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ノーベル賞
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「韓流3段階発展論」というのがある。第一段階は「韓流文化コンテンツ輸出」、第二段階は「現地会社・芸能人と共同で市場拡大」、第三段階は「現地合弁会社を設立し現地の人に韓国のCT(文化技術)を伝授」である。韓流による韓国発の文化コンテンツの輸出が進行すると現地政府を中心に反韓流の動きも活発となる。しかしこの三段階発展論を通じて韓流の現地化を推進すると共に価値創造とその代価の共有を進めることでwin-win体制の構築を今の新韓流は目指している。 K-POP躍進を支えている最も重要な要素として「完成度の高い徹底的なトレーニング・システム」を挙げられる。総じて言えることとして、K-POPアイドルはライブ・パフォーマンスに優れている。そしてその背後には体系的なアイドル育成システムがある。例えばSM社は練習生から歌手としてデビューするまで数年かけて、そして分業体制下でアイドルを育成している。例えばアー
元々日本社会は助け合う社会。助け合うということは義務や責任を共有することでもある。小さな島国に住んでいて誰かに全ての責任を負わせるのは酷だということで特定の人に全ての責任を負わせるようなことはしない風潮があった。`リスクはみんなでシェアする`これは同質性の高い共同体としての日本人が共に生きるための生活の知恵であったがそれが歪んだ方向に進んでしまうと国民全員が責任転嫁に走り最終的には誰も責任を取らない状態に陥る。まさに今の日本社会である。 現行の菅政権には国を動かすアイデアも実行力もない。官僚を上手く巻き込まない政治主導が日本で成功するはずがない。今の日本はなんだかんだ言って官僚が実体的な権限を有している。官僚にしてみれば自民党より民主党の政治家を操るのがはるかに簡単だろう。日本には行政府(官僚)が立法府(政治家)の役割まで果たして来ており、それは民主党政権になってからも変わっていない。
今回の訪問で私は韓国を見直した。 草食化する日本に対し、韓国は完全に猛獣化していた。特に印象的だったのはある経営者と話している時のことだ。海外、特に開発途上国で韓国企業が日本企業と入札競争になった場合、100%勝つ自信があるという発言。一方、中国企業と入札競争となった場合は勝つ割合は半々くらいだとか。中国企業の攻撃性も去ることながら中国政府の後押しが凄まじいようだ。東北アジアの情勢は既に大きく変動している。それに気づいていない(気づこうとしない?)のは日本だけではないでしょうか。 韓国出身の自分が学者としての客観性を意識し過ぎた結果、韓国の競争力をある意味、厳しく評価し、その結果、過小評価してきた傾向があったことは認めよう。しかし今の韓国の勢いは本物でそう遠くない将来に(現行の諸体制を維持した場合)日本は韓国に完全に追い越されるのは明白に思える。 実際、韓国人の頭の中に憧れの日本は消えてい
物事を構造的に捉える。そうすると本質が見えてくる。 何を隠そう、私はメモマニアだ。学生時代からいつでもどこでも何でもメモをとる。アイデアが浮かんだ時にすぐそれを文字にしないと、そのアイデア、そしてそのアイデアを形容するのに最も適した表現が逃げてしまう気がするので、アイデアが浮かんでから30秒以上、間をおかずとにかくメモるようにしている。 メモというのは不思議なもので、最初メモをとろうとした内容よりも、メモをとる過程の中で当初は想定もしなかった新しいアイデアが次々と出てくるものだ。それもあって私は一人ブレストをするとき、いろいろ考える前にまずは何か書き始めることにしている。悩む前にアクションを起こす。アクションを起こした結果がデフォルト(初期設定)となり、次に進む上での出発点になる。アクションを起こすことで常に出発点が更新される。 自分が書いたメモは後になって読むことは殆どない。メモるという
境界というのは分類という行為によって生まれる。決して自然発生的なものではない。分類は人為的なものであると同時に権力闘争の産物である。分類が明確に決まるまで結論は曖昧なものだが一旦社会的な合意が形成されるとそれが覆されることは滅多にない。 そして時間が経過すればするほどそれは揺るぎのないものになっていく。その分類は合意形成された時からの変化の度合いが高ければ高いほど時代遅れになっていくのも事実。にもかかわらず一旦収束された分類が変化することが希なのはその分類によって権力を維持している人達がいるからだ。なので改革の成功には分類軸の変革が必須事項だ。 それではなぜたったの分類ひとつで権力闘争になるのか。それは分類が我々の思考を構造化し固定化するからだ。分類は差異に基づいて決まるわけで従って物事や人間のアイデンティティを規定する。 既存の分類に順応するとその境界の中で飼われることになる。殆どの人は
他人の目に映る自分の姿を過大評価してしまう弱さを我々は持っている。それを日々の心がけを通じて除去しない限り心の平穏さや自由そして幸福を手にすることは出来ない。なぜなら他人の目というのは自分では統制出来ない上に気まぐれなものだからだ。 自分を貫いた結果として他者からの評価を受けることは名誉なことで喜ばしいだが、①他人の評価を受けるために努力する、②自分を貫いたものの他人に評価されなかったことで苦しむ、③自分を貫けなかったが他人の評価を受けたことで喜ぶことは決して人間を幸せにしない。 我々の感情の乱れや心配事の大半は他人の目を気にし過ぎることから生まれると言っても過言ではない。逆にいえばこの他人の目に対する自分の姿勢を改めることで殆どの苦しみや心配から自分を解放させることが出来る。 そして認識すべきは他人は自分が思うほど客観的でも公平でもないということだ。しばしばそこには「社会はゼロサムの世界
「自分の前では相手が自然体になれる自分になる」 これは対人関係において私が目指すところ。 そういう自分になるためにはどうすればよいか。 以下、私が対人関係で心掛けている6ヶ条。 第一に「穏やかになること」 イライラする人、すぐ興奮する人。こういう感情を統制出来ない人の周りに人は集まらない。自分の感情を統制し穏やかになることは「言うは易く行うは難し」だ。これには日常の修業が必要。イライラが伝染するように穏やかさも伝染する。自分が穏やかさの伝染の起点になれるように心掛けることだ。 第二に「肯定のオーラを出すこと」 無理して出すのではなく、自然に出るように日常から心掛ける。物事には光と影の部分がある。極力、光の部分を見るようにする。光の部分を増やすにはどうすればよいかを考え行動すること。 第三に「偏見や先入観を捨てること」 表面的な要素に左右されないこと。相手を性急に決めつけない。そのためにも自
「体の中で脳の中で彷徨う細胞を集結させ、一つの方向性に向けて並ばせること」 これが私の集中力の定義。 集中力はゼロから創り上げるものではない。 既にある兵卒(=細胞)を指揮し、方向付けする。 横に広げるのではなく縦に並ばせるイメージ。 集中力を発揮するためには、 明確な優先順位付けや目標の設定が前提となる。 集中するにはかなりのエネルギーが求められるので集中する対象への確信は必須だ。 集中力が高まると、思考の早さや深さが変わってくる。 ある一定期間の中での「論理連鎖の数」や「論理連鎖の精度」を 人より何倍も高めることが出来る。 その結果、相手より論理展開のかなり先に到達して、議論することになる。 これが交渉である場合は「自分が考えた落とし所に相手を導いていく」ことが出来る。 「体の中で脳の中で彷徨う細胞を集結させ、一つの方向性に向けて並ばせること」 ということは、一つの命令系統に絶対服従さ
「権威に押し潰されそうなとき、どうすれば良いですか」 これは卒業生から良く相談される問題です。 社会は人間の集まりなので、どうしてもパワーゲーム的なところがあります。 人間は一旦権力を手に入れると歯止めがきかず、暴走するところがあります。 人間が最初からそうであるとは言いません。 若いときは純度の高い志に基づいた言動をするものですが、 権力の行使に味を占めると、やめられなくなるようです。 若いときに権力の怖さを痛感した人であればあるほど、 そしてその怖さを意識し、自分の言動を曲げてきたという意識があればあるほど、 それを手にした時、他者に向けてそれを使いたがる傾向があるように思われます。 権力で苦しんだ若き自分への慰安とでもいうべきでしょうか。 社会生活をしていると、 誰しもが上司と上手く付き合えない場面、 上司の権威に苦しめられる場面、 に必ずといっていいほど直面します。 それは上司が意
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