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雑記『何で人を殺してはいけないのですか?』という質問をする子供と、それに答えられない大人、という例がセンセーショナルに引かれ、それに対して道徳の崩壊云々を言う似非保守さんや、それに対して、頭ごなしに道徳を強調するのではなく、もっと理性的に人道をとくべきとするリベラルさんが新聞やテレビなどで論戦したのは、もう一昔も前のことになったのだろうか。さて、上のような質問だが、人を殺すことがどんな時でもいけないことであるということを強調する社会でないと、なかなか上のような疑問の形を取ることはないのだろうな、と思う。実際は、人間の社会は人殺しを完全に否定はしていない。どの社会も、条件付で人殺しを肯定している。例は、戦争、死刑、殺害に対する報復、中絶、間引き、障害児殺し、姥捨て山などである。要はそれを認めてもその集団の秩序維持(構成員多数の利益と観念されるものや、支配者の利益)に支障がなければ、ましてそれ
イスラームハサン・イブン・アリー・イブン・アビー・ターリブは、アリー・イブン・アビー・ターリブの長男で、現代のシーア派では2代目のイマームとして崇敬されている人物である。またスンナ派の一部も、彼を第5代の正統カリフとしている。シーア派といえば、ウマイヤ朝第2代カリフ、ヤズィード・イブン・ムアーウィアの派遣した大軍相手に百騎に足らぬ軍勢で戦いを挑み、絶望的な戦死を遂げた、悲劇の第3代イマーム、フサイン・イブン・アリー・イブン・アビー・ターリブが有名で、彼を追悼するアーシューラーはシーア派を象徴する行事だ。後世フサインはその最後ゆえに美化され、不義の支配者の前に圧倒的な世俗の暴力をものともせず立ち向かった偉大な英雄としてシーア派から崇敬されている。イラン・イスラーム革命でも(自分はその結果としての今のイランには批判的だが)、フサインの事跡は篤く追慕され、模範とされた。しかし、絶望的/悲劇的/英
雑記, 性ギャルゲー・エロゲー文化が本当に地上に沸いて出てくるとは思わないが、しかし実際の性秩序にも(社会の公的でのオス優位よりはメス優位の面も多々あるとはいえ)微妙にこういう傾向が透けて出てくるんだよね。妄想は確かに妄想で安易に現実に混ぜ込むのは危険だが、しかしそういう妄想を抱くってことは、そういう欲望があるということだし、妄想の糧は現実で、妄想を抱くのは現実に生きている動物としての人間なのだから、必ずしも現実とすっぱり切り離せるわけでもない。実際にそれにある程度まで近い状態は歴史上経験したオスが数万匹以上もいるし、状況が許せばあわよくばと狙うオスはそれ以上に多いだろう。無論あんな極端な形ではないけどね。そうである以上、前の記事のような極端なギャルゲー・エロゲー文化(一つ一つのゲームはそこまで極端でない以上、この妄想のレベルで考えても極論)という極度にデフォルメされた形(たいていの男はそ
雑記, 性 主人公の男にだけ無限の性の自由が与えられて、ヒロインの女は全員若くって美人で、従順で貞淑でしかも性に忌避観を持たずエロくって、処女でしかもそのことを理由にセックスを嫌がったり、責任とって結婚してとか、結婚まで純潔とかいったりせず、主人公の求めがあれば従順に求めてくるままにすぐ股を開き、それ以外の男には絶対にセックスさせず、避妊なんて要求しないし、どんな体位でもセックスし、子供が出来ても主人公の男の命ずるまま従順に罪悪感抜きで中絶間引きするなり、母性豊かに育ててくれて、いずれにせよ男に面倒を持ち込まない、ヤリマンと純潔馬鹿女、ライフ女とチョイス女のいいとこどりをした女の子。 これこそがギャルゲーやエロゲーの中の性文化のエッセンス。かつていかなる保守的な男尊女卑の社会すらも地上で達成できなかった、イスラームのフーリー天国をしのぐ男の楽園。しかもそれを現実世界ではどんな文化社会であれ
雑記, 進化心理学 進化心理学で言う人間本性は、確かに普遍的であり、文化やイデオロギーを剥ぎ取った一つの人間に関する『真実』であろうが、あくまで平均値、平均パターンとして馴らされたものに過ぎず、個々の個体にとっては、其の個体の先天因子と、それが後天環境によって適応していった結果こそ、自らの本性だ。それが進化心理学で言う人間本性のパターンから外れていても、それは其の個体からすれば、『関係ない』のだ。 たとえば、生物学的基盤に従えば、おそらくほとんどの人間個体は、『完全な異性愛者』か、異性愛を基本としつつも、(刑務所などでセックスが制限されているなどの)状況に応じて、(典型的な)異性っぽさをある程度持つ同性個体*1への性行為も行いうる、『異性愛中心で、その延長としての同性愛も多少行う両性愛者』になるはずだ。そして歴史を紐解いてみても、『文化』の題目による介入*2で差分は少なからず生じているもの
社会 今のところ、『戦争とは結局、盛大な人の殺し合い』『先進国の(中層上層以上)市民は死なず、死ぬのは第一に現地人、次に軍人のみ』『軍とは、結局任務の達成のために、人殺しを必須とする組織であり、「一般人」は(個々人の主張はどうあれ現実としては)その「人殺し」組織を「必要不可欠」なものとして受け入れる、その制度の枠中で日常生活をしてきた』ということに関して、真正のエゴイズムと想他之心に基づいた鋭敏な感覚を持ち*1、且つ『現実主義』でない政治や軍事の現実を見て、とりあえずは自衛隊と軍事力を容認した上で、戦争を仕掛けず、仕掛けられず、戦争に巻き込まれないようコントロールしていく専守防衛派が一番マシだと思う。自分は今のところこの立場だ。 そして理想突っ走り過ぎと言うべき(即時)完全平和主義者や非武装中立派が二番目にくる。具体的には九条の会など。理想には賛同するが、今猶現実に国家が林立し、それぞれに
イスラーム, 差別, ウヨ 『アイシャの日記』*1というブログがあって、そこのブログ主は、イスラム教徒のパキスタン人男性と結婚して、宗教と伝統の名を借りた、その暴力と暴圧に日々苦しめられている。 そして、ブログ主は、ムスリムも含めた外国人を犯罪者予備軍とみなす、排外主義的な考えに染まってしまった。その辺は、2009年代の記事を見ればわかるだろう。 それだけでなく、コメント欄にも、彼女のような事例は、『日本の侘び寂び、人情、思いやり、気遣いといった美しい文化』と、それと対比される『日本に入り込もうとしている卑劣な、汚い、何を考えているのか分からないモンスターとしての外国人』との戦いの一例なのだと語るネットウヨが沸いている。そこには、皇国日本の侵略責任に関して、否認主義を取り、韓国人・朝鮮人をゴミクズ扱いする言説をとく人間もいる。そして、ブログ主も、それに対しておおむね寛容だ*2。 確かに、パ
雑記, 社会 別に軍オタを否定するつもりもないし、人の嗜好や内面までも拘束する世界なんて何と無残で残酷で悪であろうと思う。また、軍オタだろうと戦史オタだろうと、何事も知識を持つことは有益だ。 ただ、馬上からの現実のみを見て、それを理解している自分を『思想やイデオロギーなんて馬鹿らしいものから離れて現実を直視している一皮剥けた大人』だと錯覚し、馬の下や軍靴の下からの現実というものに想像力をいたさず、平和主義者を唯『平和ボケ(笑』と嘲る連中に関しては、非常に事実理解と認識の面で問題だと考えるし、不愉快である。これを書いている筆者が、完全平和主義者では(今の所)なく、専守防衛権のみなら認める立場であるにも関わらず、だ。 実際は『民主主義』プロパガンダがある自称『先進国』だろうと、人間のほとんどは馬上にたって『国家』『国益』を差配する立場になることなど出来ない『ムシケラ』であって、馬上からの現実な
性, 道徳, 雑記 人間として自然極まりない欲求である、セックスと恋愛*1を存分に楽しめて、且つ胎児殺しや子殺しの危険を高確率で避けれる*2という点で、同性愛は、正直自分のように同性愛が感覚的に理解できない人間でも、そのすばらしさが理屈では十分理解できるものだし、もっと広まるべきだとも思う。同性愛者が迫害されるなんて、馬鹿げているし、彼女たち・彼らには、異性愛者同様に、自由に己の性と愛と恋を遂げる機会が与えられるべきだ。 ・・・いや、正直に言えば、自分は感覚的に同性愛がまったく理解できないわけではないのだ。実は、メス同士の同性愛だったら、それほど感覚的抵抗もなく見れる*3。だが、オス同士だった場合、やはりどうしても感覚的には違和感が強く出る*4。自分自身が、異性愛者オスなので、オス同士の同性愛だと、自分にひきつけて捉えてしまうからだろう。 そういえば、『女の子のからだは水で出来てる。男のか
毒吐き まず、『今の基準』というのが、『今自分が属する社会のプロパガンダ的な社会規範』であり、それをもって『昔の価値観』、すなわち『昔の人が所属している社会のプロパガンダ的な社会規範』を批判してはいけないというのは、自己の社会のプロパガンダ的社会規範の持つ暴力性に無頓着なまま、天空の高みから別の社会のプロパガンダ的な社会規範の暴力性を断罪しているという点で、確かに批判されるべきである。 しかし、自分がこの世界に、唯一個有意思のものとして存することを自覚し、自己の属する社会の社会的プロパガンダをも冷徹に突き放して見れる人間個体が、己の中の情動、欲望、感性、理性、感覚、論理、善・悪感、倫、すべてをひっくるめた、その個体自身の見解を以って、自己の属する社会の社会的プロパガンダ同様に、過去の社会の、社会的プロパガンダを批判し、そこで踏みにじられている存在がいることを指摘した場合、それを『昔の価値観
雑記, 歴史認識 正直なところ、大日本帝国史における歴史認識問題や、現代日本の差別問題、歴史教育の問題等に限れば、自分を『中立』『中道』と位置づける人の中で、本当に中立的である人は、少なくとも自分がネット上で接した限りでは、非常に少なかった*1。そのことについて、なんとなく考えたことを書き散らしてみる。 さて、大日本帝国史における対外戦争や植民地統治、戦争犯罪、民族問題や、それを引きずる現代日本国の問題に関して、『中立』という立場がもしあるのであれば、それは歴史学において、全うな学者ならほぼ全員が同意するような基本的通説となっている大日本帝国史の蛮行を認め、そのような出来事を繰り返さないことを願い、被害者と事実に誠実に向き合う立場だろうと、自分は考える。 まずは通説となっている歴史的事項から見ていこう。以下に箇条書きにしてみる。明治以来敗戦までの大日本帝国の歴史において、他国・他地域を軍事
イスラーム, 道徳, 性去年から、イスラーム世界の児童性的虐待に関するニュースが、webで発信されるようになってきた。 イエメンでは、8歳の少女が父親の借金のかたに結婚させられ、DVを振るわれ、セックスをさせられた挙句、裁判所に訴えでて、何とか離婚することが許された。イエメンの裁判所、8歳の少女の離婚を認める(http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2378883/2837848)強制結婚させられた8歳の少女、離婚が成立(http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2425220/3176062)イエメンでは、婚姻の最低年齢を規定する法が存在しないと、上の記事では述べられている。 モロッコでは、高名なイスラーム法学者*1で、サラフィー主義者*2のムハンマド・アル
雑記, 歴史認識, 差別, ウヨ 少し前の話になってしまったが、NHKが、日本帝国主義の植民地統治下の台湾で、日本の植民地支配を受けた世代の老人の対日観を通じて、台湾植民地統治が、当時の日本にとってどのようなものであったか、台湾を当時の日本がどのようにみなしていたかを取り上げた番組を製作し、否認主義者、『美しく無垢な僕たち日本人』という物語に浸りたい人たちから、非常な反発と憎悪を向けられた。 インタヴューを受けた柯徳三氏は、日本植民地支配に対して『良いところ悪いところ半々』という感想を吐露しており、またNHKの番組は『日本人なのに日本統治の悪いところだけ流した』『NHKは中国共産党の手先か?』ということもいっている。無論、彼の証言は貴重なものだが、われわれは彼の何の根拠もない陰謀論や、『日本人なら日本統治のよい面もたくさん流すはず』というような俗論に惑わされる必要はない。そして、彼の証言の
雑記, 道徳 いつか胎児殺し・子殺しの問題について本格的にエントリーを書きたいな、と思っているので、自分の頭の整理のためにちょっとしたメモを書く。とりあえず、胎児殺しについてとりうる立場を、自分なりに4つに分類し、あわせて自分の立場についても簡潔に記しておく。保守(男性優位)かつ胎児殺し賛成・容認・・・もっとも古く、ホモ・サピエンス社会で真に『伝統的』といえる考え。この場合、胎児殺しの最終決定権は、親族(父系、母系、双系を問わない)の家長たるオスにある。少なくとも400年前までは、どの文化・文明でも、プロパガンダ的社会規範はともかくとして、現実の人々の行動を律する社会規範としては、これが通用していたと考えられる。21世紀初頭現在、クリステンダムではこの立場を公的に唱える人間はまずいないとされるが*1、少なくとも日本では、この立場を表に出して発言する人士も少なくない。保守(男性優位)かつ胎児
言語学, 差別 『ヴァーチャル日本語役割語の謎』(金水敏著、2003年、岩波書店)という社会言語学の本がある。 この本で筆者は、近代日本の小説や漫画、ゲームなどの創作媒体において、共通日本語(大日本帝国では文章での公用語は漢文訓読体の古典日本語であったが、口語では東京方言を基盤とした共通日本語が公用語であった。日本国では、無論文語口語共に、首都圏方言を基盤とする共通日本語が、公用語である)から離れた言葉が、ある特定のステレオタイプをもった階層、民族、職種に属する登場人物の発話に使われ、その人物の性格や物語上の役割を、ステレオタイプを利用して簡潔に印象付けるという現象、『役割語』について紹介すると共に、そのような『役割語』を割り振られた人物は、創作媒体を利用する者が自己同一化を行う主人公(ヒーロー、ヒロイン)にはなりにくいような仕組みが存在していると述べている*1。そしてそれは、近代国民国家
差別, ウヨhttp://d.hatena.ne.jp/dj19/20090408dj19氏の記事を見て問題を知り、当該動画をYoutubeにて観了する。詳細は、自分にて確かめるべし。http://www.youtube.com/watch?v=twIFPj2RpbMそもそも、維新政党新風自体が、民族差別と、大日本帝国の侵略政策の否定・隠蔽を掲げる政党である以上、その一員である当該弁士が、『大嫌いだから、大っ嫌いなんだよ。この日本から叩き出してやるよ、え、ゴミが!チョーセンジン!』といったところで、何も不思議はない。むしろ、彼がそのように言わないことのほうがおかしい。また、此処で挙げられている『薄汚い裏社会の住人で、暴力的なチョーセンジン』というイメージも、戦前の日本植民地支配以来、おなじみのもので、特に目新しいものでもないし、当たり屋的なやり口もチンピラ街宣ウヨなら、言ってしまえば『普通
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