サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大谷翔平
photo.talk-turkey.com
京都の東山あたりを歩いていると、 「京都一周トレイル」の道標を見かける。 数年前将軍塚に行った時、華頂山山頂近くにある将軍塚近くを通る京都一周トレイルを歩いたことがある。 あの時は下り坂ばかりだったので、木漏れ日の山の木々の中森林浴気分で歩いた。 photo.talk-turkey.com 京都一周トレイルは、東山、北山、西山と続く。 一番厳しいのは北山だろう。 そして東山も北にいくほど標高が上がる。ケーブル比叡あたりを通るようだ。 山登りをする人にとっては、大したことはないのだと思う。 低山の部類になるのだと思う。 六甲山(931m)も低山の部類に入るようだ。 NHKの「にっぽん100低山」という番組で取り上げられていたようだ。 今は、低山歩きがすこし人気があるようだ。 低山には低山なりに魅力があるのだと思う。 将軍塚から京都一周トレイルを歩いていると、軽快に下ってきて目の前を走り抜けて
夏の色 八瀬比叡山口駅 高野川 国道からケーブル八瀬駅にわたる橋 青い空と緑の比叡山。 八瀬もみじの小径 ケーブル八瀬駅への橋は復旧しないのだろうか? 地図 夏の色 夏は暑いが晴れた日の空と雲と木々の緑の色合いがとてもいい。 そして、山間を流れる川。 見た風景に涼を感じる事もある。 八瀬比叡山口駅 比叡山に行くために、叡電八瀬比叡山口駅からケーブル八瀬駅に向かった。 なんとなく歴史ありそうな雰囲気の駅舎。 現在の駅名は「八瀬比叡山口」だが駅舎は「八瀬駅」となっていた。 ずいぶん昔八瀬には遊園地があった。 駅名も「八瀬遊園」という駅名だったころがあった。 子供の頃連れて行ってもらったうつろながらある。 駅近くにある「離宮」という施設のあたりにあったのだろう。 高野川 高野川では数組の家族連れが、川辺にテント張り、水遊びをしていた。 子供たちのはしゃぐ声が聞こえてきた。 夏休みの1ページになる
夏色 青い空に浮かぶ白い雲、強い日差しが照りつける白い道、濃い木々の緑。 これが自分にとっての夏の色。 海がないのは少し変かもしれないが・・・。 日差しがが強い暑い日に中歩くのも嫌いではない。 汗だくになり歩く。 しかし、 今年の夏は異常? いつもなら、この時期でも普通に2時間から3時間ぐらいは京都を歩いたことがあるが、この日はできなかった。 1時間が限界だった。 気温は36度以上だったのではないかと思う。 ↓木津川・木津川御幸橋 宇治川堤より 川辺の道(宇治川と桂川合流点近く)サイクリングロードになっている。 桂川と宇治川合流点 今年の暑さは異常じゃないだろうか? 駅からここまで往復30分から40分程度だったが相当きつかった。 戻る途中もうダメかと思うことがあった。 桂川と宇治川の合流点 数年前、宇治川と桂川と木津川の三川が合流点を見たくて歩いた。 山崎から、背割堤から。 背割堤で木津川
石門から琴坂 山門 伽藍 石門から法堂まで一直線 受付 方丈 秋葉堂 衆寮 祠堂殿 道元禅師墓 前を通りかかった時、どこかどで見たことがある景色だと思った。 「京都人の密やか愉しみ」で見たことがある景色だった。 老舗和菓子屋の八代目の女将がこの寺の石門に来た時、以前よく来てお布施をしたことがある雲水を見かけた。 お布施をしようと近寄り、お布施を渡そうとした時、雲水の顔が見えて、面影がなくなった七代目の夫に似ているのに気づく。 亡くなった夫である七代目には隠し子がいた。 そのこと女将はそれを知らない。隠し子は大学を出て弁護士になろうとするが、出家して雲水をしていた。偶然に女将の家にくるようになった。 「京都人の密やかな愉しみ」では 興聖寺の住職を伊武雅刀さんが演じていた。 目が見えないふりをして相手の様子を伺うなどユニークな住職の設定。 石門から琴坂 石門を潜った。 が 山門までは意外と距離
北野天満宮 撫で牛 春の足音 花むすぶ 文子天満宮(あやこてんまんぐう) 地図・アクセス 北野天満宮に立ち寄る予定はなかったが。 広い通りに出ると、そこは今出川通り。 見覚えがある景色だった。 北野天満宮の近くだった。 北野天満宮 北野天満宮は人気がある。 相変わらず人でいっぱい。 お参りするにも、列に並んだ。受験シーズンだからかやはり多い。 北野天満宮は、洛陽天満宮二十五社巡拝の九番目の天満宮。 ここが一番有名だから、ここが一番でもいいかと思うが。 それ以外の天満宮は、菅原道真公ゆかりの天満宮であったり、当時の権力者が勧請したものであったりする。ゆかりの天満宮の中には、生誕地とされるところがあったり、生前のゆかりの地であったり、亡くなったあとのものであったりする。北野天満宮は、菅原道真公がなくなってからの天満宮。 天満宮という名前も後付けだと思う。 撫で牛 天満宮といえば「撫で牛」。 参
勝ちダルマのお寺 境内には小さいダルマがいっぱい 山門 お清めの橋 一願不動尊 ダルマ奉納棚 大師堂 本堂 多宝塔 知恵の環 弁天堂 滝(人工) 池・鯉のえさやり場 境内図 地図・アクセス 北摂エリアに住んで長いが勝尾寺には行ったことがなかった。 小学生の頃から、勝尾寺の名前は聞いたことがある。 最近、周りの人からは勝尾寺の話よく聞く。 聞いていると、一度は行ってみたいと思うようになった。 それまでは、勝尾寺は、箕面大滝から先にあるという認識しかなかった。 どうやって行けばいいのか? 考えてもみなかった。 アクセスは、箕面大滝からと決めつけていたので、 てっきり公共交通機関はないと決めてつけていた。 しかし、 娘から勝尾寺の話を聞いて、妻が行きたそうだった。 思いたって、 勝尾寺に行き方を、調べる気になって調べた。 アクセスは、勝尾寺のホームページにちゃんと書かれていた。 千里中央駅からバ
桜の季節が本格的になってきた。 梅の花を観に行った長岡天満宮の八条ケ池にある桜並木のライトアップを見に行った。 池の周りをるっと回りながら撮影した。 同じような被写体で少しずつアングルが違う写真がいっぱいになるかもしれない。 ライトアップされた桜並木が見える池の水上橋へ向かう途中。 西の池の近くにテント張られており、そこで、案内の人を思われる人が待機していた。 下ののぼりのを見て、どうして「見返り桜」というのかと聞いた。 菅原道真公がここの桜を観て、帰るときに、何度も見返したのがそのいわれのようだ。 どの桜がというわけではない。 菅原道真公は梅だけでなく桜にも関わりがあったようだ。 テントから少しはなれて、桜の木があった。 光の加減か、こちらの桜は白かった。 このアングルがいいかな。水上橋を終わり周回道辺りから。 大鳥居まで戻ってきた。 これで八条ケ池を一周した。
桜 桂川と天神川の背割り・天神川と桂川の合流点。 背割堤 高瀬川・木屋町通り沿い 鴨川沿い十条あたり 平野神社 妙心寺・退蔵院 余香苑 千本釈迦堂 哲学の道 竹中稲荷神社 散歩途中で見た桜 水火天満宮 妙覚寺 円山公園・しだれ桜 八条池(長岡天満宮)2024年4月7日追記 春の花 ツツジ ・三室戸寺がツツジの花で有名だ。 ・蹴上浄水場つつじ ・長岡天満宮の参道にあるキリシマツツジ、桜、アヤメ・カキツバタなど ボタン 乙訓寺 3月も終わり近くなると、桜の開花の声が聞こえてくる。 今年の開花は、tenki.jpでは 東京は3月24日 名古屋は3月22日 大阪は3月25日 京都は3月24日。 満開時期は 東京は3月30日 名古屋は4月1日 大阪が4月2日 京都は4月1日 3月24日時点。 今日26日桜で有名な大阪の土佐稲荷神社に行ってみた。 もう少しでも花が咲いているかと思いつつ行った。 しかし
七瀬川くぐり 琵琶湖疏水沿い散歩。京阪電車・藤森駅から 七瀬川くぐり 川と川の立体交差は存在するだろうか? 琵琶湖疏水を川とみなしてであればある。 今回紹介するのは、川(琵琶湖疏水)と川(七瀬川)の立体交差。 七瀬川 伏見区深草地内の大岩山を水源として東西に流れ、藤森神社の北で鴨川運河の下をくぐり、東高瀬川に合流する。 同じような川の立体交差は京都にいくつかある。 高野川と賀茂川の下を通る白川疏水、有栖川の下をくぐる西高瀬川がある。 天神川と西高瀬川も三条あたりで交差するように見えるが、一旦西高瀬川が天神川に流れ込んでしまうようだ。 琵琶湖疏水も白川疏水も西高瀬川もいずれも人がつくった。 今は京都の街に馴染んで、川と同じように思える。 ↓七瀬川のくぐり 草が茂っていてはっきり見ることができなかった。 少し左手上に、疏水からと思われる水が流れ込んで入流所があった。 七瀬川は京阪電車の下を流れ
八条ケ池 きりしまつつじ(見ごろ4月下旬頃から) 地図 八条ケ池 これから、暖かくなり木々も活気を取り戻し、花々が街を彩る頃になる。 長岡天満宮へお参りしたあと、この八条が池でゆっくりと春の日を過ごしてみてもいいかもしれない。 長岡天満宮に行ったのは、まだ梅の花の咲いている頃。少し肌寒さを感じる頃だった。 天満宮の前には、広い池があった。その広い池には長い木製の水上橋が架けられていた。 この池は「八条ケ池」という。 八条ヶ池は、寛永15年(1638)、桂離宮を造営した八条宮智忠親王によって築造されました。 天王山から愛宕山まで、悠々とした西山を借景とし、天満宮の前庭として社観を高めると共に、灌漑用水としての役割を果たしています。 平成25年(2013)には、「都市景観大賞」の国土交通大臣賞を受賞するなど、歴史に育まれた景観を守りながら、市民をはじめ多くの人々に愛されています。(長岡京市ホー
乙訓寺へ Googleマップのナビに? 乙訓寺 裏門 境内 観光案内説明 早良親王供養塔 石塔 弘法大師像 鎮守八幡社 本堂 鐘楼 駐車場。 表門 乙訓寺の牡丹の花 乙訓寺の縁起 乙訓寺草創の時代 乙訓の名前のいわれ。 乙訓寺へ 乙訓はちょっと読みにくかもしれない。 「おとくに」と読む。 乙訓は京都府の地名。今は乙訓郡だが、かつてはもっと広かったのだろう。 乙訓の名前が付いた乙訓寺は、長岡京市にある。明治の頃は乙訓郡だった。 この寺は、平安京よりも前からある寺。 長岡天満宮にお参りした後、次どこへ行こうかと歩いていると。 道標があった。乙訓寺1.3km。 石碑の上にあるのは、竹の子。 この辺りは竹の子の産地である。長岡天満宮には、「竹の子最中」を売っていた。 この道標を見て、乙訓寺が近いなら、行きたいと思った。 Googleマップのナビに? Googleマップのナビゲーションはよくできてい
大正区の橋 千本松大橋 新木津川大橋 千歳橋 大正区の人が普通に渡れる橋 大正橋 岩崎橋 大浪橋 中間ぐらいの高さの橋 大正区の橋 大正区には3か所高い橋がある。高速やバイパスの橋ではなく、普通に車や人が川を渡る為の橋。 大正区は、回りを川と海に囲まれて、大正区から他の区へ出たり大正区内で移動するには、橋を渡らないといけない。 その周りを流れる川には、工場へ物資を運んだりするために船の行き来が多い。大きな船も通るのだろう。 木津川は、かつて造船所が多くあったようだ。そのため大きな船が行きかうために高い橋を架けなければならなくなったようだ。橋ができたころは、造船所も衰退していたようだ。 下の写真のように、川に架かる橋は見えない。遠くに見える高い橋ぐらいだ。この橋は、人や車が木津川を渡る為の橋だ。下は渡船がとっている。 大きな船が木津川に停泊していた。 橋を架けるとなると、どうしても、船が通れ
陶器神社・若宮八幡宮 鏡(真実を映し出す鏡) 蓬莱石 若宮八幡宮本殿・由緒 縁結び家内安全の御神木 クスノ木 少し境内を散策 若宮天満宮。 清水焼発祥の地 地図・アクセス 五条坂を上がっていると途中の道路沿いに鳥居がある。 五条坂と五条遠(国道1号線)(2019年3月撮影) 五条坂は幾度となく上った。 京阪五条駅から五条坂を上がり、大谷本廟や賑やかな清水寺界隈を歩いて知恩院などへ歩くときに、この神社の前を何度も通った。 鳥居があるのは知っていた。 ついぞ、参拝しないで今に至っている。 天満宮がなければ、参拝することはなかったかもしれない。 陶器神社・若宮八幡宮 この神社は、陶祖神が祀られている。 主祭神 -応神天皇、仲哀天皇、神功皇后(八幡三神) 相殿神 - 仲恭天皇(左相殿)、椎根津彦大神(陶祖神、右相殿) 通り沿いの鳥居をくぐり、両側が駐車場になった石畳の参道を進むと、朱色の鳥居がある
大絵馬を探して 今年の大絵馬は 八坂神社 満足稲荷神社 アクセス 護王神社 アクセス 下鴨神社 参道の屋台 出町柳駅の絵馬 錦天満宮 この日の散歩コース 大絵馬を探して 神社には大きな絵馬を正月に飾っているところがある。 これも神社ごとに違って、お正月に見て回るの面白い。 12月30日に絵馬を飾っているところがあるか探すために、阪急電車に乗った。 大きな絵馬を飾っているところと言うと、 一番よく知っているのは、八坂神社。 数年前に大晦日に行った時に見かけた。 2017年干支の酉 2019年干支の亥 八坂神社に。絵馬があるのは知っていた。 他に絵馬のある神社はあるのだろうか? ネットで歩きながら調べた。 昨年も年末に行った護王神社、下鴨神社、岡崎神社があるようだった。 ・護王神社 丸太町通りより北の京都御苑西。は烏丸通り下長者町通り 2023年の干支 卯 ・下鴨神社 今出川通りより北にある。
人の一生は遠き道を・・・ 千束坂 古道長坂道 天神川 京七口のひとつ「長坂口」 鯖街道? 地図 人の一生は遠き道を・・・ 一年が経つのは早い。もう何回も繰り返してきた。 また年末がやってきた。 徳川家康の言葉に、 「人生は重い荷物を背負って長い坂を上がるようなもの。・・」とあると思っていた。 本当は 「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。」と言うようだ。 意味は苦労しろではなく、我慢して一歩づつ進めと言う意味のようだ。 しかし、人生の大変さを思うと「遠き道」より坂の方が、イメージしやすくていいかなと思う。 しかし「遠き道」の方が、深みがあるようにとも思う。 千束坂 あえて、人生を坂と見立てた場合、 人生の坂を登りどれくらいまで上がってきただろうか? 上がり切ったときが、一生の終わり。 そして、 どんな坂だっただろうか? こんな坂だとしんどい。 鷹峯には、京都一と言われ
長居公園 GoodBBQ長居公園ショップオアシス 植物園 ハナミズキ 大池 アジサイ園 シロガネヨシ ミューレンベルギア・カピラリス モミジバフウ 大池とモミジ 黄色いモミジもあった。 バラ園 出口付近 長居公園公園内 YANMAR MARCHÉ NAGAI ヤンマーマルシェ長居 昨年の今頃にも長居公園に行った。 昨年は11月27日だった。 photo.talk-turkey.com 長居公園 休日の長居公園は、多くの人が訪れる。 京都の観光地のような狂気的に混み合ってはいない。 先々週行った大阪万博記念公園ほどの混み具合でもない。 人それぞれが、それぞれの休日を過ごしていた。 遊具のある公園では子供達の賑やかな声が満ちていた。 ちょうどセレッソ大阪の試合があるようで、ヤンマースタジアム長居からは、セレッソ大阪の応援歌が聞こえていた。少し離れた長居駅近くにいてもよく聞こえた。 公園内でマー
住吉大社の末社に種貸社がある。 入口の鳥居の前に立つと「一粒万倍」の文字が目についた。 賽銭箱にも 住吉大社にも中でも、鳥居も建物も新しい。 前には広い駐車場もあって、訪れる人が多いのかと思われる。 この神社は、住吉大社の本宮からは少し離れたところにあり、住吉大社に参拝した人が続けて参拝すると言う位置になさそうな感じ。 この神社のご利益は 資金・子宝・智慧の元種の神様。 住吉大社のご加護で神功皇后が応神天皇を出産、そして、薩摩藩の祖となった島津忠久公の誕生石など子宝・安産の説話が広く知られていた。 一寸法師も住吉大明神にお祈りして子供が生まれたことから始まる。 住吉大社内の種貸社は、神種を授ける神様として信仰されている。 住吉大社は一寸法師とも関係がある。 手水社には一寸法師。 一寸法師のお椀の? この神社の案内。 この日は9月30日、明日10月1日は、初辰の日。 旗がずらっと並んでいた。
水の都京都 京都の井戸 京の三名水 縣井(あがたい) 左女牛井(さめがい) 染井の水 都七名水 左女牛井(さめがい) 天之真名井 滋野井(しげのい) 芹根水(せりねすい) 中川井 古醒井 六孫王誕生水 その他の井戸 古井戸 菅原道真公産湯の井戸 冥途通いの井戸 貴船 上賀茂神社 今年の5月、西京極を歩いていると大きな地図看板があった。 よく見ると防災マップ。災害の時に利用できる施設をマッピングしている。 その中で目を止めたのが「井戸」。防災井戸とあった。 今、京都市では、災害時の水を確保するために、協力していくれる井戸を募集している この地図の「井戸」という文字に興味が惹かれた。 京都以外では、井戸という文字が実用的な意味でつかわれているのあまり見かない。 京都は今でも、実用性のあるインフラであるようだ。 それだけ、京都に井戸が多いということかもしれない。 京都の地下には、琵琶湖の水量に匹
建勲神社(たけいさおじんじゃ) 大きな鳥居 東参道 南参道 北参道 境内内地図 末社義照稲荷神社 案内看板 地図・アクセス 建勲神社(たけいさおじんじゃ) 立派で大きな鳥居が目立つ。 主祭神:織田信長公 建勲神社は、「たけいさおじんじゃ」と言うようだ。通称は「けんくんじんじゃ」。 「けんくんじんじゃ」の方が馴染み深い。 織田信長を祀る神社。何度か近くを通ったりした。 この神社、東参道の大きな鳥居が目立つ。 大きな鳥居 京都府下最大の「木造明神型素木造(みょうじんがたしらきづくり)」 寸法 最大高:二十四尺三寸(約7.4m) 最大幅:三十四尺(約1.3m) 柱の本径:二尺三寸(約0.7m) 推定樹齢1200年以上 東参道 大きな鳥居が東参道入り口 入って、すぐ義照稲荷神社への上がる階段がある。朱色のきれな景色。ちょっと急な階段だ。 この急な階段を上がらなくても、鳥居を潜って左に行けば上がるこ
⑩平安宮内裏宜陽殿跡 ⑪平安京内裏紫宸殿跡 ハレとケ ⑫平安宮一本御書所跡 ⑬平安宮内裏跡 ⑭平安宮内裏承明門跡 ⑮平安宮内裏蔵人町屋跡 ⑯平安宮内裏内郭回廊跡 ⑰平安宮内裏南限と建礼門跡 追加:宴の松原 源氏物語ゆかりの地 案内看板を追って平安宮跡を巡った前回の続き。 赤い枠が内裏のおおよその範囲。 ⑩平安宮内裏宜陽殿跡 内裏紫宸殿の東にあって軒廊でつながる。南北九間、東西二間の母屋の南北と東に庇がある建物で、内裏造営当初からあったものと思われる。 母屋は累代の御物を納める納殿で、『枕草子』には、累代の楽器をほめて「それは宜陽殿の一の棚に置かれるもの」とある。『源氏物語』「若菜上」で兵部卿宮が弾いた琴は宜陽殿の御物という。 このように宜陽殿には当時の一級品が納められていた。(案内看板説明文より抜粋) 浄福寺通り沿いの駐車場の端にあった。 かつての内裏のあったあたりの道は狭く、古い家並みな
朱雀門跡 千本丸太町交差点案内看板地図 千本丸太町交差点南東 千本丸太町交差点南西 朝堂院 豊楽院(ぶらくいん) 千本丸太町交差点北西 大極殿跡案内看板 「太極殿跡」のプレート 平安神宮のモデルは千本にあり!? 大極殿跡(内野公園) 2023年、1200年以上も前の平安京の頃を偲ばせる遺跡はほとんどお目にかかれない。 特に応仁の乱は、京都の街を焼き尽くした。 多くの名所旧跡や由緒ある寺院は、応仁の乱で焼失した。 応仁の乱だけでなく、現在までに京都は多くの戦乱の場となった。人々営みのための変化もあっただろう。 秀吉の天正の地割があり、明治維新以降の近代化などがあって、1200年前の京の街並みは見る影もない。 かつて、大内裏があったのちに内野と呼ばれたあたりには、「ここに〇〇がありました」と言う案内が掲げられている。その案内にある地図などを見ながら、歩いてみた。 数年前も歩いたが、再度歩いた。
神泉苑 祇園祭発祥地 法成就池 善女龍王社 本堂・利生殿 平安時代と今の地図 地図 神泉苑 当地は延暦13年(794年)の平安京遷都とほぼ同時期に、当時の大内裏の南に接する地に造営された禁苑であった。もともとはここにあった古京都湖(古山城湖)の名残の池沢を庭園に整備したものと考えられ、当初の敷地は二条通から三条通まで、南北約500メートル、東西約240メートルに及ぶ池(現・法成就池)を中心とした大庭園であった。(ウィキペディア「神泉苑」より) ↓御池通りから。 ↓二条城側から 御池通側にも入口がある。こちらは、裏口のような感じだった。以前来た時は、ここを入ると料亭のようなものがあったように思う。それらしきものは見当たらなかった。 延暦13年(794年)桓武天皇が平安京を造営する際、宮中付属庭園として作られ、常に清泉が湧き出すことから、「神泉苑」と名付けられた。 境域は南北四町東西三町に及び
難波橋(北浜) 大川沿い 天神橋 天満宮参道。 大阪天満宮 太鼓 地車講。ここで、龍踊りを見ることができる。 天満宮北入口。 天神橋筋商店街。日本一長い商店街 天神橋筋一丁目 天神橋筋6丁目 天五中崎町商店街 天神祭の前日の7月23日。北浜駅から、天神祭の準備中の大阪天満宮へ向かった。 このコースで歩くのは4年ぶりかな。 photo.talk-turkey.com 難波橋(北浜) 北浜駅から陸上に上がると「難波橋」のたもとにでる。 難波橋は土佐堀川と大川を渡る橋。途中、中島公園に降りたり、中央公会堂に行くことができる。 大川沿い 4年前もそうだったが。 大川あたりを渡っていると、少し上流に船が何艘か渓流され、作業をしていた。 船渡御の船の準備。船と言うより、水に浮かぶ大きな舞台のような船。椅子がいっぱい並べられていた。 警備する人に聞くと、協賛している関係の人が乗るようだ。このあたりには4
「淀川花火」と呼んでいる花火大会。 正式には「なにわ淀川花火大会」という。 この淀川花火は、家からも建物の間から小さく見ることができる。 混雑する会場まで行かなくてもいいかと、マンションのベランダから毎年見ていた。 行って見ると、花火を見上げて見ることができた。 空に光の絵が描かれた後に、ドッドーンと花火の音が空に響く。花火を打ち上げているところから、少し距離があるため、音が遅れて響いてくる。 フィナーレ いつもベランダから見ていた花火 河川敷から見る花火はどんな感じか? 空に響く花火の音を間近で感じてみたいと思った。 混んでいることはわかっていた。 思っていた通り、人でいっぱい。 ↓元淀川区役所の周辺。阪急十三駅近く。 この交差点を渡って、河川敷に出ることができるのかと思ったが、ここでは渡らずまっすぐ進むまされた。 次の信号渡り、河川敷を目指した。 人の流れに乗って、屋台も出ていた。屋台
梅雨明け、暑い日差しを避け、「涼」を求めて かもめりあ中突堤中央ターミナル内待合室。 神戸港クルーズ 御座船安宅丸 2階の客室。 一階の客室。 1階から2階へ上がる階段。 階段前の売店。 クルーズ船からの景色 ポートタワーは改修工事中。 mosaic かもめりあ中突堤中央ターミナル 神戸港内 明石海峡大橋 神戸メリケンパークオリエンタルホテル 神戸空港 港大橋 神戸港第一防波堤灯台。神戸港と書かれた灯台 夕陽 BE KOBE 梅雨明け、暑い日差しを避け、「涼」を求めて 梅雨が明けて、暑い日差しが照りつける。ひとりで出かける分には、あまり気にしないが。 ふたりとなると、そうはいかない。 暑い日差しを避けて涼を感じことができる場所はないかと検索。 海の上なら涼しい? 琵琶湖にしようか迷ったが、 夕方、神戸ベイクルーズに行くことにした。 神戸港中央突堤。 海はいいな。 かもめりあ中突堤中央ターミ
動画 嵯峨祭ルート 嵯峨祭 鉾 獅子舞 神輿 ふたたび獅子舞 地図(嵯峨祭還幸祭巡行図) 5月最後の日曜日、嵯峨祭を見に行った。 動画 嵯峨祭は、鉾・獅子舞・神輿の順番で巡行していく。 鉾は人が持ち進むときのステップがユニークで、そして、獅子舞の動きはとてもリアル感があった。 嵯峨祭ルート 釈迦堂前に御旅所から大覚寺に集まり、JR嵯峨嵐山の北口、南口をを通り、嵐山のメイン通り長辻通りを・渡月橋を渡り嵐山公園中之島地区に集合して、釈迦堂前の御旅所に戻るルート。 野宮神社前の掲示板に嵯峨祭還幸祭のルートが掲示されていた。 さすがの嵐山も嵯峨祭の祭ムードがあるかなと思った。 一切感じなかった。 しかし、嵐山は祭りがなくても、祭のように、人で満ち溢れている。 欧米系の海外旅行の人が多く、修学旅行の学生などでいっぱいだった。 嵯峨祭 嵯峨祭の巡行は、大覚寺に集まり12時40分に「鉾」が出発。 神輿は
菅原道真が太宰府に流され京都から船で向かっていた。 今の大阪市東淀川区西淡路あたりにたどりついたそうだ。 当時このあたりは、千里山のあたりまで海だった。 当然このあたりも海で、島がいくつかあったのだろう。 その島のひとつにたどりついた時、 菅原道真はこの島を淡路島と間違て上陸したそうだ。 それでこの辺の地名を淡路と言われるようになったとか。 そこに立つ菅原天満宮。 このあたりの町の名前も菅原。 菅原天満宮については、 ウィキペディアにはそのようなことは書かれていない。 阪急電車の沿線紹介にこのようなことが書かれていた。 www.hankyu.co.jp この天満宮は、住宅地の真ん中にある。 大きな楠が目印。近くまで行くと、大きな楠が住宅地の屋根の上に見えてくる。 天満宮さんなので、「なで牛」は必ずある。 そして「梅」も、湯島天神の白梅 石の横にあるのが、白梅「高橋」。大阪府天満宮より拝領と
土佐公園(土佐稲荷神社前) 土佐稲荷神社の桜 今年の夜ざくら行事 土佐公園(土佐稲荷神社前) 今年はさくらの開花が早いようだ。 さくらを見行ける週末は雨になりそうだ。 見頃も3月終わり頃と言われている。 今の事務所の近くには、花見を楽しめるところがない。 さくらは見ておきたいと思い。 一昨年まで、桜の頃には、よく行った土佐稲荷神社 会社の帰りに寄ってみた。 相変わらず、神社の前の公園は、子どもたちが遊ぶ声で賑やかだった。 公園の周囲を歩き、さくらの咲き具合を見た。 桜、確かに咲いてはいた。 神社前の公園は、まだ、パラパラと咲いている感だった。 たくさんのツボミが膨らんでもう咲くぞと言っているようだった。 土佐稲荷神社の桜 鳥居をくぐり境内に入った。 こちらもパラパラな感じ。 一本小さな木のさくらが花をいっぱいつけていた。 この神社は「夜ざくら行事」を行っている。 今年は、3月25日から4月
小野篁 冥土通いの井・六道珍皇寺 六道珍皇寺にも「黄泉がえりの井」 福生寺跡(生の六道の辻) あの世との境 小野篁 小野篁は、仕事ができる人だった。ただ、反骨心のある人だったようだ。 官位は従三位、参議。異名は野相公、野宰相、その反骨精神から野狂とも称された。(ウィキペディア「小野篁」より) 小野妹子の子孫であり、小野小町の祖父であるとも。 その小野篁は昼間は朝廷で働き、夜は閻魔庁で働いた。東山の松原通り(旧五条大路)沿いにある六道珍皇寺の冥土通いの井戸から、地獄の閻摩庁に行き閻摩大王に仕え、朝には、黄泉がえりの井戸から戻り、朝廷で働いたと言われている。 冥土通いの井・六道珍皇寺 「冥土通いの井」は六道珍皇寺にある。 ↓六道珍皇寺の「六道の辻」の石碑。 六道珍皇寺は、盂蘭盆になるとご先祖のお精霊さんを迎える「六道まいり」が行われる。境内にある「迎え鐘」を鳴らしお迎えする。多くの人が訪れる。
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『photo.talk-turkey.com』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く