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昨日は西谷から三枚町まで歩きました。 途中聴いたのは1150年か1160年頃に生まれた ランボー・ド・ヴァケラスの作品である。 モンフェラのボニファスの家臣であったトルバドゥールで、 公に仕え、1202年の第4回十字軍に参加した人物のようだ。 32の詩のうち、8つには曲が付けられ、彼の作品として知られている。 その中でも有名な曲「五月の一日(Kalenda maya)」の作曲年代は分からない。 聴いたCDは、トマス・ビンクレー指揮、ルネサンス合奏団の演奏による。 北フランスからモンフェラの宮廷にやってきたジョングルールたちが、 エスタンピ(器楽曲)を演奏したのを聴いたランボー・ド・ヴァケラスが、 その旋律に歌詞をあてはめたものがこの曲だと伝えられている。 ビンクレー盤では弦楽器同士が対話するような掛け合いで始まる。 器楽曲が原曲であることを意識しての演奏だろうと思う。 歌が入り、弦楽器が奏
昨日は西谷から三枚町まで歩きました。 途中聴いたのは12世紀中頃活躍したジョフレ・リュデルの作品である。 彼の生涯についてはあまりわかってはいないが、 ブライアの君主として1147年第2回十字軍に参加したようである。 会ったこともないトリポリ伯夫人に思いを寄せて、 その夫人にあてた「遠い恋」を主題とする詩を多く残し、 夫人への愛を捧げるべく十字軍遠征に向かい、その途中病に罹り、 トリポリの港で夫人の腕の中で亡くなったとされる。 あまりにもできすぎたような話なので、真実は違うものかもしれない。 後世になってそのような美しい話にまとめられたのかもしれない。 「五月の季節は日も長く(Lanquan li jorn)」の 作曲年代については詳しいことは分からない。 聴いたCDは、ミヒャエル・ボッシュ主宰のアンサンブル・ユニコーン、 マルコ・アンブロジーニ主宰のアンサンブル・オニ・ウィタルスの演奏に
昨日は、片倉町から横浜駅まで歩きました。 途中聴いたのは、1822年生まれの別宮貞雄の作品。 交響曲第2番は、1975年から1977年にかけて作曲された。 初演は同年山田一雄指揮、NHK交響楽団によりFM放送で行われた。 その後1978年と2004年に改訂された。 聴いたCDは湯浅卓也指揮、アイルランド国立交響楽団の演奏による。 第一楽章アレグロ・リゾルートは、自由なソナタ形式で書かれている。 躍動感あふれる第一主題がユニゾンで示される。 弦楽器により第二主題が登場し、第三主題がフルートにより示され、 これはオーボエやクラリネットにより引き継がれる。 これが終わると第一主題を中心とした短い展開部に入り、 そして再現部に入り第一主題の順から奏されていき、 コーダでは強烈な感じのトッティで終わる。 第二楽章アダージョは、「リタニーのように」という副題が付いている。 弦楽器中心に弱々しく主題が奏
昨日は横浜から上星川駅まで歩きました。 昨日聴いたのは1928年生まれのラウタヴァーラの作品。 彼の略歴は交響曲編で以前触れたので省略する。 「カントゥス・アルティクス(北の歌)」は、 鳥たちと管弦楽のための協奏曲で、1972年に作曲された。 鳥の鳴き声を録音したテープと管弦楽の競演という 協奏曲としてはちょっと異質な、しかし意欲的な作品である。 今回聴いたCDの演奏はマックス・ポンマー指揮、 ライプチヒ放送交響楽団によるものである。 第一楽章湿地は、フルート独奏から始まり、 一定の音型を繰り返すうちに変化させ、 そこに鳥の声のテープが流れ出す。 やがて管楽器中心に鳥の声を模倣したような 短い音型が何度となく繰り返されていく。 そのあと雄大な自然を感じさせる音楽になり、 繁殖の時期を迎えた鳥たちのさえずりがテープで流れ、 鳥たちの楽園を思わせるような感じでもある。 最後はクラリネットが繰り
昨日は風がつよく吹き、雨のぱらつく天気だったので、 ウォーキングを休み、家でゆっくりくつろいでいました。 昨日聴いたのは1893年生まれのメリカントの作品。 彼は音楽家の父オスカル・メリカントの息子として生まれ、 1911年にヘルシンキで音楽を学んだ後、 1912年から1914年にかけてドイツに渡り、 ライプチヒ音楽院でマックス・レーガーに師事した。 その後はモスクワでセルゲイ・ワシレンコに師事した。 ヴァイオリン協奏曲第4番は1954年に作曲された。 今回聴いたCDの演奏はカイヤ・サーリケットゥのヴァイオリン、 デブリースト指揮、ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団による。 第一楽章アレグロは、時計の刻みのような音楽にあわせ、 フルートがそれにあわせて絡む幻想的な音楽に始まり、 ヴァイオリン独奏があわせて軽やかに旋律を奏していく。 民俗音楽的な旋律は、バルトークを感じさせるところもある。
昨日は三枚町から上星川駅まで歩きました。 途中聴いたのは1935年生まれのサッリネンの作品。 彼の略歴は交響曲編で触れたので省略する。 チェロ協奏曲作品44は1977年に完成した。 今回聴いたCDの演奏はアルト・ノラスのチェロ、オッコ・カム指揮の ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団によるものである。 第一楽章イン・モード・ヴァリアービレ~ クァジ・マルチャ・フネブレは、 短い管弦楽の導入に続き、独奏チェロが入る。 最初は独奏チェロが中心に活躍し、 管弦楽はそれにバックとしての色彩を加えていく。 やがてチェロと弦楽器のやりとりを経て、 最初にチェロで奏された音型はチェロと管弦楽によって 繰り返されながら、行進曲風に展開をしていく。 そして中間はゆったりとした叙情的な音楽となり、 やがて盛り上がりをみせるが再び室内楽的な音楽になる。 管弦楽は時を刻む時計のように一定の音型を繰り返していく。
昨日は三枚町から上星川駅まで歩きました。 途中聴いたのは1916年生まれのエングルンドの作品。 彼の略歴は交響曲編で以前触れたので省略する。 フルート協奏曲は1985年に作曲された作品である。 今回聴いたCDの演奏はミカエル・ヘラスヴォのフルート、 セーゲルスタム指揮のフィンランド放送交響楽団によるものである。 第一楽章リトルネッロ、アレグロ・モデラートは、 まるでお祭り騒ぎのような感じの激しい序奏に続き、 独奏フルートが入るが、これは高度な演奏技術が要求され、 演奏するにも気の抜けないような感じもする。 叙情性というよりもエネルギッシュな音楽であり、 チェンバロも入り、おやっと思わせるところがあり、 最後まで飽きさせることのない趣向の凝った楽章である。 第二楽章カンツォーナ、モデラートは、 メランコリックな感じで弦楽器と金管楽器で始まる。 独奏フルートが入り、前楽章と比べると内省的である
昨日は上星川駅から三枚町まで歩きました。 途中聴いたのは1921年生まれのコッコネンの作品。 フィンランドの作曲家である彼の略歴は、 交響曲編で触れたので省略する。 チェロ協奏曲は1969年に作曲された作品で、 彼が残した唯一の協奏曲のようである。 今回聴いたCDの演奏はアルト・ノラスのチェロ、フリーマン指揮、 ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団によるものである。 第一楽章モデラート-アレグロは、短い序奏に続き、 チェロ独奏が入り、ゆったりした内面的な感じの音楽で始まる。 小太鼓のリズムから始まる軽快な部分がそのあと続き、 やや軍隊的な雰囲気を漂わせて音楽は進行する。 やがて管弦楽全体で大きな盛り上がりを迎えると、 そのあとチェロのカデンツァの部分となり、 心の叫びとも言えるような旋律を 高度な演奏技術を駆使しながら展開していく。 そのあとは一気にコーダとなり盛り上がって終わる。 第二楽
昨日は上星川駅から三枚町まで歩きました。 途中聴いたのは1865年デンマーク生まれのニールセンの作品。 彼はフュン島のノーレ・リュンデルセに生まれ、 貧しい家庭に育ったが、幼い頃からヴァイオリンなどに親しみ、 コペンハーゲンの音楽院で本格的に音楽を学び、 その後王立劇場管弦楽団のヴァイオリン奏者として活動し、 楽長にも就任し、その現場での豊かな経験が、 彼の作曲にも大きな影響を及ぼしているのだろう。 クラリネット協奏曲は1928年に完成した作品で、 彼が残した最後の協奏曲で、単一楽章制の作品である。 今回聴いたCDの演奏はレルヴォ・コヨのクラリネット、 サラステ指揮、フィンランド放送交響楽団によるものである。 弦楽器で始まるその音楽は、対位法風に展開し、 クラリネットが加わり、室内楽風の曲調の中で、 最初からニールセンらしい音楽の世界が展開される。 クラリネットは高度な演奏技術を求められる
昨日は、飲み会だったのでウォーキングを休みました。 前日にCDを新星堂で大量に買ったのだが、 帰ってからそれをどこかに置き忘れたことに気づき、 その前日に飲んだ店に回り、CDを置き忘れてないかを聞いた。 するとどの店の人も持って帰りましたよとの返事。 もしかして相鉄線の電車の中に置き忘れたのかと思い、 忘れ物のコーナーに行って新星堂の袋に入ったCDのことを 尋ねてみると、奇跡的ではあるが、忘れ物として届いていた。 本当によかったなと思い、自分の失態を反省した。 さて帰ってからそのCDの中の一枚を聴いた。 1949年フィンランド生まれのカレヴィ・アホの作品である。 フィンランド南部の町フォルッサに3月9日生まれた彼は、 10歳の頃からヴァイオリンを習い、作曲も始め、 シベリウス音楽院でラウタヴァーラに作曲法を師事した。 卒業後1971年から1972年の間には、 ベルリンでボリス・ブラッハーに
昨日は、横浜から和田町まで歩きました。 途中聴いたのは1928年生まれのラウタヴァーラの作品。 ヘルシンキに10月9日生まれたフィンランドの作曲家である。 ヘルシンキ大学を卒業してからシベリウス音楽院で、 メリカントに師事したようである。 交響曲第8番「旅」は、1999年に作曲され、 2000年にサヴァリッシュの指揮で、 フィラデルフィア管弦楽団によって初演されている。 人生を旅にたとえているかのようなこの交響曲は、 全楽章を通じて壮大な感じのする音楽となっている。 第一楽章アダージョ・アッサイ-アンダンテ・アッサイは、 ゆったりと始まる音楽は情熱的でありながらも、 弦楽器と木管楽器を中心に、淡々と進行していく。 それは目的地のない旅のようでもある。 木管楽器は北欧的な世界を醸し出している。 第二楽章フェローチェ(荒々しく)は、短いスケルツォ楽章で、 打楽器と金管楽器が野性的で激しい音楽を
昨日は、横浜から星川駅まで歩きました。 途中聴いたのは1935年生まれのサッリネンの作品。 これも以前買っていたCDを一度も聴いてなかったので、 開封して初めて聴いてみたものである。 彼はサルミという地に生まれたフィンランドの作曲家で、 ヴァイオリンやピアノに若い頃から親しみ、作曲も学ぶようになり、 シベリウス音楽院で学び、その後はそこで教員を務めたようだ。 交響曲第4番作品49は、トゥルク市誕生750周年の式典にあわせ、 1979年に作曲されたことが、CDの解説に書かれている。 第一楽章アンダンテ・ポコ・ジョコーソは、 管楽器が奏する躍動的な音楽と、 弦楽器を中心とする神秘的な音楽が、 対照的に交互に登場し、その対比が面白い。 プロコフィエフを思わせるような快活な音楽である。 第二楽章「われらに平和を与えたまえ」は、 沈鬱な感じの旋律が弦楽器中心に奏され、 小太鼓のリズムに乗って不安を感
昨日は快晴の天気の中、二俣川から西谷駅まで歩きました。 途中聴いたのは1875年生まれのメラルティンの作品。 これも以前買っていた交響曲全集を開封して初めて聴いてみた。 彼はカキサルミという地に生まれたフィンランドの作曲家で、 1892年から1899年ヘルシンキでマルティン・ウェゲリウスに師事し、 1899年から1901年にはウィーンでロベルト・フックスに師事した。 ヘルシンキ音楽大学(のちのヘルシンキ音楽院)で教員として活動し、 ヘルシンキに移住してからは、デンマークのヴィボー管弦楽団の 指揮者として1908年から1911年にかけて活動したようだ。 マーラーの交響曲を指揮し、北欧の地域で紹介したのは、 彼が最初のようであることがCDの解説書に書かれている。 交響曲第3番ヘ長調作品40は、1906年から1907年に作曲された。 第一楽章アレグロ・モデラートの冒頭は、 神秘的な日の出を想像さ
昨日は雨の中、横浜から星川駅まで歩きました。 途中聴いたのは1916年生まれのエングルンドの作品。 彼はスウェーデンのゴットランド島東岸の リューガムに生まれたフィンランドの作曲家で、 シベリウス音楽院で、作曲をベングト・カールソンに師事した。 交響曲第1番「戦争交響曲」は1946年に作曲された。 7つの交響曲を残している彼の最初となるこの交響曲は、 第二次世界大戦における彼の従軍経験から、 この副題が付けられたようだが、 彼自身はこの副題を気に入っていないようだ。 第一楽章テンポ・ディ・マルチャ・マ・ポコ・ペサンテは、 シリアスな感じの雰囲気で始まるが、 それは小太鼓のリズムに乗り軍隊的でもある。 もう一つの主題は管楽器によって現れる抒情的な主題である。 その二つの主題をもとに展開される音楽は、 しっかりとした技法で書かれており、聴き手を飽きさせない。 ショスタコーヴィチの交響曲第7番な
昨日はウォーキングを休みました。 途中聴いたのは1944年生まれのセーゲルスタムの作品。 セーゲルスタムは現在指揮者として活躍し、有名である。 A NNNNOOOOOWWWは管楽器のための作品で、 1973年に作曲されている。 不思議な音楽体験を得ることのできる作品である。 北欧的な部分を感じさせるところもあるし、 動物たちの叫びを聴いているような感覚もあり、 この作品が、管楽器を使っているからか、 ストラヴィンスキーの作品を感じさせるところもあり、 しかし、彼独自の音楽の世界が作られており、 フィンランドの自然を感じさせるところもある。 管楽器でこんな音楽の世界を作れるんだというところがおもしろい。 電子音楽を管楽器でやったらどうなるか、 といったことを意識しているかはわからないが、 そんなことも想像させる不思議な音楽である。 きっと、演奏者からみると難曲なんだろうなあ。
昨日は西谷駅から二俣川まで歩きました。 途中聴いたのは1921年生まれのコッコネンの作品。 フィンランドの20世紀を代表する作曲家である彼は、 当時の音楽界の動きに合わせて、 作風を変化させていった人物である。 昨日聴いた弦楽四重奏曲第1番とピアノ三重奏曲は、 作曲年代に11年の開きがあるが、 その中でも作風は大きく変化している。 弦楽四重奏曲第1番は1959年に作曲された。 12音技法で書かれた彼にとって初めての作品のようだ。 3楽章からなる作品の第1楽章アレグロは、 12音技法を駆使した動きのある激しい音楽で、 ピッチカート奏法が効果的に使われている。 第2楽章アンダンテ・モルト・トランクィロは、 沈鬱な雰囲気で始まり、長い序奏のような音楽で、 これから始まる何かを感じさせる曲である。 第3楽章アレグロ・ノン・トロッポは、 第2楽章と比べると躍動感ある曲で、 旋律は対位法的な扱いにより
昨日は横浜から星川駅まで歩きました。 途中聴いたのは1927年生まれのバシュマコフの作品。 フィンランドの作曲家で指揮者であるレオニード・バシュマコフは、 カレリアのテリヨキ(現ゼレノゴルスク)生まれ。 ここは現在ロシア領でサンクト・ペテルブルクの郊外にある。 ソ連時代、フィンランド政府の傀儡政権である フィンランド民主共和国の首都と定められた場所である。 バシュマコフは、CDにある英文の解説によると、 ヘルシンキにあるシベリウス・アカデミーで学んだようだ。 1950年代の初めまで作曲のみならず、ピアノや指揮法も学び、 その当時作曲科の教授アーッレ・メリカントにも学んだ。 その後作曲家としての10年間の沈黙を破り、 1960年代から第二交響曲(1963-65)などを発表し、 管弦楽や室内楽の作品を次々と発表し、 作曲家としての地位を固めていったようである。 「フルートと打楽器のための4つの
昨日は星川駅から横浜まで歩きました。 横浜近辺の桜の木はだいぶ咲いており、 今週末には満開になりそうな感じである。 浅間町の公園の中の桜も半分以上開花しているようすである。 途中聴いたのは、アハティ・ソンニネンの「恋は通り過ぎていく」。 アハティ・ソンニネン(Ahti Sonninen)は 1914年生まれ1984年没のフィンランドの作曲家である。 「恋は通り過ぎていく(El Amor Pasa、過ぎ去った恋)」作品40は、 1953年に作曲された作品であり、ソプラノ、 フルートおよび室内管弦楽のための作品である。 フィンランドの管楽器音楽のCDの中におさめられている。 「恋は通り過ぎていく」は、4つの曲からなる。 CDの英文の解説によると、 この作品の作曲のきっかけは1953年の冬の時期に、 作曲者のソンニネンが女性の友人アンナ・コッコ-ザルクマンに ソロ・フルートが一緒に参加できるよう
昨日は星川駅から横浜まで歩きました。 途中聴いたのは、アーッレ・メリカントの「創世記」。 メリカントは1893年生まれのフィンランドの作曲家である。 彼が晩年の1956年に作曲した「創世記」は、 ソプラノ、合唱および管弦楽のための作品である。 肺癌におかされた彼の晩年は、 つらい毎日であったに違いない。 トイヴォ・リューという詩人の詩に曲をつけたこの曲は、 晩年の彼の胸中を表しているようにも思える。 宇宙のような浮遊した音楽は不思議な魅力を持ち、 ソプラノ独唱と合唱は美しい音楽をつくりだす。 歌詞には星が象徴的に扱われるが、 それは人生の中で出会った人であり、 小さな星は詩人が生んだ子どもを表しているようだ。 人ではないが、作曲家は多くの作品を生み出す。 それぞれの作品は、愛着を持ちつづけた、 自分の子どものようなものかもしれない。 それらとも別れを告げなければいけない。 そんな時期が彼の
昨日は夕食をとってからナイト・ウォーキング。 二俣川から緑園都市まで歩く。 日中は、暑いのでなかなか歩くのはきつい時期になっている。 途中聴いた曲は、ウーノ・クラミの管弦楽曲。 クラミは1900年生まれのフィンランドの作曲家で、 1920年代に登場した作曲家たちの世代に属し、 この中にはモダニストの代表的な作曲家メリカントもいる。 クラミは1930年代に創作力の頂点にあったようで、 主要な作品は1930年代から1940年代に作曲されている。 カレワラ組曲は、1933年から1941年にかけて作曲された。 第1曲「大地の創造」のダイナミックな曲調は、 ストラヴィンスキーやショスタコーヴィチっぽい。 第2曲「春の芽吹き」は、ゆったりとしたロマンティックな曲。 CDの解説者はストラヴィンスキーの「火の鳥」を想起させると 書いているが、ホルンの吹奏のところがそうなのだろうか。 第3曲「テルヘンニエミ
昨日は昼に二俣川から西谷まで歩いた。 炎天下だと暑いのだが、雲が出て太陽をさえぎったので、 ちょうどいいかと思い、歩いてみた。 途中聴いた曲は1916年生まれのエングルンドのエピニキア。 エングルンドは1916年生まれのフィンランドの作曲家である。 戦後のフィンランドは、新古典主義が主流にあり、 その新古典主義の音楽を守り続けたらしい。 世界では12音技法のモダニズムが流行したが、 その流れには乗らなかったようだ。 エピニキア(凱歌賛歌)は1947年に作曲した作品で、 緩-急-緩で構成された曲である。 最初から金管楽器を中心に英雄的な主題が現れるが、 それと対照的なフルートで奏される穏やかな主題が提示される。 もう一つの主題が金管で奏され、 曲はその複数の主題を中心に展開され、 小太鼓が叩くリズムと共に、徐々に激しさをましていく。 調性を保った、北欧の曲らしい雰囲気を持った聴き易い曲である
昨日は横浜から西谷まで歩いた。 最初鶴ヶ峰まで歩こうと思っていたのだが、 一日忙しく疲れもあったので、無理はしないことにした。 今日聴いた曲はコッコネンの交響曲第3番である。 コッコネンは1921年生まれのフィンランドの作曲家である。 彼は1940年代には新古典派主義的な作品を書いていたが、 1950年代後半からは12音音楽の作品を書くようになり、 1960年代後半からは「新調性主義」または 「自由調整主義」とよばれる作風へと転じていった。 その変遷の様子は、ストラヴィンスキーを思わせるものだが、 最後の「新調性主義」とよばれる作風が、 きっと彼が行き着いた個性的な到達点なのだろう。 交響曲第3番は1967年の作品で、現代的な作品である。 4楽章からなり、20分ほどの演奏時間がかかる作品である。 第1楽章を聴けば、軍楽的な響きの中に何か感じられるのは、 世界大戦の痕跡か戦後の地域紛争である
昨日は新たな挑戦をして、西谷から綱島まで歩いた。 西谷の梅の木の交差点を左に曲がり、 前回と同じく羽沢付近を通過し、 新幹線沿いに走る川を歩きつつ、 新横浜駅付近まで行き、 そのあと住宅街を抜けながら菊名の駅についた。 ただ、菊名付近の地理的な状況が分からず、 綱島街道がどこにあるかを探すのに時間がかかってしまった。 西谷から新横浜まではおよそ1時間、 新横浜から菊名まではおよそ30分。 そのあと2時間を目途としてどこまで歩けるかと思い、 綱島街道をひたすら綱島方面に向けて歩いた。 最終ゴールの目標は最初日吉に設定していたのだが、 菊名付近でのタイム・ロスもあったので、 一つ手前の綱島に目標を変更した。 ふだんは列車の中でしか見ない菊名から綱島の様子を、 その周囲を見ながら歩いてみるとまた違った発見がある。 菊名周辺は閑静な住宅街が広がっているが、 中に入ると密集し、道は入り組んでおり、ア
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