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詩学の言語使用論的問題──マリー=ロール・ライアン『可能世界・人工知能・物語理論』 (同書の拙訳[水声社]訳者あとがきを改稿) 岩松 正洋 本稿は、Marie-Laure Ryan, Possible Worlds, Artificial Intelligence, and Narrative Theory, Bloomington / Indianapolis : Indiana University Press, 1991 の登場にいたる物語理論の流れを俯 瞰することを目的にしています。第 1-3 節では、英語圏の研究者たちが(物語論にたいする ルサンチマンからでしょうか?)しばしば勘違いに基づく構造主義詩学批判を行ったこと、 そして日本の英米文学研究者がその誤解を輸入してしまったことに触れます。『可能世界・ 人工知能・物語理論』自体の性質については第 6 節以降に触れます。同書にい
「遊び」と「虚構」 ――カイヨワ『遊びと人間』を読む―― 近藤秀樹 はじめに: カイヨワにおける「遊び」と「虚構」 ロジェ・カイヨワ(Roger Caillois 1913-1978)の著作は驚くほど多岐にわたる。 『人間と聖なるもの』『神話と人間』といった、社会学者としての仕事があるかと思え ば、『詩法』『幻想絵画論』のような、文学や絵画を扱った著作があり、昆虫の擬態につ いて斬新な解釈を示したかと思うと、探偵小説について論じてみせる。残念ながら彼は 「虚構」そのものを主題とした著作を残さなかったが、彼の扱ったテーマには、「夢」 「想像力」「聖なるもの」など、「虚構と擬制」というテーマと関連するものが少なくな い。「遊び」もそのひとつである。 カイヨワの『遊びと人間』(Les Jeux et les hommes, 1958)は遊びの研究の古典で あり、カイヨワ自身の言葉を借りれば「シ
京都大学人文科学研究所共同研究 「虚構と擬制――総合的フィクション研究の試み」 (班長:大浦康介/2005年4月〜2009年3月) 本研究は、従来文学、哲学、論理学、法学などの分野で行なわれてきたフィクションの研究を相互に関係づけるとともに、美術や音楽、歴史学、 人類学、自然科学などの諸学問における同種の概念の有効性を検討し、あわせて総合フィクション学(General Fictology)とでも呼ぶべきディシプリンの構築をめざすものである。 文学における虚構(小説、演劇)、映画やテレビドラマ、種々のゲームや子供の「ごっこ」遊び、様相論理学があつかう可能世界、民法などでいう擬制、歴史記述の物語性と「うそ」、宗教儀礼の仮構性、自然科学の真理探求における作業仮説やメタファー―――それらの共通点と違いはなにか、またそれらを貫くフィクション概念の定立は可能か。 4年の期間内に、先行研究の整理
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