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体力トレーニング
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松島トモ子オフィシャルブログ Powered by Ameba 松島トモ子オフィシャルブログ Powered by Ameba 1996年9月、突然アフリカ・ナイロビ取材の話が持ち上がった。日本テレビの『あの人は今』という番組で、往年のスターの消息や著名人の初恋の人などを探し出したりする内容だ。でも私の場合は、“あの人”ではなくライオン、つまり“私を咬んだあのライオンは今”というタイトルらしい。今の私ならいざ知らず、当時の私にとってロケ先でライオンとヒョウに咬まれたなんて、笑い事では済まされない。生死に関わる事件だった。恐怖の体験の後遺症はその時点でも続いていたのに…… 正直私はムッとしていた。事務所のマネージャーにもハッキリ断りを入れてもらった。 風の便りでは、あのライオンとヒョウは私を咬んだ直後、ヒヒに襲われて死んだと聞いていた。私の毒に当たったと言った人もいたけれど……どっちもどっち
松島トモ子オフィシャルブログ Powered by Ameba 松島トモ子オフィシャルブログ Powered by Ameba 「ガリガリガリッ!」 骨が砕ける音を、私は右の耳で聞いた。この時、自分は死んだ!と、はっきりそう思った。意識が消えた。 その音は三十数年の時を経た今もなお、耳にこびりついて離れない。 首の骨が砕ける瞬間の音だ。 その音を聞いたのは、ヒョウが首に咬みついてきた二度目の事故のことだった。 「えっ?ライオンだけじゃなくて、ヒョウも?」 そうなのです。私はご丁寧にも十日間の間に二度も事故にあっているのです。 ヒョウの時は鋭い牙に咬みつかれた傷は深く、第四頸椎粉砕骨折で全治6ヶ月の重傷を負ってしまった。 帰国後日本の病院で診てもらったところ、あと一ミリ、傷が深かったら、死んでいたか、全身麻痺だったと云われた。 私がケニアのナイロビに降りたったのは、1986年、一月、日本テレ
松島トモ子オフィシャルブログ Powered by Ameba松島トモ子オフィシャルブログ Powered by Ameba パリパラリンピックは、オリンピックとはまた違った想いを込めてテレビで魅入っていた。 かつて私は選手であり、車椅子ダンスを正式種目としてパラリンピックに認可してもらおうと、障がい者の方達と世界各国の競技会を転戦してまわっていた。 約10年、夢は叶わなかったが、若かりし頃の大きなチャレンジだった。 パリ五輪の柔道で金メダルを獲得したフランス人の英雄、テディ・リネール選手の発言から議論が始まった。 「パラアスリートは、スーパーヒーローだ」 リネール選手の言葉は、開幕が近づくパラリンピックへの尊敬と敬意を込めた言葉以外、何ものでもなかった。素直な気持ちからだったと思う。 が、車椅子バスケットボール仏代表の選手は「私達は障がい者であり、普通の人だと思われたい。スーパーヒーロー
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