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円安とは
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戦時中、当時の日本の画家達が、総動員で戦争画を描き国家奉仕を行いました。上の絵はその時の一枚 。 全国持ち回りで展覧会が開かれ、学校行事として、全員連れられて見学したのは多分昭和20年の春頃だったと思います。但し、上のサイパン島玉砕の図を始め、何枚かの絵は児童生徒には残酷過ぎる、という理由で、別室展示になり見る事は許されずに終わりました。 19年11月、そのサイパンからのB-29による東京初空襲が行われる一方、フイリピンではレイテ島の争奪戦が始まり、戦局は破局へ向けて急速に転がり落ちる事になります。 藤田画伯には上記のサイパンの絵とは別に「ニューギニア戦線で玉砕した山田部隊の死闘の図」があります。これも残酷な絵で、彼の後年の絵「天国と地獄」にその残酷さが続いているような気がします。 この絵は、千葉県安房郡三芳村延命寺所蔵の「地獄絵」(部分)です。一見して分かる通り、フジタの絵そっくりで
. 板橋区に於ける光学製品の推移. 光学産業と双眼鏡 板橋区から川越街道沿いに、光学産業が栄えたという事については前述しましたが、ここでは、その光学産業の中心に 位置した双眼鏡、特に標準型となった7倍50ミリの機種を選んで、その盛衰の歴史を書いてみました。光学に興味のあ る方ご覧になってみて下さい。 なお、本文には上記文面と重複する箇所が何ケ所かあります。ご了承下さい。 スタンダード7倍50ミリ双眼鏡 (ツアイスタイプ) . この写真は、10年ほど前のスタンダード7倍50ミリ(ツアイスタイプ)です。 ただ、ここではかなり前の昭和30年頃から40年いっぱい頃の古いモデルが欲しかったのですが・・・・。 今回は、特定の機種を取り上げるのではなく戦後の双眼鏡生産の時代背景を改めて眺めて見る事にしました。言わば「戦後の双眼鏡生産の略史」とでも云いまし
終戦直後の頃 一枚の写真 目撃者の眼 「焼き場に立つ少年」 報道写真家 ジョー・オダネル 1999年現在76歳になるジョー・オダネル氏は、アメリカ軍の 報道写真家として第2次世界大戦後の日本を撮った。 佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。すると白いマスクをかけた男達が目に入りました。男達は60センチ程の深さにえぐった穴のそばで作業をしていました。荷車に山積みにした死体を石灰の燃える穴の中に次々と入れていたのです。 10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。 弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は当時の日本でよく目にする光景でした。しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。しかも 裸足です。少年は焼き
心に太陽を持て。 あらしが ふこうと、 ふぶきが こようと、 天には黒くも、 地には争いが絶えなかろうと、 いつも、心に太陽を持て。 くちびるに歌を持て、 軽く、ほがらかに。 自分のつとめ、 自分のくらしに、 よしや苦労が絶えなかろうと、 いつも、くちびるに歌を持て。 私の小学校の先生は、いかにも優れた先生でした。 その先生の事となるとこの詩を思い浮かべる程印象が深い先生でしたね。 ----と、言っても、先生とこの詩にはそれほど関連はありません。先生が黒板に書いて読み上げた事。そして後日その本をお借りして読んだ、というだけのもの、たった それだけの事ですが、とにかく心に残った本でした。先生が貸してくれた本となるとどこか窮屈で、読んでお返しする時に、どんな感想を持ったか、なんて聞かれるのもイヤなもんだな。とか、いろいろプレッシャーを感じるものだと思うのですが、それは全
終戦前後2年間の新聞切り抜き帳.他・目次. . . 新聞写真から 昭和20年4月18日 B29による東京空襲 毎日新聞 下記はこのサイトを紹介して下さった方の紹介文です。 . .http://toda.daihanjou.com/?eid=196612 このウエブサイトが面白い! 8月15日終戦記念日。この日にお薦めするのは「終戦前後2年間の新聞切り抜き帳」 http://www.asahi-net.or.jp/~uu3s-situ/00/50nenmokuzi.html です。 圧倒的な情報量です。でも、私はこのホームページに目を通して、制作者の労苦に感謝の気持ちを捧げるともに、ホームページという技術が一般的になったからこそ、当時の様子を伺い知ることができる貴重な資料を目にすることができるというそのことにありがたさを感じました。 今回ご紹介するサイトは
私のホームページ --------------- .. ------------息絶えた弟を背負う孤児 特攻兵 出撃前の表情 (左) この少年については右をクリックして下さい。● 戦後すぐの頃 一枚の写真!! ● 終戦前後 2年間の新聞切り抜き帳・他 . ● 平林寺の不思議 ● 慟哭の詠嘆 ●メルヘン画 「星と遊ぶ」 ● ゴマメの歯ぎしり ● 小さな論調 ...● 気ままな呟き .● コーヒータイム ● 最新更新案内 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 2008年 10月10日 since 1998.10. 制作:斎藤 彰 uu3s-situ@asahi-net.or.jp
. 大日本帝国時代の教育 戦争が終局を迎える頃になって、教室には「軍人勅諭」が持ち込まれるようになりました。児童達が小学校を卒業してすぐ前線に出られるよう、そのための意図が当局にはあったせいだと思います。 教科書は、一般の図書館には保存されてありません。古今東西の教科書をすべて揃えるとなると、大変な量になるので物理的に不可能なのだと思われます。従って、教科書だけは専門の図書館があって(東京には二ケ所あります。)そこに行けば大抵の教科書を見る事が出来ます。それも、大半は新品で、更に、教科書のみならず掛け軸、絵図、教師用教科書、等々、すべてが揃えられてあります。 当時、その年令で実際に勉強した記憶を辿ってみると、全般的にあまりよく覚えていない事に気がつきます。その中で国語はよく覚えている方なので5年6年分を選んでコピーして来ました。 戦争が終わって学校が再
私のホームページ --------------- .. ------------息絶えた弟を背負う孤児 特攻兵 出撃前の表情 (左) この少年については右をクリックして下さい。● 戦後すぐの頃 一枚の写真!! ● 終戦前後 2年間の新聞切り抜き帳・他 . ● 平林寺の不思議 ● 慟哭の詠嘆 ●メルヘン画 「星と遊ぶ」 ● ゴマメの歯ぎしり ● 小さな論調 ...● 気ままな呟き .● コーヒータイム ● 最新更新案内 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 2008年 10月09日 since 1998.10. 制作:斎藤 彰 uu3s-situ@asahi-net.or.jp
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