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体力トレーニング
blog.livedoor.jp/koi_to_taikutsu
本日12月10日をもちましてわたくしも37才を迎えることができました。 思えば18で故郷を飛び出してきて音楽をやりはじめ、人生の半分以上をそれに費やしてきたことになります。 少しばかり仰々しい言い方ですが、はい、かっこつけて言うならばそういうことになります。 俺、この世に産まれてすぐ、初めてこの世界を目にした瞬間という、その光景を今でもはっきり覚えてて、 いや、こんな話すると長くなるからまた次回。少しばかりオカルトですが。 月並みですが感謝したいと思うのは、昭和52年12月の雪が舞い降る山形で、早朝6時に悶えながらやっとの思いで産んでくれた、峯田洋子、当時25才です。 お母さん本当にどうもありがとうございました。 銀杏BOYZを愛してくださる皆さま。 これを読んでくださっている皆さま。 37才の峯田も、なにとぞ宜しくお願いいたします。 来月ですが、1月15日に太田出版より銀杏BOYZ写真集
ただいま帰宅、さっきまで方南町の木本スタジオにてプロモーションビデオの編集だったー、んで、やっと一段落ついてお先に俺だけ失礼しますーつって、んで、今帰宅で、おおー、思えばこんな生活リズムが何ヵ月続いてるんだろー、って思ったら一気に力抜けそうでこわいこわい、つって寝間着に着替えつつ、でも今日は家に帰れただけでもまだマシか、ってゆう。 村井くんのUstream生放送、立派だったね、途中でちょっと電話で喋っちゃったけど、村井くんの気持ちがちゃんと見てた人たちにも伝わったんではないかなあって思うし、なにより、村井くんの笑った顔って素敵だなあーって見てて思った、つったらあれだけど、うん、こんな時にこんな事言うのも本当、あれなんだけど、これからもずっとずっと村井くんには笑っててほしいなあってさ、見てる途中に思ったんだ、うん、なんか恥ずかしいんだけどさ、でもそれはさ、今になって思うと、初めて村井くんをみ
12月もいよいよ真ん中で、 アルバム2枚の発売まであと1ヶ月、って考えるだけでうおおおおおおおおおおお心臓がばくばくしてくるね、こんな興奮なかなか味わえないからよく噛んで、しっかり噛んでから飲みこもうと思ってて、 で、今の俺は雑誌などの取材を受けたり、プロモーションビデオの編集をしたり、そんな毎日で、 そうそう、そんでCDジャケットの制作は先日、無事に終わることができたのね、 結果さ、結果9年ぶりのリリースになってしまったけど、アルバム2枚のタイトルは「光のなかに立っていてね」と「BEACH」っていうんだけど、「光のなかに立っていてね」の方はね、ブックレットが32ページもあってさ、32ページだよ?凄いね、うわあーだねマジで、 そのジャケット写真も含めて、写真家の川島小鳥くんの素敵な写真がいっぱいで、 小鳥くんとは銀杏の2007年に出たシングル「あいどんわなだい」から一緒に仕事できてるけど、
おめでとー! 僕も明後日誕生日です!横須賀かぼちゃ屋で対バンしましょう! アルバムあと一ヶ月ですね。楽しみです♪
先日、 といってももう結構時間が経ってしまったけれども、銀杏HP上でギタリストのチン中村とベーシストの安孫子真哉の銀杏BOYZ脱退のニュースが発表されました。 ふたりからの言葉も。 ありがたかった。 抜けてもなお、ファンの皆さまに感謝の気持ちを伝えようとしてるのが文章から滲みでていて、同じバンドメンバーだった身として、本当に、本当に心からふたりには感謝したい。 新しいアルバムの発売をあと1ヶ月後にひかえ、それに伴って取材も多く受けている日々だ。 やはり、インタビュアー諸氏はメンバー脱退の事については訊いてくる。当たり前だ。 ここ数年の間バンドになにが起こっていたのか。 どうして音源制作にここまで時間がかかってしまったのか。 うまく質問に答えられたかは自信ありません。 答えたくない、というより、答えられなくてよけてしまった所もあったかもなー。 自分でよくわかってる部分と、自分でもまだわかって
本日 9月11日。今は部屋でごろーんとなってる。テレビではパリやマルセイユの街並みを映している。時おり煙草の灰が扇風機の風に負けて、目に入ってくるのなんとかなんねーかな。 明日で終わる。いよいよ明日で全部終わる。予定。 長かったな。 んー 長かったのかな。いろいろありすぎて覚えてないや。 明日、ずいぶんのあいだ僕の生活を支配した「僕たちだけの時間」が終わっちゃう。 なんか残念。なんて贅沢。こんな感情にはいっつも名前がない。 ブイヤベースってどんな味?これ見てる人の町にはどんな景色がみえる?
『きみがきみのままなら、 いつだって僕はきみの味方 だよ』 おおきい月を見上げていますと、そんなふうに言われたみたいに聞こえて。 近くて、遠くって、ちかい。 誰かに似てる。 そうだよな。きみと僕だけは 僕を知ってるもんな。 ありがとう。☆
そんなもん、堤真一と松雪泰子が共演してる映画なんて、観ない方がおかしいじゃないか 新年、新居で3発目の映画鑑賞はフジテレビでやってた「容疑者Xの献身」でした。 ちなみに1発目は森達也監督の「A」を江口くんと。2発目は初心を忘れまいと「トレインスポッティング」を。 そしてなにはなくとも、わたくしは北村一輝という俳優がたまらなく好きなのだ。 まず第一に大学時代の友達であった笠井君という奴と顔が激似であること。 笠井君とは裸でお好み焼きを食うほど仲がよかったのだ。彼は生粋のBボーイであり、エロに対して真摯であり、ゆったことは守らない有言断行タイプで、だが許せちゃう人間で、バイト先のラーメン屋「いせやラーメン」で僕にたらふくタダ飯をごちそうしてくれたソウルフレンドなのだ。 笠井君は僕にファーサイドやハイエログリフィス一派の存在を教えてくれ、僕は彼にカーネーションやエレファントカシマシのCDを聴かせ
夕方、知らない電話番号から何回か着信があったのだ。 今までのパターンだと単なる間違い電話か、銀杏のファンの人だ。男だったりもするし女だったりもする。電話口で「死ね」って言われてガチャッと切れたり、ただ「はぁ…はぁ…はぁ、いくぅ!」と何かの行為をしているだけだったりする。 だからなるべく知らない番号はとらないようにしてる。 すると今度はメールが。 なんだか、見覚えのある懐かしいアドレスからだった。 メールを開くと、あの人からだった。 「先ほど何回か電話したんですが…」 僕は意を決して、さっきの番号の主に電話をかけた。 これを読んでいる方々へ。 あなたは、大好きだったかつての恋人と、長年の歳月を経て、再び会った経験はあるでしょうか。 胸が張り裂けるような思いです。 その人と僕は、もうかれこれ四年、会っていない。 僕の大事な大事なパートナーだった。 僕はその人に何度も何度も助けられ、何度も何度も
ちょうどこんな冬の入り口の日だったと思う。僕たち8人がお互い避けるようになり、やがて目もあわさなくなったのは。 あれ以来、僕は彼らと赤の他人になった。もう19年も会っていない。 いきなりだが。 「性」というものの不可思議さについて、きっちりとここで話そうと思う。 だが性への目覚めについては話すつもりはない。性に目覚めた瞬間のことはあまり覚えていないからだ。自覚的じゃなかった。気づいたら性に目覚めていた。これを読んでいる男性諸君と同じく、来る日も来る日もどっぷりだった。 (これから書く内容はもしかしたら、人によっては著しく気分を害される方もおられる恐れありますゆえ、そういう方はすみやかに携帯・デスクトップを閉じてくだされるがよろし) -リヴァプール編- まず、ことの始まりは1989年。小学六年生のときだ。 もうすでにずっぽりオナニーの仕方を体得していた峯田少年は、胸の奥から沸き上がるどうしよ
君は走ったことがあるか。 夏の朝、セミの鳴くあぜ道を。 港で待つ、白い帽子のあの子まで。 君は走ったことがあるか。 息を切らしながら。肺をつぶしながら。夏の果てまで。 僕はない。 まったくおぼえがない。 だけど「色即ぜねれいしょん」を読んだとき、僕はもしかして走ったことがあったかもしれないと錯覚した。 いや、でも僕の田舎は山ばかりで海なんてなかったし、好きな女の子には話しかけることもしなかったし、だからそんなかっこいい、切ない青春時代を送っていたわけがなかったはずだ。簡単に言うとなーんにもなかったんだから。思い返せばまっくろ。まっくろすぎてまっしろかった。 わかったぞ!僕はきっとあのとき走りたかったんだなー。 惚れた女のために力いっぱい走ってみたかったんだな。 みうらじゅんさんの書いた「色即ぜねれいしょん」は、僕のまっくろかった青春時代をやさしく肯定してくれた大切な本だ。田口トモロヲさんが
電話口からひさしぶりに聞いた君の声はおだやかで、だから少しホッとしたんだよ。 噂はただの噂であってほしかったけど、やっぱり君はもうやめるという。もう君の中では決まったことなんだ。 僕は、やめろやめろと言った。 君の気持ちは理解できるから、君の決めたことにも納得する。 君のバンドがとても好きだった。 君のバンドは死ぬが、生んだ音楽は永遠だ。 いつだったか、夏のさなかの午後に横になって見た、嘘くさい夢の続き。 呪われたように黄色い空に、水色の海が赤くみえた。まさか君もみていたのかなー。だって君のうたは転校生のようにきれいだった。 無理して笑うなよ。君は悲しくなんかないはず。考えてもみれば悲しかったことなんか一度だってない。ステレオの電源を切っても音楽はずっと鳴っている。 君はありがとなと言って電話を切った。だから僕も電話を切った。 最後の声は小さく、うつむいているみたいだっ
なにもない、退屈以外なにもない寒空に覆われた街にうまれ、 ある日音楽をみつけ、パンクをみつけ、そしてパンクに絶望した。 そんな少年たちが四人、集まった。 そして少年たちはバンドを組んだ。 やがて少年たちはメロディーを手にいれた。 イギリスのパンクバンド、MEGA CITY FOURのファーストアルバムが発売されたのが1989年。 僕がレコード屋でこの作品のアナログレコードと出会ったのは2001年の春先。 スタジオでの練習前に立ち寄った際の出来事だった。発見したときはあまりにも嬉しくて店内で叫びたかったほどだった。(毎日のように中古レコード屋に通いつめてお目当て品を探す方々にはわかって頂けるはず!) しかも僕が手にしたそれにはメンバー四人による直筆のサインまでも。 スタジオでは練習そっちのけでバンドメンバーに声高らかに自慢しているのを今でもおぼえてる。 MEGA CITY FOURのシンガー
woo 授業をサボって 陽の当たる場所にいたんだよ 寝ころんでたのさ 屋上で たばこのけむり とても青くて 内ポケットにいつも トランジスタ・ラジオ 彼女 教科書ひろげてるとき ホットなナンバー 空にとけてった ああ こんな気持 うまく言えたことがない ない ベイエリアから リバプールから このアンテナがキャッチしたナンバー 彼女 教科書ひろげてるとき ホットなメッセージ 空にとけてった 授業中 あくびしてたら 口がでっかくなっちまった 居眠りばかりしてたら もう 目が小さくなっちまった ああ こんな気持 うまく言えたことがない ない Ah 君の知らないメロディー 聞いたことのないヒット曲 Ah 君の知らないメロディー 聞いたことのないヒット曲 大学の図書館前のベンチに寝ころんで、この曲をウォークマンで聴いていた。 目の前には青い空にでっかな曇がかかり、キヨシローの声は授業開始のチャイムを
ロック好きのアナルチルドレンども、おはよう! かつて僕は不良に憧れた。まじで。 かつてといっても小学生の頃だけど。 僕の町では当時シンナーが蔓延していた。友達の家に遊びにいってファミコンでもしていると、そいつの親父が「おまえらこれでも吸っとけ」とシンナーをくれた。そんな町だった。 不良はいつもなにかに反抗しているようで、苛立っていて、目つきが鋭くとんがっていてかっこよかった。そして優しくもあった。 映画「ビーバップ・ハイスクール」を観て、TVドラマ「はいすくーる落書」を観て、山形新聞で何回も取り上げられた我が地元の中学校の校内暴力事件の記事をみて、僕も彼らのようになりたいと思った。 僕もいつか、必ず不良になろう! かたく誓った。 だがうまくいかなかった。 まず不良の第一条件、「怒り」が僕のなかに見当たらなかった。 家族の仲はそれなりによかったし、むかつくクラスメイトはいたけどそいつに喧嘩を
あさって、30日の深夜、TBS「ニュース23」に銀杏ボーイズが出演することになった。バンドを始めて10年。テレビに生出演して演奏するのは初めてのことになる。 昨日、中野のルノアールでの打ち合わせの際、担当の方からこう訊かれた。 「どうして今までテレビに出なかったんですか? そして、どうして私たちの番組には出てくれるのですか?」 僕はすぐに答えた。「出演依頼がなかったからです。ニュース23に出演しようと思ったのは、ニュース23から依頼が来たからです」 担当の方は驚いてらっしゃった。簡単なことだ。そう、それぐらい簡単なことなんだ。 かつて一度だけ、GOING STEADYの頃だったけど、テレビに出たことがある。22歳のときだった。忘れもしない、2000年だから今からもう七年前になるのかー、「星に願いを/BABY BABY」というシングルが出た時だったなー。 タレントの優香さんが進行を務めるtv
1995年 あの時の山形市立商業高校 3年1組の生徒40人なら、きっとおぼえているはずだ。 ある寒い朝、国語の授業中だったかな、数学だったかなー。静かな教室の戸がトントンとノックされて、ガラガラッと入ってきたのは学年主任のおじいちゃん先生、高島だった。 教室内にいる全員なにごとかと高島先生に注目していると、高島先生はなにやら誰かをキョロキョロと探しているようで、僕と目があうと 「峯田、ちょっと話があるので廊下に出なさい」と言った。 僕は教科書をたたんで(開いていたか怪しいもんだけど)、教室を出た。暗いクリーム色した廊下で、高島先生は僕に おじいさんが倒れたと家の方から連絡が入ったからすぐに病院に行ってみなさいと告げた。 おじいちゃんが、もうすぐなんだろうなぁとはなんとなくわかっていた。一年前におばあちゃんが死んでからというもの、もう別人みたくなっちゃって、元気がなくなっていたから。気が抜け
事務所あてに一通のメールが届いていた。 「Y君」。 見覚えのある名前。そう。僕は彼とあの日会っている。 1997年夏。そっか、もうちょうど今から十年前になるのかー。僕とY君は高田馬場で会った。 フジロックフェスティバルの第一回目が開催された年。大好きだったグリーンデイもウィーザーも日本に来た。「ぴあ」を見ると、なんとグリーンデイがフジロック出演前日に都内の小規模のライブハウスでシークレットライブを行うという告知がいきなりでていた。当時、大学一年の僕は千葉に住んでいて、その町のショッピングモール内にあるチケットぴあはいつも誰も並んでいなくて、倍率の高い入手困難なイベントであっても朝6時から入り口前に座っていればたいがいチケットがとれるという穴場だった。 そして、僕は高田馬場AREAで行われるグリーンデイのシークレットワンマンライブのチケットを無事、入手することに成功した。「お一人様一枚まで」
ああ、終わった。久しぶりの仙台でのライブが終わった。 ゼップ仙台といえば、2年前の銀杏BOYZ世界ツアー、その最終日の会場がゼップ仙台だったんだ。そっかー。そうだよなー。ほんとは東京が最後の予定だったんだけど、僕が骨折したり入院したりして大幅にツアーの日程が狂ってしまったんだ。 そっかー。あれからもう2年たつのか。あれから本当にいろいろあったなー。このblogに書けないことや大きな声では言えないこと。ほんとに些細なこと。ずっと前の僕だったらありのままの全部をここに書こうとしていたはず。うん、きっとそう。書いてたはず。 いつのまにか、どうしたことか書けなくなってしまった。理由は、理由は、たぶんいろいろあると思う。僕が僕の理屈でもってこのblogを僕の携帯から打ってる以上、僕は真実を語れない。どうしても発信源である僕の主観にかたよった物語を書いてしまう。本当に起こったことを書いたとしても(まあ
今日の月もとってもきれいだったなー。 正真正銘の満月じゃないんだ。少しだけ形のズレた丸の形。紙に手書きで円を書いた時のような、ぶかっこうな月。 青山でみたんだ。 青山ブックセンター本店での「恋と退屈」発売記念サイン会。午後3時から始まって、終わって撤収して帰る時にはもう夜7時過ぎだった。ゲストで銀杏BOYZメンバー全員が来てくれて「峯田、発売記念、おめでとう!」って壇上でケーキをもらった。嬉しくてチン君の顔にケーキ塗りたくっちゃった。最後に僕はまだ治らない鼻づまりな声のまんま「朝立ち」という新曲を歌った。 二日前は新宿の紀伊国屋書店、昨日は立川のオリオン書房でサイン会をした。集まってくれた皆さま、どうもありがとうございました。なかなかお客さん一人一人と向かい合ってじっくりとお話しをする機会なんてなかったから、とても貴重な体験だったよ。 僕の目の前に来たお客さんは、びしびし僕に向けて質問を投
明日、新曲「生きたい」歌います。 新しいTシャツもかっこいいのが出来ました。 よかったらスーパーアリーナに観にきてください。
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