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正しい呼び方があったわけでもないけれど、少なくとも僕はスプライトローテーションと呼んでいた技術について、ちょっと残しておこうというのが、今回のネタ。 おっそろしく古臭いハードの、おっそろしく古臭い技術で、残しておいたから「どうだ」ということでも全くないが、まあ後世のエミュレータを調べた人たちが「なんでこんなワケのわからんことをしていたんだ?」という疑問からは脱出することが出来るだろう。 めんどくさいので、以下の簡単な前提。 スプライトは、1980年代前半~1990年代半ばまでゲームで幅広く中心的に使われたグラフィックのハードウェア(および一部ソフトウェア)技術。 だいたい8x8~64x64ドットの矩形で、画面の座標を指定したら、速攻その場所に異動して、背景画面を壊さなくて、書き換え負荷がない神様みたいなモノ。透明色があったので、背景との重ね合わせも超カンタンである。ちなみにスプライトの指定
手持ちで残っている開発過程のイースⅠ・Ⅱは以下のディスクが残っている。 89年6月半ばのバージョン89年7月半ば~末ごろのバージョン89年9月末~10月初頭(じゃないかと思う)バージョン89年10月半ば~末バージョン89年11月マスター版(中身はもちろんマスターだけどスタンパとして残っている) この中でエンディングがまともに入っているバージョンは2つ、10月末と11月マスター版だけだ。 9月末バージョンではフィーナとしゃべるところまでは入っているけれど、プレイを終了するとハングアップ。 なんかちょっとぐらい入れておけよ俺! と突っ込みたくなるのだけど、まあ開発版なんてそんなもんだw で、エンディングが入っている10月半ば~末バージョンは、カットはほぼ全部入っているのだけど、大きく違うところが一つある。 それは踊りがないことと、スタッフロールの表記が違うことだ。 というわけで以下がその動画。
手持ちで残っている開発途中のイースⅠ・Ⅱは以下のディスクが残っている。 89年6月半ばのバージョン89年7月半ば~末ごろのバージョン89年9月末~10月初頭(じゃないかと思う)バージョン89年10月末バージョン89年11月マスター版(中身はもちろんマスターだけどスタンパとして残っている) 正確には1枚を除いてディスクには日付が書かれているのだけど、それは「ハドソンに到着した」ということで、当時スタンパのテープを出してから1週間以上かかっていた記憶があるので、ディスクの日付と内容から察するに「ここらへんのバージョンだろう」ってことだ。 これらは全部リッピングしてデータの形にしてあるのだけど、なんてこともなくこのオープニングの中身を調べたところ、かなり中身が違ったのでtwitterに動画を上げて見られるようにしたのだけど、映像資料として残しておくという点では検索性が低いなと思ったので、全部yo
僕はイース通史やらいろんな都合でイースについてのテキストは眺めているわけだけど(そしてプリキュアのイースだの、いろんなイースが混ざった検索タイムラインを見るわけだけど)、ある日「イースも9作あって、ヒロインは山のように現れたけれど、やっぱり正妻ってイメージはフィーナかリリアだよなあ」(意訳)という内容のツイートを見た。 で、言われてみればどっちが人気があるんだろう? とふっと気になったのだけど、そんなのはアンケートを取ればいい!と思って、twitterでパッとアンケートを取ってみた。 まあ1000を超えているのでちょっとは意味はあると思うのだけど、死闘だったのだけど、リリアが44%でわずかに勝つ、という結果になったのであった。 正妻はリリアってことで…w そしてこのエレナの人気のなさっぷり… ただ『イースⅢ』におけるエレナの扱いは実に微妙で「これをヒロインと呼んでいいのか?」ポジションで、
ハドソン伝説2でファミリーBASICについてちょっと追加で確認したいことがあって、メールインタビューしたとき、竹部さんから教えていただいた『ネクロマンサー』の開発から始まる逸話について書いておきたい。 この話があった場所は東京のはずで1987年も後半になってからの話だろうから、飛田さん・野沢さん・奥野さんあたりの、当時、もう北海道に異動していた人たちは、多分知らない話だと思う。 竹部さんが『ネクロマンサー』を作るとき、バトルを若手に全部任せることにしたわけだけど、ここで困ったことが起こる。 端的に書けば「若手に6502のアセンブラで全部戦闘ルーチンを書かせるのヤバいんじゃね?」ということだ。 確かにわかる。 オールアセンブラで、しかも6502でRPGの戦闘ルーチンを書くのは本当に大変だ。 というも、そもそもアセンブラでプログラムを書くのは常に簡単ではないのに加え、6502はともかく16ビッ
上の記事は自分としてはお気に入りなのだけど、問題が一つあった。それは「どのようにして水増ししているのか?」についてが曖昧だったところだ。 コメントされた方の「こうなんじゃないかな?」説は複雑すぎて240バイトぐらいしかなかったという空きに納まるとは思えなかったので、もっと単純な小坂さんが言っている通りの1秒が実は1秒ではない、というパターンなのは自信があったわけだけど「本当に実装がそうなのか?」はソースを読む以外方法がない。 そこで『迷宮組曲』のROMイメージから、実際のソースを作ってみることにした。 ソースを作るために使ったツールは、なんと、あの野沢さんお手製のlinux上で動くディスアセンブラを譲ってもらって、これをWSL2上で動かして解析した。 慣れるまでは少し癖があったけど、わかってしまえばとても便利で快適なツールだった。
マエガキ Ⅱではなく、IIでもなくあえて“APPLE ][“と表記しているのには理由がある。 最初期のAPPLE ⅡのⅡの表記は“][“だったのだ。 これを誰がやったのかはわからないが、BIOSを書いたのはウォズニアクなのが間違いないので”][“と書いたのはウォズなのだろう。 この表記は1980年ぐらいまでしか使われておらず、1981年のPRODOSあたりでは”II”と表記されている。 ついでに書くとAPPLE III時代の”IIe”なんかはAPPLE “///”に合わせて”//e”と表記されていたりもするのだけど、ともかく70年代はほぼ“][“と表記されている。 そして、これはそのオリジナル”APPLE ][“のそれもウォズニアクが書いたものに関係する話なので、”APPLE ][“と表記しているわけだ。 というわけで本編。 ファミリーベーシック開発史・現在の決定版 『さよなら、ハドソン』
そういえばハドソン伝説FC編読了したけど、マイク入力が逆転してても検知できるメソッド誰が思いついたのか、の疑問は掘られてなかったのう。時期的に竹部氏か菊田氏ということになるんだろうけど、ファミリーベーシックV3持ってねえから解析できねえのが痛い。 — ねずみのティム@目指せ付加価値税25% (@Tim_SOURIS) February 6, 2021 で、これについて「ああそういえば」と思って、確認したところ答えがわかったので、ちょっと記事にしておきたい。 まずファミコンマイク反転問題について解説したい。 ファミコンの2コンのマイクはそもそも1ビットしか入力を持っておらずon/offの判定しかできない。 だから「助けてハドソーン!」と叫ぼうが、それともマイクを爪でこすろうが、ファミコンにとっては全く同じだ。 同じ理由で『たけしの挑戦状』で「ぽっぽっぽー♪」と一生懸命歌っ
『ハドソン伝説』に関係して「どうして独自カートリッジを生産しなかったか理由が書いてありましたか」と「ファミコンの最初期から任天堂さんがサードパーティとの生産委託の契約書を持っていた」という、正直な話として、1983-84年当時のことをいろいろ勘違いされているなというツイートを見かけたので、ちょっとここに書いておきたい。 まず「ナムコは独自でROMを生産したのに、どうしてハドソンは独自で生産しなかったのか?」。 答えは簡単で、ナムコはすでにマニュファクチャとして基板を大量生産する能力があったけど、ハドソンにはなく、なおかつそんなことをする金もなかったから。 当時、つまり84年ごろのハドソンはせいぜい数十人しか社員がいない小さな会社で、83年時点で売り上げが全部合わせて20億程度。 ROMの生産委託の2億行かないぐらいの費用すら、集めた問屋の注文を銀行に見せて、ようやく融資してもらっているサイ
ある日、facebookで、石川淳一さんから「上海ネタなので岩崎さんへw」というテキストと共に、PC88SR版の作者のW.TOCOMAさんのポストが僕のところに流されてきた。 一読して余りに面白かったのと、せっかくのゲーム史の1エピソードなのでブログに掲載してよいかお尋ねしたところ、W.TOCOMAさんに快諾していただき、こうして転載させていただけることになった。 ただし、今でも公表するのは微妙だと思った一部の金額や人名などは伏せさせていただき、打ち間違いと思われるところに修正を加えたこと、また当時の状況について、読者の皆さんがわからないと思うところに、僕から適時注釈を入れさせていただいたが、それ以外は、ほぼオリジナルそのままのテキストを掲載させていただいた。 今から約35年前の PC88SR版の『上海』の物語をお楽しみください。 PC88SR版上海制作物語 大学2年前の春休みに開発した商
『迷宮組曲』にはちょっとしたオマケとして、タイトル画面で連射速度を測定できるようになっていた。 <キミの連射は秒速何発?> このソフトには、直接ゲームとは関係ないけれど、楽しいオマケ機能がついているんだ。それが連射測定機能だ。タイトル画面のときに、Aボタンを押すと測定機能が働きだす。それから10秒間は、キミの全パワーをAボタンにそそぎこむのだ。10秒以上連射すると、画面の中央上部にキミの10秒間の平均連射数が表示されるんだ。だから、その数字を10で割った数がキミの1秒間の発射回数になるわけだ。これでキミの連射スピードをはかることができるんだ。ちなみに高橋名人の連射速度は秒速16.2発。キミは、名人をこえることができるかな・・・・・・。 『ゲームの説明書』より 画面の上には数字が出るだけで、リセットボタンを押す以外には消す方法もないっぽい乱暴な機能だけど、まあ当時だからOKだ(リセット以外で
『ハドソン伝説・ファミコン編』ではスタッフロールがなかったり、それともスタッフロールにいい加減な名前が書かれているゲームも、インタビューしてほぼ掘り起こしたのだけど、それでもいくつかスタッフがわからない作品や曖昧な作品が残ってしまった。 そしてたいてい曖昧なのがアートとサウンドだ。 アートは当時のドット屋さんがだいたい複数の作品に関わっていたのもあって曖昧で、サウンドは作曲者はたいていわかるのだけど、演奏担当とも言っていい、それを実際のゲームの音にしたプログラマがわからない。 プログラム技術が進歩して、音楽プログラムがパッケージ化される86年の後半ぐらいから、データを指定したとおりに設定するだけで音が鳴るサウンドドライバと呼ばれる形になっていく。 そうなるとデータをもらうだけで、音が鳴るようになるからやっぱりよく覚えていない。 またサウンドをプログラムした側も複数作品に関わっていたせいで、
約3週間前に「ほぼ完成」と書いてから、元ハドソンのメンバーに閲覧してもらい、思い出したことを入れて修正するのを繰り返して、ようやく完成した、と言えるところに来ました。 年末からずっと元スタッフの方に回覧していただいたのですが、何度も見てもらって、ものすごい量の証言を頂いた結果、本当に、ほとんど書き直しと言っていい内容になってしまいましたが、その分、精度が高い本にはなったかなと思ってます。 ただ、こんなに修正するとは想像もしておらず、メチャクチャ予定より遅れましたw あと本文が2ページ増えて、94ページの本になりました。 『桃太郎伝説外伝』が内製だとわかるって、いろいろあって2ページ増えたのです。 では、どんな本なのかというと、以下、目次。 ハドソンという会社の簡単な概略史。当時ハドソンでファミコンゲームを作った人たちの名簿と、何に携わったのかアナログテレビと当時の8ビットゲームマシンがどの
1988年の12月4日はPCエンジンCDROMの発売日だった。 さて。 PCエンジンCDROMは、PCエンジン本体、インターフェースユニット、CDROMの3つの部品として発売された。 当時は物品税と呼ばれる贅沢品にかかる税金があり、CDプレイヤーにはかかることになっていた。 だからインターフェースユニットとドライブを同梱すると、インターフェースユニットまで物品税がかかってしまうので、別売された。それぞれの値段は インターフェースユニット→27,000円CDROMドライブ→32,800円PCエンジン本体→24,800円 定価ベースでは、なんと84,600円という、超高額ゲームマシンだった。 これが89年4月に物品税が廃止され消費税が導入されることになり、インターフェースユニット+CDROMドライブとしてセットで57,300円で売られるようになる。 ここまでは誰でも…ではないだろうけれど、よく
これまたイース通史に書き忘れ、PLUSでも書き忘れてしまった話なので、以下に収録。 何かのチャンスがあったら、どこかに収録したい。 ALUをフル使用しているのはスクロールの方で、合成じゃないですよと教えられたので、以下の計算は「だいたい間違っていた」のでいったん取り消し。間違いなく正しいところだけを残しておく ALUをフルに駆使することによって『ロマンシア』・『イース』・『ソーサリアン』・『イースⅡ』と、約1年の間、技術的なアドバンテージを得て、圧倒的な評価を受けることになる。 ではイースエンジンはいくつのソフトスプライトが表示可能だったのか? 3つだ。 PC88版では動かないキャラはBGを扱うマップチップ側置かれているが、PCエンジン版ではスプライトになっていて、動かせるが動かしていないが正しい。 パレットの都合もあるし、ゲームの状態ではPC88と比較してPCエンジンではVRAMには全く
ここゲームデザインのプロになろうとする人や、プロになりたての人にいい本を読んだのでちょっと紹介したい。 ただしこの本は「ゲームデザインという仕事を理屈だって説明して、このようなプロセスで仕事をしていきましょう、このように考えていきましょう」という内容で、FGOの企画書だの戦闘はこんなこと考えただのといった、一般読者が期待していそうなことは一切載っていない。 なので、そういう本を読みたい人には全くお勧めしない。 また、良い本ではあるけれど、いろいろな理由で付け加わっていると思われる章が本としてはノイズになっている。 ストレートに書けば、chapter 1は飛ばして、2-3-4-5と読んだら、あとは無視して構わない。 本当に大事なのはchapter 3-4と断言しておく。 ただchapter 3-4 はお金を払う価値がある内容だ。 この本の重要な内容をかいつまんで説明すると以下になる。 ゴール
実はPythonのとても古いユーザーだった。 僕が2000年ごろからしばらくPoser(というソフトがあるのだ)にハマりにハマっていたとき、Poserが実装していた拡張ツール用の言語がPythonで、またモデラーのメタセコイアにもPythonが採用されていたので、ずっとPythonを使っていたのだ。 そのあとしばらくして使う機会がなくなっていたのだけどオライリーから出版された『退屈なことはPythonにやらせよう』という本を読んで、最近のPythonのライブラリの充実ぶりと使い方を知って、Anacondaをインストールして使うようになった。 これがまたVS codeと組み合わせると、実にイロイロ書きやすくて、ちょっとしたツールを書くのにやたらとPythonを使うようになっていた。 excelからナニからともかくpytyonでイロイロできるのである。あまりに便利なもので、ともかくチョコチョコ
太古の時代、ISDN回線でフロッピーディスクのデータをまるまる転送できるFDトランスファーという驚異のマシンが存在していた。電子メールで1MB以上のデータを送るのも憚られた時代だった。 pic.twitter.com/7o2j28MD8w — Watanabe (@nabe1975) September 2, 2020 これは、初期のISDN回線(64K)を使ってフロッピーのデータをやりとりできる、という代物。 ISDNは64キロビット=秒8キロほどの転送速度なので2HDの約1000キロバイトだと、だいたい2分ちょっとぐらい通信時間はかかることになる。 でも、当時使っていた人たちは、みんな(僕も含めて)数分以上かかったという記憶があるので、たぶんエラーチェックのやりとりまで含めると数分以上かかっていた、ということだろう。 ついでに書いておくが、これでも当時最高速に近かった28800ボーのモ
メモとして書いてあった1年前のテキストが今読んでも面白かったので、ちょっと整理して表に出すことにした。 [CEDEC 2019]複数メディアを利用して断片化した物語を提供する,トランスメディアストーリーテリングとは。多くの事例が紹介された講演をレポート 「ゲームにおける物語」という論点は国内外を問わず技術カンファレンスの大きなトピックだ。ゲームと物語の関係性は必ずしもゲーム作品の内側で閉じるものではない。CEDEC 2019では,複数のメディアを用いて断片的に物語を提供する「トランスメディアストーリーテリング」という技法と,その事例が紹介された。 TMSの話自体はとても面白くて、これのモトネタになったポストで石川さんと結構有益な議論が出来たので嬉しかったのだけど、それはともかくとして、先に書いておくと、この話はTMSそのものとはほぼ関係ない。 ここで書くのは、TMSが取り扱っているのは、デ
なんとかかんとかイース通史PLUSが出来た。 B5表紙フルカラー 64ページの本になった。 絶対に60ページ超えないって言ってたのに超えたとあいざわひろしにバカにされてしまった。ちくそう。 9/6に開催される大阪のこみトレの新刊の予定なのだけど、正直、大阪のコロナがひどいことになっていて、参加するかどうか本当にわからない感じになっているので、現時点ではイベントで頒布できるかは不明デス。 内容の説明は長めの前書きからの抄録でわかると思うので、以下で。 これはイース通史に出てくる人たちの人名辞典+概略史だ。 人名事典のそもそもは、通史を書いているときに、出てきた名前に説明をつけていたのだけど説明が短いうえに、あちこちに分散したり重なったりしていて、全体として「この人は何をやった人なのか?」がわかりにくくなっていたので、自分の覚書として書き始めたのだけど、これの内容が膨らんできて、通史とは別にあ
話はfacebookでの綾部和さんのこのポストから始まる。 綾部和さん NMKで『エスパ冒険隊』などを制作。 1997年にミレニアムキッチンを創業。 『ぼくのなつやすみ』シリーズが有名。 ■綾部さん この記事に「ファミコンは足し算と引き算しかできません」と書いてあるけど、方法を知っていればそこそこ高速に掛け算、割り算ができるんだよ、と言いたい(笑まあ、大量に使う場合は僕も結果をテーブル化してたけど。 記事へのリンク https://twitter.com/itm_nlab/status/1290973324760059909?s=21 計算方法 筆算でやる場合と同じことを2進法でやると速いです(×0と×1しかないので)。10進法の筆算でも下の段が0と1しかなかったら早いのと同じ。 まあ確かにそうで、ROM容量がない当時は全部テーブルってわけにもいかず、いかに高速な掛け算と割り算を実行するか
twitterで雑にツイートしたのだけど、ツイッターではちゃんと伝わらないことが多いので記事にしておくことにした。 僕の人生で「この人こそ自分の師である」と断言できる方が何人かいるのだけど、その中の一人で僕の人生に決定的な影響を及ぼした人にSさんという人がいる。 このSさんの事は同人誌『30年目の凄ノ王伝説』でちょっと書いたのだけど、ここに違うエピソードを一つ残しておきたい。 僕が1984年の終わりに家をおんでて入った会社は、いわばCGベンチャーで漫画家の御厨さと美先生がCGやりたくて起こした会社だった。 この会社が紆余曲折があってCD-iと繋がっていくのだけど、ともかく漫画家先生の会社だったので母体として編集プロダクション(編プロ)があった。 だから編プロ+CG会社という謎の構成になっていた。 そして編プロの方はBEEPと繋がり、僕にライターへの道を拓いてくれるのだけど、この編プロダクシ
簡単に書けば、1992年当時はやりようもなかった「どのボスに人気があるのか?」についてのアンケートだ。 当時は雑誌のアンケートや人気調査から「なんとなくこのあたりだろうなあ」という程度しか知ることができなかったのが、google formで直接聞けるのだから、聞いてみればいい! という、実に軽い気持ちでアンケートをとったのだけど、なんと520もの回答が集まるというとんでもない結果になり、腰を抜かしてしまった。 結果が下。カバー画像でも使ったけど、こっちは拡大できる。 自分の予想としては、デュークペペ・マントー2・右のガーニン・名無しの十八番の4人がナンバーワンを争う、だったのだけど、最終結果はわりと驚きで、なんと菊五郎・はまぐり姫がとんでもなく上位に来て、自分の想像とは結構違う結果になっていた。 ただよく考えてみれば、菊五郎はカブキを引き立たせるためのキャラだし、はまぐり姫は同じく極楽を引
ファミコン 誕生から37年も“現役” ブランド健在の理由(河村鳴紘) - エキスパート - Yahoo!ニュース 任天堂の家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」が1983年に発売され、7月15日に“37歳の誕生日”を迎えます。中古ゲーム店でもいまだにソフトが取り引きされており、ファミコンソフトのオンラインサー の記事について。編集者の赤字です。 「ファミリーコンピュータ」は、世界で6191万本を出荷した家庭用ゲーム機で 単位が合っていません。 ですが20年後の2003年、部品の確保が難しくなり生産を中止、2007年には修理も終えて「ゲームオーバー」になったように見えました。 20年もゲームオーバーになってなかったのか! という驚きの方が多いんですが、どうでしょうか。 また特許権が切れたので、互換機がフリーになりました。なので今でも互換機で昔のカセットを遊ぶことができます。 またゲーム機「
天外Ⅱのバトルで「HPを表示しよう」と提案したのは僕だ。 採用したのは桝田さんだ。 なぜHPを表示しようと言ったのか? いくつかの理由があって、HPを表示したかった。 第一の理由 ゲームデザイン的な思想だった。 相手とバトルをしていて相手がどれぐらい弱っているか、全くわからず五里霧中で戦うなんてことはあり得ない。 そういう意味でリアリティがないと思っていた。 でも『凄ノ王伝説』の失敗とどんちゃんのプレイを見た経験の2つが組み合わさって誰でも思いつきそうなダメージを受けると攻撃力が下がるといった処理ではダメだとわかっていた。 『凄ノ王伝説』では、自分も相手もHPで攻撃力が下がるって仕様を入れた。 敵も味方も同じなので「これで敵が弱ってるのがわかる」とかやってたのだけど、若いゲームデザイナーの愚か極まりない判断で、ゲームデザイナーとしてバカだったとしか言えない。 HPが下がって攻撃力が落ちるの
それが上。結構、当時にしては複雑な圧縮してたんだなあと思った。ところが、もう去年の話なのだけど、突然facebookで野沢さんからメッセージが飛んできた。 ■野沢さん うー、ブログ訂正希望。 スタソルのマップのデータ構造が、間違って覚えてた。 2×2セルで20セルが横ラインで変則ランレンで圧縮してた。 はー、ダメだおれ。 んで、ちょっと聞いてわかったのが、自分でスタソルのソースを作ろうとざっとディスアセンブルしたらなーんと解凍ルーチンが違った、というのである。 それで野沢さんいわく「あれはドラえもんだと思う」と。 ■僕 wwww まあ用意しとくw あれはドラえもんなわけねw ■野沢さん そうなんだ。 スターソルジャーのディスアセンブルはほぼ成功してるしね。 仮ソース作ったよ。 ドラえもんもディスアセンブルしようかな? 専用デイスアセンブラも有るし、暇つぶしには良いかも。 でも、プログラムの
先日、ちょっとしたことがあって、20年以上ぶりにさくまあきら先生に挨拶させていただく機会があった。 もう本当に不肖の弟子筋(と勝手に思わせていただいております)として挨拶させていただいて、心の底から嬉しかった。 さくま先生は、僕にとってもうどれだけお礼を言っても言い足りない本当の恩人にして先生と言える方だ。 1989年初頭、さくま先生(と桝田さん)は、どういう気まぐれだったのか、今でも不思議なのだけど『凄ノ王伝説』を僕の目の前でどんちゃん(と正確にはもう一人いたのだけど、まあどんちゃんで代表させておいて大丈夫なので、どんちゃんと書いておく)にプレイさせてくださった。 時期は、確か『凄ノ王伝説』のマスター前後だったと記憶している。ファルコムに行ったあとだったかは覚えていないのだけど『イースⅠ・Ⅱ』を(ファルコムがOKと言えば)やることは決まっていたと思う。 目の前で繰り広げられたどんちゃんの
実はブログに一度似た内容を書いたのだけど、今回PCエンジンミニが発売されたのに合わせて、再度大幅に書き直したバージョン。 なお、合わせて昔の記事は消そうかと思ったけれど、かなり内容が変わったので、そのまま置いておくことにした。 スーパーグラフィックスの『大魔界村』は、発売はNECアベニューだったが、移植はハドソン札幌で行われていた。 ちょっと書いておくと、この当時、他の会社から発売されたがハドソンで制作されていたり、それとも管理されていた作品は実はたくさんあり、記憶しているのをぱっと並べるだけでも『ブレイクイン』(ナグザット)、『エイリアンクラッシュ』(ナグザット)、『大魔界村』(NECアベニュー)、『魔境伝説』(ビクター音産)、『鏡の国のレジェンド』(ビクター音産)などなど出てきてしまう。他にもアートやってた作品(『ラストハルマゲドン』など)もある。 実際に移植したのはコードがアルファシ
これはPCエンジンミニに入っているゲームの中で、自分が手伝ったり、作ってるのを横で見てたり、それとも作ってる時の話を聞いたりしたゲームを1個ずつ取り上げて、書いていくシリーズだ。 ただし『天外Ⅱ』と『イースⅠ・Ⅱ』と『ときめきメモリアル』と『R-TYPE』と『THE功夫』は除く。なぜならこのブログでもう結構書いたから。 あとimpress watchとかに代表されるような「普通のゲーム紹介」をするつもりは全然ない。 僕が30年の前のゲームにそんなレビューしたって面白くもなんともないっしょ。 さて。 『ネクタリス』は1989年2月にハドソンからリリースされた、月でガイチ帝国とかいうのと戦うことになるウォーシミュレーションゲームってことになる。 マップの形式にヘックスを使用していて、シンプルなルールで、なおかつ運があり、コンピュータの思考は速いしおまけに今見ても結構強い…そう、簡単に説明すれば
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