サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
ノーベル賞
utcp.c.u-tokyo.ac.jp
2010年7月2日パリ第7大学教授パトリック・ギヨマール氏の講演会が行われた。ラカンから教育分析を受けた精神分析家であるギヨマール氏は、ラカンが1960年に行った『アンティゴネ』解釈を批判的に読解した『悲劇的なものの享楽』の著者として知られている。「アンティゴネの肯定:純粋欲望、差異の欲望、分析家の欲望」と題された今回の講演において、氏はこの著作を出発点としつつ、ラカンによるこの悲劇の読解を再度検討し、そこから精神分析家の欲望とは一体どのようなものであるかを明らかにしようとした。 ギヨマール氏がまず強調したのは、ラカンの読解が位置する歴史的な文脈である。ラカンは1960年のセミネール『精神分析の倫理』において『アンティゴネ』読解に着手した。1960年といえば、アルジェリア戦争のただ中である。この戦争に対する批判的な機運が高まる中、妥協することなく兄の埋葬を要求し続けたアンティゴネは、絶対的
1 文学、思想、政治といった領域に関与しながら、20 世紀を丸ごと生き抜いた人物 生涯を通じて肖像写真を公開しなかった「顔のない作家」 書く行為、書かれたテクストを通じてのみ公的であった人物 ① ジャーナリスト:1930 年代に『ジュルナル・デ・デバ』 『城砦』 『蜂起』 『闘争』といった右派の新聞や雑 誌に国粋主義的な政治時評を発表し、議会主義や資本主義、ヒトラー主義、共産主義など当時の既成の主 義主張を舌鋒鋭く拒絶する非順応主義的な立場を貫いた。 ② 作家:死ぬことの不可能性がもたらす軽やかな厚みとでも形容しうるような空間を独特の撞着語法を用い て描き出した。 『謎の男トマ』 (1941 年。新版 1950 年) 、 『死の宣告』 (1948 年) 、 『期待 忘却』 (1962 年) 、 自伝的物語『私の死の瞬間』 (1994 年)など。 ③ 批評家:マラルメとカフカの作品を絶えざる
2010年6月11日(金),台湾中央研究院の陳培豊先生を迎え,中期教育プログラム「近代東アジアのエクリチュールと思考」第一回ワークショップが開催された. ワークショップは,陳先生による「クレオール化された漢文の創造と境界―日本統治下台湾の『植民地漢文』」という演題での基調報告に続き,斉藤希史先生からのコメントと応答,そして参加者全員による活発な議論が交わされた. 陳培豊先生は『同化の同床異夢』(三元社,二〇〇一年)で,植民地台湾において行われた「国語」(=日本語)教育政策・制度の問題を,文明化/民族化,平等化/差別化といった多重性を帯びた「同化」という概念に着目して整理し,それが植民地台湾において台湾人の思考に及ぼした影響を論じられた.その意味で『同化の同床異夢』は,植民地台湾を主要な対象としつつも,すぐれて日本語論的・日本思想史的な側面も持つ著作であった. 今回のワークショップでの陳先生
2009年7月12日、東京大学駒場キャンパス18号館ホールで、今秋から始動するUTCP中期教育プログラム「イメージ研究の再構築」のプレイベントとして、ジュネーヴ大学教授で美術史家のダリオ・ガンボーニ氏による講演「疑念と寓意――ルドンとゴーギャンに関する新視点」が行われた。司会はUTCPの三浦篤教授。当初の見積もりを大きく上回る数――およそ150人――の聴衆が会場に詰めかけ、新プログラムの幕開けにふさわしい盛況となった。 ダリオ・ガンボーニ教授 講演の前半部(ただし分量的にはおよそ三分の二だったといえる)は、オディロン・ルドンの分析に割かれ、ルドンとの出会いから現在の関心にいたるまで、氏の研究遍歴をたどる形で進行した。ローザンヌ大学時代、フィリップ・ジュノーのセミナーに出席したガンボーニ氏は、ルドンの著作『私自身に』(邦訳はみすず書房から刊行)がはらむ問題、具体的には、ルドンの芸術がユイスマ
Marella Ada V. Mancenido-Bolaños, Cathlyne Joy P. Alvarez-Abarejo, Leander Penaso Marquez
目次:ダウンロード まえがき――脳科学と人間の生 信原幸弘:ダウンロード 第一部 脳科学と人間観 人格の要件はカタログ化できるか――不気味の谷とパーソンネットワークの可能性 戸田聡一郎:ダウンロード 記憶の操作と〈ほんもの〉という理想 中澤栄輔:ダウンロード 二つの行為形成システムにおける自己制御の喪失 西堤優:ダウンロード 病的賭博への神経経済学的アプローチ 吉田敬:ダウンロード 第二部 脳科学の応用と倫理 ニューロエンハンスメントが医療として行われることの倫理的問題――医療化の問題を中心として 伊吹友秀:ダウンロード ニューロマーケティングに関する倫理的考察――疑似科学化と消費者の自律性 小口峰樹:ダウンロード 通俗的「男脳・女脳」言説がはらむ問題――性差をめぐる脳科学と社会の中の性別 筒井晴香:ダウンロード 認知科学・脳神経科学がリスク論に与えるインパクト――個人的選択から社会的論争
2010年2月22日、東京大学駒場キャンパス18号館ホールに東浩紀氏(東京工業大学、批評家)を迎え、「『クォンタム・ファミリーズ』から『存在論的、郵便的』へ──東浩紀の11年間と哲学」が開催された。 本イベントは、そのタイトルからも伺えるように、昨年末に刊行された東氏の小説『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、2009年、以下QF)から過去に遡りつつ、『存在論的、郵便的』(新潮社、1998年)を大きな出発点とする東氏の11年間の思索を「哲学」という観点から探っていこうとするものである。 当日は、まず千葉雅也(UTCP特任研究員)が「東浩紀とデリダ、ドゥルーズ、マラブーの三角形」という基調報告を行い、主にデリダ、ドゥルーズ、マラブーという三者の哲学を補助線としながら、『存在論的、郵便的』および『QF』から哲学的な問題系を抽出することを試みた。その中で提出された主な問題は、以下の二点である。1
小林康夫『歴史のディコンストラクション―共生の希望へ向かって』(UTCP叢書4)が未来社から刊行されました. 【未来社ウェブサイトより】 未来社のPR誌「未来」での好評連載「思考のパルティータ」27回分に、関連する講演・論述を増補した著者の最新論集。さまざまなジャンルや学問と交流しながらたがいに越境し、共生していく現代哲学の最尖端を疾走しつつ、迷走する資本主義の彼方に〈歴史の真理〉を読み取ろうとする著者の思考は、個人の「主体」を問い直し人類の「共生の地平」から新たな実存を紡ぎ出そうとする。次世代へ向けて哲学的思考のリミットを切り開こうとする渾身の希望の哲学! 【もくじ】 【もくじ】 I 〈歴史の真理〉の方へ II 間奏曲(1)―重力と〈否〉! III 人間の諸目的=終わり IV 存在の根源的契約―「出エジプト記」をめぐって V 間奏曲(2)―坂口安吾と共同体の原光景 VI 人間
総合司会: 信原幸弘(UTCP) 13:00-15:00 第一部 (発表各20分、討議40分) 司会: 村田純一(UTCP) 戸田聡一郎(山梨大学大学院医学工学総合教育部) 人格の要件はカタログ化できるかー不気味の谷とパーソンネットワークの可能性 中澤栄輔(UTCP) 記憶の操作と〈ほんもの〉という理想 西堤優(東京大学大学院総合文化研究科) 二つの行為形成システムにおける自己制御の喪失 吉田敬(UTCP) 病的賭博への神経経済学的アプローチ (15:00-15:20 休憩) 15:20-17:20 第二部(発表各20分、討議40分) 司会: 石原孝二(UTCP) 伊吹友秀(東京大学大学院医学系研究科) ニューロエンハンスメントが医療として行われることの倫理的問題ー医療化の問題を中心として 小口峰樹(東京大学大学院総合文化研究科) ニューロマーケティングに関する倫理的考察ー疑似科学化と消費
【報告】ロボエシックスは脳神経倫理学の轍を踏むか?―ワークショップ「ロボエシックス―ロボティクスと社会の未来像」 かつて倫理一般で語られなかったことを語るために生命倫理が誕生し、生命倫理で語られなかったことを語るために脳神経倫理が誕生した。そしていま誕生したロボエシックスが、脳神経倫理学の轍を踏まずに学問的確立を遂げうるか否か、いまだ未知数である。 2009年11月28日に行われたワークショップ「ロボエシックス―ロボティクスと社会の未来像」では、おおむね以下に記述するような内容が語られた。 石原孝二(東京大学)は、ロボットの特殊性は人工自律エージェントであり、ヒューマノイド型ロボットの特殊性は人間類似形態・動作の人工物の社会への導入にあること、これにともなう人間社会の変化と構成論的アプローチによる人間理解の深まりへの可能性を提示した。さらに、ロボット技術者のもつ未来社会像、その国ごとの相違
2010年1月28日、セミナー「職業としての大学教授 ― 人文系大学院の未来」が開催され、潮木守一(桜美林大学)氏のお話を聞いた。 潮木氏は主に、近著『職業としての大学教授』(中央公論新社、2009年)に即して、大学院の問題と大学教員の採用・昇進制度の問題を、米英仏独の事情との比較を踏まえつつ指摘した。初めに、「大学制度に関しては、どこの国でも上手くいっているわけではないが」という留保が付けられた。 大学院の人材育成に関しては、他の4か国では博士号取得者が、大学行政職、NGOやNPO、一般企業などに就職する機会がある。しかも、自分の専門とはまったく異なる仕事ではなく、専門性を活かすことのできる仕事につくことも少なくはないという。潮木氏は、博士修了者の大学への就職について、その全容を調査し把握する機関が日本にはないことが問題だと指摘。文科省はそうした機関を率先してつくらないだろうから、大学の
講演:東浩紀(東京工業大学、批評家) 問題提起:千葉雅也(UTCP)「東浩紀とデリダ、ドゥルーズ、マラブーの三角形」 コメント:國分功一郎(高崎経済大学) 入場無料・参加登録不要 趣旨: デリダ研究『存在論的、郵便的』以後、東浩紀氏の仕事は、情報社会論、オタク文化論、文芸批評、そして新しい民主主義の構想へと拡がっているが、最新作の小説『クォンタム・ファミリーズ』は、そのすべてを総合しつつ、最初期の「ソルジェニーツィン試論」以来の関心である「確率的」な実存の引き受けを、可能世界実在論にもとづくSFによってあらためて問題化している。本シンポジウムでは、こうした展開において一貫する/あるいは変化してきた東氏の哲学のヴィジョンを、デリダそしてドゥルーズやマラブーといった20~21世紀フランス哲学の文脈と結びなおすことで再検討する。(文責:千葉雅也) ⇒【報告】 ⇒Poster Download
ゲスト 福島宏器さん (慶應義塾大学文学部心理学研究室/日本学術振興会特別研究員(PD)) 関連文献: 福島宏器(2009)「他人の損失は自分の損失?――共感の神経的基盤を探る」開一夫・長谷川寿一(編)『ソーシャルブレインズ――自己と他者を認知する脳』東京大学出版会、191-213. ファシリテーター 筒井晴香さん (東京大学大学院総合文化研究科博士課程) 言語: 日本語 入場無料 事前登録制・参加無料(定員30名)【※席に余裕がある限り、当日参加も受け付けます】 お名前・連絡先・参加人数を明記の上、東京大学こまば脳カフェ実行委員会 cafe@utcp.c.u tokyo.ac.jp (担当: 中尾)まで、ご連絡ください。 「脳カフェ」とは? 今日、「脳」に対する社会の関心はますます増しています。一方、脳科学は発展途上にあり、複雑な脳の働きはまだまだ解明段階です。私たちは脳をどこまで理解す
12月22日、第6回こまば脳カフェ・クリスマス特別版「哲学×脳科学」が駒場生協食堂3階(駒場コミュニケーションプラザ3階 交流ラウンジ〕で開催された。これまでの脳カフェでは主に脳科学の若手研究者をゲストに迎えてきたが、今回は、「哲学」を専門とする河野哲也さんと戸田山和久さんのお二人がゲストとして、さらに「脳科学」を専門とする大学院生の飯島和樹さんが指定討論者として参加した。 今回の企画は第1回目のゲストであった菅野康太さんがファシリテーターとして企画側にまわって「哲学」と「脳科学」のあいだでどのような共通点や相違点があるのかを明確にしながら対話をすることを目指した。魅力的なテーマとゲストのおかげで多くの参加者が集い、カフェとは雰囲気が遠くなってしまったが、哲学と脳科学のあいだをめぐる刺激的な議論がかわされた。 まずは河野さんによる話題提供「脳科学者がなかなか答えてくれないこと」からスタート
2009年11月27日、東京大学大学院総合文化研究科生命環境科学系博士課程の青木隆太さんをゲストに、第5回こまば脳カフェ 「感情がこころを彩る―認知・感情・倫理の脳科学」を開催しました。 青木さんは「光トポグラフィー」という装置を使って脳活動を計測することによって、認知と感情の関係を研究されています。脳カフェでは、ご自身の研究についてご紹介いただいたほか、倫理的判断に関する脳科学研究の動向についてもお話していただきました。 脳活動を計測する方法としては、MRI(磁気共鳴イメージング)を利用した機能的MRIやPET(陽電子断層撮影法)などがありますが、光トポグラフィーは被験者にヘッドセットを頭にかぶってもらって計測する装置で、機能的MRIやPETに比べて身体的拘束が小さいという特徴があります。(ただし、大脳皮質の浅い領域の脳血流の変化しか計測できない、空間解像度はあまり高くない、といった制約
講演: 潮木守一 (桜美林大学) 討論者・司会: 西山雄二 (UTCP) 参考文献: 潮木守一『フンボルト理念の終焉?――現代大学の新次元』(東信堂、2008年) 潮木守一『職業としての大学教授』(中央公論新社[中公叢書]、2009年) 潮木守一『転換期を読み解く 潮木守一時評・書評集』(東信堂、2009年) 使用言語:日本語 入場無料、事前登録不要 概要: 本セミナーでは、大学論の泰斗・潮木守一氏(桜美林大学)をお招きして、日本における大学の人事システムの現状と問題、そして、人文学系の大学院生の現状と問題をめぐって討議をおこなう。 アメリカ、イギリス、フランス、ドイツと日本との国際比較を通じて、以下のような論点を実証的かつ具体的に討議する。討議の向かう先は、あくまでも、私たちに深く関係する日本の大学の問題と展望である。 大学教員はどのように育成されているのか? 博士課程の学生の生活はどの
今回は、カトリーヌ・マラブーの『ハイデガー変化』に従って、哲学における「ファンタスティックなもの」について考察した(Catherine Malabou, Le change Heidegger. Du fantastique en philosophie, Paris, Léo Scheer, 2004. 以下Cと略する)。 マラブーは、西洋における「形而上学」の呪縛から離れて「他なる思考」(autre pensée)──存在そのものへと関わる思考──へと向かったハイデガーを、根源的な「変化」(change)のリアリティを追究した哲学者として再評価していく。そこで分析されるのは、「変化」を意味する三つの言葉、Wandel, Wandlung, Verwandlung(これらをマラブーはW, W, Vと略記している)が、後期ハイデガーのテクストにおいてもつ重要性である。マラブーによれば、ハイ
今回のテーマ 今回は、哲学が専門の二人のゲストをお招きし、脳を専門にする学生が指定討論者とファシリテーターを務めます。脳科学は暴走するのか?主体性とはなんなのか?等の話題提供をお二人からしていただき、言語の脳科学を専門とする指定討論者からの質疑を経て、オーディエンスを交えての談話・議論に移ります。「哲学 x 脳科学」の「x」は融合や協力を意味するのか?それとも「vs」でしかあり得ないのか。衝突スレスレの摩擦の間に垣間見える、今後の学問や社会にとっての脳科学と哲学のあるべき関係や可能性を探ります。 ゲスト 河野哲也さん 立教大学文学部教育学科 教授 著書 『暴走する脳科学 ― 哲学・倫理学からの批判的検討』(光文社新書) 『〈心〉はからだの外にある ―「エコロジカルな私」の哲学』(NHKブックス) 戸田山和久さん 名古屋大学大学院情報科学研究科 教授 著書 『知識の哲学』(産業図書) 『科学
⇒Poster Download ⇒【報告】 主催責任:Patrick DE VOS, Pierre BAYARD 〈午前の部〉 10.00-10.05 趣旨説明 Patrick DE VOS 10.05-10.15 開会の挨拶 10.15-10.45 Pascal BINCZAKパリ第8大学学長(法学) 「大学の危機と人文社会科学」« La crise universitaire et les sciences humaines et sociales » 10.45-11.15 小林康夫「大学の責任――〈新しい人〉に向けて」 11.15-11.45 Elisabeth BAUTIER パリ第8大学副学長(社会学・教育学) 「人文社会科学に於ける基礎研究と応用研究」 « Recherche fondamentale et recherche appliquée en sciences h
11月第4週目、行政刷新会議によって2010年度予算概算要求の無駄を洗い出す「事業仕分け」は後半に入った。11月25日は文部科学省の担当事業を対象とする「仕分け」がおこなわれた。筆者が傍聴した二つの事業の仕分けについて私的な報告を記しておきたい。 国立大学は2004年に独立行政法人化され、各大学の自主性・自律性が重視される制度へと大変革されたが、その後も、デュアル・サポートとして基盤経費と競争的資金が国立大学に配分されている。基盤経費とは「国立大学運営費交付金」であり、各独立行政法人は授業料徴収や付属病院収入などと合わせて、これを人件費や物件費などの必要な運営費に充てる。他方、競争的資金は「科学研究費補助金」や「グローバルCOEプログラム」などで、計画の内容や将来性を公募で競争した後で獲得できる資金である。25日の仕分けでは、「国立大学運営費交付金」と「グローバルCOEプログラム」などが対
「死を知る動物——ジル・ドゥルーズの生成変化論における全体性の問題」 『UTCP研究論集』 第2号、東京大学「共生のための国際哲学交流センター」、pp. 71-86、2005年 「動き過ぎてはいけない——ジル・ドゥルーズと節約」 『レゾナンス』 第3号、 東京大学教養学部フランス語部会、pp. 88-89、2005年 「喪のリトルネロ——ジル・ドゥルーズにおいて、出来事の手前に」 『SITE ZERO/ZERO SITE』 第0号、 メディア・デザイン研究所、pp. 96-124、2006年 「輪郭を救うこと、文字通りになること——ジル・ドゥルーズの美学と哲学における超越論的変形をめぐって」 『表象』 第2号、 表象文化論学会・月曜社、pp. 264-280、2008年 「待ち伏せる存在——ジル・ドゥルーズのスピノザ/ライプニッツ解釈における動物の問題」 『フランス哲学・思想研究』 第13
修士課程以来、私は一貫してジル・ドゥルーズの哲学を再検討してきました。私のドゥルーズ読解には、二つの柱があります。 (1)修士論文のテーマである「動物への生成変化」。(2)ドゥルーズ哲学と精神分析、芸術との接点において問われる「倒錯」(perversion)。現在、これら二つの柱を以ってドゥルーズ像を建てなおす博士論文をまとめているところです。その結論をスケッチするため、先月、論文「トランスアディクション――動物‐性の生成変化」を『現代思想』に寄稿しました。 とはいえ、このUTCPでは、ドゥルーズ哲学のみを中心とせずに、視野を拡げることを狙っています。そのため、本年度は、「ポジティヴ・ポストヒューマニティ」というキーワードを核とした研究を行っています。それは、次のようなポイントを含むものです。(a)ネガティヴなしかたではなく、ポジティブな──肯定的、実体的、さらにはマテリアルな──しかたで
第二回「エンハンスメントの哲学と倫理」研究会では、慶応大学文学研究科後期博士課程の鈴木生郎氏を招き、「世界の中に人を位置づける―人についての四次元主義的捉え方に対する批判的検討―」と題して講演していただいた。 土曜日の午後からの開催であったにもかかわらず、鈴木氏の講演会には多くの参加者を迎えることができた。集まっていただいた方々に、この場を借りて感謝したい。 「人 person」、とりわけその同一性をめぐる議論は、ジョン・ロックを引き合いに出すまでもなく、哲学上、連綿と継続してきた問題圏を構成している。人の同一性の問題とは、ある人が時間を通じて同一の人であるといえるための基準は何か、それはたとえば身体の同一性なのか、それとも記憶など心理的な要素が必然的にかかわるのか、といった問いをめぐる議論にほかならない。そして、この問題は、そうした問いからただちに見てとれるように、人が世界の中でいかなる
講演者:森田 團(UTCP) 昨年度、短期教育プログラム「歴史哲学の起源」は、中期教育プログラム「時代と無意識」と共同して活動を行なってきた。今年度は「歴史哲学の起源」の独立した研究会も開催していくつもりである。その第一回として、「カタルシスと崇高――ベンヤミンにおける詩学と歴史哲学」と題した研究発表会を行なう。 昨年度来、「歴史哲学の起源」は、生の自己解釈の枠組みとしての歴史哲学が、ギリシア起源のコスモロジー的思考とユダヤ起源のエスカトロジー的思考の絶えざる交叉、配分によって生成してきたことを、ハイデガー、ベンヤミン、ディルタイ、シュミット、ブルーメンベルク、タウベスなどの哲学を俎上にあげながら示すことを試みてきた。今年度は、引き続きこのような大きな枠組みを堅持しつつ、そこで生じるより具体的な問題を扱う。そのような問題として、今年度は1. 歴史哲学とギリシア悲劇解釈、2. 歴史哲学と予型
孤独にはいったいいくつの種類の孤独があるのだろうか。パリに留学していた時に、その後パリに一時滞在する度に浮かんでくる問いだ。 「美には傷以外の起源はない。どんなひともおのれのうちに保持し保存している傷、特異な、ひとによって異なる、隠れた、あるいは眼に見える傷、そのひとが世界を離れたくなったとき、短い、だが深い孤独にふけるためにそこへと退却するあの傷以外には。」――ジャン・ジュネ『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』 「孤独」は客観的な状態ではなく、あくまでも反省的なものだ。孤独とはたんに「独りでいること」ではなく、「独りでいると感じること」であり、例えば、ひとは都会の雑踏のなかで孤独を感じたり、孤独に振る舞ったりする。周囲から意図的に距離をとる「孤高」もあれば、周囲から排除された「孤立」もあるだろう。雑駁な個人的印象でしかないのだが、パリの街では人々がさまざまな種類の孤独に身を曝し、互い
4月23日(木)、リヨン第三大学のエティエンヌ・バンブネ氏を迎えてセミナーが行われた。そのテーマは、メルロ=ポンティにおける「人間学」である。 バンブネ氏によれば、メルロ=ポンティの哲学は、「知覚の現象学」から始まって、最終的には「感覚の存在論」へと向かう体系であり、表立って「人間学」を作ろうとしたものではない。だが、彼の体系は、つねに一つの「人間学」によって支えられていると見ることができるのである。バンブネ氏は、ひじょうに明晰なしかたで、そのポイントを示してくれた。率直に述べるなら、メルロ=ポンティの「人間学」は、とてもバランスがいい。しかし謎めいた魅力のようなものはなく、どうにも健全にすぎる、とも感じられた。メルロ=ポンティは、動物的生(ゾーエー)と人間的理性(ロゴス)のあいだを決して切断しないが、同時に、人間の「象徴的」なロゴス、ものごとをそれ自体「として」対象化する言語能力が、やは
目次 : ダウンロード はじめに 羽田正 : ダウンロード 第1部 ジャン・ボベロ氏講演 講演1 世俗化と脱宗教化 ジャン・ボベロ(翻訳=伊達聖伸) : ダウンロード 講演2 フランスにおけるライシテ――歴史と今日の課題 ジャン・ボベロ(翻訳=伊達聖伸) : ダウンロード 第2部 シンポジウム「21世紀世界ライシテ宣言とアジア諸地域の世俗化」 21世紀世界ライシテ宣言について ジャン・ボベロ(翻訳=羽田正) : ダウンロード ライシテと国民統合――「21世紀世界ライシテ宣言」をめぐる若干の考察 増田一夫 : ダウンロード 日本の世俗化と宗教概念 島薗進 : ダウンロード 中国における宗教と世俗化――批判儒教のために 中島隆博 : ダウンロード インドのセキュラリズムの行方――インド憲法、ガンディー、ヒンドゥー・ナショナリズム 近藤光博 : ダウンロード 参考資料: 21世紀世界ライシテ宣言
3月2日と4日に、サラ・ロイさんの講演および対談の企画がUTCPでもたれた。 ロイさんは、イスラエルによるパレスチナの占領体制を、とりわけガザ地区問題に焦点を当てて、政策的低開発の問題から、つまり政治経済学の観点から研究をしている一方で、同時に彼女は、第二次大戦中のホロコーストの生き残りを両親にもつユダヤ人として、そのルーツを自覚的に背負っている。すなわち、ホロコーストがあったからイスラエルというユダヤ人国家が必要なのだという政治神話に開き直ることなく、むしろ徹底して自らの背景と立場を反省的に見つめながらパレスチナ問題に向き合っている。倫理主義にも経済主義にも偏ることなく、その両方の視点から占領の問題を批判的に分析しつづけており、新植民地主義とも言うべき現代世界におけるひとつのあるべき姿勢を示していると言える。 2日の講演"Learning from the Holocaust and P
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『東京大学大学院総合文化研究科・教養学部附属 共生のための国際哲学研究センター(...』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く