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ノーベル賞
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移動ドで考える訓練についてで「ドレミ」は世界的に見て階名に使うものであり、音名に使うとは何ごとか(意訳)というコメントを頂戴しました。 もちろん、階名が世界的に「ドレミファソラシド」であるのは事実です。Wikipediaなんかを見ていると階名の「ドレミファソラシド」はイタリア語の音名を借用してきて階名に使っているという記述がありますが、この説明、間違いではないにせよ、正確ではないと私は考えます。 なぜなら、イタリアでは音名と階名を区別していないからです。どちらも「ドレミファソラシド」なのです。だから、「イタリア語の音名を借用してきた」は間違いではないですが、「イタリア語の階名を借用してきた」も正しいわけで、しかも、階名としての「ドレミファソラシド」は世界的に使われているので、それを、イタリア音名を(違う目的である)階名のために借用してきて日本では使っている、のように記述するのは、何か悪意の
C = 「Cメジャー」の由来について考える C major scaleは、自然倍音に近いスケールとなっており、このことから「major scaleは、自然倍音に近く、よく使われる(majorなほうの)スケールである」と説明されることがあります。 この説はたぶん正しいと思うのですが、そのあとmajor scaleが成立したあとピアノが作られ(C major scaleの音が白鍵に並ぶように)、ピアノ譜が書きやすいように楽譜がいまの形になったので、結局のところ、major scaleを楽譜をベースとして考えるほうがわかりやすいと思います。 つまり、major scaleは長三度、長六度、長七度という長音程(majorの音程)がふんだんに使われているのでmajorであると考えたほうがコードネームが理解しやすくなります。 C7 = C + m7なのは何故なのか? CメジャーとCマイナーの和音のコー
音程とは距離である 「音程が合ってない」などと日常会話で使いますが、和声学で「音程」というとインターバル、すなわち、音と音との距離のことです。日常会話で言うところの「音程」は「音高」の意味で、もしくは、「スケールの主音からの音程」ということになるのでしょう。 音程は1 originである さて、この音程についてですが、ユニゾン(同じ音高)の場合で「完全一度」(オクターブ違いのときは「完全八度」)と言いますね。1から数えはじめることになっています。 距離なのに1から数えはじめるっておかしくないですか?おかしいです。距離なので本来はゼロから数えるべきです。 そうは言ってもそうなっているものは仕方ありませんね。 このように1から数えはじめることを「1 origin(いち・オリジン)」と言います。普通距離は「0 origin(ゼロ・オリジン)」なわけですが、1 originになっていると0 ori
ペンタトニックスケールが誕生するまで 通例、major scale / minor scaleにおいて、1オクターブ12音から7音を選んで使っている。major scaleの主音(開始音)を短三度下げるとminor scaleになる。major scaleは自然倍音に由来するので、その意味において比較的自然発生的なscaleだと言える。 使う音を7音よりもっと厳しく選出するとどうなるだろうか。例えば1オクターブ5音とする。12から7つ選ぶ組み合わせは結構あるが、major scaleのときと同様、自然倍音に近い形で選ぶほうが自然なscaleが出来上がることは自明なので、であればmajor scaleから5音選ぶものとする。 このとき5音を選ぶ基準として、半音でぶつかるところを無くすという方針を採用する。半音は半音で哀愁ただよう雰囲気を醸し出したり、何かと魅惑的ではあるが、いまはなるべく汎用
ここではメロディに働く重力について考えみよう。メロディはこういう力を受けるというものを重力と呼んでいる。 自然なことは良いことではない! 自然であることが良い音楽とは限らない。その自然さに対して抗いつづけるのもまた音楽である。 そもそも自然な状態が良いと言うなら、音なんて全くない状態が自然なのである。しかしそれでは音楽とは言いがたい。 例えば、メロディラインとして何が自然であるかを知っているなら、メロディラインは自然な進行にして、和音だけやや強引な進行にすることができる。そうすることで和音進行が不自然であることの違和感がやわらぐのだ。 このように音楽を構成していくとき、何が自然であるかを知っていることはとても重要なことなのである。 落下する力 高い音は下に落ちようとする。低い位置に戻ろうとする。高い声を張り上げ続けるのが辛いのと同じで、高い音は落下するのが自然である。 反復する力 「ドレミ
はじめに断っておくが、本記事はボーカルの人の悪口を言う趣旨ではない。そういうつもりは全くない。その点だけ念頭に置いて読んでいただきたい。 私はこの春から音楽活動の一環として、バンドをはじめたのだけど、バンドメンバー募集サイトでメンバーを募集しても来るのはボーカルの人がほとんどである。 ボーカルは楽器経験者と違って、「俺って上手いんじゃね?」といくらでも勘違いすることができる。例えばギターであれば、速いテンポで演奏できなければ、その時点で「俺ってギター下手だなぁ」と気づくわけであるが、ボーカルは本人はなかなか下手であることに気づかない。そもそも、下手であることが自覚できる程度に音楽的な能力(感性?)があるならば、そんな人はもっとうまく歌えていてもおかしくはない。自分が下手なことにすら気づかないような音楽的な能力しか持っていないからこそ、下手なのがなおらないわけであるな。 そんなわけでボーカル
借用和音は普通、近親調から和音を持ってくる。近親調だと調号が似ているので、新しい音が少ないという理由からである。例えば、属調や下属調であれば、現在の調の7音のうち、6音までは共通である。 このことは12平均律に限らない。53平均律や、もっと一般化されたものを想定しても、やはり借用和音は調号の近い調、共通音の多い調から持ってくるほうが自然である。 しかし、モーダルインターチェンジにおいては、共通の音がどれだけあるかというのはあまり問題ではない。何故なのか?モーダルインターチェンジはどういう概念なのか?それは借用和音とはどう違うのか? 普通、モーダルインターチェンジというのは、主音を同じくする別のモードに変更する(もしくは、その別のモードから和音を借用してくる)ことを言う。 例えば、ドを主音とするmajor scaleは、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドである。ドを主音とするnatural m
音楽未経験者がト音記号の右肩についている1個のシャープ記号(#)について質問した。 「この#はなんですか?」 この音(ファ)が出てきたときに、ファは半音上げるということだよ。 「何故、ファだけ半音上げるんですか?」 #(と♭)がひとつもない場合、どの音も元の音から変化しないから、「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド」だよね。このとき、主役となる音は「ド」だ。(以下、ハ長調の説明や平行短調、からト長調の説明などがここに入るが割愛。) 「ということは、#が1個だと、主役の音はソから始まる長調か、ミから始まる短調だということですか?」 そう。 「それがつまりト長調とホ短調?」 はい。 「それっておかしくないですか?必ず7音使うことを前提に話を作っていませんか?」 え。 「だってそうでしょう?ト長調だからってソ・ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ#の7音すべてを曲のなかに使わなくてもいいわけでしょう?ソだけの
曲のコード進行を分析するとき、それが転回形であるかどうかは問題としないことが多い。本当に転回しても同じ機能を持っているのか?転回すると響きにどんな違いが生じるのか?メジャーの和音は転回してもメジャーの響きがしているのか?音楽理論書にはこういう部分について何も書かれていない。 本ブログでは毎回そんなことを書いているが(あと100回ぐらい書くとは思うが)、私はこういう部分に対してきちんとした説明がないと理解がそこから先に進まないというやっかいな頭脳の持ち主なので、どうか御容赦いただきたい。 そこで、私が20年ぐらい前に発見した超超超すごい法則(中二病か!)をいまここで盛大に発表する。 和音に関する超超超すごい法則 いま、ある音程を2つに分割しようと考える。例えば、c(ド)とg(ソ)を2つに分割しよう。cとgの間にある音から選ぶ。このとき12音階でなくてもいいのだが、書きにくくなるので12音階で
長和音(メジャーコード)の11thは何故avoid noteなのか。音楽理論の入門書でこれに対して明快な説明をしてくれた本はただ一冊しかなかった。それ以外の理論書は私にとって本当にゴミだった。残念なことに世の中にはゴミのような音楽理論書がほとんどだったのだ。 順を追って話を進めよう。まず、アヴェイラブル・ノート・スケールという概念がある。 アヴェイラブル・ノート・スケール(Available Note Scale)とは、バークリーメソッドと俗に言われる音楽理論で用いられる概念である。 アヴェイラブル・ノート・スケール – Wikipedia 詳しいことは上記のリンクを見てもらいたい。 この理論(概念?)では、C major scaleにおいてC△7を弾いたときにfがavoid noteだと言うわけだ。 ※ 本記事では小文字で表記するcやfは、和音ではなく単一音の意味である。逆に大文字でCと
音楽理論の位置づけ 一言で音楽理論と言っても多岐に渡る。最初に結論だけ言っておくと、いわゆる音楽理論ではそんな詳細な曲の作り方まで取り扱わないし、取り扱えない。いい絵を描くのに美術理論や美術批評が何の役にも立たないように、いい曲を作るのに音楽理論や音楽批評は何の役にも立たないと言っても過言ではない。 音楽的な感性を磨くための時間を99%とするなら、音楽理論のために費やす時間は1%でいいと私は思う。しかし、この1%が0%であってはならないし、逆にここが10%を超えるようならばそれは配分に問題がある。 音楽理論俯瞰図 いまからの説明で、いくつかの概念がその意味の説明なしに出てくるが、これらについて詳しいことはこのサイトの別のページで書くのでいまの段階では説明しない。どの概念がどの概念に依存しているのか、その依存関係図を頭のなかで構築するのに役立てて欲しい。 まず、2つの音が与えられたときの音と
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