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買ってよかったもの
blog.livedoor.jp/bookcafefushin
2014年03月19日22:50 カテゴリ人物横浜 松本竣介の「Y市の橋」を見に行く 「竣介の橋」とまで言われた、松本俊介の「Y市の橋」周辺の風景はどう変わったのか? ちょっと気になって、横浜駅で途中下車してみた。 ついでに周辺の震災復興橋のいくつかを見てみよう。 いつも京急の車窓越しに見ている「万里橋」も気にかかる。 竣介の描く都会の風景は、そのほとんどが街の目立たない場末の風景だ。 多くの人が気づかない見捨てられたような埃っぽい風景が、竣介が描くことによって不思議な魅力を持って迫ってくる。 有名な建築物・ニコライ堂や国会議事堂を描いても、前方に組み合わされた新宿南口の陸橋や、聖橋の石積み、工場の煙突や街のうらぶれた風景の方がメインと思える。 墓碑かトタン屋根の工場に、橋のたもとの公衆トイレが教会のように思えてくる。 竣介の風景画の現場を追った記録が、洲之内徹「気まぐれ美術館」(新潮社・
2013年03月26日22:21 カテゴリ横浜人物 ヘボンの指路教会がある喜び 横浜の中心市街地に参詣人の多い寺や神社が一つもないのは、日本の街としてはちょっと異常なことではないか? 歴史の浅い海外の華僑の人たちの街(チャイナタウン)でさえ、関羽を祀る立派な関帝廟を街の中心に作り、参詣人が絶えない。 横浜中華街の関帝廟は大震災や戦火に焼かれても立派に再建され、四代目の関帝廟が信仰を集めている。 ところが横浜の商家たちの信仰をかなり集めていた加藤清正を祀る清正公でさえ、戦火に焼かれると、伊勢佐木町を離れ、久保山に移されてしまった。 今では清正公通りの名が残るだけだ。 横浜商人の結束力はほぼなくなったようだ。 たまらず、かどうかは知らないが、吉田家当主が小さなお堂を建てているのみだ。 しかしキリスト教信者たちの信仰は強い。 横浜の中心地に、歴史ある二つのプロテスタント教会が同じ地で今も活動して
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