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blog.livedoor.jp/situmusitu0884
2010年01月13日01:19 カテゴリ戯言 見る者、見られる者。 なんかいい感じに動けているな、話せているな、ってときの自分は、大抵何にも考えていない。 ダメなことするときも、同じ。 自分を自分の意志で操作できるようにしておくのは、基本的にいいことです。 けど、それでは自分の能力を最大限に発揮できないのも、また確か。 無意識と意識、二重の制限をかけているわけだからね。 その代わり、能力は安定する。 やはり多くの場面で求められるのはこちらの自分なのです。 特に意識しない素の言動がその人の力量を表す。 以前そんなようなことを書きましたが、この考えは今も変わりません。 そして、それでいくと、短い言葉に凝縮することでしかいい言葉を書けない自分は、その程度の力量である、ということでもあります。 長文、特に小説になってくると、どうしても素の部分でいい部分といい部分を繋げていかなくちゃならないからね
2006年02月24日14:22 カテゴリ詮無きこと 文章は楽しいよ? 書きたいように書けない人は、読む事から始めればいい 書きたいように書けなくても、まず書いてみよう どちらも興味深い記事です。 「書けない」人に送る指針。 色々考えさせられますね。執事の場合。 最初から「書ける」子でした。 自分で言うのもなんですが、知的好奇心が強かったのでしょうね。 文学全集や雑学本を好き好んで読んでました。 また小賢しい子だったので、皆が読書感想文にてこずっていると見るや、感想文を二種類作り絵のうまい子と物々交換したりしてました。 故に「書けない」事で悩んだ記憶は薄いです。 むしろ、他人はなんでこんなに書けないのか、読み取れないのかと歯がゆい思いすらしていました。 そんな人間が書き方について語るのも何ですが、まぁいいでしょう。 執事は、パクればいいと思います。 文章というのは、詰まる所文字をつないだも
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