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買ってよかったもの
k-yahata.hatenablog.com
人は何かを成し遂げるために強さを求めます。 腕力、体力、知力、経済力、コミュニケーション力、人脈、知名度、全て「強さ」といっていいでしょう。 それらのひとつ、あるいは複数を身につけ、その強さを武器に目標を達成しようと努力したり、困難に立ち向かったり、人生を謳歌しようとします。 これらが悪いことだとは思いませんが、合理的だとも思えません。 なぜかというと、強さは必ず衰えるからです。 一番分かりやすいのは肉体的な強さでしょう。 筋力や体力は年齢と共に簡単に衰えます。 また、絶頂期にあったとしても、病気にでもかかればその間は一時的にせよかなり衰えます。 経済力も一生続くということは考えにくいし、人脈(友情)もほんのちょっと何かあっただけで崩れるようなはかないものです。 「強さ」とは脆弱で一時的な現象にすぎません。 それに頼ると必ず滅びる(盛者必衰)というのは日本古典文学の主題としてあまりにも有名
2019年に「お金を払って何かを教える」というのが一瞬流行りましたよね? 覚えている人いますか? 事の発端はサッカー選手の本田圭佑選手のツイートからだったと思います。 www.msn.com 5月にこうした記事があるので、4月か5月あたりの出来事だったのでしょう。 その後、長友選手も同じツイートをされました。 他にも真似した人もいたような気がします。 確かこの流れの仕掛け人が編集者の箕輪氏だったような気がしますが。 これらはネットで拡散され、『これが新しい伝承のかたちだ!」と喧伝されていたのを覚えています。 個人的には心底気持ち悪く、虫酸が走る思いをしたので、そういった形でしばらく記憶に残っていましたが、ふと気がつけば2019年秋頃にはもう完全に廃れていたようです。 結局、セレブの暇つぶしでした。 【広告】(記事続く) 何が嫌かというと、単純に講師業の生活基盤を壊しに来られると迷惑だという
ミュージシャンや漫画家、ダンサーなど何かを目指している人にとって、関わるだけ無駄な人種が存在します。 反面教師になるならまだましですが、無駄な付き合いで貴重な時間を浪費し、そのせいで目標が遠のいてしまうことが多々あります。 以下、付き合うだけ無駄な人種をご紹介しておきますので、参考にしてください。 ちなみにこの場合の「付き合う」は、家族、友達、恋人、仲間、バンドやチームメンバーなど広い意味となります。 すぐに茶化す人 話をすぐに茶化す人は、だいたい何をやっても一人前になれません。 そういう人は、本質的な話をすると自分に中身がないのがバレるから、すぐに話を茶化して軽い笑いにし、誤魔化すのです。 もちろん冗談を言ったり場を和ませるのはいいことですが、それで何かをはぐらかしている場合はNGです。 なぜかこいつと話していると本質的な話ができないという場合、要注意です。 何かをはじめたばっかりの頃は
「やる気」について第三弾。 過去の記事はこちら。 k-yahata.hatenablog.com k-yahata.hatenablog.com 誰でも、やる気のある人が好きです。 特にリーダーや指導者はやる気のある人が大好物です。 自分の言うことに人がハキハキと従う姿を見ていると脳内物質か何かが出るんでしょう。 また、我々は皆そういった指導者の性質を知っています。 そこでやる気の政治利用が生まれます。 やる気を見せれば気に入ってもらえる、信用され、ポストを与えられる、良い思いができる……。 賢い子なら小学生でもうそうしたテクニックを持っています。 昔、友達でやる気を見せる天才がいました。 大人は彼を一目で気に入り、バイトの面接なども全て一発合格、「すごい新人が入ってきた!」と噂になるほどです。 しかし実際は何をやっても1ヶ月も持ちません。 勉強も習い事も趣味も全て同じです。 そうして大人
物事は継続することが大事です。 では何かを継続するためにどうすればいいか? と考えて、多くの人はやる気に着目します。 やる気を出せれば何かを継続するなんて簡単、努力も苦じゃなくなるし、楽しくなってくるはず、だからやる気を出そう! やる気が出ない人はまずやる気になるための方法論から探そう! ……はい、こんなことをやってるから中途半端なところでやめてしまうんです。 「やる気」を出せば何でもできるという考え方は、「やる気」は永遠に枯れない、枯れてもまたすぐに燃やせるという前提の元に成り立っています。 もちろんこれは間違っています。 やる気なんてものはいとも簡単に消えてなくなります。 また、出そうと思ってもなかなか思い通りに出てくれません。 仮に出てくれたとしても、また思いも寄らないタイミングで枯れていき、すぐ消えてしまいます。 まず、このやる気の脆弱性をきちんと認識しましょう。 仮にやる気に頼っ
ギター教室で教えていると必ず考えるのが、褒めて伸ばすか叱って伸ばすかという問題。 僕ももちろんこれをずっと考えてきて、どっちも実践したことがあります。 結論から言うと、どっちも正解でもNGでもなく、どうでもいいことです。 褒めて伸ばす/叱って伸ばすという二元論自体に意味がないということです。 褒めて伸ばす派は、人は誰でも褒められると嬉しい、だからもっと褒められようと頑張るので伸びるという理屈。 こちらは、叱られると萎縮してやる気がなくなったり、叱られないためにやろうとするからダメだと言います。 叱って伸ばす派は、叱られる(ダメ出しされる)ことで自分の欠点を発見でき、自分がまだ伸びしろがあることを知ることができるので伸びるという理屈です。 こちらは、褒められると人はそこで満足し停滞するからダメになるとも言います。 どちらにも言えることは、あまりにも人間を知らない、人間を軽く見過ぎているという
曲も良いし歌も楽器も上手い、おまけにルックスもスタイルもいいのに全然売れない、あるいは売れはしたけど早々と頭打ちになって伸び悩んでいるという人がいます。 なんでだろうと昔から思っていたのですが、最近なんとなく分かったことがあります。たぶん、全部正解だからでしょう。 これはあらゆる分野に共通することではないでしょうか? 作品や商品を構成する各要素で80点以上出せているのに、なぜか全て足して完成してみたら50点になってしまったという現象。 なぜそうなるのかを考えてもたぶん答えはでません。 唯一言えることは、全部正解で構成した結果、完成品は不正解になりがちということだけです。 これを逆に考えてみればなんとなく理解できます。 例えば2018年に大ヒットしたDA PUMPの「USA」。 youtu.be 2020年の今だからこれが「正解」だと言えますが、リリース前にメンバーは『こ、これかよ…』とかな
ここ最近、横浜ギター教室でピッキングを教えるときは必ずといっていいほど「理論通りに」と言っています。 理論とは僕が作ったピッキングの身体操作理論です。 一通り生徒さんにそれを教えて、後はそれぞれ定着させている段階ですが、ちょっとレッスンの時間が空くと必ずフォームが理論から外れていきます。 それをまた理論内に収める作業を地道に行っています。 こう書くとものすごく頭の固い感じがしますが、実際に理論通りに弾いてもらうと音がよくなったり弾けなかったことが弾けるようになったりし、理論から外れていくと音がぼやけたり弾けていたものが弾けなくなっていくので、理論に従って進めていくのが最善であると確信しています。 理論を持つと、ピッキングに対する判断が迅速かつ的確になります。 例えば、何かのフレーズが急に弾けなくなったとしましょう。 このとき、理論を持っていなければ何が原因か分からないのでパニックになってし
ランキング参加中音楽 僕は菅野よう子氏の音楽も含めて攻殻機動隊のファンなのですが、菅野氏にはパクリ(盗作)疑惑があるということをずっと知っていました。 個人的に盗作だろうが何だろうがそれがいい音楽ならどうでもいいし、菅野氏の音楽は好きなので一切調べたことはありませんでした。 先日長年の宿題だった攻殻機動隊の解説を終え、 animesuki.hatenadiary.jp animesuki.hatenadiary.jp あーそういえば菅野さんについて変な疑惑があったなー、一度パクリとして比較されている曲を聞いてみるか……と、以下のまとめサイト(?)で確認しました。 yokokanno.ojaru.jp そして全部ではないですが一通り聞いたあと、あーこれはたぶんこういうことだと思うけど一般の人にはわからんだろうし、そもそも作曲家やミュージシャンは分かっててもこの件自体に触れられないだろうし、僕
2019年の紅白で、遅ればせながら髭男をはじめてちゃんと見ました。 それまでちらっとは聴いたことがあったのですが、はじめてちゃんと見て、愕然としました。 あまりの素朴さ、邪気のなさ……これが今のバンドなのか!と衝撃を受けました。 なんというか、家に連れて来たら母親が機嫌よくなる友達のような印象。 そもそも、バンドというものは社会のレールから外れた人がやるものでした。 さっくり時代分けすると、 戦後~80年代まで アウトロー、ガチクズ、犯罪者 80年代~00年代 ヤンキー、チーマー、社会不適合者 00年代~10年代 オタク、引きこもり、精神疾患 だいたいこんな人たちがやるのがバンドです。 もちろん全員じゃないですが。 00年代以降、バンドシーンから緩やかに犯罪の匂いが消えていきましたが、それでも社会からあぶれた人がやるものという印象はまだまだ濃かったと思います。 UNISON SQUARE
近年、DTMが浸透し、楽曲のアレンジが二極化している気がします。 ひとつはジェットコースターのような楽曲。 とにかくサプライズに次ぐサプライズでリスナーを絶対に厭きさせないぞという意気込みに満ちた曲。 ざっくり言うとヒャダイン系でしょう。 こちらは10年代の成功者に多いです。 もうひとつはコピペ曲。 これは僕の造語ですが、ひとつリフやフレーズ、メロディなどができればそれをまるでコピペしたかのように同じものが延々と続く楽曲。 全く同じリフが8小節続き、やっと新しいセクションに来たと思ったらまた同じものが8小節……。 アマチュアに圧倒的に多いです。 こういった楽曲は、退屈すぎて聴いてられません。 コピペ曲を作ってしまう要因は、音楽の聴き込みが足りないことです。 音楽への愛情が足りないと言ってもいいでしょう。 ある楽曲の、本当に素晴らしいところ、革新的な部分はうわべだけでは理解できません。 相当
ここ数年、年末年始にギターの長期オフを取っています。 理由はDMN(デフォルト・モード・ネットワーク)の発動です。 詳しくはこちらをどうぞ。 k-yahata.hatenablog.com k-yahata.hatenablog.com 休んだら脳が勝手に情報を整理してくれるという仕組みを積極的に活用するためのオフです。 今年は29日~3日の6日間ギターを触りませんでした。 で、どうなったか? 約1週間ぶりにギターを触ると新しい感覚がいくつかありました。 ちょっとしたピッキングの角度や弦との距離感など、もはや見えないほど細かいことですが、それに気づくことができ、イメージしている理想のピッキングにまた一歩近づくことができました。 さらに、イングヴェイのFar Beyond The Sunの途中でどうしても弾きこなせない部分にはじめて明確な光が見えてきました。 今考えれば当たり前なんですが、な
「あ」ではじまる名前 最近思い出したことがあるので書いておきます。 ややスピリチュアルな内容ですが、なんとなく腑には落ちるはずです。 昔、「あ」という言葉(音)には強い力があるという話をどこかで聞きました。 だから「あ」で始まる人物や会社などは成功することが多いんだそうな。 そこで改めて調べてみると、結構面白いものが見えてきました。 以下、「あ」もしくはアルファベットの「A」で始まる人物、グループ、企業などを抜粋しました。 また、アルファベットが「A」でなくても発音が「あ」であれば同じとしました。 人物の場合は名字、名前のどちらかが「あ」で始まっていればOKとしています。 歴史上の人物 安倍晴明 足利家 在原業平 天草四郎 明智光秀 アレクサンダー大王 アルキメデス アリストテレス アウグスティヌス アメンホテプ 愛新覚羅溥儀 アショカ王 アーサー王 マリー・アントワネット 科学者 アルベ
何かを続けていれば必ず失敗を経験します。 そのときに、感情をもっていかれるといろいろめんどくさいことが起こってきます。 誰でも失敗したら落ち込んだり悲しくなりますが、そのせいで立ち直れなくなってしまうと先へ進めません。 そうならないためには、失敗をデータだと思うようにしましょう。 【広告】(記事続く) データを取るという行為は、それ自体が未来を志向しています。 次どうするか、大局的なゴールに向かって今回の失敗をどう捉えるか、そのために人や企業は記録をするのです。 だから失敗をデータとして考え、記録するだけで、自然と「次はどうしようか」という思考につながります。 次を考えることができれば、少なくともそこで終わるということはないでしょう。 では仮に失敗が何度も重なったらどうするか? 数度の失敗ならデータとして記録(記憶)し、次につなげることもできるでしょう。 しかしさすがに何度も続いてしまうと
ギタリストが行うコード研究はたいてい時間の無駄です。 なぜかというと、コード研究は得てして足し算になるからです。 どんな分厚いコードを作れるか、どれだけテンションを乗せられるか、どんな奇抜な響きに出来るか、ピアノに勝てるようなヴォイシングを…… まず実際の楽曲でそんなコードを使う機会はありませんし、あったとしたらだいたい音楽的に独りよがりな内容になっていることが多いです。 その結果煙たがられて誘いが減ったら本末転倒です。 そういったことにならないためにも、コードは引き算で作れるようにしておくべきです。 では引き算のヴォイシングはどうやって作ればいいのか? 結局それもコード研究じゃないの? …… 似ているようですが、違います。 引き算の ヴォイシングは、アンサンブルとの兼ね合いです。 ベースがいたらルートはいらない、ヴォーカルがいればメロディラインの邪魔をする音は省く、ピアノがいたらもう大き
最近、脱ジャズ中級者というテーマでレッスンが進むことが多くなってきました。 ジャズ中級者とは、ジャズは一応弾けるけどなんか違う、でもどこが違うか分からないという人のことです。 100%ジャズのアプローチをしているはずなのに、なんかジャズに聞こえない、長年同じ内容の演奏から抜け出せない、新しいアプローチを試してもなぜか根本的に変わらない……という成長が止まってしまった状態。 最近、ようやくこの状態から抜け出すためのポイントが見えるようになってきました。 結論から言うと、視野を広げることで中級から抜け出すきっかけが生まれてきます。 といっても、 ジャズから一度離れてみるといったことではありません。 この場合の視野とは、何拍先、何小節先まで見えるかという意味です。 例えば、今弾いてる小節(コード)しか見えていない場合は、視野が狭いです。 次の小節(コード)が常に見えている人は視野が少し広い、4小
タレントの木下優樹菜さんがDMで一般人を恫喝したり、口止め行為をしていたことが発覚し、活動自粛に追いやられました。 news.livedoor.com www.fnn.jp このニュースを見て、僕は『あー、耐えてきてよかった!』と心から安堵しました。 どういうことかというと…… SNSをやっていたとき、定期的にめんどくさい人が現れました。 僕はそれらに対して基本的に無視を貫いてきました。 一部まともそうな人を相手したこともありましたが、途中で雲行きが怪しくなると強制的に話を切ってブロックしていました。 また、自身のブログで僕のことを誹謗中傷している人を見つけ、DMで直接やりとりしたこともありますが、その時は誰かに見られることを前提とし、誰が観ても冷静かつ論理的であるように気を付けて文章を送りました。 この件は一応和解しています。 また、生徒さんの中にもごくまれに攻撃的なメールを送り付けてく
SNSを辞めてしばらく経ちますが、最近ようやくSNSが何なのかが見えてきました。 結論から言うと、SNSとは文章と感情を強制的に近づける装置です。 本来文章は、感情を警戒し、できるだけ切り離して遠ざける性質を持っています。 そうしないとまともな文章が書けないからです。 これは小説でも論文でも同じです。 文章を書くには一定の知力、忍耐力が必要となるため、昔は特別な技術だったのでしょう。 しかし時代は進みます。 教育が普及し、文章は一応誰でも書けるようになりました。 しかし、この時点ではまだ文章は知力と忍耐力を要します。 さらに時代は進み、インターネットが出現し、SNSが浸透した昨今、文章はついに――恐らく人類史上はじめて――感情と直結してしまいました。 人は己の一時の感情をそのまま文章にし、誰のチェックを受けることなく世界に発信できるようになりました。 そのせいで起こる災禍やディスコミュニケ
僕はこれまでいろんな形で本を書いてきました。 教則本、小説、エッセイ的なもの……。 人から見たらさぞかし文章を書くのが好き、本を書くのが好きなんだと思うかもしれませんが、正直そこまで好きでもありません。 なぜなら、めんどくさいからです。 世の中にこれほどめんどくさい作業があるのかとしみじみ思うほどめんどくさいです。 じゃあ嫌々書いているのかというとそうでもないのですが、とにかく、ワクワクドキドキ楽しみながら書いているわけではありません。 地獄のような表情でぶつくさ文句を言いながら毎日書いています。 ただ、久々に教則本を書いていて、そうじゃないとダメだということを 再確認しました。 仮に本を書いていて、めんどくさくないとしましょう。 するとその人は「好き」の範疇でしか書いていないことになります。 その人の「好き」がたまたま万人の「好き」と合致していたらいいのですが、だいたいそんなことはありま
少し前、メタルについて書いたらブログが炎上しました。 もしかしたら自分史上はじめての炎上だったかもしれません。 クソリプも飛んできて「さて、どーすっかな」と考えたところ、あることを思い出しました。 それはピーターバラカンさんの炎上事件です。 www.asagei.com 僕はベビメタ好きなので、当時やってたFacebookでこの炎上に乗っかった覚えがあります。 同時に、この人どうやって鎮火させるんだろうと気になってもいました。 さて、当のバラカンさんはこの件にただの一言も言及せずに過ごしていたようです(少なくともネット上ではそう見えた)。 ツイッターにもクソリプが矢のように飛んでいましたが、全部無視しているようでした。 そして、1週間もすればこの炎上はものの見事に鎮火していました。 『なるほど、そうやって完全無視したら炎上は鎮火するのか!』と僕はそのとき学びました。 そして、いつか自分が炎
よく「本物に触れて感性を磨き云々」と言われます。 僕もずっと音楽をやってきたり、文学を読んで来たので、それを盲目的に信じ、本物と言われるものにできるだけ触れようとしてきました。 で、その都度だいたいがっかりしてきました。 例えば本物のモナリザを観たとき。 どんなに凄い絵なんだろうとワクワクしていたのですが、本物を前にすると、人だかりの奥に小さな小さな絵があって全然落ち着いて観られず、 「ちっちゃ!」 「人ウザw」 「もうええわ……」 とすぐに退散しました。 スマホがない時代でこれですから、今ならもっとイライラするでしょう。 ジャズの大御所をはじめて観たときも、どっちかというと「ふぁっ? これが?」という感じでした。 本物のムエタイをタイのスタジアムで観たときも、ロープが邪魔でよく見えなかったり、選手も小柄であんまり迫力がなくてがっかりしました。 はじめてヴィンテージギターを弾いたときも「お
関西ジャニがやっている「関ジャム」という音楽番組があります。 これが本当に素晴らしくていつも関心しています。 内容は単なる歌番組やセッション番組ではなく、また、しょーもないバラエティでもなく、毎回テーマに沿ったミュージシャンのゲストが出てきて、そのテーマについてプロの視点からきちんと解説してくれるというもの。 そのゲストも旬なアーティストが宣伝ついでに出てきたのではなく、多くは裏方のプロデューサーや作曲家、サポートミュージシャンだったりします。 そうした一流の音楽家が、それぞれのテーマについて、「へー、ここまでちゃんと説明するんだ!」と驚くほど音楽的に解説してくれます。 例えば、コード進行の中にクリシェラインが入ってるよとか、アニソンはなぜアニソンに聞こえるのかとか、有名ギタリストのサウンドの秘密だとか……。 さすがにプロなら知ってることばかりですが、それでも「知ってるよそんなこと…」とチ
横浜ギター教室でジャズを教えたりジャズについて書いたりしていると、「ジャズに興味はあるけど、好きになれるかどうか分からない」という話をよく聞くようになります。 これまでは、初心者でも分かりやすい名盤を教えたり、最初は分からなくていいからBGMに流して雰囲気だけ味わっていればそのうちわかる、といったアドヴァイスをしてきました。 それはそれで間違ってはいないと思います。 しかし、それでは「ジャズが好きになれるかどうか」という問いには答えたことにはなりません。 では、ジャズが好きになれる人とは、どういった人でしょうか? こういったとき、最大公約数を探るよりも、以外と自分の心の奥を深く掘っていく方が答えに近づいていくものなので、自分がなぜジャズが好きかを掘り下げてみることにします。 僕は17歳の頃、ビバップのコンピレーションアルバムを聴いて衝撃を受け、ジャズが好きになりました。 その後色々やって演
時々「歌ってみた」を観るのですが、ほとんどの場合1コーラスも聴かずに消します。 なぜかというと、聞けば聞くほど疑問が生じ、歌が入ってこなくなるからです。 といっても、技術的なことではありません。 ピッチもあってるし、リズムもしっかりしている、声もちゃんと出てるし、動画の作りも申し分ありません。 おまけにイケメンだったり可愛かったりしますが、それでもやっぱり疑問が生じ、歌が聴けなくなります。 疑問とは何かというと、「この人はなんでこの曲を選んだんだろう?」「この人はこの歌をどう思っているのだろう?」「この曲を歌うことで何かを狙っているのだろうか?」といったものです。 歌を聴いても本当にその歌が好きなのかがわからない、歌詞に主人公がいるのになぜか第三者的な立ち位置で歌っている、その曲を選ぶことで何かを狙っている風に見えてしまう(SEOを意識した選曲)。 決してあら探ししているのではなく、そうい
前回、最初からそこそこ弾ける人は10年ぐらいで頭打ちになると書きました。 k-yahata.hatenablog.com なぜそうなるのかというと、中身がないからです。 例えば、あるジャンルがあり、それに必要な演奏技術があります。 器用な人は、そのジャンルの匂いをパっと嗅ぎ取り、それに必要な技術をささっと習得します。 そしてすぐに活動をはじめ、周りからは尊敬されたり、嫉妬されたりします。 【広告】(記事続く) よっぽど人間が出来た人でないかぎり、色々と勘違いするでしょう。 自分には才能がある、勢いがある、プロになんてすぐなれる、そしてずっとギターで食っていける……。 そうして順調にいけばいくほど、中身を忘れてしまいます。 だって、音楽活動が順調であればあるほど、立ち止まって自分が何をやっているのかなんて考える暇はないし、自分が習得した技術を点検し、整理するなんてこともやらないからです。 た
ミュージシャンで、どうしてもヒップホップが苦手、あるいは嫌いという人は意外に多いと思います。 特にギタリストでまだまだヒップホップを目の敵のように思っている人も少なくないでしょう。 とはいえ、全く聴かないというのももったいないし、バンドマンでもわりとすんなり聴けるようなものもあります。 以下、そういった内容のものをご紹介します。 N.W.A youtu.be youtu.beいわゆる「ギャングスター・ラップ」の元祖。 メンバーのドクター・ドレは後にアメリカを代表する名プロデューサーとなります。 80年代のグループなのでいわゆるオールドスクールにあたりますが、グルーヴが比較的堅くてかっちりしており、ヒップホップが苦手な人でも入りやすいかと思います。 あと、ギターが結構フィーチャーされているところもギタリストには嬉しい。 耳で簡単にコピーできるのでグルーヴする練習にも使えます。 グレイテスト・
芸術が面白くそして怖いのは、作者はもちろん、鑑賞者の本質までたちどころに暴くところです。 例えばある本を読んだとしましょう。 その内容をクソミソにけなす人は承認欲求が高く、満たされていません。 当たり障りのない意見でやんわり褒める人は気遣いに長けているけどどこか仮面を被っています。 「最高!」「傑作!」だとベタ褒めし他人にも読め読めと頼まれてもいないのに貸してくる人はどこか支配的な性質を持っています。 「ここは好き」「でもここは嫌い」とはっきり言ってくる人はがさつだけれど表裏がない。 などなど。 音楽、絵画、漫画・アニメ、映画・演劇、各種TV番組…全てにおいて同じことが言えるでしょう。 そういった性質を普段は慎重に隠していても、芸術を介するとびっくりするぐらい簡単に露呈してしまいます。 しかも、学歴はもとより、地頭のよさや社会的地位、権力もこの芸術の作用からはほぼ逃れられません。 ときおり
日野皓正児童虐待(ビンタ)事件について何度も書いてきましたが、この事件…というよりは渦中の中学生ドラマーに対する僕の気持ちは一切公にしてこなかったので、(たぶん)最後にそれを述べておきます。 以下は単なる僕の気持ちであり、事件に対する客観的な考察でも意見でもありません。 <逸脱>した若きミュージシャンへ ドリバンのライブお疲れ様でした。 僕は今年39歳になる元ジャズギタリストです。 ビバップを中心に演奏活動をしてき、あるときからフリージャズに転向したものの、いろいろあってジャズミュージシャンであることはやめました。 ここ数年はジャズを聴くこともほとんどなくなり、細々と教えたり、時々ブログに記事を書いたりしています。 そんなある日、ビンタ事件を知り、独自にリサーチしたり考えたりし、それらを記事にもしてきました(もしかしたら目にしているのかもしれません)。 君が尊敬している(と報道されている)
僕は基本的にツイッター上では議論しないようにしているのですが(収集つかなくなるため)、本日meemee_hitsuji3さんから核心を突いていると思われるリプが来、スルーするのももったいない気がしたのでご本人の許可を取った上で引用、返信し皆さんと共有したいと思います。 確かに、身の程知らずといえばそうなのですが、勇気を持って逸脱したという点は素晴らしいと思います。 僕は以前はよくリーダーとしてジャズライブをしておりましたが、きっちり立場をわきまえた仕事をする共演者にいつもイラついていました。 まあそれが大人なんですが、自分の音楽感を海外で確立したので、日本での仕事はどうしても肌に合わなく、最終的にやめました。 だからこの少年の<逸脱>には心から感動したんですよね。 「有料のコンサートなら演者はたとえ子供でも客を楽しませるべき」 確かにそうです。 ここでまた新しいジャズ的なトピックが見えてき
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