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大谷翔平
nyankichitter.hatenablog.com
巷で話題になってんだか、なってないんだかわからない『M 愛すべき人がいて』を読んだ。 amzn.to この本には、あゆがスターダムに駆け上がるまでのデビュー秘話と、そのきっかけをもたらした、松浦専務(当時)との大恋愛と喪失が描かれている。 この数年は本業よりもゴシップがフォーカスされることが多いあゆ。 その状況を、決して少なくない数のファン・元ファンが嘆いているのに対し、ここへきて昔の恋愛を私小説的として、間接的に世に送り出した。 ファンの想定の斜め上を行くどころか、ど真ん中かき分けて逆を行くストロングスタイルである。 しかしこの本、予想以上にエモかった。本を読み進めながら、当時の物悲しそうで厭世的で華奢でキラキラとした、あの頃のあゆが浮かんでくるのだ。 この本は、著者の小松 成美さんというライターの方による、あゆと松浦氏ふたりへのインタビューが全てのベースとなっている、「事実を基にしたフ
数年前に美容室で読んだ、あるアラサー向け女性ファッション誌の一番後ろに「新卒入社時に優秀なのは女性ばかりなのに、途中で成長が止まり、失速する」という主旨のコラムが載っていたことを、昼間会社の給湯室で焼きそばの湯切りをしていてふと思い出した。 数年前にとったメモを見返しながら書いているので引用が誤っていたら申し訳ないが、著名なコラムニストの方が執筆されたそのコラムは、以下の論旨で展開されていたと記憶している。 『女性は若いうちに「周囲に誉められたい」という「承認欲求起因」の仕事の仕方から早く卒業し、「結果を勝ち取るという過酷なゲーム(=仕事)の面白さに目覚めよ」』 ・・・果たして読者は「その通りやで!」と突如としてプレイヤーモードに入れたりするのだろうか。個人的には、仕事をする上での大前提は「個々人のモチベーションの源泉=個人が持つエンジンは異なること」だと思っている。 そのエンジンと仕事や
アラサーと一括りにするのは畏れ多いのだけど、都心のアラサー女子の占い受診率(課金型)ってどのくらいなんだろうか。わたしの周りで聞くと、一度きりの経験を含めると約半数以上は経験があるのではという所感。 男性が社会人になったら初任給握りしめて風○デビューをするがの如く、28歳を過ぎた女性は占いの課金に走る、というのは完全なる私見ですが、「アタシはしいたけ占いで充分だから関係ない話♪」と思ったそこのお肌ぴちぴちの貴女。 無料の星座占い・コラムでは飽き足らず、「人間が12タイプで区分出来たら世話ないんじゃい!」とよりパーソナルな傾向と対策を求め対面占いに駆け込み、さらには電話占い・スピリチュアルに進むエリートコースを諸先輩方がひた走ってきたのをいつまで「他人ごと」と言えるかはわからないんだぞ(誰目線)。 言うまでもなくわたしは肝心なところで他力本願で思い込みが強くかつ予測を後から答え合わせができる
先日、ふとはぁちゅうさんのブログを読んでたらこんな記事に出会った。 「なんでみんな、すぐに悲劇のヒロインぶりたがるのかな」 lineblog.me 最近noteを始めたっぽい人のつぶやきを たまたまこの間、見かけたんですけど、 「やっぱ私にはnoteで稼ぐのとか無理…心が折れた…」的なことを つぶやいてるのみて、 「まあ、本人がそう思うなら無理だろうね」って思いました。 (中略) それにしても、なんでみんなそうやって始めたばかりのことに、 結果を求めるんだろう? noteとかそもそも始めてから、お金とかの成果に結びつくのには それなりに時間がかかる場所では…? noteのことに限らないけど、すぐに結果を求める人って なんで人の成功してる部分にばかり目を向けて、 それ以外の努力の部分に、気づかないんだろう? どうして他の人が、時間をかけて築いたものを 自分は一瞬で得られると思えるんだろう?
先月の『週刊文春』に、ベッキーから届いたという手紙が掲載されていた。 事実の詮索や是非は置いておいて、わたしがこの騒動の当初からずっと感じていたこと・・・「ベッキーにとって、今回の相手の男は心の穴だったんだろうな・・・」ということである。 流出したLINEのやりとりは、不倫真っ最中の温度感で送られたものなのだろうが、圧巻なのは事が公になった後も、不倫相手に対して感情的にならず、健気かつ気丈にも振る舞う彼女の態度だ。 不自然に感じるほどの一貫したスタンスに、空恐ろしいものを感じた。 ベッキーに肩入れするわけでもないし(出来ないし)、サンミュージックに借金があるわけでもないが、さすが生き馬の目を抜く芸能界で17年も生き残ってきた人。その善悪は置いておいて、突き抜けている。 いくら楽観的な気質だとしても、記者会見を開くほどの事態にまで発展すれば、「あんたが優柔不断で脇が甘いせいで、こっちは吊るし
2015-10-12 未完成なふたり~元彼との再会に未来はあるか~ ある元彼と約一年半ぶりに会う機会があった(このブログ、どんだけ元彼たちが出てくるんだよ、「つか何回失敗してんだよ」という呆れとツッコミが聞こえてきそう…甘んじて受け入れます、すみません)。 三ヶ月ともたなかったわたし達だが、別れた理由は明確だった。 その頃わたしは彼と出会うちょっと前に作ってしまった「心の借金」が返済できてない状態で、絶賛リボ払い中ではあったが、我ながらメンタル不安定な状態にあった。 そんなわたしの感情のコントロールの効かなさが彼には重たく、わたしはと言うと、彼の頑なさに不満を募らせ、幼稚な感情のアウトプットに拍車をかけてしまったのだ。 両手を超えると数の計算も怪しいド文系(文系の人たちから怒られそうだしそれ以前の問題な気もするけど)のわたしと、言葉の繊細さや文脈を求められることが果てしなくめんどくさいド理
友人に勧められて、遅ればせながら漫画『サプリ』を読んだ。 ぅぅぅっ・・・っこれはビジネス経典である(目頭熱)・・・。 話のあらすじを言っちゃうと ①深夜残業当たり前・休日出勤ご褒美です状態の広告代理店勤務の27歳女性が、仕事が激忙しくて学生時代から付き合ってる彼と別れる(身に覚えあり)。 ②別れて間もなく、元彼が他の女性と結婚(身に覚えa(ry)⇒失恋後、不倫中の同期のイケメンやさ男が異動してきて再会し、お互いの傷を癒しあうも、恋愛に不器用過ぎる主人公は結論うまくいかず。 ③そのあと振り回す危なげオラオラなコワモテ系の男(職業カメラマン)に惹かれたんだけど・・・(普通コレで婚期遅れる)。 ④どっこい!二人の関係は成就+継続し、なんと子どもを授かりました! ⑤しかし主人公は彼に子どもが出来たことを言えないまま、カメラマンの男は自意識炸裂し中田英寿よろしく自分探しに海外に行ってしまう・・・。
以前、なじみの整体師の方と「パートナー」についての話になった。 「人間て、“自分ひとりの力で生きてる”と思ってる人間か、“周りに生かされている”と思ってる人間か、大きく分けてそのふたつなんですよ。“周りに生かされている”と本気で思っている人は浮気しないですよね。」 「パートナーって最悪の状況からギリギリのところで救ってくれる存在じゃないですか。どんなに追い込まれてても、一緒に寝るだけで救われる時ってあるじゃないですか。そんな人にはやっぱり笑ってて欲しいし、傷ついている顔なんて見たくないですよ。」 ・・・奇しくもその話をしたのは、当時付き合っていた彼が、酔っ払ったついでに浮気をゲロってきた翌日であった。 詮索もしていなかったのに、突然ゲロを浴びせるなんて、れっきとしたテロである。 そんな折に整体師の話を聞いて思ったのは、「ひとを好きになる」と「ひとを大切する」は違うんだなということだった。
「子どもが欲しいかわからないというキミに、これ以上時間を費やせない」 そう言って、付き合っていた彼に昨日フラれた。 わたしは、これまでの人生で、「子どもが欲しい」と思えたことがない。 友人や知人に、子どもを持ちたいかを尋ねると、「欲しい!」もしくは「まぁ、いつかは・・・。」と返事がかえってくる。 けれどわたし自身は、そんな「いつかは・・・」という感覚さえ持てたことがなかった。 「アタシなんてこれからって時に子どもが出来ちゃって~!」と笑い飛ばすタフな女性に遭遇すると、「ななななんで避妊しないの?!そこは調整出来るはずでは?!」とその思い切りの良い「ウッカリ」にひっくり返り、そんな「ゆるい許容範囲」を持てる彼女たちをうらやましく思った。 とは言うものの、クソ天邪鬼なことは承知の上で書くと「子どもは一生欲しくない」と言い切れるかというと、そう言い切ることも出来ない。 どうして当たり前の様に「子
今回は先日発売された川崎貴子さんの『愛は技術』を読んだ感想をしたためたいと思う。 amzn.to 川崎さんと言えば、ブログ「酒と泪と女と女」が大人気。 女性に特化した人材紹介業の経営者であり、仕事恋愛結婚、悩める女性たちを1万人以上フォローしてこられた、人呼んで「女のプロ」である。 川崎さんを存じ上げたのは、1年前にブログを拝読したことがきっかけ。 心をえぐられるようなアラサ―女性のリアルを愛のムチでビシバシ浮き彫りにされ、しかもそれが割と笑えない現実なのに、思わず他人事のように笑っちゃう面白さだ。 ご本人も“愛しかないけど、媚びも甘えも無い”、良い意味で本当に「ブログや著書そのまま」の方。 下記リンクでは川崎さんの特に反響のあった記事を特集されているので、ぜひご一読をお勧めしたい。 ninoya.co.jp 【読後感想】 さて、本題の『愛は技術』。28歳・独身OLのわたしは読者対象ど真ん
早朝に目をさまし、二度寝したら仕事でやらかす夢をみた。よくない夢のせいで、低血圧の身体がいっそう重い。ふらふらと起きて、代謝を上げるために白湯を飲むべく、机上のティファールをにらみつけ、携帯で時間を確かめる。毎朝まいあさ、湯も沸かせない時間まで起きれない自分がうらめしい。枕元の飲みかけのペットボトルに手を伸ばしてなんとか目を覚ます。 タンスの引き出しを開け、ねじれた黒いかたまりの中から、生地をつまんで確かめ、ひとつ選ぶ。裏起毛のタイツは、数年以上前から市場に出回っていたのだろうか。 涙袋製造シャドウや国籍不明のカラコン、矯正下着。しかるべき世代のアンテナにしかヒットしない「奥の手商品」というものがある。 一昨年までは、80デニールのタイツにも抵抗があった。加齢とは、媚びや気まずさに開き直りが勝つことなのか。いま手にしている裏起毛のタイツは150デニール、50デニールの実に3倍。開き直った後
友人の小野美由紀ちゃん@MiUKi_None(https://twitter.com/MiUKi_None)が、この度処女作となるエッセイ集を出版した。 傷口から人生。 メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった (幻冬舎文庫) 作者: 小野美由紀 出版社/メーカー: 幻冬舎 発売日: 2015/02/10 メディア: 文庫 この商品を含むブログを見る 内容はこれからゆっくり読ませていただくので、読後感想はしたためられないのだけど、彼女が処女作の発売に寄せたブログ記事誰かを恨んだり、不幸を人のせいにしないためには、好きなように生きるしかない。ー「傷口から人生。」発売によせて | None.がとても素晴らしかったので、久々にブログを書こうと思った次第。 わたしの独断で、刺さりまくった箇所を勝手に抜粋させていただきます。 この本を通して私が書きたかったのは、「他人や社会を恨まないために
こんなことあまり大っぴらに言うことじゃないが、わたしは結婚式が苦手である。長時間の着席に凝り性末期の身体が耐えられない。さらに自意識過剰なゆえにその演出にこちらまでとても恥ずかしくなってしまうのだ。家族で観る恋愛ドラマみたいなものである。 唯一「ご両親へのお手紙朗読」コーナーは安心して顔を上げて拝聴出来るが、まともに内容を覚えていないような我々が拝聴する必要はなく、親子親族間でめっこり振り返りをしてもらえば済む話だとも思っている。 だいたい、結婚する時は「日頃の感謝を云々」「未熟な私どもに今後もご指導ご鞭撻を」と言っておきながら、離婚時には「二人で決めたことなので」と言うのはなんなのだろうか。だったらハナから他人を巻き込まず、二人きりで始めてほしいものである。 ・・・と、もうここまで読んでいただいた時点で、読んでくださった方の半数強に軽蔑されてる気がする。 だがしかし昨日は、大学時代に愛し
最近お悩み相談的なやり取りさせて頂くことがあるのだが、みんなとても頭の回転が早く、美しい人ばかりだ。 言葉選びや気遣いから垣間見える、その思慮深さを目の当たりにするにつけ、今までの人生、たくさんのことを考えてきたんだなぁ… というよりも、考えざるを得ない状況を乗り越えてきたんだろうなぁと、(馴れ馴れしくて申し訳ないけれども)、愛おしさを感じ、涙ぐむ。 何の役に立てるわけでもないのだけど、そういった思いに駆られてしまう。 それは彼女たちの言葉の節々に、自分自身と同じように、自己肯定感の低さ・がんじがらめになった高いプライドを感じるからだ。 そしてその向こうに「救われたい」気持ちが垣間見えるように思うのは、自意識過剰だろうか。 思慮深いからこそ、あからさまに甘えたりできなくて、それが「(特定の異性に)救われたい病」「(ありのまま)報われたい病」になってそれがダダ漏れているように感じる。 わたし
常に唐突感しかありませんが、今日は「自分はアッパー系・ダウナー系、どちらの脳内麻薬が欲しくなってしまうのか、もしくは他者にどちらと見なされるのか」がわかることで、自分やあの人の欲望の正体が見えてくるよ!という記事です。 「あんな優しい彼(彼女)が居るのに、なんでわたし(俺)はもの足りなく感じちゃうんだろう」 「なんであの人はわたしじゃなくて仕事や遊びを優先するんだろう」 その理由は「その人が出したい脳内麻薬にあるのです」というお話です。 脳内麻薬の話になる前に、イメージしやすいよう、麻薬=ドラッグの話をします。 ご存じの通りドラッグは大きく分けて2つ、アッパー系とダウナー系に大別できます。 アッパー系は興奮剤として精神を通常以上に高揚させる作用、一方ダウナー系は抑制剤で、興奮・緊張を抑制しリラックス状態をつくる作用があります。 代表的なものでいうと、 ◆アッパー系・・・コ⚫️イン・LSDな
最近「大人になる」ってことをよく考えるのだけど、世の中で使われる「大人」ってイコール「他人を許せる人」って文脈が多いなぁと思う。 ひどい親も、支配しようとする異性も、自分が「大人」になって許しましょうと。許す対象はいつも「他者」だ。だけどわたしは、大人とは「自分を許し、そのためにはまず他人を静かに憎む決断も辞さない人」ではないかと最近思う。 「他者を本質的に許すには自分を許さなければ」という話はよく言われるものの、じゃあまず自分を許すためには何が必要なのかということはほぼ語られていないように思う。 わたしはその解のひとつとして、「他者を憎みきる」ということが必要な気がしているのだ。 常々、世間では「他者を許すこと」は成熟と受け取られ、「他者を憎む」は、未熟さと受け取られがちである。「他者への憎しみ」が「悪」と捉えられ理由として、「憎しみは連鎖するから」と言われることが多いが、「健全に」憎み
ご無沙汰しております、フランスから本帰国しました。思えばもう3年前にOLじゃなくなっているのでブログ名を変更したいのですが、なんと名乗っていいか… 何にしても今より悪くなることは無いんですが、もう何を名乗っても恥ずかしい自意識にかられております。 さて、2年半前に【何があれば産めるの?から妊娠に至るまで】という記事を書きました。 2015年28歳の私が、当時付き合っていた相手に「子どもが欲しいかわからないというキミに、これ以上時間を費やせない」と言われてフラレたよんという記事を書いた後日談です。 物心ついて32歳まで「自分は子供を産まなくていいや、産めない」と思っていた私が、結婚し妊娠に至った時の心境を書いたのでした。 nyankichitter.hatenablog.com 2015年の記事はこちら 【何があれば産めるの?】 nyankichitter.hatenablog.com 読み
恋愛が「辛く苦しい」ケースに本人が陥った時、周囲に相談するとほぼ99%の確率で「やめときなよ」ってなるじゃないですか。 相談者のことを大事に思ってくれてる人ほど、イバラの道を進もうとするその姿を見て「今すぐやめとけ」「ほかに合う人はいっぱいいる!」って反対してくれる(一部の人は“面白がって”行くとこまで行け、と言うけど) 。 ただ、それで諦められたら苦労しないんすよね。聞けるならひとのアドバイスを聞いた方が絶対にいいんだけど…。 ただわたし自身は、ハタから見たら身をすり減らすような不毛かつ無謀な挑戦であっても、自分の感情の「ほんの一滴、たったの1ml」を大事にしようと決めた上での行動なら、行くところまで行けば良いと思ってるんです。 先日、行きつけの整体師さんと深夜施術中に脳内ホルモンの話をしていて、話していたのが『一滴・1ml追求論』。 今どんなに苦しい恋愛をしていても、ほんの一滴、たった
二村ヒトシさんの著書『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』を読んだ(文庫改訂版の前の単行本名は『恋とセックスで幸せになる秘密』)。 www.amazon.co.jp 特に印象に残ったのは、巻末の対談の中での二村さんの発言。 「女の人の心の穴に、タッチ・アンド・ゴーじゃないですけど入っといて逃げ出すみたいなことを繰り返す、僕自身の心の穴というものがありまして…(中略)…時間が経つと冷たくなるんです…(中略)…で、僕には常に女性に怒られているっていう感覚があるわけです」 「プライベートでは女性の感情が憎くなる。責められると逃げ出したくなるし、僕自身が感情を揺さぶられることに耐えられなくなるんですよね。罪悪感と自分を守りたいという気持ちが同時にあって」(信田さんとの対談の中で) 「俺を苦しめないでね、菩薩(※のような女性)なんだから、苦しめるはずがないよねって予防線を張ってるんだも
唐突だけど、わたしの小中学生の頃のコンプレックスは 1.長女である 2.くせ毛 3.母親が変(ヘン) ということだった。 今となっては自他ともに認める「病的なシスコン」の私だが、片田舎で過ごす小中学校時代は兄や姉が欲しくて仕方がなかった。 というのも、当時のコミュニティは「あいつのバックには○○さんがついてるぜ」的な不良版スネ夫、マイルドヤンキーど真ん中の会話が日常茶飯事。 有力な姉、兄が居ないというのは、生まれながらにしての権力差、損をしたような気分だった。友人の垢抜けたヤンキーのお姉さんを見る度に、「あたしもあんなカッコイイおねいさんが居たらなぁぁぁ!」と思ったものである。 しかしそんなチーマーのはしくれ的悩み、長年のコンプレックスであった頑固で残念なくせ毛問題よりなにより、母親の破壊力は偉大であった。 うちは三姉妹だったので、男の子が欲しいばかりに、里親制度でもらって来たオス猫に勝手
要らぬ焼きもちを焼いたり、不安から相手を不要に疑ってしまったり、「軽んじられてるんじゃないか」とイライラしたり、人間関係のいざこざは自分自身の被害者意識から起こることがある。 「愛されてない」「必要とされていない。」 「大切にされていない。」「わかってもらえない。」 増長した被害者意識はもはや自分の手にはおえず、相手に「そうじゃない」と言って欲しくて、必死に弁解して欲しくて、不安のままに不信感や猜疑心をぶつけてしまう。自己肯定感の低さを相手に埋めてもらおうとする。 確かめたくて怒らせたり、困らせたり、それでも許して欲しいと願ったり。自己肯定の低さから派生した依頼心が「本当は愛してくれていた」「必要としてくれていた」人を傷つける。そしてその結果、取り返しのつかないことになる。相手の心に確かに在ったはずの自分、相手が向けていてくれたまなざしに、失って気付く。 「愛されてない自分」「思われていな
最近、人に心から愛され、想われることは、「自己受容」「過去の肯定」「浄化」になるんだなぁとよく思う。 それは相手と離れてしまったとしても同じだ。むしろ、時が経ち、執着がなくなり思念が消えた時、「想い想われた」愛だけが色濃く残る。 18歳の時から7年半付き合った人が居た。 わたしにとって、初めて甘えられる、頼れる歳上の人だった。 その彼に寄り添ってもらい、時には突き放され、だけどすべて肯定してもらったことで、わたしは自分の感性や過去を徐々に肯定することが出来た。 自意識が強く、変なところで繊細過敏なわたしを「自分には無い感性で、おもしろい」と言ってくれた。 若さ故の自意識で、意味もなく人に反発したり、世の中に対して軽口叩くわたしを面白がって、時にたしなめてくれた。 昔はいまにも増して人見知りの内弁慶が故、彼以外の前で自分の出し方が分からず、空回りしては気疲れし、それをいちいち気にしていた。
2014-08-15 出会いは、数。 お盆前週に父親との死別について長々と書いておきながら、お盆真っ只中にこんな記事を書いて、ミス・タイムリーというか、「こいつやっぱり恋愛のことしか考えていないんだな」とぱーぷりんOL呼ばわりされても甘んじて受け入れたいと思う。 悪かったな。 だって帰る実家が無いんだもん、とかさらっと書くけど実際出歩く人がわずかに減ったような気がするお盆休みの東京は実際いいものである。 人気店にも予約なしで入れるし。 きょうも整体帰りに、人気の焼き鳥屋にひとりで行った。 遅い時間と言うこともあり、カウンターにゆったり1人で2席以上使って座れた上、いろんなアテをサービスをしてもらえてご満悦である。 ・・・「ご満悦である」じゃないかもしれない。 同い歳にはもう旦那も奥さんも子どもも居て、自分の生家以外の「実家」を持っている人だっているのである・・・。 いや、別に実家が欲しいん
(「永遠の幸福の8秒間」の後日談です) 父に頼まれた病室に置くオーディオを買いに行く途中で、中学2年の終わりまで、ほんの3ヶ月前まで通っていた中学校の前を通った。 構内を囲む高いフェンスの向こうから、校庭から生徒の声が聞こえる。 体育館で弾むボールの音が聞こえる。 途切れ途切れ、ピアノの音が聞こえる。 度々呼び出された職員室、家出がバレて捕獲された渡り廊下(家出中のくせに意味不明な生真面目さで何故か学校には通っていた)、テニス部女子の噂話を肴に、放課後追い出されるまでだべっていたテニスコート前、まるで数年ぶりに母校を訪れたような、懐かしい気持ちになる。 この3ヶ月、転校したことを悔まない日はなかった。遅刻欠席は絶えなかったが、3ヶ月前まで毎日「行かなければならない」居場所だったのに、今となってはわたしは「部外者」でしかなく、その事実に今更胸が痛くなった。 「早く教室に戻りなさい!」 つい癖
先日、ある男性と世間話の延長線上で、「なぜ男は歓楽街に行くのか」という話をした。 もちろん性欲もある。だけどそれだけでもないんじゃないか。 その男性が言った。 「女性に底抜けに優しくされたいから」だと。 歓楽街の夜の蝶・キャバクラ嬢や風俗嬢など、プロの方たちは、めったなことが無い限り「お客さま」を否定しない。 男性にしてみれば、普段なら女性に責められる自分の愚かさもだらしなさも、気持ち悪さもウザささえも、ミーラーボールの如くキラキラくるくる変わる表情で明るく飲んで騒いで、ボディタッチなんてしてくれちゃったりして笑い飛ばしてくれたり、 壇蜜ばりの微笑で「お疲れさまだね」「●●サン(しかも男性の大好きなサン付だったりあだ名呼びである)すごいよ、頑張ってるよ」「大丈夫だよ」と己を全肯定してくれる。 激戦の歓楽街で働く彼女たちは、人一倍プロフェッショナルである。 (壇蜜が世の男性を「殿方」と呼んで
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