輩が後輩に対して「おふくろさんは元気か」などと言うことはある。しかし、母親を偲びながら「おふくろさん」と呼びかけるのは、いささか奇妙だ。もしや方言かとも考えてみたが、どうにもしっくりしない。さらに、歌詞が妙に理念的・抽象的だ。母親への思いは、「母さんが夜なべをして 手袋編んでくれた」のように具体的であればあるほど訴求力が増す。しかるに、「おふくろさん」の歌詞には、「あなたの真実」といった具体性に欠けた理念ばかりが並んでいる。こうした奇妙さは、社会正義を追い求めた作詞家・川内康範の信条に由来すると考えると、納得がいく。川内氏にとっ
たまたまWikipediaで中国の歴史を読んでしまい、膨大すぎてはまる。 中国の各王朝を起こした皇帝は貧農出身の1人を除いて基本的にヤクザ出身であることと、王になるとほぼ例外なく酒色に溺れることと、身内贔屓はどうしてもやめられないことと、官僚制は確実に腐敗することと、中国の人口が急激に増加した最大の原因はトウモロコシとサツマイモと落花生が導入されたことと、どの王朝もいつかは滅びることに気付く【寝言同然おれカネゴン】。 それはそうと、どうして日本のヤクザは天皇に取って代わろうとしたり国会議事堂を占領したりしないのだろう。
「日経サイエンス別冊「こころのサイエンス」04」からかいつまむ。 子供を育てるにあたり、子供の知能や才能を強調したり褒めたりすると、予想に反して次のような結果になりやすい: 失敗に対してもろくなる 失敗に対して言い訳ばかりするようになる(「自分にはやはり才能がない」など) 挑戦を恐れるようになる 短所を改善することをいやがるようになる 対照的に、子供の努力を強調したり褒めたりすることで、その能力にかかわらず、困難に挑戦し、短所を改善し、成績も向上するようになった。 大人でも、たとえば漫画家や映画監督やゲームクリエイターなどは前者と同じ罠に落ちやすいような気がしないでもない。周りの人たちも話題が他にないものだから深く考えずに一つ覚えで「才能ありますね」とばかり繰り返し、それがまじないとして本人にじわじわ影響を与えたりしそう。未来の子供たちが進路を定めるにあたり、そういう意味での職業ごとおよび
マキアヴェリ語録。内容はともかく、微妙にこなれていない日本語が気になって仕方がないので、気になった文のみカネゴンが練習として勝手にリライト【文化を汚すおれカネゴン】。 なお「君主」は「指導者」に一律変更。あくまで指導者向けらしいので、一般の農奴には通用しないかわり、指導者であれば社長でもヤクザの首領(ドン)でもよいはず【ワンオブ農奴のおれカネゴン】。 小馬鹿にされた者は間違いなく仕返しを企むが、とことん馬鹿にして地べたに這いつくばらせてやれば仕返しをあきらめる。だから、相手を痛めつけるときには徹底的にやること。でないと自分の身が危うくなる。 他人をおめおめと出世させるようなへまをする者は、必ず自滅する。 相手を痛めつけるなら、一息にやれ。恩を着せるなら、ゆっくりと時間をかけて味あわせてやれ。 自分たちの望みを一つ残らず叶えるためには、無関係な第三者を蹂躙し、収奪する以外に方法はない。 欲が
数年前の映画秘宝より記憶から。 町山:天才バカボンに出てくる、目玉のつながったお巡りさんいるでしょ。あれ、本当は警官じゃないんだよね。 柳下:そうなの? 町山:あのお巡りさんがあまりに拳銃をぶっぱなすんで、バカボンたちが困って警察署に電話する回があるんだよ。すると、警察署の返事が「そこ、交番ないですよ」。つまりあのお巡りさんは、自分を警官だと信じているキチガイだったんだってさ。 追記:町山さんによると、モーレツア太郎のエピソードだそうです。ご指摘ありがとうございます。
中国汶川地震直前のオーロラ発光現象。 詳しい説明も発見。 それから何といっても世界をびっくりさせたのが、中国の海城地震の時の予知の成功です。 中国の地震予知の経緯は、文化大革命が発生した一九六〇年の河北省邢台(シンタイ)という所で発生した大地震に始まっています。その時に、井戸水の異変とか、動物たちの普段と違う行動とかを、住民たちが目撃していたのです。それを、被災地を見舞いに訪れた周恩来総理に住民が訴えたのです。こんなに異常な現象が前兆としてあったのに、何故政府は、対策を打ってくれなかったのかと、直訴したのです。そこで、周恩来は、国家として地震予知事業をやろうと決めて、中国科学院に国家地震局を設置しました。中国の予知の方法は、大衆からの自然観察の情報を吸いあげるものです。井戸水の異常や動物の挙動の異常などを、各地区のセンターに報告させ、取りまとめて総合判断するというものです。民衆パワーで、地
さっき届いた「読書猿」メールマガジンにカネゴンが知りたかったことがずばり書いてあったので思わず全文引用【強調箇所はおれカネゴン】。 ■■Kline, R. B. "Beyond significance testing: reforming data analysis methods in behavioral research". (American Psychological Association =■ 統計ができないと、少なくとも生き物相手の研究(生物学、医学、心理学あたりまで、やや怪しいが社会学なども入る場合もある)は「科学的」とは認められない。 ここでいう「統計」とは、統計学的検定を下限とする。つまり、すくなくとも検定をやってないと、科学的研究とは認められない、ということである。 検定とは、おおざっぱにいえば、次のようなものである。 0.主張したいことがある。たとえば「この薬は
外骨格パワードスーツ。 こういうのを見ると反射的に川に突き落とすか塩水をかけて安全性を徹底的に確認したくなってしまう【放尿構えのおれカネゴン】。 来るべき未来社会のために、こういうスーツを装着した場合でも通用する礼儀作法およびテーブルマナーおよびベッドマナーの開発も急がれる【喧嘩の作法はおれカネゴン】。表と裏と武者小路が総動員される日も近い。 他にも自慰防止や、刑務所代わりに受刑者に強制装着し、最小限の日常生活を送らせながら立ち居振る舞いを逆にことごとく制限・拘束するなど、外骨格パワードスーツの応用は数限りない。そのためにも、装着したまま風呂に入れるまでに安全性を高めることが絶対的に必要【洗わず済ますおれカネゴン】。 やがて、世界各地の津々浦々であらゆる人がおはようからおやすみまで思い思いに飾り立てたりプリクラシールをべたべた貼ったりしたブランド品または特売品または闇製の外骨格パワードスー
ちょうど上と関連しているようなそうでないような感じなのだけど、「その数学が戦略を決める」をやっと読み終わる。原文がだらだらと長いので、人物名などのどうでもいい情報を省略してカネゴン向けに内容をダイジェスト、というかこうしないと頭に入らないありさま【コチコチ脳とおれカネゴン】。書いてないこともいっぱいあります。 統計の基本的なツールである「回帰分析」と「無作為抽出」、たったこれだけで、従来の専門家より遥かに信頼性の高い予測を立てることができる。今ではこれに「ニューラルネットワーク」も加わりつつある。本書ではこれらを独自に「絶対計算」と呼んでいる。 絶対計算は、一企業の金儲けだけではなく、政府の政策にまで影響を及ぼしつつある。 絶対計算は、今後間違いなく多くの専門家のお株を奪う。芸術家も危ない。 絶対計算に使うパラメータは、必ずしもギンギンにチューンアップされていなくてもよい。割と適当であって
世論調査より当たる?大統領選を占う予測市場。 専門家の予測や世論調査より、トトカルチョ市場の方が大統領選挙の結果を高い確度で予測できるとのこと。今では研究用だけではなく商用のさまざまなトトカルチョ市場が開かれているらしい。トトカルチョに参加しているのがほとんどの場合裕福な白人男性で、統計に持ち込むにはこの偏りが邪魔で仕方がないらしい。 調子に乗ってしまったのか、DARPAの偉い人がこれを応用して「テロが起きるかどうか」を賭けるトトカルチョ市場を開いてテロを予測するという計画を発表した途端「不謹慎だ」との非難が囂々押し寄せて撤回せざるを得なくなったとのこと【腹を抱えるおれカネゴン】。 面白いのは、トトカルチョ市場の方が専門家の予測や世論調査より確度が高い理由がわからないということ。研究者は誰も麻雀放浪記を読んだことがないらしい。 麻雀放浪記(だったか阿佐田哲也の他のエッセーだったか)によると
サイゾーの対談(2008年五月号,P140)から珍しくちゃんと引用(多少改変)。テーマは「少子化」。ゲストは山田昌弘(中央大学教授)。 「女性が生涯で生む子どもの数が平均して1人と少しになった」と聞くと、一人っ子が増えたと考えがちですが、実際はそうではない。 結婚して二人の子どもをもうける、という考え方はそれほど変わっておらず、それ以前に結婚できない人が増えているんです。つまり、日本の出生率の低下は、家族の格差を伴って生じている。むしろ誰もが結婚して1人の子どもをもうけるという傾向だったら―ドイツなんかはこれに近い形ですが―それほど大きな問題ではない。 結婚して子どもを持てる層と、そうでない層に分かれてきているということが問題ではないかと考えています。 結婚したくてもできない人の方が多いんです。どんな調査をしても、男女ともに90%が18〜35歳に結婚したいと答えている。結婚願望は衰えていな
仮にエンジニアの視点から見れば、きっと光合成システムの設計には非常に無駄が多く、部品点数をもっと減らしてアーキテクチャをすっきりさせたい衝動にかられるのではないかと思う。 とはいうものの光合成も数億年もの間営業を続けているので、ピタゴラ装置のごとく手近な部品をいきあたりばったりで組み立てたような見苦しいつくりであっても、その無駄の多いつくりを保ったまま数億年の営みを経てそれなりに洗練され、このつくりからは想像しがたいぐらい効率も向上してきたと考えることもできそう。 ところで、無駄が多いということは少々システムに傷が入っても何とかやっていけるということでもあり、それによってシステムを動かしたままアップデートする(進化)ことも可能になる。 逆に一点の無駄も贅肉もない、カモシカの脚のように引き締まりまくったシステムだとほんのわずかな傷やささいな環境の変化でたちまちダウンするし、ちょっとした改良を
ところで、この日記でも何度も書いたように、幸福には「いかなるもの・才能であっても、それを最初から持っていたらありがたみを感じられない」という困った性質がある。シッタルーダが家族をおっぽりだして家出したのも【出家と違うかおれカネゴン】、王家に生まれたことをどうしてもありがたいと思えず、さりとて普通の人がみなやっているように他人の不幸を観察して自らの幸せを確認する気にもなれなかったからではないかとカネゴン推測。 誰の言葉か忘れてしまったのだけど、「人間にとって最もうれしいことは、できなかったことができるようになることです」というのがあった【うれしくないとはおれカネゴン】。ちなみにそれに続いて「人間にとって最も簡単で安易なのは、他人を批判することです」ともあった。 社会共通資本をくまなく提供するシステムがひとたび完成されてしまうと、後に続くものにはそれを作る楽しみがなくなってしまい、幸福そのもの
昨日のNHKニュースで、成人年齢を20才から18才に変更することが検討されており、もし変更されると300以上の法律を書き直さないといけなくなるとのこと。 どうやらそれぞれの法律には成人の年齢などの各種変数が馬鹿正直にハードコートされているらしいのだけど、この機会に法律と憲法の間にメタ法律を作って変数やメソッドをそこに収録して共有し、各種継承関係を整理整頓したら六法全書が劇的に薄くなったりしないだろうか【バイオレーションおれカネゴン】。もういくつ寝るとどこからともなく凄腕アーキテクトがやってきてライブラリの設計を全面的にアップデートしてくれるだろうか。
数年ぶりに雪が舞うのを見て思い出す。 ある人から聞いた話。副都心のとある古い高層ビルには窓に非常用の脱出口があるのだけど、かつて仕事中にそこを発作的に開いて外に出てしまった同僚を目撃してしまった。名物のビル風の影響なのか、同僚はいったん上に吹き上げられ、それからゆっくりと舞い落ちていったとのこと。
T.D.ミントン著『ここがおかしい日本人の英文法2』という本で、次のような記述があった。甚だ不正確ながら記憶より引用。 「For Beautiful Human Life」という、「間違っている英語」として何かと話題にされるカネボウのキャッチコピーがある。(なお著者は、この英語は皆が言うほど絶対的に間違っているとも思えないし、この間違いを話題にすること自体あんまり面白いと思えない) ところで、「life is beautiful」という叙述的な形容なら何の問題もないのだが、「beautiful life」という限定的な形容は、ネイティブの感覚としておかしく思える。「beautifulな (human) life」というと、その補集合である「beautifulでない(human) life」というものが即座に連想されてしまう。ただでさえネイティブには無味乾燥な科学用語として響く「human
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