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体力トレーニング
blog-no-gotoku.hatenablog.com
はてなブログ用の前書き (必読) はじめに 概要 背景 ライトノベルが未だ未定義な3つの理由 1.先行研究の少なさと、そこに見る未定義の許容 2.SFもまた未定義である 3.越境するライトノベル アプローチ 先行研究 東浩紀が与えた「消費」の概念 「動物化」とは何か 「データベース消費」が示すサブカルチャーの変遷 「シミュラークル」により坩堝と化すサブカルチャー 『デ・ジ・キャラット』に見る「萌え要素」の消費 児童文学とライトノベル ライトノベルの起源はどこまで遡れるのか? ライトノベルの「現実逃避」に至る物的証拠 子供の人権意識から見る、ヤングアダルトの産声と背景 子供の「解放」としての児童文学 児童文学との比較に見るライトノベルの定義 従来のライトノベルの定義の問題点 ライトノベルをあえてベタに読む意味 スノビズムがライトノベルにもたらしたもの おわりに 脚注・出典 はてなブログ用の前
※2020年4月17日に書いて、燃えたもの まず最初に言っておくが、タイトルにある通りこれを書いているのは当時の1期『涼宮ハルヒの憂鬱』をリアルタイムで視聴していない齢18の人間だ。一応後々アニメ版の全てや文庫本もすべて視聴・読破しているが、オタク文化に触れたのは2008年ころからとなる(それでも早い方だとは思うが)。だから、当時の情報は全てかつて電子網に流れた第三者から得た記憶であり、最もらしいことを言っていても実は中身はないものかもしれない。それを心して頂きたい。 僕がこんなタイトルでブログを書こうと思ったことの発端は、Twitterで物議を醸したあるツイートに由来する。それがこちらだ。 ひと昔前のオタクはハルヒみたいな世界を破滅させる危なっかしい少女に萌えていたはずなのに、最近のオタクは長門みたいな便利なだけの女に逃げるようになってきた。僕は憂いています。世を。 — 小山晃弘 (@a
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