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買ってよかったもの
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喫茶店などのテーブルの端に塩やコショウの容器と一緒に置かれていたりする、小さく細長いガラス容器に入った見るからに辛そうな朱色をしたタバスコ・ソースは意外にも百数十年前に作られたという長い歴史を持っています。 タバスコ誕生についてはいくつかのお話しがあるようですが、その中の一つは次のようなものです。 ○ アメリカで南北戦争が行われていた頃、メキシコのタバスコ州に派兵されていたある兵士が、この地できれいな花をつけるとうがらしを見つけました。 きれいな花を咲かすこのとうがらしを自分の家の庭に植えようと、この兵士はアメリカのニューオリンズに種を持ち帰ったのです。 その後、このとうがらしの種はニューオリンズに住むエドモンド・マキルヘニーという銀行家の手にも渡りました。 マキルヘニーは、南北戦争の戦火から逃れるためニュオリンズからルイジアナ州エーヴァリー島(Avery Island)に移り住み、この島
江戸時代には行商人が天秤棒に様々な商品をぶら下げて町の中を売り歩いていました。 火を持ち歩いて暖かい食べものを売り歩く商人もおり、蕎麦も夜間に屋台で売られていたのです。 夜蕎麦売りの屋台は、天秤棒の両端に道具入れになる縦長の箱がつき、この箱の上に雨よけの屋根がのせられたつくりになっていました。 蕎麦売りは天秤棒をかついで移動し、これが降ろされると天秤棒の両端に付いた箱が屋台の柱となりました。 ○ 火を扱う屋台は度々火事の元になったため、江戸時代を通じて徳川幕府は夜蕎麦売りなどを再三禁じようとしましたが、この規制はあまりうまくいかず、蕎麦の屋台売りも排除されることはありませんでした。 むしろ江戸の火事は屋台を増やす切っ掛けになったともいわれています。 1657年に江戸の町の三分の二が焼失してしまう大火事があり、これ以降、江戸の屋台店が増加したのです。 大火後の再建による復興景気で職人の給料が
昆布の収穫は8月で、暑い夏ほど良い昆布が採れます。 養殖物には1年ものや2年ものがありますが、2年以上成長すると昆布は切れてしまうので、3年ものの昆布が市場に出まわることは稀です。 ○ 日本で採られる食用昆布には10種類ほどあり、昆布の全生産の約9割は北海道産のものです。 その中でも「利尻昆布」はよく知られていますが、利尻昆布の他にも「羅臼昆布」や「日高昆布」「真昆布」「長昆布」などがあります。 利尻昆布を用いた出汁は上品な味わいが楽しめ、特に関西で好まれています。 利尻昆布の根元の三角形の部分だけを切り取った「根昆布」は出汁用として出回っています。 関西でも京都では真昆布が使われることが多いようです。 真昆布の中にも「白口浜」と「黒口浜」があり、白口浜は煮物にすると良く、黒口浜は吸い物に向いています。 真昆布や利尻昆布は極薄く削られて「おぼろ昆布」に加工されたり、圧縮された真昆布の葉先が
17世紀頃から政情の安定化に伴いナポリの町では人口が増加し、これによって生鮮食品の供給が不足してパスタなどの小麦粉食品が重視されるようになり、ナポリでパスタ製造機が発達しました。(関連:「パスタ製造機」) 18世紀から19世紀にかけて産業革命が起きると、パスタ製造機は更に飛躍的な進歩を遂げました。 それ以前は人力で動かされていたパスタ生地押し出し機械は蒸気機関を使用した圧搾機に取って代わられ、製粉機や生地をこねる機械も考案されるなど、次々と新しいパスタ製造機が登場したのです。 ○ パスタ製造機の発達によりパスタの生産性は著しく向上しました。 パスタ発祥地と考えられているシチリアでも(関連:「パスタとマルコ・ポーロ」)、16世紀頃のパスタの価格はパンの3倍もしており、一般庶民はパスタを日常的に食べてはいませんでしたが、産業革命時に発明されたパスタ製造機や従来品が改良されたおかげでパスタ生産量
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