サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
ノーベル賞
desaixjp.blog.fc2.com
大学という組織がイデオロギー戦争の舞台と化しているのが問題なのは、キャンセルカルチャーを通じて研究内容そのものまで悪影響が及ぶ可能性があるからだ。特に仕事にありつくことが最優先事項となっている若い研究者ほど、大学当局のイデオロギー的スタンスに同調し、結果として研究内容がおかしくなる可能性がある。実際にこちらで紹介した人類学関連の研究や、こちらで取り上げた考古学研究など、変な現代的価値観が入り込んだせいで妙なことになっている研究がちょくちょく見受けられるようになっている。 困ったことにこの現象は、私が比較的詳しい歴史学の世界でも生じているようだ。The End of Historyというエントリーで紹介されている事例もその1つ。まずそこで出てくるのは、14世紀半ばの黒死病で亡くなり埋葬されたロンドンの人骨を調べたところ、黒人女性の比率が18.4%と白人(8.3%)より高かった、という研究だ。
米国のアカデミアが極端にリベラル寄りになっているという話はこれまでも述べてきたが、そうした事態は大学をエリート内における政治的闘争の場と変えているようだ。その一例と言えそうなのが、こちらなどでも紹介しているCoyneのblogにあるエントリーだ。Conor Friedersdorf (and Alexander Barvinok) on ideological coercion in American collegesというそのエントリーでは、大学で起きている事象についてある記事を取っ掛かりに話をしている。 その記事とはThe Atlanticに載っているWhy This Math Professor Objects to Diversity Statementsというもの(CoyneによればAtlanticはwokeなメディアだが、この記事の書き手はリベラルではあっても進歩主義ではないと
とても面白い論文(ディスカッション・ペーパー)を見たので紹介しておこう。Beasts of Burden, Trade, and Hierarchy: The Long Shadow of Domesticationというヤツで、家畜化された動物の中でも駄獣(荷役用の動物)の存在が複雑な社会を作り上げるうえで大きな影響力を持っていたという主張を各種データに基づいて記した論文だ。ジャレド・ダイアモンドが「銃・病原菌・鉄」の中で現代に至る大陸間格差の原因として家畜化された大型動物の有無について言及しているが、この論文はその主張を新しい切り口で裏付けようとした試みと言える。 論文では、家畜化がしやすく、なおかつ物資の運搬に向いた動物の有無が、古代の長距離交易路や初期の社会階層と密接に関連し、複雑な社会の成立にとって重要だったと主張している。いや、そういった古代の文明だけでなく、産業革命前の民族グ
Turchinがウクライナ戦争について書いている3つめのエントリー、War in Ukraine III: an Interim Assessmentの中で、彼は(前回も紹介した)米国による両軍の損害推計を紹介している。ただしその前に彼は「公的ソースは信用できない」と述べ、ウクライナ及びロシア双方の発言の食い違いっぷりを紹介し、さらに米国内でもロシアよりウクライナの損害が多いと主張している「少数の元軍人や元情報機関関係者」がいることを紹介。米国によるウクライナの死者推計が2万人に対して、そうした見解を持っている人物による20万~25万人という説に触れるなど、米国の推計がいかにも当てにならないかのように文章を進めている。 そのうえで、直接の情報以外を使って数字を推計する標識再捕獲法という生態学で使用される手法があると紹介。「熱心な反プーチン・メディア」「匿名の親ロシア・リソース」「Noah
TurchinのEnd Timesだが、日本語の書評も出てきた。書評・概説:ピーター・ターチン「END TIMES」クリオダイナミクスで米国の危機を乗り越えるための具体的な処方箋というやつで、出版から5日後に書かれているあたり、かなりのハイペースで読み終わったもよう。書評者によると「数式もグラフも出てこない」点が読みやすさにつながっていたようだ。もちろん読み物として面白いのもあるそうで、Ultrasocietyの際にも書いたが彼は一般向けにレトリックを効かせた文章を書くこともできると考えていいんだろう。 Turchinの主張内容については書評自体を読んでもらうとして、書評者はかなり入門者向けの本であると感じたようだ。「最初の一冊」として勧めているくらいだから、本当に読みやすいのだろう。逆に正確さとか詳細さは犠牲にされているようで、Amazonでは早速「これは科学ではない」と噛みついた書評も
マルクスが記した「一八世紀の秘密外交史」読了。前にこちらで言及した通り、この本はロシアに専制がもたらされた起源について、そして自身が生きた19世紀半ばにおけるロシアの持つ問題点についてマルクスが述べた文章を中心にまとめたもの、なんだが、実のところマルクス自身が書いた文章以外も含めたかなり重層的な構造をした本である。改めて言うまでもないが、ロシアのウクライナ侵攻があったからこのタイミングで再度出版されたのだろう。 マルクスのオリジナルは英文で、Secret Diplomatic History of the Eighteenth Centuryという題名で1899年に出版されている(ただし内容的には微妙に違っている)。さらに1981年にドイツで出版されたものに収録された歴史家ウィットフォーゲルの序を入れ、そして最後に翻訳にかかわった日本の研究者2人がそれぞれ解説とあとがきを記している、という
フレイザーの金枝篇に出てくる類感呪術について前に少し触れたことがある。彼は人間が呪術から宗教、科学へと思考法を進化させていったという考えを示し、そのうち呪術的な発想として類感呪術や感染呪術といったものがあると指摘している。そうした彼の主張の妥当性について調べたとも取れる論文を見つけたので紹介しよう。Magic, Religion, and Science: Secularization Trends and Continued Coexistenceがそれで、現代のアメリカ人を対象に調査を行い、呪術的思考をもたらす要因に関する3つの理論のうちどれが妥当性が高いかを調査したものだ。 フレイザーの唱えた説はここでは「単線的進化/世俗化理論」とされている。人間社会が進化する過程で、人々の思考方法は最初は類似や感染という発想に基づく呪術的思考法から始まり、次により形而上学的な宗教へと移り、最後は科
親切の人類史読了。題名から想像がつくかもしれないが、ヒトの見せる利他的な行動がどのように発展してきたかについてまとめた本だ。内容についてはこちらで(原著の)書評が読めるので、そちらを参照してもらうのが手っ取り早いだろう。なおこちらのblogは邦訳についても簡単なエントリーをあげている。そこで書かれている通り、この本の前半は基本的に利他性に関する理論的な説明、後半は歴史的な経緯の紹介に充てられており、前半は進化論の本、後半は歴史の本と言ってもいいかもしれない。 著者の言い方だとヒトの利他性に及ぼす影響としてハミルトン的な包括適応度(血縁選択)が寄与している部分はあまりないようだ。これはマルチレベル選択についても同じで、マルチレベル選択を表すプライス方程式が実際にはハミルトン則と等価であるなら、そういう結論になるしかない。またプライス方程式ではないナイーブな群選択については「複数の科学的説明が
前にちょっと紹介した書物の訳者あとがきがプチ炎上したようで、出版社が12月5日に公開を止めた。だがこの行為はむしろ火に油を注いだ。Yahooリアルタイム検索で書名に言及した数は、5日の6件が6日には293件、7日には448件へと急増している。あとがき公開の翌11月16日には120件しかツイートがなかったのに比べると、はるかに大きな反応をゲットできたわけで、意地の悪い言い方をするなら炎上商法大成功、という状態だ。 もちろんこんなおいしいネタを「不和の時代」に踊っている者たちが見逃すはずがない。さっそく公開停止に至る過程でのツイッター上の流れをまとめたtogetterが登場、したのはいいのだが、最初は公開停止された文章を著者のものと記してしまったようで、傍から見ていると「すわ煙が上がった」と見て飛びついたお調子者が一知半解のままガソリン投入目的でやっつけ仕事でまとめを作った、ように見えてしまう
最近のWoke(お目覚め)関連の記事で面白かったのが、3回にわたって取り上げられていたピンカーのインタビューだった。1回目でいきなりWokeやキャンセルカルチャーの話をしている。以前も紹介したピンカー自身を対象にしたオープンレターについても質問しており、ピンカーは「アメリカのアカデミアに所属する人々…とく若い人々…の知的な水準が下がっていることを示す、由々しき事態」と辛辣な返答をしている。まあ「自分たちの気分を良くする特定のドグマを無条件に正しいものと認定」するような態度が広まっていると思えば、そのくらいの皮肉も言いたくはなるだろう。 また白人特権を含む批判的人種理論についても話が行われている。教育現場でそうした考えが教えられている点を左派が否定していることについてピンカーは批判的だ。ただし教えてはいけないと主張しているわけではなく、カリキュラムは民主的なプロセスで決めるべきだと述べている
現代の米国におけるエリートの過剰生産については、最近もNoah Smithのエントリーやそれに対する反応を紹介している。この手の話題は明らかに米国でも注目を集めているようで、最近もまた新しいエントリーが書かれていた。ルンペンブルジョワジーと題した記事がそれだ。 冒頭で紹介されているのはノルウェーの映画The Worst Person In the Worldのワンシーンだ。映画の中に、1990年代風のアングラ・ポップカルチャーで有名になった中年のコミック作家がインタビューを受ける場面が出てくるという。だがこのインタビューはやがて異端審問と化していく。無礼で下品、卑猥で辛辣な作品で有名になった彼は、当初は知識人や左派にもてはやされた一方で、宗教的な保守派からは悪魔のごとく忌み嫌われていた、はずだった。ところが中年になったこの作家は、今度は左派から女性に関する性的な描写や男性の特権を利用してい
Noah Smithのblogで最近またエリート過剰生産の話が載っていた。彼がTurchinらのエリート過剰生産について評価しているらしいことは以前にも書いたし、The Elite Overproduction Hypothesisと題したこのエントリーでも「エリート過剰生産仮説は魅力的だ」と述べている。彼は21世紀に入って、特に2010年代の後半以降に米国が大きなトラブルに陥った要因として、中でも特に左翼思想の拡大について、エリート過剰生産の観点から説明ができるのではないかと指摘している。 このエントリーで数多く取り上げられているのが、こちらのツイート主が調べている様々な米国の大学関連データだ。それによると、特に2010年以降になって大学の人文系の学士比率が急低下しているという。中でも歴史、英語、宗教といった学部は21世紀初頭のピークから半分以下にまで減っている。どうやらこのまま行くと2
ロシアのウクライナ侵攻が始まってそろそろ半年になる。正直、途中から戦況はかなり膠着している。一方で戦闘は静まっているわけではなく、双方の被害は積みあがっている状態。米高官によるとロシア側の死傷者は7万~8万人に達しているそうで、当初から言われていた投入兵力19万人という数字が正しいのなら、既に損害は3分の1に達している計算。その後、どのくらいの兵力が追加投入されているかは分からないが、記事中で紹介されている英国防省の「前進できるだけの十分な戦闘歩兵が確保できていない」という指摘を見ても、兵力が足りていないのは事実なんだろう。 戦場ではロシア側の戦線奥深くでのトラブルがいくつも報じられている。クリミアのロシア軍基地で航空機をいくつも破壊した爆発については、ウクライナが関与したとの報道があったし、それが黒海艦隊の戦力低下につながったとの指摘もある。他にロシア軍地会社の拠点がウクライナに攻撃され
すげーどうでもいい話。大河ドラマで鳥羽伏見の戦いを描いた回を見たのだが、戊辰戦争についてまとめた「復古記」なる文献が紹介されていた。そこで出てきた「槍を振て銃丸の中を進み来る、其勢甚鋭し」という文章が、実は伏見の戦場の話ではなかったことが分かったので書いておく。この一文は復古記第9冊"http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1148387"のp25に載っているんだが、そこに書かれているのは3日の伏見での戦闘ではなく5日に行われた淀千両松での戦闘。川沿いの葦の茂みに伏せていた会津兵に対して射撃を浴びせたところ「こらえかね」て飛び出してきたらしい。 この淀千両松の戦闘も「鳥羽伏見の戦い」の一部と見なされているようなので、その意味では別に間違ったことは言っていない。ただドラマでは3日の伏見での戦闘が中心に描かれる一方、千両松の場面はなかったため、この記述が3
KorotayevらがFactors of Deconsolidation of the Liberal Democracy Regime. The Case of the United States of Americaという文章をCliodynamicsに投稿していた。Korotayevと言えば最近ではこちらで紹介したプレプリント(後に査読雑誌PLOS ONEにThe 2010 structural-demographic forecast for the 2010-2020 decade: A retrospective assessmentという題名で掲載)をTurchinと一緒に書いた、というかずっと以前から共著していた人物。歴史について数学を活用した分析を進めようとしている点でTurchinと同じタイプの研究者のようだ。 彼が記した文章は題名の通り、米国を事例として取り上げなが
ロシアのエリートがどうなっているかについてはこれまでも何度か書いている。最近、ロシアのエリートについて経済学者へのインタビューが行われたようで、主にDeepLを使って翻訳した長尺の文章がこちらで閲読可能となっていた。これまた内容が実に興味深い。 まずはロシアのエリートを分析するうえでの枠組みとして、2つの理論が出てきた点に注目しておこう。1つは有名なアセモグルとロビンソンの「国家はなぜ衰退するのか」で唱えられた収奪的(extractive)及び包括的(inclusive)な制度の話だ。内容はこちらで確認してもらいたい。なお余談だが包括的という言葉については、DeepLの翻訳で使われている「包摂的」の方が分かりやすい日本語かもしれない。 もう一つ、この経済学者が取り上げているのは、Northが唱えた「アクセス制限型秩序」と「アクセス開放型秩序」という切り口だ。簡単な説明はこちらで読めるし、2
国内での「不和の時代」っぽい話についてはこれまで何度か紹介している。そうした事例の一つと思えるものについて、少し前に面白い分析をしていたのがこちらだ。そこでは単に騒動を紹介するのではなく、それに関連してウェブモニター調査を行っている。ネット調査というと極めていい加減なものも多いが、こちらは調査会社を通し、年齢と性別で均等割り付けを行なったうえに設問文をきちんと読んでいるかもチェックしている。もちろん年齢と性別以外の属性(所得や職業など)については偏りがあるかもしれないし、そもそもこういった調査には誤差がつきものなので、全面的に信用するのは拙いだろうが、それでも一定の信頼度を置けそうな調査なのは確かだ。 質問内容などについては文章を読んでもらうとして、最も興味深いのは「ロジット回帰の限界効果」についてまとめた図5の部分だ。件の広告に問題を感じる人が、説明変数の変化に応じてどのくらい変わったか
ウクライナ戦争ではロシアによるキーウ攻撃が完全に失敗に終わり、彼らは再編のためキーウ周辺から撤退していった。キーウの戦いでロシア側が失敗した要因についてはこちらで1つの見方が示されていた。プランAとして行った空挺作戦は失敗に終わり、プランBだった首都包囲作戦もウクライナ側による燃料輸送部隊への攻撃によって足止めされた、という説だ。ウクライナ側のたった30人ほどの特殊部隊が活躍したらしい。さらにその後の戦闘でもウクライナ側はロシアの攻撃を各所で食い止め、最終的にロシア側は撤退を余儀なくされた。 問題なのはその撤退過程で多くの民間人が殺されている事実が判明したこと。当然、世界的に強い非難の声が沸き上がっており、日本でも首相をはじめロシアに対する批判が高まっている。戦争犯罪として糾弾する声も広がっており、既に大幅に低下していたロシアの評判が今やどん底まで転がり落ちている状態だ。 こうしたあまりに
侵攻開始から1ヶ月が経過し、当初計画は失敗に終わったと言われているロシア軍が、方針の変更を言い出した。もちろん失敗など認めようはずもなく、あくまで「軍事作戦の第1段階が完了し、今後は同国東部ドンバス地方の『解放』に焦点を当てる」という理屈である。米国防省はまだ「戦略目標の変更とみるかは明言できない」と慎重な言い回しをしているようだが、今までよりはずっと達成可能性の高そうな目標を出してきたのは否定できない。 大国が隣国を侵略しながら上手くいかず、途中で方針を変えた例は過去にもある。1979年の中越戦争だ。ベトナムがカンボジアに侵攻して親ベトナム政権を打ち立てたのに対し、ポル・ポト政権を支援していた中国がベトナムに圧力をかけようとして行われた戦争だったが、短期間(ほぼ1ヶ月)のうちに中国は撤退を決断しており、長期化することはなかった。なおどちらも勝利宣言を出した戦争でもある。 The Sino
沈黙を守っていたTurchinが久しぶりにblogを更新していた、のだが、現下の世界情勢についての言及はなし。今、自分が何の仕事をしているのか、なぜSNSなどでの活動が低調なのかについての説明のみで終わっている。前にも書いたとおり、もともとTurchinはツイッターなどでの活動はそれほど多くない。Walter Scheidelよりは頻度が多いが、Jack Goldstoneより圧倒的に少ない、といったところ。本人もあまりツイッターでの議論は好まないと言っているし、その方が精神衛生上もいいことは間違いない。この2週間ほどウクライナのニュースを追いかけて、私自身も心からそう感じている。 Turchinが今やっているのは、前から行っているコネチカット大学の仕事と、数年前から取り組んでいるウィーンのComplexity Science Hubの仕事だそうで、さすがに大西洋をまたいだ二足のわらじを続
Jack Goldstoneが見つけ出し、Peter Turchinが広めたStructural-Demographic Theory(構造的人口動態理論、SDT)について、これまでさみだれ式に紹介してきた。様々な時代の色々な国で「エリート過剰生産」をきっかけに周期的に社会政治的不安定性が増す「永年サイクル」が発生する、というSDTの主張については、先進国において社会的分断が激しさを増すであろうというTurchinの予測が的中したこともあり、注目を集める度合いが高まった。 ただ、当blogでSDTに対して言及しているエントリーの量が増えた結果として、blog内のどこにその情報があるのか分かりづらくなっている面もある。というわけでちょっとリンクをまとめ直してみた。割と基本的な情報に絞って載せたつもりだが、それでもちと量が多いかもしれない。またTurchinらの議論のうち他の歴史理論についての
Peter TurchinのblogにJames BennettのExploring Alternative Ancient Historiesというエントリーが上がっていた。冒頭にフェルミが博士号候補者に投げかけていた質問(例えばシカゴにピアノの調律師は何人いるかなど)を紹介。こうした定量的な推定が重要な意味を持っているところから話を始めている。というわけでまたナポレオンの行軍は1回休み。 フェルミと同じようなことはスヴォーロフもやっていたそうだ。こちらでも紹介しているが、彼は部下に対して「カスピ海には何匹の魚がいるのか? 空までの距離は? 天国にはいくつの星があるのか?」といった質問を投げかけていたという。変人元帥が何を考えてこのような質問をしていたかは分からないが、定量的な思考法の重要性を部下に求めていたのだとしたら、なかなか侮れない人物だ。 閑話休題。Bennettはフェルミの逸話
高等教育を受けた人の増加がエリート過剰生産の原因になっているわけではない。むしろ高等教育の増加はエリート過剰生産の結果と考えた方がいい、という話を紹介しておこう。少なくとも最初にStructural-Demographis Theoryを唱えたGoldstoneはそういう認識だった。 彼の書いたRevolution and Rebellion in the Early Modern Worldの中には、17世紀のイングランドにおけるエリート過剰生産の背景について色々と書いている部分がある。一つには経済成長が続く中で、エリートたちの家庭における再生産(要するに子供の数)が増加していた。そのうち資産の継承ができる長男を除いた面々は、どこかでエリートにふさわしい収入源を新たに見つけなければならない。エリート全体の増加率に比べてこの「いいとこの次男坊三男坊」の増加率ははるかに大きく、彼らの間での生
英語ではCapitol riot(議事堂暴動)と書かれることが多い2021年1月6日の米国会議事堂襲撃事件から1年になる。ちょうどいい機会でもあったので、ワシントンポストの有名記者が書いた本の邦訳「PERIL 危機」を読んだ。注も合わせると600ページを超える分厚い本だ。邦訳には少しばかり違和感もあるが(Crimson TideのHCはサバンじゃなくてセイバンでは)、米国で9月に出版された本をこれだけ短期で翻訳したことを考えれば十分なレベルだろう。 内容的にはいかにも政治部記者が書いたものらしく、政治家や周辺人物の具体的な動きや発言を並べている。話題になっているのは冒頭に出てくる米統合参謀本部議長と中国軍トップとのやり取りの部分(議事堂襲撃の直後に米軍が中国を攻撃することはないと弁明した)だが、本が対象としているのは2017年に起きたシャーロッツビルでの事件から、バイデン大統領がアフガン撤
「多くの人が正しいと思っている、間違った知識」の見分け方、という記事の中に最近思っていることがズバリ書かれていた。「たくさんの読書をすることをウリの1つにしているブロガーの書いた本を読んでみると、その主な主張が十数年前とほとんど変わっていなかったりします」「本をいくら大量に読んでも『見分ける』作業をやらない限りニセ知識はなかなか除去できないのです」の部分だ。これを私は(勝手に)「孔子の罠」と呼んでいる。 まず基本的な前提として、知識というものは時間をかけるほど多く得ることができる。もちろん人によって効率的に知識を得る能力がある人と、時間のかかる人がいるのは確かだが、同じ程度に知識の習得ができる人の間では、時間をかけた方が有利なのは間違いない。だから知識について言えば年寄りの方が有利な状況にある。年配の研究者による「この分野は素人なのですが」の破壊力がでかいのは、過去に蓄えてきた知識量によっ
経済成長の核となるのはイノベーションである、という見解に異論はない。人類の歴史上で最も大きな経済成長がもたらされた2つの「イノベーション」は、農業革命と産業革命だ。この2回のイベントを機に人口(最も分かりやすい成長のメルクマール)が急増したのは確かであり、イノベーションによって成長がもたらされた確実な証拠と言える。 でもここまで大きな成長をもたらしたイノベーションは、逆にこの2回しかなかったとも言える。人類の歴史どころか地球の歴史を振り返っても、進化ではなくイノベーションによって大規模な成長が達成されたのは45億年の歴史の中でそれだけ。トフラーは情報革命が「第3の波」になるとかつて予想したが、実際に導入された情報技術はといえば、スマホが可処分時間を奪って成長しているのを見ても分かる通り、市場自体を生み出すのではなく他の市場を奪う技術にすぎないことが分かりつつある。 もちろん個別のイノベーシ
前にこちらで中国の「宿題・学習塾禁止令」に触れた。もしエリート過剰生産を止めたいのなら、その裏で格差の縮小を進めないとマズいんではないかという話だが、一応中国は格差縮小を進める方向性は示しているようだ。習近平が最近になって唱えている共同富裕がそれで、要するに「中国の中流階級を拡大し、低所得者の収入を増やす」のが狙いらしい。 これまで中国では鄧小平が唱えた「先富論」を旗印に、「先に豊かになれる者たちを富ませ、落伍した者たちを助ける」という方針で経済運営をしてきたそうだ。一種のトリクルダウン論だろう。実際、この原則に従って進めてきた改革開放によって中国は急速な経済成長を成し遂げ、「象の背中」に相当するグローバルな意味での中間層を富ませることに成功してきた。 ただしグローバルに見た新興国中間層は、中国内で見ればむしろ富裕層に近い。確かに彼らは成長できたが、置いていかれた者たちもいた。前にも紹介し
こちらの匿名ダイアリーが面白かった。取り上げられているのは学術書ではなく一般啓蒙書ではないかとの意見はその通りだが、まあ見出しも学術書「の類」とあるので、あくまでそうした一般向けの学術っぽい本を読むときの注意点として理解すべきだろう。そう考えればなかなか役に立つ。関連する専門家のセカンドオピニオンに目を通しておいて損することはない。 むしろこんなエントリーをアップした最大の理由は「近年のポップな人類歴史書の怪しさ」に対する匿名筆者の苛立ちにあるんじゃなかろうか。個人的には同感で、話の枕に挙げられているこちらの書評なども、そういった怪しげな人類歴史書に簡単に踊らされている例の1つに見える。ここではおそらく「道徳主義の誤謬」が生じているのだろうが、そうした誤謬を犯さぬようリテラシーを高める手段として専門家の書評が役立つのは確かだと思う。 で、それはそれとしてこのエントリーよりも面白いのは、実は
Pikettyがバラモン左翼と商人右翼に関する新しい論文を書いていた。前にこのテーマで書いたときは米英仏という限られた国のみを取り上げて分析していたが、今回は西側民主主義の21ヶ国と対象を思い切り広げてデータを分析している。結論は変わらないのだが、対象が増えた分だけ「複数エリート政党システム」の裾野が大きく広がっていることが実証できている格好だ。 特に注目すべきなのは論文のFigure A10からA16までの推移だろう。こちらのblogに紹介されている通りだが、1950年代には第1象限に右派政党、第3象限に左派政党が集まっていたのが、1980年代あたりから前者は左へ、後者は右へと移動を始め、2010年代には大半の右派政党が第2象限に、左派政党が第4象限に集まる状態になっている。論文のFigure A9を見ると全体的な動きも分かる。 このグラフのX軸は、ある政党を支持している高学歴(上位10
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『祖国は危機にあり(La patrie en danger) 関連blog』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く