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大谷翔平
cinemania.hatenadiary.jp
・最も成功をおさめたアニメ監督の一人がオリジナルの『カウボーイビバップ』の作者として知られる渡辺信一郎だ。その長く波乱に満ちたキャリアについて話を聞く機会を得た事は、私にとってまたとない喜びだった。 ・もとから映画づくりに興味を持っていた渡辺がアニメに目を向けたのは若い頃だったと話す。 私は京都の生まれですが、都会ではなく北部の山間部に住んでいました。綾部市と言ってとても田舎なのです。僻地でしたから都会的なものはろくにありませんでした。私は野山で遊ぶ野生児みたいなものでした。何しろ実家の近くにはバスの路線も店舗もありません。テレビは見ていたけど、それよりは自然の中で遊んでばかりいました。 映画やアニメを見るようになったのは中学校に通い始めてからです。そして、だんだんと自分でも作ってみたいという気持ちになってきました。実写にもアニメにも同じくらい興味がありましたから、高校を卒業する頃には、ど
2016年に77歳で亡くなった映画監督マイケル・チミノは、生涯にわずか7本の長編作品しか残さなかった。デビュー作『サンダーボルト』を経て第2作『ディア・ハンター』でアカデミー賞・作品賞、監督賞など5部門を受賞し、早くもキャリアの頂点に立ったチミノは、続く第3作『天国の門』で製作費を大幅に超過し、批評、興行両面で大惨敗を喫したことで、以後ハリウッドのメインストリームに返り咲くことはなかった。イタリア人プロデューサーのディノ・デ・ラウレンティスの元で『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』 『シシリアン』『逃亡者』の3作を撮ったがヒットには恵まれず、遺作となった『心の指紋』はわずか23館での公開で、2万ドルの興収に終わった。人生最期の20年間、彼は短編1本をのぞいて映画を撮ることができなかった。しかし晩年においても映画への情熱を持ち続けていた。 1974年、監督第1作となるクリント・イーストウッド主演『
人気監督の山田尚子が英国を訪れるのは、この10月が初めてではありませんでした。2012年に開催された「スコットランド・ラブズ・アニメ」のゲストとして『映画けいおん!』の上映会に登壇しているのです。偶然ですが、この映画もロンドンが舞台で、愛らしい軽音部の面々が日本から英国へとやってきました。 それから10年後、山田は再び「スコットランド・ラブズ・アニメ」のゲストとなりました。盛況だったQ&Aで、監督は英国でのかつての体験を懐かしそうに語ってくれました。例えば、スコットランド人はネッシーが存在しないという話を好まないこと、ハイドパークにある郵便箱のような容器は実は犬用であること、マーマイトはあまり美味しくなかったこと。最後の点については、観客の大半は彼女に賛同していました。 しかし、山田はノスタルジーのために海を渡って来たわけではありません。サイエンスSARUで制作した17分の短編『Garde
待望されていたNetflixの実写版『カウボーイビバップ』の公開によって、1998年のオリジナルシリーズへの注目が再び集まっており、日本のアニメがメインストリームにおいて文化的な浸透を果たしつつある事が改めて鮮明になった。 アメリカでのアニメ人気は今に始まったことではないが――『NARUTO』『美少女戦士セーラームーン』『ドラゴンボール』などのクラシックはその一例にすぎない――メディアによって、その土台を強化しつつあることは論じるまでもないだろう。『僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ワールド ヒーローズ』や『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』といったフランチャイズ映画の大ヒットは、アメリカの観客の関心が飛躍的に高まっている事を示している。さらに、メーガン・ザ・スタリオンのようなセレブも日本文化への愛を表明している。今年のハロウィンに限っても『ユーフォリア/EUPHORIA』のハンター
映画『キューティーズ!』の二つのアートワーク『キューティーズ!』というささやかなフランス映画が、大きな騒動の真っ直中にある。監督のマイモウナ・ドゥクレは、セネガル系フランス人で、本作は彼女の長編映画デビュー作にあたる。 映画の主人公は、11歳の少女アミで、ドゥクレ監督と同じく、イスラム教徒でセネガル人の両親を持ち、パリに住んでいる。彼女は抑圧的な家庭環境から逃れるように、同世代の少女たちのダンスチームに入るが、そこでも人間関係の軋轢や、好奇の目に悩まされることになる。映画は、女性蔑視的な社会構造や、メディアによる性的なイメージの氾濫にも批判的であり、爽快なダンススポーツ物や前向きな自己実現の物語を期待した観客は裏切られることだろう。 『キューティーズ!』は、今年2020年1月に、アメリカのサンダンス映画祭で初上映された。古くは、コーエン兄弟から、クェンティン・タランティーノ、トッド・ヘイン
今回も前置きは抜きにして始めるが、小野寺系なる人の映画評なるものは本当に酷い。正直ここまで駄目だとは思わなかった。例えば、『ニンジャ・バットマン』に関する雑文である。本人はTwitterで「原作コミックやノーラン版映画との比較を通し、内包するテーマを考察します*1」などと宣伝していたが、まるでそんな文章になっていない。中身を少しだけ見てみよう。 フランク・ミラーなど、複数のアーティストによってシリーズが存続し、進化していくなかで、凶悪犯罪の狂気と戦うバットマンが、じつは狂気を持ったヴィランたちを反射する鏡像的な存在であるということも描かれた。『バットマン:アーカム・アサイラム』では、もはやサイコロジカル・ホラーとして描かれているように、読者をも狂気のなかに引き込んでいくという、コミックの限界を探るように奥深い地点へとフォーカスしていく作品も出てきた。 https://realsound.j
小野寺系という方が、ご自分のツイッターで当ブログの過去記事*1に関してデマを流していたので、主に事実関係についての訂正をごく簡単にしておきます。 小野寺系 on Twitter: "そもそも『インビクタス』をいま絶賛することでメディアが得をすることなんてないですよ。また、記事に出てくるキネ旬の選考方式についても、そこで書いてる荻野氏や私が分かってないで言ってるわけないでしょ。各媒体の特性や業界の内情をよく知らないから、こんな不自然な推量の批判になってしまう。" そもそも『インビクタス』をいま絶賛することでメディアが得をすることなんてないですよ。また、記事に出てくるキネ旬の選考方式についても、そこで書いてる荻野氏や私が分かってないで言ってるわけないでしょ。各媒体の特性や業界の内情をよく知らないから、こんな不自然な推量の批判になってしまう 小野寺系は、嘘をついていますが、『インビクタス』を絶賛
荻野洋一のコラム「『リチャード・ジュエル』が誘う終わりのない問い イーストウッドの“悪意”を受け考えるべきこと」を読んだ。批判の内容そのものにも、あまり感心しなかったのであるが、それはおいおい語るとして、それ以前に困ったのは、冒頭の以下のような部分である。 (……)ところが、ここ日本ではイーストウッド映画は無抵抗に支持されすぎた感がある。参考として『キネマ旬報』の年間ベストテンを例に取ると、1993年に『許されざる者』が1位を獲得したのを契機として、軒並みベストテンの上位を飾り、日本で最も人気のある映画監督のひとりとなった。『マディソン郡の橋』3位、『スペース カウボーイ』1位、『ミスティック・リバー』1位、『ミリオンダラー・ベイビー』1位、『父親たちの星条旗』1位、『硫黄島からの手紙』2位、『グラン・トリノ』1位、『チェンジリング』3位、『 インビクタス/負けざる者たち』2位、『ヒア ア
特に前置きもなく始めるが、まず、最初に気になった点。本書には出典の表記が見当たらないのである。 最近、幻冬舎から歴史書という触れ込みで出版された『日本国紀』が、他の文献やウェブからの多数の転載があるにもかかわらず参照元の表記がない点で、厳しい批判を受けている。てらさわホークも、著者のことをTwitterで何度か批判していたようだ。しかし、この『究極批評』という書籍もまた、同様の欠陥を抱えているわけである。いや、これはただの「映画エッセイ」なのだから、そこまで厳密にする必要はない、ということなのかもしれない。しかし、それならば「批評」という言葉を安易に使っては欲しくない。また、単なる雑文集と割り切って読むにしても、参考文献の記載すら無いというのは、さすがに困ってしまう(ちなみに、この本には膨大な欄外註があるので、スペースの都合という理由ではなさそうだ) 具体例をひとつ上げてみよう。本書では、
とあるインタビューを読んだ。 https://www.sbbit.jp/article/cont1/36447 まず、冒頭部分の「映画・音楽ジャーナリストでアメコミ映画にも詳しい宇野維正氏にぶつけてみた」というくだりで、ひどく驚いた。この人が、これまでアメコミについて書いたり話したりしてきたことは、おおむね変な内容だと考えていたので、世間ではいつの間にそんなことになっていたのかと、正直、戸惑ったのだ。それで、つい目を通してしまったわけだが、案の定、間違いだらけの記事だった。もちろん、映画というのは、基本誰がどのように語っても良いものではあるとはいえ、正しくない知識を前提に語っても意味はないし、第一それは単なるデマである。以下、気になった点の中から、いくつかピックアップしてみる。 「中国や韓国で日本に比べてMCUが好調なのは、事実上、両国がリアルタイムでその始まりから共有できたはじめてのグロ
◯ターニング・ポイントの設定 ーー『インフィニティ・ウォー』と『エンドゲーム』において、大きな出来事を、どのように配置していったのでしょうか。 クリストファー・マーカス:最大のポイントは、スナップ(指パッチン)ですね。『IW』の最後にやっておかないといけないと、私たちは早い段階で気付いていました。もし、映画の中であまりにも早く起こしてしまい、宇宙の半分を殺したあとで30分もだらだらと話を続けることになったら、ちょっと盛り上がりに欠けるでしょうから。 スティーヴン・マクフィリー:もう一つのターニングポイントは、みんなが戻ってくるところです。問題は、それを『EG』の早い段階で起こすか、後回しにするかです。チェス盤に残っている駒は初代アベンジャーズ(キャプテン・アメリカ、アイアンマン、ソー、ハルク、ブラック・ウィドウ、ホークアイ)たちで、彼らはちゃんとした扱いをしよう。それは、他の連中を連れ戻す
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