サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
都知事選
blog.goo.ne.jp/icecreamscream
個人的な話です。 なお、南原清隆批判ではありませんので…。 それはともかく、 「話すより聞くほうが好き」 っていう男の話がつまらない。 「話すのが苦手」「話題がない」「話がつまらない」という欠点を 「聞くほうが好き」という言葉に変換して隠すのはやめた方がいいと思うのです。 やめた方がいい、というか、 なんかイラっとくるんでやめてくれ。 別に、話つまらなくったっていいんですよ。 会話下手糞なのは仕方がないんですよ。 これでも読んどけ。 でも話すのが苦手なだけのくせに、 「話聞くのが好き」とか言うのはやめてください。 聞くのが好き、ってことはつまり「他人の話に興味がある」ってことで、 すなわち聞きながらさらに質問をしたくなったり、共感したり反発したり、何らかの反応が自然と出ちゃうってことですよ。 そしてそれはすなわち「話すことも好き」ってことではないのか。 「
ヌルい連帯に憧れが… あるようなないような。 ヌルい連帯というのは例えば、 雨宮処凛あたりが噛んでそうな、高円寺中野阿佐ヶ谷あたりを本拠地として労働デモやったりロフトでトークイベント催したりしていそうな面々による連帯意識とかそういった何か。 伝わりましたでしょうか。 「悩める人よ孤立するな」 社会の底辺を徘徊する若者たちへのその呼びかけに呼応してしまいそうです。 なんて、心地よさそうな響き…。 でも、彼ら(というか雨宮処凛氏)の 「不当な扱いを受ける若者たちよ、連帯せよ!声をあげよ!」 的なコールに乗れないのもまた事実。 まあ、自分がそこまで切羽詰った状況にないこともその理由なのですが、 何よりも 「自分がダメな理由、苦しんでいる理由を自分自身の内ではなく外に見出す」 というその姿勢に乗れないのです。 「自分(の状況)が悪いのは社会が悪いからだ!」 という考
「秋葉原の殺傷事件で初めて非モテという言葉を知った」というコメントを頂いていたので、そこから思いついたことをつらつらと。 さて、例の殺傷事件から一ヶ月以上が経ちました。 まあ、こんなトンデモ有識者の意見はさておき。 ●テレビや雑誌での報道、個人のブログ等を読んでいて、色々と考えました。 犯人に同調する気もないけれど、だからと言って彼を「出来損ない人間」「クズ」「社会のゴミ」と断じる気にもなれない。 いや、起こしてしまった事の重大さから考えれば、どんなに酷い形容をされても仕方がないとは、思うのですが。 けれど、「出来損ない人間」「クズ」「社会のゴミ」 そう言われる彼と、私との間に、ああいった事件を起こしてしまった事の他にどれだけの差があるというのだろうか? ・・・いやいや、その事件を起こしたという事自体が絶対的な差であって、それ故に彼はゴミ扱いされているのだから、そんな疑問は
何気なく席をたつ ・トイレに行き、声を殺して涙を流す ・手首を切る妄想 ・自分を紙人形にしてちぎってトイレに流す妄想 ・目を乾かす ・ジュース買って飲む (所要時間12分) そして席へ戻る みなさんはどうしているんですか?
気づいたら9月。あっという間ですね。 あっという間と言えば、会社に入ってから早5ヶ月。 配属が決まってから早3ヵ月半。 こんな私ですが、大分馴染みました。周囲に。 いまだ上司に話しかける際にはカクプルどもりどもりしていますし、取引先との会話も終わってますが(会話とぎれまくり・要領を得ない)それでもまあそれなりに。 そう、時間が経てば馴染むのです。たいていの人は。たいていの場所に。 じゃあ馴染めたので、ああよかった。となるかというと、ならないですな。 一つ不安が解消すると次の不安に襲われるのです。 こうやって居心地がよくなってしまうと、私はここから抜け出せなくなるのではあるまいかという不安。 会社生活はそれほど嫌いではないんです。周りの人たちも、むしろ好きです。 でも、いつまでもいていい会社かと言うと、違うと思うのです。 ここであと何十年も働くというのは、無理です。
私は、一日に十回は後悔する。 あ、こんな事言ってしまった。 あ、またこんな事言ってしまった。 あ、あれを言えばよかった。 あ、喋らない事により気まずい空気に。 等等、共通しているのはほとんどが人との会話(あるいは人と一緒にいるが沈黙)の中での後悔だって事。まあ他にも仕事でのミス(多すぎ)でも後悔は多いけれど、これは後悔というより反省だろう。 就職してから、このテの後悔が増えた。というのは、大学時代はごく限られた人としか会話してこなかったからだ。親しい友人、家族、恋人。会話に緊張が強いられる事などほとんどなかった。あまり親しくないバイト先の上司やバイト仲間(というにはあまりにも疎遠)とは、最低限の会話をしていればどうにかなった。 それが今では、嫌でも毎日沢山の人と話したり、一緒にいたり、新しく知り合ったりしなくてはならない。よって、毎日毎日後悔を積み重ねている。 いつか、もう
どうして童貞の苦しみを書いた小説はあるのに、処女の苦しみを書いたものはないんだ?誰か書け!! ・・・といったような事を小谷野敦氏が著書「退屈論」で書いていた。(※うろ覚え) 処女の苦しみ、これは現実にある。ここは断言する。私は現在20歳で、周りを見渡してみると処女率は意外なほど高い。一応断っておくが、男に見向きもされないようなブスであるというわけではない。普通に可愛らしく、男性と知り合う機会もないわけではないのだが、処女なのだ。 いや、処女かどうかよりも、男性と付き合った事がないというのが問題だろう。って私も「問題だろう」とか偉そうに言える立場じゃないんだが。もてないから実際。見た目以上に会話能力のなさがその原因なのはわかってはいるのだがわかっていれば何とかなるかというとそういうもんでもないよね! ・・・処女の話に戻る。 で、身の回りの処女GALたちは、自らが処女であることについ
不細工な(というより本人が不細工だと思っている)女は、やたらと性的なことを気にかける。 遠まわしに、けれど確実に、自分が既にセックスを経験している事を訴えようとする。 そこには、「不細工でもセックスさえしていれば女として認めてもらえるのではないか」という考えがあるように思う。どんなに自虐的に「どうせわたしなんて・・・」とか言ったとしても、最後の「女」の砦はちゃんと守ってる事を示そうとする、というか。 だからだろうか、ブス(自覚アリ)がやたらとネットの日記でセックスの話をしたがるのは。それも決して「私こんなにエッチなんですよぉ〜見て見てっ☆」というサービス精神から書かれたものではなく、「私はこんなセックスをした。こんな男がいた。私は、セックスについてこう思う」という、行為そのものよりも「セックスとは私にとって一体何か」を掘り下げちゃってるようなものが多い。 行為に過剰な意味づけをして
私は90年代の最後の3年間を中学生として過ごしました。 以下、「リリイ・シュシュのすべて」を観て思い出したこと。 中二の夏休み、家族が寝静まった真夜中にパジャマから私服に着替えて、一人でどこかに出かけようとしていた。渋谷とかに。つうか、もう終電終わってるから。っていう事すら知らないほど無知な中学生でした。 私は、真夜中の繁華街に行ってみたかったんです。 家と学校と塾と脳内妄想以外のどこかへ行きたかったんです。 あの頃世間を騒がした「中2」像は、私の憧れでした。 別に少年Aに憧れたわけではないけれど、テレビに映る「今時の中2」になりたかったんです。 だから、夏休みの夜、玄関先で鍵を開ける音で親が起きてしまわないかとドキドキして、でも結局外には出られなくて、部屋に戻って悶々とアニメを見ていたんです。 ちゃっちーな言葉で言ってしまえばね、 あの頃、メディアで映し出される、一
その昔、っていうか15年位前の話。 小学校にちょっと頭が弱くてやたらと力の強い男子がおりまして。 家で飼ってる小鳥を掃除機で吸ったり、給食のごはんを机に塗りたくったり、少々奇行癖はある彼でしたが、別にいじめられているわけでもなく、それなりに友達もいたようです。 私は彼の事を別に好きでも嫌いでもなく、まあどうでもいいクラスメイトの一人でした。 でも、たぶん自分でも気づかないうちに、私は彼を見下していたのです。 自分より劣った人間だと思っていたのです。 全てにおいて。 私にとって彼は、虫けら同然だったんです。 だからあの日、図工室で、たまたま私の足元にしゃがんで何かを探していた彼を、蹴ったんです。 いや、蹴ったって言っても、足がちょっとぶつかった程度。 というか、人間を蹴ったという感覚ではありませんでした。 足元に物が落ちてて邪魔だから、足でどかそうとした、そんな感じ。
しばらく前に文化系女子なんてものを取り上げたのですが、最近とみに注目されているようですね。あ、あと文化系男子も。 というか前から思ってたんですけど、「文化系女子」って言葉、対象年齢が広いですよね。大学生はもちろん、見た目さえ若ければ40位までは全然OKな感じするんですが。若ければというよりエイジレス(ウワー)な感じがまた魅力の一つっていうか。 緒川たまきさん(34歳)とか、ナイスelderly文化系女子。 あ、角田光代さん(39歳)なんかもいい感じにエイジレスで文化系女子ですよね。エイジレスってのは美人だけのための言葉ではないのですな。 どうも最近あちらこちら(つうかネットね)で「エビちゃんみたいなモテ系の子は気後れしちゃうから文化系女子の方が好き」という男子の声をちらりほらりとお見受けします。はい、そこで私は言いたいですね。 じゃあてめーら、大学時代の私の事を好きになればよかっ
なんつうか、コミュニケーションに対するコンプレックスとかについて書くのって気持ち悪い。自分で書くのも気持ち悪いし、他人が書いているのも気持ち悪い。なんとなく、気分悪い。イラッとくる。 なんでだろう?と考えて気が付いた。 それはたぶん「本当は誰でも、コミュニケーションに対してコンプレックスというか苦手意識を持っているんじゃないか?」と最近感じているからだ。もちろん中にはコミュニケーションの化物みたいな人もいるのかもしれないけれど、まあ、ほとんどはそうじゃない。みんな、無理している。無理というか、努力。本当は人と話なんかしたくない場面でも、なんとか話題を探して投げかけて、その場の空気を和ませる。 そういう、きっとほとんどの人がしている無理(努力)を「自分はそういうの苦手ですから」と切り捨ててしまう事に、最近どうも違和感を覚える。いや、人に対して、面と向かってそう言っている分には別にいい。
理論武装って、自分のためにするんですね。 この前初めて気づきました。 ネット上とかで、誰にも共感されないのに自分なりの理論(それなりに筋は通ってる)をつらつら書き連ねて、反論されたら相手の僅かな矛盾点を見つけ出して猛攻撃…みたいな人を見て、「こんな事しても反感買うだけだろうに」って思っていましたが、それは別に構わないのですね。 だって、別に他人を納得させる必要はないんだもの。 自分が納得して、自分の立ち位置の正しさを確認して、他人からの攻撃に耐えられさえすればすれでいいんだもの。 考えてみれば、私は小さい頃、よく「屁理屈を言う子供」だと言われていた。自分としては「なんでじゃい筋は通ってるじゃねーか」な気持ちだったんですが、これも一種の理論武装だったのかもしれません。いくら自分の中で「筋が通っ」た理論であろうとも、他人から見てウザかったらそれは単なる「屁理屈」に過ぎないわけで。
カワイイ文化系女子としたい♥ (BYダ・ヴィンチ) 文化系女子か…またピンポイントにダヴィンチじゃなかったら許されないようなもん取り上げてますね。頼むからそういうとこに光を当てるのはやめてくれと。ヲタクどもが興味本位の光(好奇の目とも言う)を当てられたせいで闇がますます濃くなってしまったように、世間から少しだけフレームアウト(ドロップまではしてない)してる文化系女子どもに光など当てたら、どうなることかと((;゚Д゚))ガクブルブル 陰に入ることでわずかな自尊心を満たしている彼女たちにスポットを当てて、some of themを本物の暗闇に突き落とすのだけはやめてください。 というのも、ダヴィンチでは意識してかしないでか(絶対してると思うけど)文化系女子の痛い部分にはあえて突っ込んでないけども、あのですね、世間一般の目から見たら相当痛いですから「文化系女子」。ダヴィンチという微妙
なんだかんだ言って、私はモテそうな男が好きだ。 と言っても、某もこみちみたいな外見で四輪駆動の高い車乗ってるようなのではなく…(てか、今自分の「モテる男像」の貧困さにびっくりした。なんだこれ)。 モテそうってのは ①外見がよい(そこそこかっこいい。あるいは自分の好きな顔) ②私を特別扱いする(ようなふりをする) ③会話を自分から切り出す(意外と重要) ④話がうっとおしくない(楽しければなおいいがとりあえずウザくなければいい) こんな感じ。これまでさんざん自分の事を「モテない」と言ってきたくせに何を偉そうな事言ってんだって話ではありますが。 でもさ、思うんだけど、 積極的に自分にアピールしてくる人って、モテそうな人なんだよな(※滅多にいませんが)。 これは別に私の女レベルが高いという事ではなく、モテなさそうな人はそもそも、あんまり私を女扱いしたり近づいてきたりしないって事
今家の中に捨てられないものってありますか。 私にはありません。 捨ててもいいものばかり。 他の何かで取替えが利くものばかり。 捨てられないものっていうのは、 きっと高価なものでも珍しいものでもなく、 何か、大切な記憶と結びついているもの。 恋人からの手紙とか、親の形見のネックレスとか。 捨てたら、その人の記憶まで一緒に失ってしまうようで捨てられない。 そんなもの。 2年位前まで日記をつけていた。webじゃなく、紙の日記。 でも、もう書くのはやめた。 あまりにも内容がくだらない。 読み返しても、嫌な気持ちにしかならない。 こんな記憶を形にして残す意味はない。だからやめた。 大切な記憶がどんどんなくなっていく気がします。 自分から手放したような気もするし、 望まないのに失ったような気もする。 なぜだろう、年々うまく話すことができなくなります。 言葉が出てこ
微妙に古いですけど、脱オタクファッションガイドって本が売れてますね。 いやー売れるのわかりますよコレ。 私も欲しいもんね。 しかしですね。 私が本当に欲しいのは脱オタクファッションガイドではないんです。 脱オタクメンタルガイドなんですよ。 「脱オタクファッションガイド」はたぶん、読むのはオタクじゃなくてもいいんです。っていうのは別にネタとして読む人たちの事を言ってるんじゃなくて、オタクじゃないけど「普通の格好」がイマイチよくわからない人も、この本のターゲットなんだろうなということ。 つまり「普通の格好」がわからない人たちのために、「こうしたら普通に見える格好ができるんですよ」と教えてあげる本だと思うのです。読んでないけど。 で、私がここで熱望するのが「脱オタクメンタルガイド」。念のためグーグル検索してみたけど一個もヒットしなかったので、まだないはずですよ。ええ。 「電車男
女は、中高生時代に人並みにモテておくべきです。「べき」と言われても困っちゃうかもですが、そうなんです。 中学・高校時代にモテないと、恋愛感が歪みます。 草葉の陰から憧れの男子をひっそり覗いたり、 隣のクラスの気になるアイツのジャージを盗みたいという欲望と葛藤したり 体育祭でみんなの写真を撮る振りしてちゃっかり隠し撮りしたり(ピンボケ) そんなことばっかして中高時代を過ごすと、ほんとね、恋愛に対して絶望した大人の女性にしかなれません。ふとした瞬間頭をもたげる「モテない中高生時代の自分」に、いつまでもいつまっでん苦しめられるようになるのです。 そして、その苦しみをなきものにするため、元・モテない少女は安い女になって男を捕まえるようになります。体さえ与えれば、男は(一時的にでも)優しくしてくれるからです。好きになってくれるからです。愛してくれるからです。いやー少女の頃は、こんな簡単に
あなたはブスですか? 自分の事をブスだと思いますか? 問いかけてみました。 もし、あなたがブスでも不細工でもない(と自分で思っている)のだったら、ぜひとも「ブスの目を通して見た世界」について考えをめぐらしてみていただきたい。 私は美人になってみた事がないけれども、たぶん美人の目を通して見た世界より、ブスの目を通して見た世界の方が100倍くらい味わい深いと思います。 思うに、ブスより美人の方が、性格の優しい、温厚な人が多いです。そして素直な人が多い。思ったことを、何の気なしにぽんと言えちゃう。それが美人。 ブスはそうはいきません。 何の気なしに言った一言で、「ブスのくせに」と思われないよう注意が必要です。まず、自慢をするときは1の自慢に9の自虐をこめなければなりません。自慢:自虐が1:9の割合になってようやく、周りの人は許してくれます。この割合を間違えると、たちまち場が凍ります
女の世界は怖い。 ドロドロしてる。さっきまで仲良く喋ってたのに、いなくなった途端に悪口三昧。男の世界ではありえない。怖いよねえ〜 とか言う男が嫌いです。じゃあ「男の世界」はあっさりさっぱりしてるのか?って言ったら絶対そんな事はないと思う。例えばこんな事があった。 A君とBちゃんは恋人同士。でもC君もBちゃんの事が好き。BちゃんとしてはC君のことも嫌いじゃないから、まあ思わせぶりと取られるような言動を繰り返しているうちに、C君はすっかりその気に。とかなんとかやってるうちに、Bちゃんの態度に恋人のA君が怒り、二人の仲は終了。でもBちゃんはC君とくっつくこともなく、新たな男探しの旅に出たのでした。めでたしめでたし。 そう、これはここで終わればいい話なのです。なのにそうはならなかった。なぜかというと、 A君の友人達があれこれ口はさんできたからなんですね。Bちゃんの態度に切れたA君に、彼の
続き。 (略)というわけで、齢21にして初めて山田詠美の小説を読んだ。 読んでみた感想。 思っていたとおり、 いや、思っていた以上に、 高校生の時に読まなくてよかった。 山田さんの小説は、どれも共通の価値観のもとに書かれているように思う。 それはたとえば、 「自然を装った石鹸の香りより、あからさまに男を誘う香水の方が健全だ」とか 「処女だって、男の体が欲しいと思うのは普通の事だ」とか たぶん、そういう事。 でもって、どういう女がかっこいいのかっていう事を、山田さんの小説は教えてくれる。 男の体と触れ合う事の素晴らしさを、教えてくれる。 体を思い切り使って恋をすることの楽しさを、教えてくれる。 私は、こんな小説を高校生の頃に読んだら、平静ではいられなかっただろう。 きっと、山田さんの小説の登場人物たちに憧れて、 でも、憧れるほどに現実の自分の情けなさが自覚され
ところで、非モテって何だ。 いくつかのブログでこの「非モテ」っていうのがテーマになってて読んだんだが、イマイチわからん。あ、「それはこういうことなんですよ!」って教えてくれないくていいですよ。>「非モテ」をよく知る人へ もちろん大体の定義とかそんなんはわかっていますので。 非モテって言葉は基本的に男性が使うみたいですね。 女にモテない男が自虐的に使う自称として。 それも「もー俺また彼女にフラれちゃったよー。あーあ、モテたいよー」 っていうのは非モテではなく、 「俺生まれてから30年間彼女なんていないどころかまだ童貞なんです」 こんなんじゃないと非モテと認められないみたい。基準が厳しいな。 そしてこれは私の所見なんだけど、 非モテ男の意見は、女に対して厳しい。 「女はブスでモテなくてもセックスしてくれる奴がいるからいいですよね。男でモテないとセックスは金で買うしかないんで
「一回ヤったくらいで彼女面するな」 ・・・とはこれいかに。ひどいセリフです。 「サイテー!」バチーン、と平手の100発くらい浴びせていいと思います。 しかしながら、「一回ヤっただけで彼女面」ができる女子というのは、ある程度自分に自信があるのではないだろうか。なぜならば、ブスでしかもそのことを過剰に自覚している女子は「一回ヤった」だけで彼女面なんて、そんな恐れ多い事はできないからだ。自分に自信がないから、体を求められただけで心まで求められたとは考えない。もし、心まで求められているのかも・・・と期待してその期待が破られたら、そんなのは辛すぎる。だから、彼女面なんてしない。「私はあなたの何なの?」なんて聞いたりしない。ただ、セックスを繰り返して、少なくとも体だけは求められているという事を確認するだけ。 どうしてブスでそのことを自覚する女はこんなにも卑屈になってしまうのか。 これならブス
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『妄想系乙女の末路』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く