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中東情勢
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そもそもこのハンドルネームは、はてなに登録するときに、学生劇団にいたころのペンネームをひっぱりだしてきたものだったりする。 そのころ、当時はやっていた「夢の遊眠社」の上演記録を見ていて、ごく初期の作品に「三島由紀子」という人が端役だかスタッフだかで参加しているのを見つけて「芸名だとしたら巧い名前をつけたもんだなあ」と感心したことがあって、その後自分の演出した公演を芸名可という方針にしたときに、その真似をして演出用のペンネームとしてこの名前をでっちあげたのである。当時私は『絶対安全剃刀―高野文子作品集』や『おともだち』などにたいへん感動をしていたので作者の高野文子さんのお名前をお借りしたわけなのだけど、「高野文子→文夫」は「三島由紀夫→由紀子」のように元ネタがわかりやすくなかったせいで、正体を知った知合いや友人からは「何おまえ高田文夫のファンだったの?」だの「高野之夫*1となんか関係あんの?
論理トレーニング (哲学教科書シリーズ) 作者: 野矢茂樹出版社/メーカー: 産業図書発売日: 1997/11メディア: 単行本購入: 7人 クリック: 70回この商品を含むブログ (48件) を見る論理トレーニング101題 作者: 野矢茂樹出版社/メーカー: 産業図書発売日: 2001/05/15メディア: 単行本(ソフトカバー)購入: 75人 クリック: 1,253回この商品を含むブログ (551件) を見るタイムトラベルの哲学―「なぜ今だけが存在するのか」「過去の自分を殺せるか」 (講談社SOPHIA BOOKS) 作者: 青山拓央出版社/メーカー: 講談社発売日: 2002/01メディア: 単行本 クリック: 41回この商品を含むブログ (14件) を見る『論理トレーニング』は旧版。このあいだ改訂されて、いま流通している版では自分がウケたところが削除されているので、その部分を転載。
ふるいビデオの整理をしていたら、1987年の第60回アカデミー賞授賞式のテープが出てきたので、一部をDVDに焼いてみた。当時はまだWOWWOWもなく、この録画もフジテレビが深夜にダイジェストを放送したものである。ナレーションで解説をするのは筈見有弘と中井美穂アナウンサー。 この時にビリー・ワイルダーがアーヴィング・G・サルバーグ賞を受賞していて、その受賞スピーチがとても感動的だったので、書き起こししてみました。ほぼテレビの字幕どおりですが、適宜手を加えています。 私の聞く所では、この賞に匹敵するほど権威があるのはノーベル賞ぐらいだとか。 (トロフィーを脇にどけて)壊しちまいそうだからどけとくよ。 まず感謝の言葉を捧げたい。 アカデミー協会会長と会員の皆さん、世界中のファンの皆さん……まあ、文明国のね。 とりわけ、ある一人の紳士に……。私の最大の恩人だ。名前は忘れてしまったが、彼のやさしさは
……国語の記述問題については、それまでも市進学院の「ことばの森」という添削問題を受講していた。まずまずの成績で、比較的早いサイクルでこなしていた。だから安心していたら、プレップでつまづいてしまったのである。教室で書かせようとすると、固まってしまって書かないらしいのである。うんともすんとも先へ進まなくなってしまうと言うのだ。塾からそういう連絡をもらったとき、僕にはすぐにその理由がわかった。 息子は、小さい時から僕が毎日原稿を書いているのを見て育った。子供は誰でも親の真似がしたいものだ。息子も紙と鉛筆を持って、何やらニョロニョロ書くのを楽しみの一つとしていた。その頃は僕の書斎がまだ本であふれていなかったので、小さな卓袱台を置いてやったら大喜びで「仕事」をしていた。息子がまだ二歳の頃の話だ。 ところが、小学校に入ってちゃんと字を習うようになった頃、息子は字を書きたくないと言い出したことがある。妻
http://b.hatena.ne.jp/takanofumio/20110525#bookmark-43841066 について。 『回転木馬のデッド・ヒート』は出たときに読んで面白かったのだけれど、私もこの本の前書きの「ここに収録した話は全部事実」という記述にたいへん驚いた口であり、世の中には不思議なことがあるものだと思ったものだった。とくに「嘔吐1979」というエピソードはほとんどXファイル並の超常現象としか考えられないのだが、それを怖くなく書けるというのはさすがに村上春樹というところかもしれない。そしてそれ以外はそれぞれ<奇妙ではあるけれど全くありえなくもない>というような話なので、私は村上の「全部事実」という前書きを無邪気に信じ込んでいたのである。 ところがのちに『村上春樹全作品 1979?1989〈5〉 短篇集〈2〉』という本にこの連作が収録されたときの作者による解題を読んでみ
やっぱり毎日更新なんて無謀な試みだったなあ。 ……は、おいといて、このへんの話題→今日の子ども 鈴木孝夫などの言うとおり、日本語の人称は対象の集団の中での位置づけから導きだされる場合が多いため、個人という概念がボケてしまう傾向がある。いぜんから自分はそういうのがあまり好きではなかったので、結婚したり子どもが生まれたりしたあともなるべくそうではない呼び方を採用するようにしてきた。その結果…… 自分 → ヨメ「ちーさん」(名前から) ヨメ → 自分「つーさん」(名前から) 自分 → 第三者にヨメのことを「ヨメ」 ヨメ → 第三者に自分のことを「オット」 自分・ヨメ → コドモ「(名前)ちゃん」 コドモ → 自分・ヨメ「おとうさん・おかあさん」 また、コドモにむかってわたしが自分のことをさしてものを言う場合、「おとうさんは〜」ではなく「ぼくは〜」と言うようにしている。ヨメは常識的に「おかあさんの
はてなブックマーク - 痛いニュース(ノ∀`):TBS、視聴率低迷…「ドラマ再放送枠」を新設、韓流ドラマで巻き返し狙う ブクマコメントが「今見たい再放送ドラマを挙げるスレ」になってる(笑)。それによると(再放送でないもの含)、 『寺内貫太郎一家』 久世光彦作品 『水戸黄門』 『大岡越前』 『翔んでる!平賀源内』 『グッキ』 『おちゃべり』 『親子ゲーム』 『オヤジのヒゲ』 「ツール・ド・フランス」 『毎度おさわがせします』 『思い切りハイキック!』吹替え版 伊集院ラジオの映像 NASCAR 5年、10年、15年前のニュースの再放送 『木更津キャッツアイ』 『ろぼっ子ビートン』←自分(恥) 『けいおん!』の実写化 『タイガー&ドラゴン』 『天』 『パパはニュースキャスター』 『ガチンコ』 『わくわく動物ランド』『どうぶつ奇想天外!』 『世界ふしぎ発見』 ラジオを流す 『がきんちょ』 なつかし
マイバッグで万引き急増…持ち込み禁止スーパーも : 北海道発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) の件。 書店ではたらいている人間として、店内のお客様が手にもっている本がこれから買おうとしているものなのか、すでに買ったものなのか、あるいはもともともってこられたものなのかは、ぜひ明快にわかっておきたいという、これは店員としての本能のようなものである(おおげさ)。なので基本的に会計をすませた商品はフクロに入れるか、カバーをするか、シールを貼るかのどれかを選択することになる。たいていのお客様は納得してくれるのだけれど、たまにいるんだどれもやだっていう人。「本にシールをじかに貼るなんてとんでもない」なんて。そういうかたはフクロやカバーを拒否することもまったき善だという自信に満ちておられたりするので、こちらがちょっと逡巡したりすると「ゴミを減らそうとすることのどこが悪いのか!」と抗議されて
第三舞台の岩谷真哉がバイク事故で亡くなったとき、鴻上尚史はラジオ番組で直接そのことに触れないまま、番組の終わりに「トランジスタラジオ」をかけたのだったらしい(自分は聞いていなかったので、友人からきいた話)。 Youtubeで「トランジスタラジオ」をあらためて聴いてみて、自分がもう20年ちかくこの曲を聴いていなかったことに気づいた。知らないうちに、なんと遠くまで来てしまっていたことか。
このあいだの、ふるい友人のブログを読んで困惑した話(http://d.hatena.ne.jp/takanofumio/20081125/p2)のつづき。 彼のような物言いに違和感をおぼえるのは、話がでかいことだ。「この社会はおかしい」「日本をよくする」「地球環境を救うために」云々。ちょっと前の『絶望先生』のネタに「主語のでかい人」というのがあったけれど、それに倣って言えば「目的語のでかい人」という感じ。 もちろん政治家とか、あるいは大規模なプロジェクトを動かしている人は自然と話が大きくなってしまうこともあるかもしれないが、そういった職業上の必要性もないのにやたら大袈裟な話をしたがる人というのは、ネット上でもリアルでもたまに見るがちょっと遠ざかりたい気がする。 以前、店のレジに立っていたら親しげに話しかけてくるお客さんがいて、ちょっとしゃべっていたら(閑だったのだ)なんの話の流れだったか「
目次 序章 七〇年代テレビと自作自演(長谷正人) 第1部 七〇年代テレビをジャンル別に見る 第1章 開拓者の時代 ―七〇年代バラエティというフロンティア(太田省一) 第2章 視るものとしての歌謡曲 ―七〇年代歌番組という空間(太田省一) 第3章 ドキュメンタリー青春時代の終焉 ―七〇年代テレビ論(丹羽美之) 第4章 日常性と非日常性の相克 ―七〇年代テレビドラマ論(長谷正人) 第5章 コマーシャルの転回点としての七〇年代(難波功士) 第2部 七〇年代テレビと社会を読む 第6章 テレビと大晦日(高野光平) 第7章 「女子アナ」以前あるいは“一九八〇年代/フジテレビ的なるもの”の下部構造 ―露木茂氏インタビューから(瓜生吉則) 第8章 テレビにとって“やらせバッシング”とは何か ―「やらせ問題」のテレビ史的意義(田所承己) おもしろかった。 ここでいわれている「自作自演」とは、TVが自分で事件
『羅生門』NHKBS。 没後10年ということで、4月から12月にかけて黒澤作品をつづけてやるらしいですな。『隠し砦の三悪人』と『天国と地獄』が見たいよ。 「ことば・ことば・ことば 16」 ……さて、このことは裏返しに考えなくてはならないと思う。言葉の裏返しを考える上でいつも思い出すのは五味太郎の『あそぼうよ』(偕成社)というごく幼い子向きの絵本である。 登場するのはことりとおじさん風のきりんだけ。ことりが「あそぼうよ」というと、きりんが「あそばない」と答える。毎ページ、このくりかえし。しかし、絵を見るとこのきりんおじさんはなかなかふざけんぼで、首をくるくるまわしたり、かくれんぼしたり、あげくのはてはことりを背中に乗せて泳いだり、サービス満点の遊び相手なのだ。しかし口にする言葉は徹頭徹尾「あそばない」。最後にことりが「あした また あそぼうよ」とうれしそうに飛び去るときも、きりんおじさんはと
法の正当性に対する素朴な疑問 まあ一応20年余分に生きている分、私も元増田氏ほど初心なことを考えているわけではない。「公共サービスを受けるといった覚えはない」とか言って税金を払うのを拒否していれば、そのうち裁判所のカミをもったパトカーが来てややこしいことになることくらい知っているのだ。パトカーで話が終わらなければキドー隊が、それでも終わらなければジエー隊やべー軍が出てくるのかも、という想像力すら持ち合わせている。なんだか『パトレイバー2』みたいな話だけれど、法律の強制力というのはそういう具体的な「力」を背景にしてるんでしょう? ちがう? それとは別に私がいまだに納得できないでいるのはズバリ、NHKの受信料についてである。法律によれば「TVを買うと自動的にNHKと契約を結んだことになり」、付則によって「契約を結んだ者は受信料を払わなければならない」ということらしいのだけれど、んーな法律こっち
とりいそぎ。 <傷害>駅での喫煙注意され殴る 容疑の男(原田康秀)逮捕 東京・府中(毎日新聞) - Yahoo!ニュース # 2007年11月08日 takanofumio takanofumio タバコ, news 勿論この記事からだけではわからないけれど、注意されたほうが<殴らざるを得ないような>状況においこむ注意の仕方というのは十分ありうるなあと思う。 # 2007年11月09日 Tez Tez "ここで煙草を吸うな"程度で暴力の行使に"追い込まれる"ようなバカは矯正されるべき."俺がこの世で唯一我慢ならんのは喫煙所以外で喫煙するスキン小僧だ!両親の愛情が足りなかったのか,おフェラ豚めが!"と言われようと えーと、id:Tezさんのあげられてる言い方のように、そこまで「降りて」きてなじられるんだったら、タバコすってたほうも納得できると思うんですよ。少なくとも僕は、「公共のルールを破っ
参加してみたり。 イマドキの声優さんの名前は全然知らないしアニメもほとんど見ていないので、頭にうかぶ名前はあんまりトレンディーでないのばかりになる(ご本人には申し訳ない)。堀勝之祐とか宮部昭夫とか城達也とか羽佐間道夫とか平井道子とか。字を確認するのにwikipediaをみたら、榊原さんはみずからを「ヴォイスアクター」と名乗っておられるそうである(アクトレスではないの?)。 役を演じるにあたり、細かく設定や背景、クセなどを踏まえて、繊細で人間味に溢れる演技をいつも志しているという。 『ER』の、ドクター・ベントンの引退の回の芝居なぞ、むちゃくちゃ気持ちが入っていたものね。 なんだかネタっぽい記事なので真面目に反応するのもどうかなあと思いつつ、文庫夏フェアの嚆矢といえばやっぱり「新潮文庫の100冊」でしょ。角川が「夏の百冊」と銘打ってフェアをやるようになったのは、本当にごく最近のことじゃないか
戻ってきてみた。 どんなもんでしょ。 事情があって戻ってきました。 これでどうだ! 「プロフィール」欄の「1行プロフィール」は、そのとき心に残った言葉をランダムに使用しておりました。以下の通り。 「……しかしわたしは、人類は絶滅寸前の状態にあり、図書館だけが永久に残るのだと思う」(JLB) ボルヘス『バベルの図書館』 「……いいですか、皆さん、ドーウィン卿は五日間の討議で、たったの一言もいっていないのですぞ……」 アシモフ『銀河帝国の興亡』 「ちがうよ ちがうよ まるでちがうよ。」 かこさとし『だるまちゃんとてんぐちゃん』 「苦しい夢のなかで、何とか地獄をまぬがれて煉獄に行きたいと、両掌でへさきを作り、一所懸命に動かしながら……」 大江健三郎『キルプの軍団』 「考えても考えても、目をつむっても思いだせないことがあるというのは、かなしいことです」 いせひでこ『マキちゃんの絵にっき』 「犯罪が
スーパーで働く人は接客マニュアルを覚えさせられ、誰もが決まった挨拶と決まった対応である・・・と思うのは私が日本人だから。ここフランスではたとえ大型チェーンのスーパーであっても、個人対個人の買い物になるのです。レジで精算する時は、まずしっかり相手の目を見て、にこやかに挨拶をしないと、8割方ぞんざいな扱いをされるでしょう。またレジのおばさんから「そこのソレとって」とか、当り前のように頼まれ事をされるのには最初面喰らいますが、これも客と店員が対等である所以です。受け入れましょう。往来に従業員がいるにもかかわらず、商品が崩れっぱなしになっているのも、客がうっかり落として割ったビンがそのままになったりしているのも、どうやら管轄外の棚ではいっさい仕事をしない、という「受け持ちエリアを侵害しない」ことによるからなのです。見るに見兼ねて何度か片付けてしまいましたが、そんなことをしてしまったのはこの国でだけ
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