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拉孟・騰越は、インドと中国の連絡線を遮断するための、中国側の最前線基地であったが、ビルマ側にはミッチーナ(ミートキーナ)と言う都市があり、水上少将が指揮する守備隊が置かれていた。こちらは1944年8月に陥落している。 太平洋戦争の時の激戦地域など、腐るほどあるのだが、拉孟・騰越の戦いが有名なのは、中国軍と戦って負けた数少ない例であること、あの「変人」で有名な辻政信が、東条英樹とケンカをして飛ばされた先が第三十三軍で、辻が戦争について、詳しく書き留めてあったことからであるのだが、実際に日本軍の慰安婦が職業軍人の出版物に出てくる、最初期の例である。辻のハナシも今後、記事にして行く予定なのだが、ここではとりあえず、この北ビルマ、雲南の戦闘が、インパールと同様に、非常に有名な戦闘であることを確認して頂ければ問題ない。 拉孟も騰越もミッチーナもビルマの日本軍の慰安所制度を語る上で、欠かせない都市であ
日本軍による性暴力被害者の金福童さんが逝去 日本軍による性暴力被害者であった金福童さんが1月28日亡くなった。 今回の記事の題名は「金福童さんの訃報にお悔やみの言葉もなく報道にインネンだけつけたと言う外務省報道官の話など」としたが、特に今更、日本政府の姿勢に驚いたとか言うハナシではない。まあこんなもんだろうなと思うだけである。 「慰安婦」被害者の金福童さん逝去 「希望はつかみとるもの」(梁澄子)週刊金曜日編集部 2019年02月22日 以下は産経の記事。産経を選んだのはリンク先が長く残ると言うだけで特に理由はない。 元慰安婦の「象徴」金福童さん死去、日本大使館前で2月1日に告別式 産経オンライン 2019.1.29 【ソウル=桜井紀雄】韓国に暮らす元慰安婦で、日本政府に謝罪や賠償を求めて活動してきた金福童(キム・ボクトン)さんが28日夜、死去した。支援団体が明らかにした。がんの闘病中で92
今回の記事は、もともと二つの独立した記事を、アップする段階で一つにしたもので、マーク・ラムザイヤー氏に関心がなければ退屈だろうと思うが、そういう方は、すっとばして宮尾の小説の話だけ読んで頂いても全然OKです。 マーク・ラムザイヤー氏の論文「芸娼妓契約-性産業における「信じられるコミットメント (credible commitments)」」 マーク・ラムザイヤー氏の「芸娼妓契約-性産業における「信じられるコミットメント (credible commitments)」」という論文(1993)がネットで読める。公娼制度に関するなんらかのキーワードでネット検索すれば、割りと簡単にヒットするので、目にしたことがある方も多いかもしれない。 最初に読んだ時、私はラムザイヤー氏が、どんな経歴の人か分からなかったこともあって、非常に奇妙な印象を受けた。なにを意図してこのような論文が書かれたのか、分からなか
韓国で「妄言製造機」と言われている黒田勝弘氏の「慰安婦」論 2019年9月8日 ツイッター始めましたのご連絡 2019年6月16日 植村隆元朝日新聞記者の裁判について(10)金学順さんが「慰安婦」連行前に三年間学んだ平壌の「妓生養成所」の話 2019年6月16日 続・最前線慰安婦「現地調達」の話 2019年5月25日 韓国で「妄言製造機」と言われている黒田勝弘氏と朴裕河氏(1)被害者の証言を歪める人たち 2019年5月12日 植村隆元朝日新聞記者の裁判について(9)西岡力氏らを訴えた東京訴訟の判決が延期された件 2019年3月22日 朴裕河氏の「帝国の慰安婦」に書かれた「からゆきさん」(1)「慰安婦はからゆきさんの後裔」説を検証する 2019年3月19日 金福童さんの訃報にお悔やみの言葉もなく報道にインネンだけつけたと言う外務省報道官の話など 2019年2月28日 「慰安婦」問題から「公娼
武昌慰安所の管理を担当していた本多猪四郎元軍曹 本多猪四郎(1911 – 1993)はゴジラ(1954)や、空の大怪獣ラドン(1956)などの、東宝特撮映画の監督として有名である。特撮映画の監督としての本多については、最近、切通理作氏と小林淳氏の詳細な本が出て、再評価が進んでいるが、彼には足掛け8年の軍隊経験があり、1940年から1941年まで、中支の武昌で慰安所の管理を担当していたことがあると言う。 武昌の慰安所時代のエピソードは、切通氏と小林氏の本の中にも引用されているのだが、もともとの出所は、「映画芸術(1966年6月号)」に掲載された本多の文章である。今回は実際に雑誌にあたって記事を書こうと思っていたのだが、「映画芸術」は近隣の図書館で一部見られるものの、肝心の号が所蔵されていない。実際に現物をあたって内容を確認するのは後回しにして、今回はこちらのブログから内容紹介の部分を転載させ
押し入れの整理をしていたら、気になっていた本が見つかって、それに関連した話を書こうということなのだが、自分で言うのもオカシイと思うが、今回はニギヤカシの気の抜けた記事である。 以下は、小林よしのり氏の長年の盟友とも言える、文化人の呉智英氏が「慰安婦」問題に関連して書いた文章からの抜粋。 慰安婦は基本的に娼婦である。本質において、現在のいわゆるフーゾク嬢などと変わらない。交戦国、敵国であった支那(「支那」は世界共通語であって差別語ではない。日本人に限って「支那」を禁ずることこそが差別である)やオランダ他の女性は別として、選挙権・被選挙権も順次認められていった同じ大日本帝国臣民たる朝鮮人の女性を性奴隷として強制連行するなどということは考えにくい。事実、そのような証拠は何一つない。 とはいうものの、現代とは圧倒的にちがう貧困と不十分な教育、そして同一国内における格差(内地と朝鮮地域)の上に、甘言
前回記事(→『植村隆元朝日新聞記者の裁判について(4)札幌訴訟第11回口頭弁論終了』)で、札幌訴訟での櫻井よしこ氏の証人尋問のことを書いた。その後、櫻井氏から何か裁判について言及があるかと思っていたのだが、案の定、ダンマリであった。第一回の口頭弁論終了後、彼女は「 朝日慰安婦報道の背景を分析する 2016.05.12 (木)」と言う記事を書いて、植村氏というよりも朝日新聞を強く非難しているのだが、これが植村氏の裁判について、最後に言及したものだと言うことは、彼女のオフィシャルサイトで「植村隆」で記事検索をすればすぐに分かる。結審したら、さすがに何らかのコメントはあるだろうが、それまでダンマリを続けるってハラだろう。 ダンマリは櫻井センセだけではない。「植村元記者は裁判より朝生でケリつけろ」と言う、珍妙な提言をしていた、元朝日新聞記者の前川惠司氏やらの「知韓派ジャーナリスト」の方々の植村批判
国連女性差別撤廃委員会(CEDAW)での杉山氏の発言(2016/2/16) 今回は、現外務事務次官の杉山晋輔氏(当時は外務審議官)が国連で行った発言の話。本ブログでも昨年の2月に書いた記事(→『NHK偏向報道その後と日韓合意のカネが十倍に増えた理由』)の中で簡単に触れている。 「慰安婦」問題の「日韓合意」が成立したのは、2015年末だが、翌年の国連女性差別撤廃委員会(CEDAW)での杉山氏の発言(2016/2/16)は、西岡力氏、杉田水脈氏らから、「真実を発信するもの」と高い評価を受け、産経も大々的に報じた。 杉田氏の話の前半部分を一部引用しよう。太字にしていない部分は、発言がなされた経緯の説明なので、特に読んで頂かなくても構わないのだが、出席した他の委員の人たちが、驚いていることに注目して頂きたい。これは「日韓合意」が成立した後でなされた発言なのである。そりゃびっくり( ゚Д゚)もするだ
あんまり、気が進まなかったのだが、「日韓合意 拠出金10億円凍結問題」の話である。「日韓合意の見直し」問題については、昨年末からscopedogさんが、記事を書いており、特に付け加えることもなかったから放っておいたのだが、相も変わらず、「カネ払ったんだから約束守れこの野郎」の大合唱、ウンザリする報道ばかりなので、さすがに書いておく気になった。どいつもこいつも、「拠出」した、はしたガネの用途も「約束」の内容も検証しないで、外交手続きがどうのこうの、日本政府の言い分をそのまま垂れ流すばかりである。 大新聞やNHKに期待してもしょうがないのだが、少し変化が起き始めたかなと感じさせてくれる記事もぽつぽつと出てきている。日刊ゲンダイが記事の中で、現代史家の保阪正康氏の談話に触れていたのだが、「クサイものにフタ」と言う「日韓合意」の本質を厳しく批判したものだった。 周知のように、保阪氏は「慰安婦」問題
漢口の積慶里慰安所には、高い壁に囲まれた慰安所の敷地内に「供養塔」があった。もちろん、この「供養塔」は日本軍が作ったものである。加害側が「供養」するのはよくて、被害を受けた側が現地に追悼の像を作るのはよくないと言うのはスジが通らない。ヤクザの因縁のようなもんだ。 「供養塔」は積慶里慰安所の建物を抜けた奥にある小さな公園、というか大きな庭の隅に立てられていた。山田が積慶里に着任した時には、既にあったようだ。写真でも高い壁に囲まれているのが、はっきり分かる。 この供養塔については、機会を改めて話題にしたいのだが、「慰安婦」が、死んでなければ「供養塔」を立てる必要もない。8年の間にどのくらいの「慰安婦」が亡くなったのだろうか。山田清吉は、自殺した朝鮮人「慰安婦」の物悲しい話を「武漢兵站」で書いているが、一人死んだくらいでは供養塔を立てると言う話にはなるまい。 澤田記者については、既に→「ビルマ慰
題名では長くなるので略したが、今回の記事は、前回書いた→『山口敬之元TBS記者の週刊文春韓国軍慰安所「スクープ」捏造関連リンク集』の中の、 飛田新地料理組合の顧問弁護士だった人が創設者の党から出馬した大阪市長がサンフランシスコの「慰安婦」像が原因で姉妹都市を解消すると言う話 を膨らませたもの、「飛田新地料理組合の顧問弁護士だった人が創設者の党から出馬した大阪市長」というのがミソで、「顧問弁護士だった人」というのは、もちろん橋下徹元大阪市長のことである。 「慰安婦」像を巡る大阪市とサンフランシスコ市の姉妹都市解消については、これを書いている最中にも、いろいろニュースが入ってくる。まあ、ここまでゴネた以上、姉妹都市解消で決まり。大阪市と姉妹都市と言っても、サンフランシスコのイメージダウンにしかならない。サンフランシスコ市はソウル市とも姉妹都市であると言う。こちらとナカヨクしてもらえばいいではな
前回の記事、『→山口敬之元TBS記者を巡る文春と新潮の傍目には面白いイザコザの話』の続きです。実は、有馬哲夫先生については、いろいろと書きたいことがあり、下書きもできているのだが、特に急いで記事にまとめる必要はないだろうということで、「いろいろ」の部分は省いてアップしてしまいました。 さて、昨日(2017/11/17)付で、山口敬之元TBS記者を巡る週刊新潮記事に関連して、新潮が非常に面白い記事をWEBに掲載している。普段はタイムリーな話題とは無縁のブログなのだが、あまりに面白かったので取り上げてしまった。まず、冒頭部分の引用から。 →『あの捏造記事はどこで一線を越えているのか――有馬哲夫教授が「文春」に反論 2017年11月17日掲載』 週刊文春に、当時のTBSワシントン支局長・山口敬之氏が〈歴史的スクープ 韓国軍にベトナム人慰安婦がいた! 米機密公文書が暴く朴槿恵の“急所”〉を寄稿した
南京大虐殺の主役は朝鮮人兵士だったと言う「噂」をオーラルヒストリーとして重要視しない川田文子はケシカランと言う山田正行氏のブログ 私はひと様のブログのことは、原則的に直接に、ここでは話題にしないようにしている。感想は相手のコメント欄に書き込めば済む話で、敢えて今回取り上げる理由は、どうしても「対話」が成立しないからである。 問題のブログ(地の塩になれれば)の主催者は、大阪教育大学の山田正行教授である。「慰安婦」問題についても、ブログで積極的に発言し、雲南の現地調査の著作まである。「平和教育」にも積極的で、今年の春には、南京を訪れて、地元の中学生たちに歓迎されたと言う。 私は何度か山田氏のブログ記事にコメントしているのだが、記事のコメントには直接に答えず、新しい記事として再度引用するなど、「対話」が全く続かないと思わされることが再三あった。はじめは、その旨、指摘すれば改善されるのかと思ったの
ちょうど三ケ月前のことになるが、ここで→『対話のために 「帝国の慰安婦」という問いをひらく』と言う本が出るそうだと言う話』という文章を書いたのだが、ようやく読了したので、感想を書いてみることにした。読むのが遅くなったのは、版元のクレインが書いた紹介文を読んで、どういうことが書かれているか、だいたい想像がつくなと思っていたからで、実際にその予想は当たっていたと言うのが、正直な感想である。 読んでみると、枝葉の部分はそれなりに面白い。加納実紀代氏の論文(「「帝国の慰安婦」と「帝国の母」と」)の中に、千田夏光の「従軍慰安婦(1973)」の「おわりに」に紹介されている、女性たちが男子学生幹部にセックスを「強要」され、「情婦(千田による)」のようになっている状態を、「慰安婦」の境遇と重ね合わせて千田に告発した「C大学のC派閥に属する新左翼女子学生」が、当時、中核派に属していた岡野澄江と言う女性であっ
「ビルマ慰安所管理人の日記」の公表 ビルマで楼主の補助として、慰安所の管理人を務めた、朝鮮人の朴某の日記は、2013年8月、韓国のニュー・ライトの大物である、安秉直ソウル大名誉教授の解題をつけて本の形で公開された。楼主は山本〇宅と言い、彼の妻の弟で、義弟にあたる。 日本で、このことを報道したのは、朝日新聞が「論座」で公表の経緯を報じたのを除けば、毎日新聞のみ(2013年8月7日朝刊)であるが、元記事はネットではもう見られない。ただし、この時期、関連するヨタ記事を週刊ポスト等が報じている。捏造と言うイチャモンをつけられずに済むので、日記の公開が安によって行われたのは、結果的によかったのだと思う。 『慰安所管理人の日記』公開の裏側/WEB論座 「『慰安所従業員日記』の新事実」 週刊ポスト2013/09/20・27号 ポストの記事に典型的なように、当時、「慰安婦」が「性奴隷」でなかった証拠として
前回記事の麻生徹男軍医の証言と中国戦線の慰安所(1)の話と関連するのだが、別記事にしてしまった。公娼制度の下で、女性を「公娼」に仕立てるには、結構、煩雑な手続きが必要だった。といっても、貸座敷業者にとっては、これをクリアすれば、ほとんど濡れ手に粟であるので、甘言その他手練手管を駆使して、本人や親に関係書類に署名捺印させた。この必要書類については、『公娼制度下で女性を「娼妓にするため」に必要な書類』に掲載している。必要があれば、参照をお願いしたい。 以下は、日本の公娼制度が移植された、満州国の話の引用である。2014年に雑誌「正論」に掲載されたもので、既に→関東軍兵士の証言集【参考】で引用済みである。旧満州の公娼施設を鈴木さんも中村氏も「慰安所」と疑っていないのがイタイが、この証言を「正論」に紹介したのは、あの西岡力氏である。 鈴木武夫(元満州国奉天省海城県警察経済保安股長) 聞き手は中村粂
前川惠司氏は、元朝日新聞記者であるが、2014年の朝日「誤報」騒動の直後に、『「慰安婦虚報」の真実』(小学館)を出した。その彼が、チャンネル桜に、ご登場と言うのが、今回の題名なのだが、まあ、あんまり触れてもしょうがない話題であるので、実は今回の本題は、このことではない。とうとう底が抜けたな、というのが、正直な感想で、実際に、彼がチェンネル桜で何を話したかとか、映像を見てチェックしようと言う気もおこらない。 朝日OBとして、同様に朝日批判にご活躍で、『崩壊 朝日新聞』と言う本まで出した、齢八十を超えた長谷川熙元記者がいるが、この人は前川元記者以上に、「慰安婦問題」について何も知らない。西岡力氏と仲良く対談しているくらいだから、程度が分かるというものだろう。ヒマでしょうがないときに、改めてとりあげようと思うが、発売元がWACであるので、記事にしたらしたで、ヒマすぎ( ゚Д゚)とか、バカにされそ
ちょっと、干からびた話題になりつつあるのだが、昨年末に、今田真人氏の「吉田証言は生きている」を読んだこともあり、放っておいていいという話でもないので、遅ればせながら、整理してみた。どのようにこの「大ウソ」が信じられていったのか、手始めに元の発言者を特定してみようというわけである。 私は吉田氏の証言を話題にする時、「証言としては採用できないが、彼がウソつきとは思わない」と言う留保を、マクラにつけていたのだが、なんだか、ちょっと日和すぎているかなと思うようになってきている。今田氏の本を読むまでは、こんなことは考えなかったのだが、吉田清治氏の証言に、曖昧な部分のあることは十分に承知しているいるものの、西岡力氏とその盟友の秦郁彦氏をはじめとした吉田清治氏をディスってきた方々も、言うまでもなく、相当にインチキ臭いのである。 調べれば調べるほど、その考えは強くなるばかりで、やはり、このへんはキッチリ指
いろいろと確認のため、ネット検索していたら、面白い記事が目に入った。『四方田犬彦, 朴裕河を弁護する』である。今のところ、あまりネットで言及されているわけでもないようなので、是非とも目を通しておいて頂きたい。記事が掲載されているのはparkyuha.org。よく知らんのだが、朴裕河氏本人が管理しているサイトだろう。 結構、激越な言葉が並ぶのだが、私は一読、ニンマリとした。実は私は四方田に限らず、誰か日本の「知的」スターがこういう事を書くのを待っていたのだ。題名からして、四方田が注目度の高いスターとして、朴裕河氏を弁護することの意味を理解しているのは明白であるが、果たして、スターの神通力がどこまでシモジモに通用するのか、私としても興味津々である。元々、朴裕河氏に対する批判は、彼女をハンナ・アレントの域にまで持ち上げた日本の「知識人」に対する批判を含んでいた。私なんか、「朴裕河を持ち上げる日本
産経の阿比留瑠比記者による、ほっかほかの記事で、偶然、ネットで見てしまったので紹介しようと思う。なんだかこれだけのバカ記事も久しぶりのような気もする。 慰安婦性奴隷説を明快に否定 「こんなでっち上げを作ったのは日本人だ」と訴えるソウル大教授に学問的良心を見た 2016.10.20 01:00 産経新聞 ネットで話題になっていると言う、李栄薫氏の講演映像についての話なのだが、阿比留瑠比記者は、韓国語ができないと言うことらしく、当然のごとく、西岡力氏の説明をそのまま垂れ流す構成になっているが、こういう記述がある。 さらに、現在も「慰安婦性奴隷説」を主張し続けている吉見義明・中央大教授の意見についても、「吉見氏の本は根拠が不十分だ」とあっさり退ける。 ほとんどの人は知らないだろうが、李栄薫氏はその著書「大韓民国の物語」の中で、吉見義明氏の著作から多くのことを学んだと、非常に好意的に吉見氏の研究に
これから数回に渡って、「朝鮮人「慰安婦」身売り説を検証」していこうと思っている。 「朴裕河氏による」と言う形容をつけたのは、著作を読む限り、彼女はそう考えているとしか思えないということをハッキリさせるためである。「秦郁彦氏による」と言う形容でもよかったのだが、正直、過去の人になりつつある。どうせなら「旬の人」をダシに使わせてもらおうと思ったということだが、基本的にこの二人の日本軍慰安所制度に関する認識は、同じだと思っていい。 実は、この話、長くなりそうなので、我ながら気が重い。言及する学者、文化人は、李栄薫、小林よしのり、呉智英、伊藤桂一、西岡力、こちらの記事で言及した若宮啓文、秦郁彦、朴裕河の諸氏を予定している。いずれも「身売り」に関するニュアンスは微妙に違うが、「騙して」女性を慰安婦にすると言うことを「犯罪」と認識していない点では共通している。 一人一記事としても、考えただけで気持ちが
今回は、おなじみになった「慰安婦募集新聞広告」の話をとりあげる。法華狼さんが「いいかげん慰安婦募集の新聞広告を持ち出すことはやめるべき」という記事を2011年の段階でアップしているが、全く同感である。 この広告の意義を論じるにあたって、一般の女性が「慰安婦」と言われて売春を強要される仕事だと考えただろうか、考えなかったからこそ、「テーシンタイ」と「慰安婦」の混同が起こったのではなかったのかという、基本的な問題があるのだが、とりあえず先に進む。こう書いたところで、糞ウヨの皆さんが、この広告を「決定的証拠」とするのを止めることはないからだ。 以下は秦郁彦氏の最新の著作、『慰安婦問題の決算:現代史の深淵 秦郁彦 PHP研究所 2016年』からの転載である(Google booksで本の一部が読めます)。基本的にはこれまでの論文の寄せ集めで、初出はいつなのか分からないが、同じようなことをセンセは方
ネット上で、千田夏光が「従軍慰安婦正編」に掲載した、原善四郎関東軍参謀へのインタビューについて、千田が実際にインタビューなどせず、捏造したものだと言う「珍説」が飛び交っている。ウィキペディアの日本語版では、実際は千田は原参謀に面会してはいない、別の書物の記述をもとにあたかも自分が面会したかのような嘘を書いたと認めたと、つい最近まで書かれていた。事実無根だ出典を示すべきと言う抗議を受けて、度々消されるのだが、シツコクいつの間にか記述が復活すると言う、滑稽とばかりも言っていられないような状況にある。この文章を書いている時点(2015.11.22)では、復活していないが、放っておいたら、いずれまたデタラメで埋まるだろう(追記:間違いでした。2015.11.22時点でもきっちり記述が残ってます)。 アマゾンの書評も酷い。私はレビューをアマゾンさんで書かせてもらってるのだが、昔は慰安婦問題関係でヘタ
はじめに 本サイトでは旧満州地域の陸軍慰安所に対象を絞って資料を紹介している。中国大陸、南方戦線の慰安所及び海軍の慰安所については、ここでは対象としていない。旧満州以外の慰安所の話題は、ブログの方に記しているので、そちらの参照をお願いしたい。 旧満州(中国の東北地方)地域に関しては、元兵士、元「慰安婦」女性による慰安所の体験談が、数多く残されているにも関わらず、慰安所の設置経緯が明確ではなかった。例えば、昭和17年(1942年)9月3日の陸軍省恩賞課長の報告、「将校以下の慰安施設を次の通り作りたり。北支100ヶ、中支140、南支40、南方100、南海10、樺太10、計400ヶ所」の中に、旧満州地域がすっぽりと抜けている(慰安所と慰安婦の数/アジア女性基金)。 だが、元兵士や被害者女性の証言を集めてみると、慰安所が旧満州の至る所に存在したことが明白に分かる。東寧の慰安所など、一千人規模と言う
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