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ノーベル賞
twitter.com/tadanoriyokoo
千代の富士の化粧廻しを3種類デザインしたことがある。引退後、本人からこの原画が欲しいといわれ、差し上げたことがあったが、彼が九重親方時代にその一点をオークションに出品した。幸い僕のニューヨークのギャラリーが落札して、その事実が判明。あきれ果てたことがある。
絵は一枚描くと一枚出来る。描かなければ一枚も出来ない。もし100枚描くと、描かなかったはずの100枚の絵が見れるんだから、やっぱり描こう。陽の目を見ない絵が身体の中にいっぱいあるらしい。それが出たがっているはずだ。
五輪のエンブレムの件。もし審査の段階でベルギーの劇場のロゴの存在に気づいていたら、採用作は「似ている」ということで選外になったはずだ。調査の網の目からこぼれたための入賞だと考えると応募者に責任はない。むしろ選んだ審査員側にある。審査員の説明が必要ではないだろうか。
南三陸に住み、海ばかりを描いている女性の画家が、津波で多くの人の命を奪った海を今後、描くべきかどうかで迷っていた。そんな時、町長や知人が「津波の翌日の朝のきれいなあの時の海を描いて下さい」と言われた。この言葉には自然を敵対視しない日本人の自然観と芸術を信じる言霊が宿っている。
自分がしたいことをしていれば評価などは気にならない。評価を気にしている段階ではまだ自分がしたいことが本当にできていない証拠だと思う。
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