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レクチャー:小崎哲哉 2013年のあいちトリエンナーレで、私はパフォーミングアーツ部門の統括プロデューサーを務めました。トリエンナーレのテーマは「揺れる大地」。もちろん、2011年の東日本大震災を受けてのものです。芸術監督である五十嵐太郎さんからそのテーマを聞いた瞬間に、サミュエル・ベケットの作品か、ベケットに影響を受けたと思われる作品を主軸にプログラムを組もうと決めました。多木さんが述べられたように、大きな災厄の後では、生と死について真剣に思いを凝らしたベケットの世界観こそが、必要かつ有用であると思えたからです。 Samuel Beckett photo by Roger Pic for Bibliothèque nationale de France, 1977 それ以前に、現代アート雑誌の編集長を務めていたころから気になっていることがありました。欧米の現代アーティストにとって、ベケッ
浅田彰 舞台上、鏡のように磨き上げられた黒い床の上に、観客から見て縦方向に長いテーブルが置かれている。そこへ、天井からスパイダー・キャメラがするすると降りてきてテーブルをスキャンし、舞台奥の縦長のスクリーンにその映像を映し出す。陶器やガラス器、ナイフやフォーク。バラバラの時間を刻むいくつかのメトロノーム。リンゴの赤だけが色彩を添えるが、他には食物も飲物もない。これから食事が始まるのか。それにしては、食器類はバラバラに並んでいる。やがて、二人の女性が左右の席に着き、男性と女性が食器類を片付けて給仕を始める——と思ったら、人が動き出したとたんに床に波紋が広がり、観客はそれが実は水面だったことを知るのだ。静かな緊張に満ちて美しい、これがパフォーマンス《ST/LL》の始まりである。女性たちは左右対称を保ちながら存在しない食物を食べ、存在しない飲物を飲む。その儀式めいた食事が終わると、次のシーンでは
インタビュー:平芳幸浩 聞き手:池田剛介 優れた芸術評論に送られる吉田秀和賞が平芳幸浩『マルセル・デュシャンとアメリカ: 戦後アメリカ美術の進展とデュシャン受容の変遷』(ナカニシヤ出版)に授与されるというニュースが届いた。緻密かつ広範なリサーチに基づきながらも従来の作家論のあり方を刷新し、これまで幾度となく語られてきたデュシャンへの新たなアプローチを示す意欲作にふさわしい選出と言えるだろう。受賞直前のタイミングで収録された、本書をめぐる徹底討議。 池田 今日の現代美術に最も大きな影響を与えたと言っても過言ではないデュシャンの《泉》、この男性用小便器がアート史に登場して今年で100年目になります。この節目に20世紀芸術の可能性と限界を捉え直しつつ、その先へ行くためのビジョンを考えることが、「芸術論の新たな転回」を始めるきっかけのひとつでした。 平芳さんは、去年『マルセル・デュシャンとアメリカ
小崎 哲哉(おざき・てつや) 1955年、東京生まれ。 ウェブマガジン『REALTOKYO』及び『REALKYOTO』発行人兼編集長。 写真集『百年の愚行』などを企画編集し、アジア太平洋地域をカバーする現代アート雑誌『ART iT』を創刊した。 京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員、同大大学院講師。同志社大学講師。 あいちトリエンナーレ2013の舞台芸術統括プロデューサーも務める。 最新のエントリー 20.08.03 会田誠の『げいさい』 20.04.18 無人劇と無観客無配信ライブ(承前) 20.03.31 無人劇と無観客無配信ライブ 20.03.07 ロームシアター京都の騒ぎについて 20.02.02 ダムタイプとサミュエル・ベケット アーカイブ ▼2020年8月 「会田誠の『げいさい』」 ▼2020年4月 「無人劇と無観客無配信ライブ(承前)」 ▼2020年3月 「無人劇
池田 シリーズ「芸術論の新たな転回」の第二回目となる今回は、新刊『勉強の哲学』が大きな話題となっている千葉雅也さんにお越しいただきました。千葉さんは哲学がご専門で、同時に表象文化、つまりイメージの問題を広くカバーする活動もされています。僕が千葉さんと知り合ったのが2008年ごろなので、ちょうど10年ぐらいの付き合いになり、常にそのお仕事には刺激をもらい続けてきました。 今回上梓された『勉強の哲学』ですが、驚くほど読みやすく、一見よくある自己啓発書のようにも思えるわけですが、読み進めていくうちに勉強することそのものについて原理的に考えさせられるものになっています。販売部数もずいぶん伸びていると聞きます。理系のような実用的とされる知のあり方が重要視され、人文系は信頼を落としていると言われたりもする。その中で「何事かを学ぶ」ことについて根本的に問い直していく姿勢が新鮮に感じられたのではないでしょ
藤幡正樹 カッセルにドクメンタを観に行った。思った以上に楽しかったので、ここに報告させて貰うことにした。実際、今年のドクメンタは全体的に不評のようで、友人によればドイツ中の新聞や雑誌が軒並みこき下ろしているらしい。「自己正当化の神殿」(Zeit紙)、「要するに、難しく見せるということが重要なのだ」(Der Spiegel誌)、「まごうことなき大失敗」(Die Welt紙)、「今回のドクメンタはとても難しい」(focus誌)、「もしかしたらアートの役割は終わったのか? メディアが伝えるドクメンタ」(HNA)、南ドイツ新聞は「観客に指図するドクメンタ—アーティストもキュレーターも啓蒙せずに単純なメッセージに走り、政治ショーと化している」。今年を「スーパー・アートイヤー」と題して特集を打っているFAZ誌は好意的ではあるが、「今年のドクメンタは何から何まで違う」「ドクメンタではなくモニュメンタ——
池田剛介 ドイツの地方都市カッセルを舞台に5年おきに開催されるドクメンタ。1955年から続いているこの芸術祭は、今や世界中に林立するそれのなかでも一際大きな存在感を放っている。第7回の際にヨーゼフ・ボイスのプロジェクトとして植樹された7000本の樫の木の成長した姿をカッセル各地に見ることができ、前々回にはアイ・ウェイウェイが1001人の中国人をこの地に招いたことで話題になった。こうして、英米を中心としたマーケット主導の流れが強まる一方で、とりわけ社会や政治の問題に特化しながら硬派な路線でアートシーンでの影響力を確立している。 14回目を数える今回のドクメンタでは「アテネから学ぶ (Learning from Athens)」をテーマに掲げ、カッセル会場に先立ちギリシャの首都アテネでも大規模な展示がオープンした。近年、多くの難民流入や財政危機など、EUの問題を高圧縮して抱えるかのようなギリシ
清水 穣 豊田市美術館のコレクションには、わずか一点しかアメリカの抽象表現主義が含まれていない。本展は、そのコレクションの空白を、戦後アメリカで形成された美術史に染まっていない場所と見なし、そのディスクールのなかで単純化され忘却される以前、20世紀初頭のモダニズム発生期における「抽象の力」を再発見しつつ、その系譜を大西洋回り(欧→米)ではなく、ユーラシア→日本経由太平洋という東回りでグローバルに辿ることで、戦前の日本の豊かなモダニズム受容とその展開を詳らかにする展覧会である。 この展覧会の魅力が、非西洋圏で開花したオルタナティヴなモダニズムの再認識にあるだけなら、近年のテート・モダンの常設展示のように、欧米に偏らないグローバルな展示方式は常態となりつつある。また、そうした歴史再評価を超えて企画者の狙いが、モダニズムの読み変えにあるとしても、それが、「クレメント・グリーンバーグ」に代表される
インタビュー:星野太 聞き手:池田剛介 昨今の政治・社会状況の変化を受けてか、これまでのものとは視点を異にする言説が登場してきている。反知性主義がはびこり、「ポストトゥルース」などという新語が造られる時代には、どのような思考や態度が必要とされるのだろうか。現代の芸術や言説空間に新たな風を運ぶ書き手に話を聞くインタビューシリーズ。初回には、カント以来の「美学的崇高」ではない、もうひとつの「崇高」についての刺激的な書物を上梓した哲学者・美学者を迎えた。 池田 マルセル・デュシャンの《泉》が1917年の作品なので、今年はちょうどその100年後にあたります。周知のようにこれは、男性用便器に署名を書きつけて展示するというもので、20世紀美術に最も影響を与えた作品のひとつと言えるかと思います。いま世界各地で展開されている現代美術も、おおよそその延長線上にあると言えるでしょうが、ここから決定的に新しいも
浅田 彰(あさだ・あきら) 1957年、神戸市生まれ。 京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長。 同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。 著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。 最新のエントリー 19.05.01 昭和の終わり、平成の終わり 19.03.29 原美術館のドリス・ファン・ノーテン 19.03.07 マックイーンとマルジェラ――ファッション・ビジネスの大波の中で 18.12.07 映画のラスト・エンペラー――ベルナルド・ベルトルッチ追悼 18.11.03 トランプから/トランプへ(5)マクロンとトラン
福永信 「岡﨑乾二郎の認識 — 抽象の力——現実(concrete)展開する、抽象芸術の系譜」が始まった。この展覧会はすごい。あちこちにリンクが張ってあり、油断禁物だ。第一次世界大戦前後から現代に至る、錯綜した時間を、えんやこら現在に引き寄せる。豊田市美術館のコレクションを中心に、岡﨑乾二郎が、他の美術館からも作品を借り出し、一部自身のコレクションも混ぜながら「抽象芸術」の歴史の再検討を命がけで試みる。 岡﨑のツイッターにも写真があがっているが、田中敦子、ヨーゼフ・ボイス、イミ・クネーベル、高松次郎など、しょっぱなから著名な作品が観客にガンをつけてくる。だが彼らはチンピラに過ぎず、このフロアのボスは、フリードリヒ・フレーベルであり、マリア・モンテッソーリであり、ブルーノ・タウトであり、ルドルフ・シュタイナーだ。陣取るように、4つのテーブルがあって(岡﨑の自作だろう)、その上に、フレーベルの
伊東篤宏 昨年9月に、東京を拠点に活動していたバンド 「空間現代」が京都の左京区にスタジオ兼ライヴスペース「外」をオープンした。メンバー全員(トリオ / 3人、そしてその家族) が京都に移住し、メンバー全員が「外」の運営に関わる。 私は2000年から2005年の借家契約終了迄、東京は代々木で「ギャラリー / フリースペース OFFSITE 」というスペースの運営に関わっていた。だから、良くも悪くも、スペース運営の楽しさも面倒な面も、理想と現実のギャップも大体は理解しているつもりである。 故に最初にその計画を聞いた時、不慣れな土地での初めてのスペース運営を支持すると共に若干の不安がなかった訳ではない。しかし彼等の行動力、実行力を見るに付け、その不安は徐々になくなっていった。 私がOFFSITEに関わっていた2000年代初頭、世の中は “これまでにない不況”、”日本経済の低迷期” といわれてい
一般に陶磁器の研究には3つのアプローチがあるだろう。1)ある窯やある伝世品をめぐる関連文献を徹底的に調査する文献研究、2)その窯の窯址を発掘して、陶片や出土品、窯構造や窯道具などから時代考証を行う考古学的研究、3)伝世品、出土品や陶片といった物自体の物性を分析する物理学的研究である。 とはいえ、2)は、何しろ窯址の場所がすべて中華人民共和国という、(昔も今も)外国人が簡単にアクセスできる国ではないため捗らない。また宋代の信頼できる伝世品といえば重文、国宝級の古陶磁であるので、3)はほぼ不可能。畢竟、従来の研究は専ら1)と、戦前の萌芽的な2)と、あとは様々な伝世品をできる限り見て触って目を肥やすという「目利き」に頼ったものであった。青山二郎の放言によれば、中国陶磁は「見ればわかる、それだけのもの」であった。 宋代陶磁の研究は、80年代後半から中国の学者たちが2)の考古学的発掘を積極的かつ大々
構成:福岡優子 撮影:かなもりゆうこ 昨年、東京に拠点を移した福嶋が、京都に帰ってきた夏。親交のある2人が、久々に時間を気にせず語り合った。ごく普通の会話からそれぞれの生い立ちや文学、演劇、未来の話まで。お互いの新著を手に語り合う、双方向のインタビュー。 『厄介な遺産 近代日本文学と演劇的想像力』 『小説の家』 福嶋亮大 著(2016年7月刊行) 福永信 編(2016年7月刊行) ● 小説を書き始める前に 福嶋 今日はお互いの新著の刊行をきっかけにした「クロスインタビュー」ということで、楽しみにやってきました。福永さんは実験的な小説家であると同時に、美術にも昔から親しんできて、いまもこのREALKYOTOを中心に美術批評を精力的に書かれていますね。既存のジャンル的棲み分けを撹乱するトリックスターのようなところがある。今日はその多面性・越境性の由来をお聞きできればと思います
司会:小崎哲哉 構成:REALKYOTO編集部 ——『百年の愚行展』も、早いもので明日5月22日に閉幕となります。クロージング前の3日間にギャラリートークを開催し、一昨日は京大環境科学センター助教の浅利美鈴さんとクリエイティブディレクターで「サステナ」代表のマエキタミヤコさん、それに京都造形大大学院生の小野塚佳代さん、昨日は霊長類学者で京都大学総長の山極壽一さんと地震学者で京都造形芸術大学学長の尾池和夫さんに話していただきました。本日はアーティスト同士の対談です。 演出家でアーティストの高山明さんは、Port Bという劇団を主宰しています。劇団といってもいわゆるプロセニアム、つまり普通の劇場での公演は行わない。ほとんどの作品は街なかで上演されます。僕が最初に観た『一方通行路~サルタヒコへの旅』(2006)は、東京の巣鴨地蔵通りをmp3プレイヤーを装着して歩き回るという作品。その翌年の『東京
インタビュー:森村泰昌 聞き手・構成:原久子 森村泰昌(1951年生)は大阪に生まれ育ち、いまもこの地で暮らしを営む美術家だ。1985年にフィンセント・ファン・ゴッホの自画像(セルフポートレイト)に扮した写真作品を発表して以来31年間、彼は一貫して“自画像”を制作し、国内外で高い評価を受けてきた。そんな森村の大阪の美術館での初個展となる《森村泰昌:自画像の美術史―「私」と「わたし」が出会うとき》の開催初日(2016年4月5日)に、この取材ができた。すでにこの日はいくつかの取材を受けていたから、その流れに勢いがついていたのか、彼は席に着くなり饒舌に話しはじめた。もしかすると5年後には、すべての言葉がまったく裏返ってしまうかもしれない、と思いつつ、ユーモアに満ちた森村の言葉に飲み込まれていった。 つくられていく「物語」 僕の作品について、みんなが勝手に解釈してくれるほうが面白いですね。そういう
2016年2月26日に開催された「ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校」の第一期成果展「先制第一撃」の講評会に審査員として参加したのだが(他の審査員は岩渕貞哉と夏野剛、そして主任講師の黒瀬陽平とゲンロン主催者の東浩紀)、講評会という性格と時間の制約のため複雑な問題もかなり乱暴な形で語るほかなかった。講評会は公開され、ニコニコ動画でも中継されたので、誤解の余地を少なくしておいたほうがいいと考え、以下に私の発言の一部に補足を加えたものをあらためて公開する。 * 新芸術校の主任講師である黒瀬陽平さんは、どこかで授業を聞いて、ぼくは良い教師ではないと判断したらしい。それで、ぼくは新芸術校の授業に呼ばれたことがない。「そもそも良い教師・良い学校などという幻想を抱くべきではなく、すべての教師は反面教師でありすべての学校は廃墟であると考えるべきだ」という持論のせいかもしれませんが、確かにぼくは人にものを
浅田 彰(あさだ・あきら) 1957年、神戸市生まれ。 京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長。 同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。 著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。 最新のエントリー 16.01.23 高谷史郎の《ST/LL》——言葉と映像の彼方へ 16.01.07 『Foujita』はなぜ映画としても伝記としても失敗なのか 16.01.05 kumagusuku ——藤本由紀夫展の中に宿泊する 16.01.04 新国立競技場問題をめぐって 15.08.15 知る人ぞ知る磯崎新のはなし——『だ
構成:福永信(小説家)/福岡優子(編集者) 渡部直己と福嶋亮大――文学を読む鋭い目と、京都の知を探し求める圧倒的な脚力により、つかみ取られたお話からは、目から鱗がぽろぽろ落ちる、いつもと違った京都が浮かび上がってくる。 あるときは東へ西へ、またあるときは北へ上がって南へ下がり、そして郊外へ――。 没後・50年を迎えた谷崎潤一郎から、現代京都のガックリ名所案内まで、 京都を縦横無尽に熱く語る、記念すべき初対談、その後篇 ! ! ● 京都にガックリ――京都「洛中落胆図」 渡部 僕は京都人じゃないのに、KBS京都テレビでここの議会をけっこう傍聴してるんだよ(笑)。府議会か市議会か忘れましたが、和服着てる首長がいました。で、京都でいま、何が問題になっているかというと、観光客の「ナイトライフ」の充実なんだそうです。夜の領分を観光化するということですね。さかんにライトアップしたりね。しかし、ライトアッ
構成:福永信(小説家)/福岡優子(編集者) いままでたくさんの小説家や批評家を魅了してきた街、京都。 研究休暇で初めて京都に長期滞在(2014年4月~12月)することになった渡部直己に、京都に生まれ育った福嶋亮大。世代の異なるふたりの文芸批評家が、偶然にも同じ時期を京都で過ごし、交流を重ねた。ふたりの目に、いったい京都はどう映るのか? 没後・50年を迎えた谷崎潤一郎から、現代京都のガックリ名所案内まで、 京都を縦横無尽に熱く語る、記念すべき初対談、その前篇! ● 京都へ来てみると 福嶋 そもそも京都にはサバティカルということで今年(2014年)の4月に来られたんですよね。 渡部 そうです。 福嶋 最初から京都に来ようと? 渡部 最初は「30数年ぶりにパリに、1年くらい滞在できたら」と思っていました。この10年ほどの間にすっかり映画好きになったので、足しげくシネマテークに通って、錆びついたフ
PARASOPHIA:京都国際現代芸術祭 2015が閉幕した。内容についても運営に関しても様々な意見が出ているが、帝冠様式の主会場・京都市美術館を主題的な核に据えたことは評価される。だが、真剣に考えるべきは浅田彰氏の指摘についてではないか。曰く「国際芸術祭なるものをこれ以上増やしても仕方がない、やるならばこれまでにないような形式を発明しなければ意味がない」。1990年代後半以降、数百と言われるビエンナーレやトリエンナーレが世界中に乱立するという現況において、これはまったくの正論である。だが「これまでにないような形式を発明」することなど、はたしてできるのだろうか。 以前からいろいろな場所で話しているが、筆者は新しい形の国際展はありうると考えている。参加作家数を絞り込むのである。それも、100人を40人前後にするなどという中途半端な絞り込みではない。ただひとりのアーティストを選び、全予算を彼/
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