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体力トレーニング
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1853年6月25日に米国の新聞「ニューヨーク・デイリー・トリビューン」に掲載されたカール・マルクスの新聞記事「イギリスのインド支配」の和訳(鈴木正四 訳)全文をコピペする。なお、英語の原文はネットですぐ見られる(The British rule in India)。 載せる理由やこの論文についてはここに書くと予断を与えるので、末に書きたい。ここでは簡単にすませる。 ■ 今日でブログ15年。愚ブログも今日で15年。初記事で、「昔、マルクスの『イギリスのインド支配』という記事を読んだことがあった」と書いた。その「イギリスのインド支配」の全文。 ■ この「イギリスのインド支配」は”西欧のもっとも露骨で恥知らずな植民地主義者の文章” [1] 的なものである。つまりは、スキャンダラスな文章ということ。 [1] 西川長夫、『国境の越え方』, 1992年 なお、この全文のうちスキャンダラスなくだりを別
先日、最後の元老・西園寺公望のひ孫が日本人最初?の紅衛兵ではないか?と記事をかいた。 愚記事: 「みんなありがとう」 ぼくは..。日本人最初?の紅衛兵、最後は孔子さまに到る、あるいは公望の成果 違うかもしれない。 1966-1967年、北京には150人の日本人紅衛兵がいた、というのだ。 びっくり。 日本人が外国で同じ日本人に集団暴行をはたらく ―こんなことがあってもいいのだろうか。北京のいまの異常なふんいきがこういった”国籍不明”の人間をつくりだしてしまうのかもしれないが、わたしはつくづく考え込んでしまった。 北京の”日本人紅衛兵”というのは、日共と中共の蜜月時代に留学した学生たちで、元日共幹部子弟も多いという。短くて二、三年、長いのになると十年近くいるものもある。日本とほとんど縁がきれてしまったような連中が、北京で生活しようとすれば、中国人とおなじようにしなければ生きていけない。百五十
-- 一九九三年の「政治改革」フィーバーのなかで誕生した総理大臣・細川護熙の母は温子(よしこ)といい、近衛文麿の次女であり、細川護貞に嫁いだ。この温子の結婚式の前夜の宴で、近衛文麿が、首相に就任する直前であったが、ヒットラーに扮した仮装をしてはしゃいだことはつとに有名な話であろう。一九三七年四月一五日の夕べであった。 近衛文麿についての戦後に定着した誤ったイメージ(虚像)からは、ヒットラーに仮装したことをいぶかしく思いがちであるが、近衛文麿は、”一国一党”、つまり複数政党の競争による政党政治を排して独裁政党の体制をもって国家の政治のあるべき理想と信じ全智全能を傾けた政治家であった。ヒットラーやスターリンこそ、近衛文麿が心から憧憬し範とした理想の政治家であった。-- 中川八洋、「大東亜戦争と『開戦責任』」 -- この仮装会の記念写真が、物好きなジャーナリストの手に渡って、新聞に載せられたとき
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