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都知事選
note.com/takeshisakuragi
写真:ダマスカス郊外ドゥーマの反体制派地域でのアサド政権に抗議の声をあげる市民(2012年4月撮影) 今回、NewsweekのWorldVoiceに掲載された記事が、ひどい!とシリアを知る方々からいろいろと抗議の声が上がっています。記事がこちらになります。 「For Sama」というドキュメンタリー映画が描くシリア内戦と「正義とは何か?」という疑問 執筆者:木村菜穂子 https://www.newsweekjapan.jp/worldvoice/kimura/2021/11/for-sama.php?t=1&cn=ZmxleGlibGVfcmVjcw%3D%3D&refsrc=email 冒頭から語られている「For Sama」の作品の感想は決して悪いものではありません。シリアの戦争の悲惨さを実感した筆者の感想が述べられています。ただ、問題なのは、アレッポを破壊しているのはアサド政権だと
写真 : 住民が逃げ出したマンションを拠点にする自由シリア軍(2012年11月 イドリブ県ハーレム) 筆者撮影 可能であれば、僕の著書を読んでいただければ詳しく記してあるのですが、なかなか時間も取れない、そもそもシリアに興味はないけど、安田さんの一件で多少は気になる、そんな方に向けて、簡単にシリア入国の経緯についてお伝えできればと思います。 安田さんの記者会見で、僕が興味を引かれたのは入国の手順です。安田さんは、なぜか分からないが、フィクサーとは別の人間について行ってしまったと告白していました。これは正直、信じられないことです。本人も首を傾げていましたし、その理由をうまく説明できていないようでした。フィクサーとは自分の命を捧げるほどシリアでは貴重なパートナーです。僕は計6回、シリア入りしています。その手順を簡単に書き記せたらと思います。 ・1回目、ダマスカスー2012年3月〜5月ー ダマ
写真 : 殉教した戦闘員の前で悲しみに暮れるムジャーヒディーン(2014年5月) 筆者撮影 なぜリスクを背負って現場に足を運ぶのか。日本国内ならいざ知らず、日本人が興味を示さない国にわざわざ出向くには何か特別な理由があるのか。僕の意見が参考になるとは思えませんが、個人的な見解を書いてみたいと思います。シリアに限らせていただきます。 ・伝えたいという使命感 ニュースから流れる映像はそれだけでもシリアが悲惨な状況にあることは誰でも理解できました。ただ、生身の人間として、果たしてどこまで感じ取ることができるのかは個人差もありますが、実感が伴いません。爆弾が落ちてくる恐怖、スナイパーに狙われる恐怖、衣食住に事欠く恐怖、また命を失う危険性が十分にありながらも、その場に留まり避難をしない人々の複雑な心境。彼らの代弁者になるには、実際に彼らと同じ視点に立つことが一番効果的です。現場に立つことの重要性で
写真 : カルカッタから120キロ離れた町ミドナプール郊外の貧しい農村(2010年7月) 筆者撮影 紛争地や治安が悪い場所に向かうと、予期せぬ事態にも見舞われます。予期しないので事前に防護策を確立することは困難です。対処法があるとすれば、一つだけになります。それは、取材を諦めるという選択肢です。 これまで話してきた被弾の件もその一つです。ただ、常識的に考えれば、目の前で戦闘が発生すれば、そのど真ん中に飛び込むことはありません。なので、カシミールの件は僕の完全なミス、自業自得です。それとは別の体験を一つお話しできればと思います。 ・インド共産党毛沢東主義派(ナクサライト) 僕はフリーなので、なるだけ誰も取材したことがないテーマに手を出したいという思いがありました。マイナーなテーマは需要が少ないですが、競争相手もいません。カシミールの取材がひと段落してしばらく経った2010年夏、新たなテーマに
写真 : アレッポの最前線で政府軍と激しい銃撃戦を繰り広げる自由シリア軍(2014年5月) 筆者撮影 安田さんの件で僕が触れられることは、彼自身の行動の賛否を個人的に語る前に、シリアの情勢を見ながら、果たしてどこまで妥当性があったのかを検討してみる必要があるかなあと思いました。僕が考える結論は、安田さんの行動には賛成です。結果、拘束されましたが、このような事態は実際に現場に向かわなければわからないから、難しいです。 危険だから行かないという判断も可能でした。ただ、行かなければ、何も得られない。さらに安田さんが入った地域は成功すれば世界的に素晴らしいルポが期待できながらも、たぶん日本ではさほど評価はされないテーマ、つまり稼げないにもかかわらず、向かいました。それは報道する価値がある、金が全てではないという、伝えるといった使命感に基づいていると思います。 ・2015年3月からの激変 ファトフ
写真 : アフガニスタンのジャララバードでケシの実からアヘンを掬い取る農村の風景(2004年4月) 筆者撮影 シリアを取材する直前まで取材をしていたパキスタンの麻薬事情についてお話しします。カシミールでウルドゥー語を半年間学んで、パキスタンに乗り込み、パキスタン・タリバンを取材しようとしたけど、リスクが高すぎて、カラチでターゲット・キリングの取材に変更したけど、これまた上手くいかず、頭を悩ませ街中をうろついていたところ、ある集団が目に付きました。 ・大量に流れ込むアフガニスタン産のヘロイン 取材期間は2010年12月後半から2011年2月初旬までになります。「アラブの春」でメディアが盛り上がっている最中、僕はパキスタンでヘロインを追っていました。世界で使用されるヘロインの85パーセントがアフガニスタン産と言われています。2004年にアフガニスタンに訪れた際、公然とケシが栽培されているのには
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