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d.hatena.ne.jp/matsukazuto
▲二人羽織に興じるブロガー2011年ももう終わりです。今年は震災があり、震災と関係ない時間はだいたい研究をしていたので旅行に行ったりとかはあんまり出来ない一年でした。来年こそは…と思わなくもないですが、来年は博士論文の提出を目指していることもあり、今年以上に時間が取れないだろうと予想しています。でも、その分ネットでの活動はそれなりに充実しており、アウトプットはあんまりなかったですが精神的な面でだいぶ助けられたな〜という気もしています。今年一年、ありがとうございました。そろそろ更新しないとせっかく有料オプション使ってるのがもったいないのと、はてなブログというサービスが登場したのでダイアリーの方を何とか盛り上げたいという気持ちから、今日は2011年を振り返るという企画を行いたいと思います。今年はほとんど何もやってないこともあり、振り返ってみたらホントに何も無くて驚いたので、一部捏造も交えつつ2
作り話, まじめな話皆さんコンニチハ.ご存じのとおりぼくは現在24歳でピチピチのヤングメンなのですが,ある日鏡を見たら,前髪の生え際が明らかに後退していることに気づきました.なぜ後退しているのが分かったのかというと,オデコの中段やや上部に,2本だけ生き残っている毛(ペンペン草)を発見したからです.以前は少なくともそのペンペン草が生えているあたりまでは前髪が存在していたはずであり,現在の毛髪ラインのはるか前方に位置する過去の毛髪ラインを見てぼくはショックを受けたのです.このままではデコヒロシとか変なあだ名をつけられてしまう…そのショックでさらに毛髪が抜けてしまうことが懸念されますが,懸念するだけで何も行動を起こさないのは良くないと思い,ぼくはすぐに育毛剤を購入しました.しかしいざ育毛剤の前に正座して考えてみたら,これを使って大丈夫なんだろうか…と使用をためらう気持ちが優勢になってしまったので
その1 その2(未完成)
熱帯魚, まじめな話はじめにぼくは幼稚園に入る前くらいの記憶というのはあんまり残っていないのですが,さすがにその頃の記憶のなかでも毎日ルーチンとして取り組んでいたものは覚えています.ぼくは毎日,母が勤務先の病院から月に一度大量に貰ってくるA3くらいの紙に,魚の絵を描いていたのでした.海のなかの景色だったり,自宅で飼ってた金魚水槽の絵だったりと,その時によって描く対象はさまざまだったのですが,とにかく魚と水生環境を描いていました.…ぼくの人生は,その時に決まっていたのかもしれません.シーズンになれば釣りに興じていますし,そしてついに,今年から熱帯魚を飼い始めました.アクアリウム始めました!−俺は魚だ,と言ってみるテストぼくはこのエントリで,熱帯魚を飼い始めたことを宣言し,また一家に一アクアリウム計画をぶち上げたのですが,その後「うちでもアクアリウム立ち上げました!」とか「matsukazut
建築, 作り話, 日記世界RC梁載荷選手権が開催されました!今回は過去最多,190の国と地域から各国代表が出場し,大陸毎の厳しい予選を勝ち抜いた猛者たちがここ仙台に集結しています!その激戦の様子を,写真のピントが合ってないの残念な感じではありますが,特別に皆さんにご紹介しようと思います!ちなみにRCとは,鉄筋コンクリートのことです!〜大会概要〜参加者には,150gのセメントと2mの針金が与えられる使用材料は,セメント・水・砂・針金のみそれを使って長さ40cmの梁をつくり,中央に荷重をかける一番強かった梁を作った人が優勝以上のルールに従って,参加者の人々が一か月前から製作した梁をぶっ壊し,優勝者を決定します! こちらが加力装置です!二つの支点間の距離は前述のとおり40cmで,この上に梁を乗せ,上から加力します!製作中の様子は,こちらに書いてありますのでご覧ください!それでは…出場選手の入場で
作り話ぼくが中学2年の頃の話です.ぼくの通っていた中学校は結構荒れている感じで,ちょうど氣志團みたいな格好の人が10人ぐらいいて,その人たちの下には30人ぐらいの予備軍みたいな人たちがいて,さらにその下には5〜60人ぐらいのスポーティ・ヤンキー予備軍みたいな人たちがいて,というヤンキー・ヒエラルキーみたいなものがあり,生徒の格づけというかジャンルわけをするのにかなり用いられた指標であったように思います.ヒエラルキーというだけあって,この辺のヤンキー度が高い人たちは低い人たちを時にはいじめたり,時にはアゴでこき使ったり,かなりやりたい放題でした.やはり中学生ですからこの辺のヤンキー度というのはモテ度とかなりの相関があり,その辺が自信や優越感みたいなものの裏づけになっていたんだと思います.ぼくはこのヤンキー・ヒエラルキーで一番下,最下層に居ました.知的,品行方正,エレガンス,そして弱小軟式テニ
マンガ唐突ですけど,去年の終わりぐらいから積極的にマンガを読んでいこうと思っていて,というのは特に理由とかはなくて,しいて言えば気分がのってきたからなんですけど,とにかく最近はマンガをよく読んでいます.で,感想はブログにアップしてキーワードからのアクセスをガンガン稼ぐぞ!と思ったんですけど,例えば湯けむりスナイパーが素晴らしいからと言って,いきなり説明を始めていったら当然ついてこれない人が出てくるわけなので,ある程度冊数がたまったらまとめて書くようにします.さらに,ぼくは1〜2巻買ってダメそうならブックオフ行き,良かったら集める,という何だか怒られてしまいそうな買い方をしていることもあり,常に最新刊まで揃えているわけではないので,現在読んでいる巻までの感想という風になってしまいます.以上を踏まえた上で,少し感想を書いていきますよ.感想はかなり適当なので,アマゾンレビューやWikipedia
作り話世界的な金融危機のなか就職活動に励むぼくは,2008年の暮れ,ある企業に履歴書兼エントリーシートを出した.希望順位としてはさほど高くなかったのが,面接とかエントリーシートの練習になるだろうとか舐めたことを考えての応募だった.エントリーシートは二枚ある.一枚目は住所,氏名,年齢,性別,高校以降の学校歴…そんなもんは誰にでも書けるのでさっさと書いた.但し,ペン先に力を込めて.一枚目をめくり,二枚目の紙の「志望動機,特技,資格」などと書かれた下の巨大な空欄部分を見る.こここそがぼくの就職活動のはじまりである.これは志望動機にかこつけて自己PRを書くのだ,などと抜かすアホウがいたが,言われた通りにした.自己PR.ブログやソーシャルブックマークなどといったツールを使って毎日自分をインターネット界にアッピールしているぼくの得意分野である.大きく深呼吸して,ブログやブクマコメや卒論の100倍は推敲
作り話たぶんバイアグラっていう薬が一般的になってきたのってぼくが中一くらいのころ,1998年くらいだったと思う.ぼくのその当時のバイアグラに関する知識といえば,何かよくわからない変な薬である,という程度しかなかったんだけど,その時の担任の先生が朝の学級会かなんかで「きょうは風邪引いて薬飲んできたんだよ〜」と言ったときに,ひょうきん者のぼくは「バイアグラですか?」と言って笑いを取ろうとしたのだった.ぼくの意気揚々とした発言の直後になぜか皆黙ってしまったから,ぼくは「すべった!」と思って,先生のフォローを期待してすがるような視線を送ったんだけど,先生は鬼のような形相でこっちを睨んでいた.そのあとクラスメートの前で一時間くらい説教されて,ぼくは何とかその場を治めたかったからとにかく何度も謝ったんだけど,実際その時は何を怒られているのか,何で謝ってるのかわからなかった.しばらくして,何と言われても
建築, 作り話, 作りもの日本には伊東豊雄という建築家がいるのですが,その人が表参道につくった「TOD's表参道ビル」という建物があります.↑TOD's表参道ビルぼくはこの建物,とてもカッコイイと思うのですが,カッコイイと思うだけでは進歩がない.気鋭の先進的建築家のぼくは,実際にこれを作ってみようと思いました.現在,うちの大学で全宇宙コンクリートビーム(梁)選手権*1 *2が開催中なので,自分達で型枠を製作し,選手権で余ったセメントを分けてもらい,TOD's表参道ビルの立面を製作しました.長辺を40cmに固定し,東西南北で4面ある立面を展開して1面にまとめたものを製作します.型枠型枠はスチレンボードという,発泡スチロールに紙が貼り付けてあるような板と,アクリル板で製作します.しかし,貧乏学生で奨学金という名の借金があり,クレジットカードの支払も大変であるぼくは,アクリル板を買えなかったので
作り話仙台ではこの前の金曜日から,毎年恒例の「光のページェント」というイベントが開催されていて,仙台市中心部のケヤキ並木は60万個もの電球がともされ,「朝青龍は既に終わった力士」という発言で有名な内舘さんの言葉を借りれば「まるで山火事のような」様相を呈している.誰かの頭もまるで山火事のようだ.ぼくが初めて光のページェントをみたのは多分,小学校1年の頃だったと思う.家族みんなで電車に乗って仙台にやってきて,あまりの人の多さとものすごい寒さにげんなりしながらも,ぼくの両手には父と母の温かい手のぬくもりが感じられたのを思い出す.ぼくにとっての光のページェントは,家族の温もりを思い出すことができる年に一度の大切なイベントなのだ.とくにぼくが母と祖父との間の子だということがわかってからは,温かかった家族のぬくもりはまるで寒空の下の公園のベンチのように冷え切ってしまったのだった. そんな家族をかろうじ
本むかし,CHACHAというグループに所属している勝俣というタレントの人が,お昼の番組で唐突に「男はシャワーでおしっこするんですよ」と言ったことがある.出演者はその発言の唐突さと反応のしずらさに態度を決めかねている様子で,カッチャンの発言のあとには気持ち悪い感じの間が発生したのだった.非難の態度を取るべきか,あるいは元アイドルの不可解な行為への興味を示すべきか,「実はわたしも…」とカミングアウトすべきか,観客も含めて全員が態度を決めかねている様子で,方向性の定まらない,不穏な感じになったのを覚えている.驚いたのは,番組の司会を担当しているサングラスの男の人がそのCHACHAの人の発言に対してひとこと「そうだよ」と言ったとたん,男性はそれに同意,女性はそれを非難,というふうに方向性が統一され,一気にトークの機動性が回復したのを見た時だった.ぼくはこの一部始終を観て,「このサングラスの男…!す
作り話, 思ったこと*1ぼくは鉛筆の持ちかたがなっていない.普通は中指の第一関節あたりの側面と,人差し指と親指の腹で支持するのが正しい持ち方らしいのだが,ぼくにはどうもコレが馴染まなかったらしく薬指の第一関節と第二関節の間の部分と,あとは中指で丸め込むようにして安定化させている.↑こんな感じでこの持ち方は当然,親や教育者から散々なバッシングを受けることになった.とくに小学校時代は酷かった.先生:そんな持ち方はダメだ好きな女の子:カッコワルーイ父親:お前,俺の子供じゃないくせに…等等,中には衝撃的な事実を含むものもあったのだが,ぼくは「この方が書きやすいから」などと面倒くささに適当な理由をつけて,頑として譲らなかった.とにかく何度も何度もしつこく言われ続けてきたので,素直じゃなかったぼくは反発せざるを得なかったんだと思う. 他県ではどうなのか全く知らないけれど,宮城県の小学校では毎年1月に書
作り話電車に揺られてはてなアンテナというサービスをチェックしていたら,自分のダイアリが90番目ぐらいになっているのを見つけた.そろそろ更新したいなー,「リアルとネットの接点」とかいう話をでっち上げてでもいいからなどと考えていたら,南仙台という駅で大学生と思しき男女が乗ってきてぼくの目の前の吊革につかまった.男のほうは秋らしくジャケットを着ていて,中にはカラフルなボーダーのTシャツ,下は何かピチピチの緑のズボンをはいていた.いやパンツをはいていた.女の方はかなりぼく好みの感じだったから詳しく書くのは恥ずかしい.そしたらなんか男のほうが,「ねえねえ,ミクシー知ってる?ゆうちゃんもやってるよね?」などと女の方に話しかけた.ぼくはフムフム,ゆうちゃんっていうのねこの子は.でかした男よ.などと思っていた.「うん,やってるけど」ゆうちゃんは,うえーこの状況でマイミク申請来たら断れないじゃん!って思って
日記, 思ったこと暑いピークは過ぎたようにも思えるけど,夏はまだまだ暑い.チキューオンダンカとか言われているし,特に都会とかだと,ヒートアイランド現象とかナントカで,96度とか信じられない暑さになっている.ちなみに96度はカ氏の温度で,セ氏で言うと35℃くらい.カ氏で言った方が暑そうにみえると思って… とにかくまあ,なんか暑さ対策をしないといけない.そこでぼくは,新たな温暖化対策(事後対策.簡単に言えば暑さ対策なんだけど,大げさに言った方がカッコイイと思って…)を考え,実行している.それは何か霧吹き.これを一個持ち歩けば,暑くたってぜんぜん平気.ぼくのは安いやつだけど,例えばこんなちょっとオシャレ目なやつも売っている.使い方具体的には,このように使う.歩いてるとき,暑くなってきたらシュッとひと吹きするだけ.効果1めちゃめちゃ気持ちいい.そして涼しい.霧吹きでシュッシュすると,体や服に水滴が
作り話「カズ,お前に話さなければならない事がある」庭にある小さな池の前にしゃがみこみ,鯉を眺めている8歳のぼくにおじいちゃんは言った.おじいちゃんは自衛隊に所属していたころは戦場に出たことはないものの,その正確無比な射撃能力からデス・マシーンと呼ばれていたほどの人間だ.「すまん,やっぱりなんでもない」そのおじいちゃんが躊躇う様子にぼくは困惑したが,勇気を出して教えを乞うことにした.「なーにーおじいちゃん,教えてよ!」おじいちゃんはぼくから目を逸らし,自分の足元に目を遣った.そして目線をそのままに,蚊の羽音のような小さい声でこう呟いた.「じつは…おまえは母さんとおじいちゃんの子供なんだよ」よく聞き取れなかった.でも自分にとって恐ろしいことなんだと本能的に悟ったぼくは,それ以上聞くのをやめた. しばらくおじいちゃんに背を向けて,ぼくはじぶんの足を上ってくる蟻を眺めていた.こんなに元気のないおじ
思ったことぼくが通っていた中学校は,一学年に240人くらいいる,いち地方都市の中核校だった.その半数以上が地元の高校に進学する.ぼくの年もそうで,やはり地元の,というか中学の隣にある高校なんだけど,そこに半数以上が進学した.ぼくは中学卒業後に隣の隣の隣の市にある学校に進学して,自宅から毎日電車で通学した.大学も大学院も通学にさほど不自由の無い場所にあるので,今でも自宅から通学している.時刻表はこんな感じだけど…こんな風に中途半端なかたちで23歳になった今も地元に住んでいるぼくには,最近不思議に思っていることがある.240人もいたはずの同級生が,どこにもいないのだ.たぶん去年までは休日に地元の大きな本屋に行けば,知った顔の2つや3つを見つけることは容易だったはずなんだけど,それが今年に入って,全く無くなった.試しに地元で最も多くの人が集まるヨークベニマルにも行ってみたが,だれもいなかった.こ
作り話ぼくは昔からおじいちゃんが大好きで、つまりはおじいちゃん子だった。ぼくのおじいちゃんはぼくの家から1kmはなれたところに住んでいて、いつでもぼくの味方をしてくれるし、お菓子を山ほど買ってくれるしで、両親が共働きだったこともあり毎日のように遊びに行っていた。おじいちゃんは元自衛隊員で、ぼくが遊びに行くと訓練で銃をぶっぱなした話とか、実はお前は俺とお前の母さんの子だとか興味深い話をいくつもしてくれた。 そんなナイスなおじいちゃんは、朝散歩に行くのが日課で、今思うとボケてただけなんだろうけど、散歩の過程で河原とかから色々なものを拾ってきてはぼくに与えてくれた。パンクして捨てられたのだろう、ふにゃふにゃのサッカーボールや薄汚れて動かなくなった時計など、ほんとうにたくさんのものを拾ってきてはぼくに与えてくれた。 拾ってきたものはほとんどぼくにくれたのだけど、中にはおじいちゃんが拾ってきては大事
思ったこと, 作り話小学校のころ,つまりぼくにまだ可愛げがあったころなんだけど,友人の山下君の家に遊びにいった.山下君の家は父親が開業医をやっていることからもわかるようにとても裕福で,3時には美人の若奥様がいつもケーキを出してくれたこともあって,ぼくは毎日のように遊びにいっていた.この山下君という人は実につまらない人だったけど,買ってもらったものをぼくに自慢するためによく家に招待してくれた. ある日,約束の時間に山下君の家に行ったら,まだ山下君が帰ってなかったので,美人の若奥様にリビングで待つように言われた(このとき,生まれた初めてリビングという言葉を聞いたとおもう).美人の若奥様はいつものようにケーキを出してくれ,ぼくの話−学校であった楽しかったことや,山下君が実におもしろい大切な友人であるということ−を聞いて,とても嬉しそうだった. しばらくして,二人の間に沈黙が訪れた.気まずさから逃
日記, 作りもの先日書いた官能小説のタイトルについてのエントリの中で,肉系のタイトルの本がやけにおいしそうだったので,そのなかの「新妻借金肉地獄」という料理を作ってみることにしました.作者に敬意を払ってアマゾンのリンクを貼っておくので買ったらいいよ!新妻借金肉地獄 (フランス書院文庫 1548)作者: 雨宮慶出版社/メーカー: フランス書院発売日: 2008/01/23メディア: 文庫材料材料のチョイスは,この料理の全てと言ってもいいほどなので,慎重に行いました. まずは,「新妻」です.新物のメークイン.これって,単に新妻なだけじゃなくて,クインというぐらいだから,気品も兼ね備えていそうですね. 続いて,順番が前後するけど「肉」です.原作(?)の小説では「このメス豚めが!」とか出てきそうなので豚肉を選びました! 次は「借金」です.借金から連想される食材ってなかなかないですよね.借金…金…ゴ
思ったこと, 日記, 本今日駅で時間つぶそうと思って駅の本屋でプラプラしてたんだけど,そしたら数冊の官能小説の並びが目に留まった(自分からすすんで見に行ったわけではないんですよ!).その後,純粋な興味から,いろいろ調べたものをレポートします〜の…息子の嫁カフェの未亡人未亡人の火照り隣の若妻僕の叔母叔母の別荘A+の+B,AかBには「叔母」「未亡人」「嫁」「若妻」などの女性のプロフィールというか立場を端的に表す言葉が入るという図式に則ったタイトルが多いのが面白かった.ほかにはきっと「家庭教師」とか「OL」とかが入るんだろうな.ジューシーな肉感で,いろいろ調べていくうちに,どうも「肉」系とでもカテゴライズして手厚く保護すべき秀逸なタイトルがいくつもあることを(初めて!)知った.ざっと調べただけでも新妻借金肉地獄肉蝕の生贄麗奴の肉祭悦肉記白き媚肉に羞恥の縄を18歳・肉酔継母・真希子恥辱の肉儀式肉刑
自宅にパトカーがやってきたので 日記, 作りもの, 作り話 ぼくも年貢の納め時か…,と最後の一服を楽しんだ. 心当たりはないのだが,きっと自分ではわからないところで罪を犯してきたのだろう. 逮捕暦. この肩書だけは得たくないと思っていたが,もう逃げられない. ぼくは机に突っ伏した. そうすると,ふと結婚する幼なじみのむっちゃんの顔が思い出された. そうだ,むっちゃんのウエディングドレス姿だけは拝んでおきたい.しかし,それも叶いそうにないな….今のうちに,お祝いのメールを送っておこう. 途中までメールを打って,やっぱりやめておこうと思った.前科者からの祝福なんて,むっちゃんの新しい門出に相応しくない.ぼくはもう一生日の当たるところに出てきてはいけないのだ. そう思うとなんだか悲しかった.でもそれは自業自得だ. ぼくは罪を犯し,その罰を受けるのだ.心当たりはないけど. パトカーに乗ったぼくは,
日記, 作り話桜舞い散る春の日差しの下でサチコを見つけたとき,ぼくはサチコが,ぼくの生涯の伴侶となるのだと直感的に思った.そして結果的にそれは正しかった. その日,その瞬間から,ぼくとサチコの共同生活がはじまったのだった.ぼくはサチコを見ているだけで心が安らいだし,奔放なサチコを見ていると,なんだか自分の悩みが馬鹿らしく思えた.その奔放さからかサチコはかなりのワガママで,自分の好物以外は絶対に口にしないという偏食ぶりだった.サチコがうちに来てから,ぼくはサチコのために毎日掃除をするようになった.掃除をするとサチコが喜んだからだ.サチコもそんなぼくを信頼してくれていたと思っていた. ぼくとサチコは,全てを見せ合えた.たった一週間の共同生活だったけど,ぼくはサチコが脱糞するところすら見せてもらった. 今日,サチコが死んだ.サチコはどうやら病気を患っていたようだ.ぼくは全て知った気になっていたけ
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