サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大谷翔平
murakumo1868.web.fc2.com
【1】Century Gap 1.主食について こういうものを食べていただろうというイメージ画 当時は1日2回の食事を摂っていた。朝10時頃と夕方4時頃。 ただし朝早くから出仕する下級官吏や大工などの肉体労働をする人々は1回目の食事は必然的に早くなり、間食…昼食(硯水(けんずい)という)を摂っていたようです。 確かに長時間労働や肉体労働では体がもたないでしょう。 1日3回となったのは鎌倉時代からと一般的には言われています。 私もそう思っていましたが『日本料理の歴史』(熊倉功夫/吉川弘文館/2007)を見ると以下のようにありました。 ・1日2回の食事は鎌倉時代辺りまでは守られていたが、公家社会では段々と3食になっていった ・寺院は本来1日1回であったが、非時とか点心という名目で2回になり、室町時代になると3食という例も ・庶民と武士は長い間2食(恐らく戦国時代頃でも) 食事の回数は地域や身分
明治天皇と塩コーヒー事件 塩コーヒー事件といってもお分かりになる方は殆どおられないと思います。 何故かと言いますと、この話は1999年に新聞紙上で報道された歴史系の記事だったからです。 現在2008年、既に9年経っておりますし、読んでいても覚えてらっしゃらない方も多いのではないでしょうか。 1999年3月20日に産経新聞紙上に掲載されたものです。 読んでみますと、 「明治時代に来日し、創成期の陸軍大学の教官を務めたドイツ軍人、ヤコブ・メッケルが明治天皇や皇后に会ったさいの印象などを記した報告書(コピー)」 を産経新聞が入手したとあり、その報告書に関する報道でした。 この報告書は、メッケルが帰国後に認めたものだそうです(どこ宛の報告書かの記載無。陸軍当局宛でしょうが)。 報告書原本は第2次世界大戦の戦災で焼失してしまったようですが、そのコピーをメッケルの親類にあたる方が保存されていたとの事。
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『murakumo1868.web.fc2.com』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く