サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
Nintendo Direct
note.com/557dg4
結論から先に言えば「同族嫌悪」です。 彼らはことあるごとに様々な理由でオタクの空気の読めない言動やキモさを槍玉にあげ、「だから貴方は非モテなのだ!」と結論付けます。 対して、彼等は自らが如何に異性とパコる方法論を確立し実践してるか?を語りますが、ナンパ理論にしろ恋愛工学にしろ錯覚資産にしろ言ってることは全て「自分の気持ちに対して評価を求めるのをやめろ!評価のために気持ちをのせずに行動しろ!」の言い換えに集約されます。 またキラキラ女子等の言ってることも、凡そは「貴方の気持ちなんでどうでもいいから、こちらの求める行動して」の言い換えに集約されます。 一方でオタクは良くも悪くも観念的で
Twitter上の議論が拗れる理由は色々ありますが、最大の理由は「そもそもナニを論点として、ナニについて話し合い、ナニを決めるのか?」という議論の前提がなく、またソレを参加者間で合意・共有することも出来ないからです。(オープンスペースなので当然ですが) しかもTwitterは、ソノRTの性質上「穏当で複雑な意見より、過激で単純な意見のほうが目立ってしまう」という最悪の構造があります。 その為、Twitterではコノ「ナニを議論しているのか?」と「過激で単純な意見が目立つ」を組み合わせて、容易に「相手のアレな意見を正論で叩き潰して議論に勝利した」というポーズがとれてしまいます。 実際、Twitterで議論してる方の大半は「如何に自陣営に対してウケがいい意見を言うか」「如何に相手陣営が愚かであることを示すか」「相手陣営を嫌がらせ、自陣営の溜飲を下げるか」等の勝利のポーズを誇示するかに終始してお
貧困は遺伝します。 正確には貧困が人間にもたらすリスクには遺伝性があります。 近年では、貧困がもたらす様々なストレスが人間の身体に悪影響を及ぼすことが科学的に証明されています。 例えば2016年デューク大学クリスチャン・H・クーパーの研究によると、青年期に貧しい社会経済的状態におかれた青年は「ギリギリの生活がいつ破綻するか?」という不安に苛まされ、セロトニンという幸福感を脳に与えるホルモン感受性遺伝子がバグり、メンがヘラりやすくなるという事が判明しています。 また2014年ブリストル大学の研究では、飢餓や喫煙によるストレスは3世代に渡って影響を及ぶすことが明らかになりました。またホロコーストの影響も、現在3世代に渡ってソノ影響が確認されています。 これらの研究結果が示唆するのは、第一に「貧困がもらたすストレスは生涯続く影響を持つ」ということであり、第二に「これらの影響は遺伝する」とうことで
他者は基本的に不快な存在です。 古代中国の思想家老子は「小国寡民」、国民の少ない小さな国こそが理想としました。インターネットやってると、コレが理想な理由がよく分かるでしょう。インターネットで我々は日々、思想の異なる他者、異様な人格のする他者、攻撃的な言動をとる他者…etcの不快な他者に悩まされています。 結局、人間の快適な環境とは「みんなが同じ価値観を共有している小さな村」に尽きるのです。自分と価値観の異なる他者と関わるのは一般的にはストレスであり、そんな方と関わり合いになるのは誰もが避けたがります。 現実空間でも人間は様々なスクリーニングを経て「小さな村」を作ろうとします。それは例えば受験であったり、サークルであったり、就職であったりし、周りには同じような属性・価値観を有する方々で固まっていきます。 こういった現実空間とインターネットを比較して「インターネットには壁が無い」と評する方もい
結婚したいなら、絶対に婚活に手を出してはいけません! Twitterでは婚活コンサルティング的な肩書きを自称する方々が婚活について色々語ってますが、彼等は結局「モテる方は結婚出来る。モテない方は結婚出来ない」以上の事は言いません。というか彼等は要するに現場報告をしているだけで、そもそもコンサルしてない印象です。 また恋愛コラムを執筆してる「えっ貴方、なんか随分色々恋愛やらメンタルやらが大変そうだけど他人の悩みに答えてる場合なの?」的なライターも、結局は個別事例を数例あげて「妥協が大事かもしれない」or「妥協すべきではない」的なふんわりとした結論しか出せません。 何故、彼等はハッキリと「婚活ならではのメリット」やソレを活かすような戦略、または婚活自体の前向きな楽しみを述べるのではなく、まるで婚活を苦行のように扱い、その不安を煽るand/or慰めることしか出来ないのでしょうか? その理由はただ
・女を期待されるということ ジブリ映画「かぐや姫の物語」におけるかぐや姫は、私達がよく知る昔話をベースにしながら、現代に生きる女性として意識されている事は間違いありません。 かぐや姫は思春期を迎える頃に生まれ育った田舎を離れ、色々と教養を学ぶために都へと連れて行かれます。 しかし、そこで良かれと思って施される教養は姫にとって抑圧を意味していました。 騒ぎまわる事を禁止され、嫌な勉強を強制され、お歯黒をされ笑うことを封じられます…何故なら、それが「良い女」の条件なのですから。 しかし、これは本来は野山を駆け、気ままに同年代の子供達と遊ぶことが好きな姫にとっては、自分自身を捨てろ!と言われるに等しい苦痛でしょう。 かぐや姫は教育係に向かって「高貴な姫君は、人ではないのね」と言います。姫の主観における高貴な姫君とは、女?という型に押し込まれた人形でしかないのです。 そして姫は成人式でお祝いされる
*Twitterから入られた方へ、この記事は無料です 今インターネットの一部の界隈で「note」なるサービスが持て囃されています。noteとはネットからテキストや画像や動画等のコンテンツを投稿し、それを自由に値段つけて販売出来るというサービスです。 このサービスで、今までネットの収入を広告やアフィリエイトに頼っていたブロガーやツイッタラーや山師が「クリエイター支援だ!」「革新的だ!」と、嬉々としてマネタイズに乗り出しています。 しかし正直私としてはコレ「単なる情弱を釣るサロンビジネスにしかならないのでは?」という確信を持っています。 というのも、そもそもnoteは 理由1 追い銭にしかならない そもそもコンテンツはまず「触れて貰ってナンボ」です。どれだけ良いコンテンツを作ろうが、見るand/or読んで貰えないことには意味がありません。 「いやいや、良いコンテンツは必ずアクションを貰えるはず
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『脱税レイヤー風呂屋さん|note』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く