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書くことがパッと出てこないなら書かなくていいやと思っていたら、すっかり間があいてしまった。 さてさて。willcomが半死半生になってしまった昨今。Xperiaにでも乗り換えてしまおうかと思っている。で、スマートフォンの話。 その1:Andoroidマーケット docomoとauが独自のAndoroidマーケットを立ち上げるという話だけれど、これはちょっと上手いアイデアかもしれない。iPhoneはSBの電波がヘチョいところが非常にダメだと思うのだけれど、仕事で考えるともうひとつ、やや難なところがある。結局のところ、素人だろうが趣味で作ったものだろうが、誰でも申請はできて、少なからず通ってしまう点だ。 販促ならまだしも会社で予算立てて収益も上げたいと思うとき、ただでさえ簡単なことではない上に個人や個人とドッコイな小さい会社の膨大なアプリと同じ棚に並んでやっていくというのはけっこう二の足を踏む
このごろ「HTML5があればFlashは不要」みたいなほとばしった意見を見かけることがある。そうなるかどうか、いつごろそうなるか、という点はよく判らない。どうせ棲み分けしていくんだろうけど、そうなったとして、それぞれの局面でどちらで実装するかディレクターが判断することになるんなら、ちょっと面倒だ。 ここで少し余談。Flashが担っていた部分をHTML5に置き換える理由って色々とあるだろうけど、「オープン性」を挙げている人がiPhoneやiPadについて賞賛しているのを見ると、どうにも収まりの悪い気持ちになる。なんで? と言われそうだが。 余談はさておき。「FlashをHTML5で代替する」という可能性について少し違った切り口で考えてみたい。 棲み分けがなされたとして、HTML5でやりましょうとなったとき、では誰にやってもらうのか? というのはちょっと気になる。いやまあ、アサインできる制作ス
「位置ゲー」が注目を集めているらしい。本当かどうか知らないが。手がけたことはないから勘違いは多々あるだろうが、そういうジャンルのゲームを企画提案する機会が今後ないとも言えないので、ちょっと考えてみたい。考えてみたいとは言ったものの「なにを考えれば良さそうか」についてまとめてみる、と言ったところか。 位置ゲーは「量」「質」大きく分けて二つある。「量」は移動距離、「質」は「どこへ行ったか」という部分がゲームに反映される。もちろん「量と質」のハイブリッドもある。 「量」を反映させるゲームは「質」に比べて開発する際に必要なネタの数が少なくて済む。どこへ行ったかによって、発生させるものを変えなくてもいいからだ。シンプルな例だと移動距離によって何らかのポイントが加算されるシステム。距離とポイントの割り振りさえしてしまえば、「位置ゲー」として考慮する部分はとりあえず出来上がる。 一方で「質」は必要なネタ
Google Phoneがテスト中で、発売された暁には「すべてが変わる」らしい。 Google Phoneですべてが変わる 「世界が変わる」「革命的」「歴史に刻まれる」「大変革」…今年入ってからでもこれでこの手のフレーズを見るのは何度目だろう。威勢のいいこと書きたいのは解るが、日本に限っても景気が一段と悪化して情勢的にもジリ貧なのがハッキリしてきた以外になにか変わったのかね? iPhoneのおかげでヒマ潰しに困らなくなったことくらいか? セカイカメラでラブホを眺めるドキドキ感が得られたことか? 上記みたいな威勢のいいフレーズで形容されるものは一個もなくていいから「不景気が終わる」みたいなのが1個でも出てきた方がいいよ。 上記記事にしてもGoogle Phone発表か? という以外は「とにかくマジスゲーんだって。なにがどうなるかもどうすごいのかも判んねーけど、とにかくハンパなくすごいことにな
エニグモ社の雑誌通販サイト「コルシカ」についてはあれこれ疑問に思っていたのだが、調べてみるとちょうどいい記事があった。 「コルシカ」――歴史に残るかわからないけど、記憶には残りましたね! こちらに私が抱いたのと概ね同じような疑問が連ねられている。著作権など出版社との関係については同じような記事を多く見たように思うが、それ以外の部分。 と思っていたら、上記記事の続きがあった。 エニグモ社でコルシカのこと聞いてきました あくまでコルシカ側の言い分ではあるにせよ、疑問に思っていた部分はだいたいどう考えられていたか解った。スッキリしたという意味で、すごくいい記事だと思う。 で、何を気にしていたかというと「仕入れ」と「在庫」の部分。 コルシカ側の言い分だと ・最初にまとまった数を取り次ぎより仕入れ。仕入れ分がはけたら売り切れにして再入荷はしない ・入荷した本は買い切りで返本しない。売れ残りや売れたが
今やiPhoneはモバイルビジネスを考える上で無視できない存在とかいう話も目にするけれど、今のところ無視してても何ら痛痒を感じていない。きっとあとで泣きを見るんだろうなあ…。とかいう殊勝な態度はまあいいとして。 もし今後スマートフォンがケータイのスタンダードになったら? ということを考えてみたい。どういうシナリオでそうなるかはさておき余興として。勘違いしている部分も多いと思うのだけれど、ご笑覧ください。 さてさて、当座の枠組みとしてiPhone、Android系&その他というざっくりとした分け方を頭の隅において、同じコンテンツのキャリアごとの呼び名の違いは忘れてください。 ・情報コンテンツ 基本的にPCで見られる情報はPCと同じサイトで見られるので、だいたいが手離れor無価値になる。それを避けるならスマートフォン以外でアクセスできないサイトなりコーナーなりをわざわざ作って、PCでは閲覧でき
最近、企画書や提案書を書く際に「合意形成がしやすい」という点を心がけている。あまりたいした工夫でもないんだけど、ちょっとしたポイントみたいなものでも書こうかと。 ・合意形成の重要性 言うまでもないのだけれど、合意形成がなされないものというのはなかなか実現しない。「キミとボク」みたいな小さなユニットだけで完結するならともかく、複数の利害や方針が違う人たちを相手にするなら、それなりに合意形成ができないと「そうはいってもねぇ」「これじゃあ納得してもらえないよ」「ここはどうなってるの?」「そもそもこれは~」とかとか面倒なことになり、それを説得して回る労力が増えるし始動前に頓挫する可能性も高まる。この場合の合意形成に「実行の承認」も含め、「キミとボク」で“キミ”が上長ならそこでも合意形成は欠かせない。 「そんな事なかれ主義はダメだ!」「周囲から反発されるものの中からこそ新のイノベーションが生まれる!
以下はパワポでワイアフレームを作ることを正当化しようという試みである。ただし実際には、関係各者のあいだで特に問題ないならワイアフレームはパワポだろうがFireworksだろうが、台紙にワリバシ貼ろうが、どういう作り方でも構わないと思っている。何が正しいとかいうことはなく、どういう流れでディレクションしているかによって適・不適があるだけだ。 ちなみに、前回の記事でワイアフレームについて考えたことを書こうと思っていたのだけれど、その前段階を一部兼ねて別の話を。 と書いたけれど、特にそんなことはなかった。 さて、というわけで私はパワポでワイアフレームを作っている。他にワイアフレームを作る上で考えられるのがエクセル、画像、PDFだろうか。 考えてみるに、ワイアフレームの役割は二つある。 ・クライアントや上司などの意思決定権者に「どういうページ構成になるか」を理解してもらう ・デザイナーに「どういう
ワイアフレームについて考えたことを書こうと思っていたのだけれど、その前段階を一部兼ねて別の話を。 ただのウェブデザイナーで終わらないため身に付けておきたい事 という記事を読んだ。論旨としては「デザイン+αを身に付ける」というのが「ただのデザイナーで終わらない武器」であるという結論で、実際にはどういうことか?ということを書いている。箇条書きにすると ・コスト計算がしっかりできる ・しっかりとデザインの説明ができる ・作るを仕事としない だそうな。 ところ変われば…で、このブログでもさんざん書いているけれど、内部制作なのか受託なのか、どういう人員構成なのか、どういう立場から見ているのか、などなど事情によって様相が一変するので、上記の話があてはまるケースもある。 けれど事情が変わればあてはまらない話になる。というわけで、上記記事ではどういう事情(状態)を想定して書かれたものか知らないけれど、「受
家を出て常駐先へ向かうとき、異変に気付いた。妙に道行く人が少ない。とうとう「その時」が来たか…。とか思ったわけではないし、世間的には夏休みのていなのは知ってるけどね。道理で忙しさが一段落するわけだよ! ということでまあ、そこはかとなく適当な話でも。 このところSNSについて考えていた。というか、SNSのフィルタリングとか規制とか。でまあ、出会い系(性的な意味で)の温床にならないことを最優先に考える場合、一番手っ取り早くてそこそこ効果ありそうな方法は何か。たぶん誰かが言ってるだろうけれど、やっぱり男女別にすることなんじゃなかろうか。男性用は女性の登録お断り、女性用は男性登録お断りってことで。礼記にも「男女七歳にして席同じくせず」ってあるしね。 …と思ったら、女性専用SNSというのはまあまああった。男性専用については…ほとんどない。見たところ2件だけで、うち1件はスパム的なあれで、もう1件はゲ
この前こんなことを書いたバチが当たったのか、2年チョップが終わったまさにその月にアドエスを紛失した。ケータイ紛失は人生初だ。しかたないのでWX330Jに機種変した。 以上、前フリ終わり。以下、本題の前フリ。 それはさておき。 Twitterやセカンドライフやmixiアプリに手を出して失敗する人の考え方という記事を読んだ。上記記事の筆者が知人であるゼロベースの石橋さんからプロモーション目的のmixiアプリの制作を依頼されることが増えてきたのですが、 それ単体で制作会社に直接依頼されても困るんですよね。 という話を聞いたそうで、これを筆者はmixiアプリやソーシャルアプリを否定しているのではなく、プロモーション目的ならば、mixiアプリ単体としての制作案件をWebサイト制作会社に依頼するのではなく、広告代理店を通してちゃんとプランを組み立てましょう という意図の発言ではないかと考えている。私も
今から2年くらい前に「WEB2.0の憂鬱」というのを書いた。少人数で立ち上がるステキなサムシング(たいがいはWEB2.0的な何か)の場合、初期段階でWEBディレクターが仲間に入れてもらえる余地はまずないのだ。 というのが要旨。 で、だ。そういう場合はwebディレクターがいなくてもたいして困らないのは残念ながら今もそんなに変わらない。じゃあ、なんでwebディレクターという役割があるのか。本当に必要なのか?不要なのを隠してるんじゃないのか?ということについて考えてみる。場合によっては私のような穀潰しに仕事の口を与えるためだけにある、という結論にもなりかねないわけだけれど、もしそうなったら「夢オチ」ということにするので、読んでいる人も「な~んだ、夢か」で済ませてください。 さて冒頭でも書いたように、個人サイト以外でもwebディレクター不要な場合はある。自分が思いつく範囲では以下のような場合だ。
せっかくなのでNAVERのイベントに行ってブログに何か書いてみたかったんだが、最初からどだい無理な話。月曜の19:30に大崎とか。誰も悪くない!誰も悪くない! で、マネタイズハックでの発表内容について思うところがいろいろあるのだが、他人の稼ぎよりまず自分の稼ぎをどうにかしないといけないと思うので、それも書かない。 で、だ。 発注者がすべて作業内容を明記しなければいけないのだろうか というのを読んだ。 前に頼んだSOHOのデザイナーに仕事を頼んだら、依頼内容を決め、社内で決定した資料(どういう配置でどういうコンテンツが来るかの説明)を渡した。しかし、「このページに画像何点必要か、何をもって”1ページとするか”など明記してくれないと、作業範囲が広くてわからない」と言われたので明記し直して発注書を作成した。(これって依頼者がするのだろうか・・。) 今週からスタートするはずだった制作が「出来ない」
NAVERのクローズドβテストをしているので、感想文など。感想文なので、まともな紹介が読みたい人は以下を参照。こういう記事は自分が書かなくても誰か書いてくれるので助かる。だって面倒じゃん? 新しくなった、探しあう検索サービス「NAVER(ネイバー)」クローズドベータ版を使ってみた NAVERの正体は高機能な検索コミュニティ--クローズドベータ版を公開 普通、検索といえば「検索する→結果から気になるのをクリック」なのだけれど、NAVERは色々あるので説明も長くなる。 さて、上記記事でもフィーチャーされているが、他の検索と違うのは「まとめ」だろう。これは「サイト」「画像」「発言」「ワード」「フリートーク」から成る。「ワード」というのは御代に対して情報を集めるもので、「フリートーク」はお題に対してコメントを付けていく。「発言」は御代に沿った発言を足していく。まあ、こうやって書いててもよく分からな
前回も触れた「livedoorディレクターBlog」のガチンコ座談会で思ったことをつらつらと。 座談会中で「受託脳」「自社脳」の話が出ていて、あとディレクターの面接で「ライブドア入りたい!」って人となんとなく居場所を探してる人は違うとか、自分でこのサイトをどうしていくのか、どうしたら伸びるかとか、そういうのが足りない人がいる。 自分で何かサイトをやりたくてライブドアに入ったって人が多いと思うんですけど、そういう人はサービスへの思い入れも結構あるので「どうしたらうまくいくんだろう」ってことを常に考えてるからいいんだろうけど受託から来ると、そういうところの能力的に低い人が多い。 ってのが出てた。受託を多くやってたディレクターならクライアントの要望をなるべく察するのも仕事のうちなので、クライアントが自社に変わろうが、自分の手がけるサイトを伸ばすことが求められてるならその要望を察して「そのようにす
なにやらん、あっという間に話題としては手垢がついた感のある「男の子牧場」の話。 いくつかブログを読んでいると「こんなサービスにゴーを出すなんて良識を疑う」「こんなサービス名にするなんて良識を疑う」というような旨の意見をちょいちょい目にした。 良識よりPVを大事にするところとか、テレビのバラエティ番組な感性とかサイバーエージェント的には今に始まったこっちゃないので別に構わないのだけれど、webディレクターとしてちょっと思ったことを並べてみる。 そもそも牧場になぞらえた見せ方とサービス名と、どっちが先にあったんだろう、というのは気になるところ。中身が先なら牧場的なサービス名は避けられないだろうし、名前から発想したんなら、なかなかサービス内容を考え易いという点ではいいタイトルだったと思う。実際にはサービスの見せ方とタイトルは不可分でほぼ最初に構想されたんだろうな。「ユーザにやらせようとしているこ
よほど革新的でもない限り、たいていのサイトには競合サイトがあるものだ。ダイレクトに競合しているものから、「暇つぶし」のように広い意味で競合しているものなど。切磋琢磨する良きライバル、もしくは裏で手を握るパートナー、まあそういう関係になることはあまりない。「あっちのサイト、サーバもろとも死なねーかなー」とお互いにぼんやり思うのがせいぜいだ。 で、競合サイトに対しては企画段階であれ運営段階であれ、たいていは競合調査を行う。まあディレクターが相手のサイトを実際に使ってみて、自サイトにないところ被るところがどこかを分析する。 企画段階で有力な競合を調査するのは重要で、相手の良いところをたくさん見つけられれば、自分でイチから考える手間が省ける。何せ有力サイトは有力サイトだけあって、とても洗練されているし気の利いたアイデアが一杯詰まっている。かなりクローンなサイトになっても、デザインが大きく違えば色々
インターネットと人、インターネットと社会、みたいな話は読む分には楽しめることもあるし決して嫌いではないのだけれど、自分では滅多に書かない。あんまディレクションと関係ないし、書くネタが思い浮かばない。とはいえまあ、たまには目先が変わっていいかも、という感じで。まあ、あまりパッとしない話になるので見てて。 その1:人生が変わる! ウェブはバカと暇人のもの!? - 大前研一でさえ「知の衰退」に加担している という記事があって、その内容とは直接関係ないのだけれど、上記記事の中で「ネットはもう進化しないし、ネットはあなたの人生を変えないから」という主張は、ちょっと偽悪的すぎるように感じられて、同意できません。 岡田有花さんの『ネットで人生、変わりましたか?』の事例は本当だろうし、少なくとも、ネットは私の人生を変えたし。 という一文がある。そりゃまあそうだろう、と思う。人の人生はけっこう色々なことで変
どちらも「そういえばそんなんあったなあ」くらいにしか知らないのだけれど、この件について江島健太郎という代表らしき人が記事を書いていた。 LingrとRejawサービス終了のお知らせ なんか事業が失敗したときの当事者からの本音というのはなかなかタイムリーには出てこないので、少しでも誰かの役に立てばいいなと思って書くことにしました。 ということらしい。 で、読んでみたのだけれど、結局のところ失敗した理由としては「人件費が高かった」ということらしい。ピーク時にはフルタイムで4名が働いており、最大で年間5000万円のほど人件費だったとか。一人頭1250万か。月で100万ちょい。アメリカでは(IT系だと思うけれど)人材に払う相場が日本の倍くらいあるらしい。けれど、江島さんが紹介している「他三名」の経歴を見るとなかなかのキャリアと実力を持っている、まあスタープレイヤー的な人のようなので、アメリカでの相
※前も似たような話を書いた気がするのだけれど、探しても見つけられなかった。 さて、webディレクターに求められるスキルはの話は様々あって、自分も「webディレクターの最小構成」というのを書いた。で、今日になってそれよりも重要で根本的な条件に気付いた。それは「日本語に堪能なこと」だ。これは絶対に欠かせない能力。「日本語」の部分はアメリカなら英語、インドならヒンディー語(もしくは何らかの公用語)、ブラジルならポルトガル語に置き換えられる。なので「その国の言葉に堪能なこと」と言い換えてもいい。 そもそも自分は、職務がこなせて指名手配犯だったり飛沫感染や空気感染する死亡率の高い病気を患ってたりしなければ、何人だろうが何歳だろうが、とにかくその人の属性はどうでもいい。ただ、webディレクターだけは「日本語に堪能」でなければどんな人であれダメだと思う。まあ堪能といっても人生の大半を日本で過ごせば自然と
ダメとは言うけど後でとか というのを読んだ。 サイト制作の相談を受けた場合に、「できる方法」と「よりよくする提案」とかをして、質問には答える。 「そんなもん成功するわけないし、コストのムダだろ」 という道を誤らせない批判もきちんと伝える必要があるのだが、それは前向きな話をした後に付け加えておく。 という話。「やるな」という否定をせずにある程度は目を瞑ってもいいんじゃないのかね。 というのがたぶんこの話のキモなんだと思う。といっても上記記事の筆者が無責任だからというんではなく、勝算が提案者にはあって、こちらではそれに気付けていないだけかもしれない。 という考えがあってのことだ。 でまあ、この手の「相談」というのは自分もときどき持ちかけてもらうことがある。タイミング的にここしばらくは減ったけど、まあ、ある。基本的には自分も上記のようなスタンスだ。 と、ちょっとここから話がとっ散らかってくる。
年度末なので、一つの記事にするほどじゃないんだけど…っていうネタや雑感を集めてみました。はてさて、どうなりますことやら…。 「いい○○は死んだ○○だけだ」というフレーズをいまだに目にするけれど、いいwebディレクターは死なないwebディレクターだけだと思う。 Twitterがどうしても使えない。多くのウィンドウの後ろに隠れているうち忘れてしまう。Postとか滅多にしないけど、「朝に起動して一度も見ることなく終了」って日はちょいちょいある。 会議や打ち合わせにおける「クローザー」の存在は意外と大事。 プライベートでブログやサイトをやるときは、数十年のスパンで運営する気構えでいると続無理なくけやすい。自分も趣味で古典の翻訳サイトと小説のサイトをやっているけど、そう考えるようになってから半年以上も更新してないとか何でもなくなった。 進行管理では「3W1H」の把握が大事だけれど、イメージとしては「
たまにブログなんかで、「労働ではなく成果物の価値で対価をもらいたい」という意見を見かける。その意気軒昂さはなかなか好ましい。 実際、自分がディレクターという立場から見ても、外注分の支払いは労働ではなく成果物の価値で支払うのはいいことかもしれない、という気がしている。というわけで、今回はその「気」がする由縁を探るべく、実際にほとんどの外注をそうするとどうなるか少し考えてみたい。対価の支払いについてなので、金銭的な面を中心に。 ・前提 まず、「価値」がそれなりの納得感ある数値として算出できなければ駄目だろう。おそらくそれが最も難しいのだけれど、まあどうにか算出できるとする。ちなみに、価値に基づいて支払額が決まるのだからやはり「経済効果」よろしく「それによって幾ら分の効果があったか?」を価値として算出するとしよう。もう少し細かく言うと「それによって一定の期間に営業利益から固定費など外注費以外の支
IT業界で楽しく仕事をするための10カ条 という記事を読んだ。「ナニコレ2サイジニムカッテサトシテンノ?」と思ったことはさておき、webディレクションで楽しく仕事をするための10カ条を考えてみた。 ・其の一、本や雑誌を買って読むべし →誰かの作業が終わるのを待ってえらい時間が空いたり終電逃したときのヒマ潰しに便利。携帯ゲーム機でも可。なので技術書とか自己啓発本とかビジネス書を選ぶのはNG。他業種のクライアントと話す機会がプログラマーやデザイナーよりは多いので、話のタネになるようなものだとなおよし。 ・其の二、分からないことは、なるべく自分で調査するべし →知ったかぶりは自分の首を絞めるが、他人に聞くとつけ込まれたりナメられるので。webディレクターはナメられると色々とよくない。 ・其の三、お気に入りのWebサイトを見つけて読むべし →誰かの作業が終わるのを待ってえらい時間が空いたり終電逃し
PCサイトのディレクションとモバイルサイトのディレクションというのは、当然やっぱり少し違う。いや、業務内容は一緒なんだけれど、同姓同名の別人くらいには違ったりする。以下、そのポイントを。えーっと、判りやすいようにモバイルサイト側の視点から書いてみる。親っぽく言うと「おまえのために良かれと思って、モバイルサイト側の視点から書いてみるんだよ」。 ・デザインのFIXが楽 よっぽどトリッキーなことを考えない限りは1カラムだし、容量制限だの通信速度だのもあって、PCサイトほどデザインの装飾的な部分で出来ることが多くない。おまけにその原因がどうにもしようがないものなので、クライアントからの出し戻しもPCサイトよりは少ない。というわけでFIXまで持っていくのが楽。 だいたいPCサイトで出し戻しが多いのは企画とデザインなのだから、これはけっこう精神的によい。 ・ページやサイトの設計にクセがある PCサイト
金出さないと普通レベルの人間も集まらない というのを読んだ。まあ、非難ゴウゴウのようだ。 要約すると「TOPページデザイン5万くらいのホームページ制作だが、募集してもまともな人が応募してこない。まともな人は高すぎる。たしかに発注金額は高くないが、そのぶんサポートはやるんだけど。どうなってるんだ、WEB業界で働く人間は」という話。 それに対する意見を述べている人がのきなみ「TOPページデザイン5万の単発案件なんざ」的な感じなんだけれど、実際には1案件に付き、何万も何十万も出せない。トップページのデザインに5万前後が良いところだ。 なので、「トップページのデザインに5万」が1案件なのか、1案件の費目の一つとして「トップページのデザインに5万」なのかは判然しない。まあ、訂正されないし「1案件に付き、何万も何十万も出せない」なので、「トップページのデザイン」が1案件なんだろうか。そうなると他のペー
「いっちょかみ」って方言なのか古い言葉なのか、大人になってからあんまり聞かないなあ(と思って検索したら、大阪弁らしいどおりで関東に来てから耳にしないわけだ。ついでに関西ことば辞典を見てたら、標準語だと思ってたのがけっこう載ってる…)。 で、本当はブログで「いっちょかみ」があんまり好きではないのだけれど、珍しく規模感のある企画を考えていたら頭が煮詰まったので。 「企業サイト改変不要論」という記事を読んでいたら、「リニューアルとリストラクチャリングの違い」みたいな内容だった。「リストラクチャリング」とか口頭で言う人に会ったことがなかったのでピンと来なかったのだが、「リストラクチャリング」はビジネスの最適化が主目的であって、そこにコミュニケーションの最適化のためのITインフラがあって、そのシナリオがサイト全体の構造と立ち振る舞いを決定づけて…と、デザインとかユーザビリティとかは最後のフェーズの一
コンバージョンを意識したページクリエィティブの当たり前10項 という記事を読んだ。タイトルに違わず、基本的なことを解りやすく解説していると思う。 ランディングページの重要性、そしてランディングページにおけるページ構成の重要性についてはいまさら言うまでもないと思うけれど、「どういうページ構成」にするか?で悩んでいるディレクターは多いんじゃなかろうか。というわけで上記記事とは少し見方を変えて、ランディングページのページ構成を設計するとき、どう考えればいいのかを最大公約数的に書いてみたい。主に「はじめてランディングページを作るサイト」の場合を念頭に。 ここからが本題。 条件:TOPページがランディングページではない・見せたい要素が2個以上ある 1:ページの一番上には下層ページ共通の「ロゴと、そのロゴと同じ段にある要素」だけを入れる。 2:その下に最も見せたいものを入れる 3:その下へ次に見せたい
WEB関連の仕事をしているらしき人のブログを読んでいると、たまに「こういうディレクターはダメだ」という内容の記事を目にすることがある。読んでみると「責任逃れをする」「情報共有がちゃんとできない」といった、ディレクターとかそういう枠を超えて、チームで働く人間としてダメな事例もあれば、「ディレクションのスタイルがこの人と合わないんだろうなあ」というものもある。 そんな中、わりと共通して出てくるのが「何やってるのか判らない」「本当に働いてるのか怪しい」という点。どうも「丸投げしてくる」「情報を右から左へ流してるだけ」というふうに見えるディレクターがそう思われるようだ。 で、今日はそれについての弁明。なぜ弁明するかというと、自分もそう思われかねないことがあるから。でも、そうじゃないんだよ、と。中には本当に勤労意欲が低くて「丸投げしてくる転送係」みたいな人もいるけれど、みんながみんな、そうじゃないん
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