サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
体力トレーニング
www.hikipos.info
(文・万年ダイエッター) あなたは誰かに「働くことの意味」を問われたことはあるだろうか? 私はある。しかも、だいぶ唐突に。 それは2月のこと、取引先に向かおうと地下鉄に揺られていた。花粉で朦朧としながらスマホを眺めているとLINE通知がぽこっと現れた。 “お久しぶりです。今色んな人に聞いているんですが 働くことの意味ってなんだと思いますか??” 以前ひきこもりや不登校の当事者イベントで知り合い、妙なハイテンションで意気投合、朝まで飲んだ勢いでLINE交換した青年からだった。 以来、やり取りはなく、これが初めての連絡。一瞬「新手の詐欺?」「宛先間違い?」なんて言葉が頭をよぎったが、質問の答えを返すことにした。 実は「働くことの意味」は、私自身、ずっと自問自答していることだ。 大学卒業後、私は希望の職業に就職。順調な社会人生活をスタートし、「頑張る自分」に酔っていた。その職業はやりがい搾取が横
ひきこもり支援の中には、ひきこもりを「救う」とうたう団体があります。しかしひきこもり当事者は、そもそも「救われたい」のでしょうか?今回は、ひきこもり支援のあり方に一石を投じる、当事者からの支援論をお届けします。 (文・写真 喜久井ヤシン) 「君と出会ってから、僕は安定剤を飲むようになった」 「それのどこが誉め言葉なの?」 「良い人間になろうと思ったんだ」 ——映画『恋愛小説家』 あまり聞きなれない単語で、私自身一回しか耳にしていないのだけれど、「受援力(じゅえんりょく)」という言葉がある。 これは災害にあった被災地で、援助を受けるための能力を指して使われるという。 その土地に住む住民の一人一人のレベルから、行政が対応するレベルのことまで含めて、たとえば災害ボランティアの受け入れがどれだけ可能かなどを、受援力という考え方で示す。内閣府も「地域の『受援力』を高めるために」という冊子を作り、啓発
手に紙の束を持ち、表紙をめくり、並んだ文字に目をはしらせる——ただそれだけの、「読書」と呼ばれる単純なことの先に、人生を変えてしまうような衝撃と出会うことがあります。私のこれまでの人生は、一人きりで歳月を過ごす孤独なものでした。書物は時に気晴らしであり、時に退屈を与えるものでしたが、その中でわずかに、心を熱く高揚させるような出会いもありました。今回は古典文学の中から、私のめぐり会った何冊かの書物を紹介したいと思います。 これは、孤独だった私から、あなた宛てにしたためる短い手紙です。 ドストエフスキー 『地下室の手記』 (1864年) 太宰治 『人間失格』 (1948年) リルケ『マルテの手記』(1910年) 夏目漱石 『それから』(1909年) カフカ 『変身』(1916年) イプセン 『人形の家』(1879年) ソルジェニーツィン『イワン・デニーソヴィチの一日』(1962年) ドストエフ
ひきこもり傾向があった犯人が起こした川崎の殺傷事件の報道が過熱しているのをみて、僕はどんどん具合が悪くなった。このニュースにかぎらず、陰惨な事件が起きたときに心身が反応することがよくあるんだ。かわいい犬猫動画をみて、僕はなんとか精神を保った。 川崎の事件では、SNSを中心に犯人を分析をする人が増えていった。まるで誰もがFBI心理分析官を気取っているようだった。マスメディアも競って犯人の実像に迫ろうとした。 メディアや世間は異常と思えるほど彼の異質性を探そうとしていた。それが見つからないと困るんだ。もし、彼が異常で特殊な人間でなければ、自分と変わらない人間になる。それは、自分や友人や家族がなにかのきっかけで同じようなことを起こす可能性を秘めていることになってしまう。 僕はこの分析合戦をみて村上春樹と河合隼雄の対談を思い出した。特に印象に残ったのは、オウム真理教と神戸の少年Aが起こした事件に関
(写真はイメージ:pixabay.com) (文・田中ありす) 5月28日に神奈川県川崎市で起こった無差別殺傷事件について、一市民として非常に心を痛めている。 ある日突然理由もなく生きる権利を奪われるという、これ以上ない暴力。生存者や目撃者の方が負ったであろう心の傷や、「助けられなかった」「自分だけ生き残ってしまった」という罪悪感。同じ学校に通う生徒の「自分が狙われていたかもしれない」という恐怖。愛する者を失った家族や友人の深い悲しみ。 そのひとつひとつを思うたび、いたたまれない気持ちになる。もしこれが自分や家族や友人の身に起こったとしたら耐えられないだろう。 被害に遭われた方やそのご家族・ご友人、関係者の方々が一日も早く回復し、心の平穏を取り戻されることを心から願っている。 この事件の犯人がひきこもり傾向にあったとされる一連の報道について、ひきポス編集長の石崎が以下のような記事を出し、報
(文:Longrow) (画像:pixabay) 川崎殺傷事件で亡くなられたお二人に、心から哀悼の意を表するとともに、心身に傷を負われた方々の回復をお祈りします。 また、何よりも被害者の方々を第一に考えた行動がなされ、メディア報道などによる被害の拡大が起こらないことを願います。 ご存じの方もいらっしゃるかもしれない。 川崎市で20人もの人々が殺傷された「川崎殺傷事件」を受け、ネット上で飛び交い、論争を巻き起こしている言葉がある。それは、 「死ぬなら一人で死ね」 この言葉について、論争の発端となったのはこの記事。 そしてタイトルにある『「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい』という言葉だ。 news.yahoo.co.jp この藤田孝典氏の記事を受け、「死ぬなら一人で死ね」という言葉を使うことの是非について、賛否両論入り混じった論争が展開されている。 「迷惑をかけるなと言うこ
1.「中高年ひきこもり61万人」「全体で100万人超」「8050問題」というパワーワード 2.内閣府調査書をどう読むか 3.内閣府調査の目的は、調査書のどこに表れているか? 4.内閣府調査は、若者のための調査!? 5.『中高年ひきこもりは61万人』に騙されるな 6.マスメディアは何を伝えるのか? 7.「内閣府調査出ました!終わり!」にしてはならない 最後に2つ 補足A. 「若者が中高年ひきこもりにスライド」に関する(多分に主観的な)補足 補足B. 内閣府調査は本当に「中高年ひきこもり支援」を目的にしなかったのか? (文:Longrow) (画像:pixabay) 最近のニュースをチェックした方、そしてweb版ひきポスをお読みの多くの方は、きっとご存じだろう。 中高年ひきこもりに関する、内閣府の調査が公表された。 その調査報告書は下記リンク先にある。関心のある方は第1章の「調査の概要」だけで
写真提供:フラン インタビュー・構成 ぼそっと池井多 インタビューのためのはしがき 私は当初、このインタビューを 「日本で初めての外国人精神科医、誕生か?」 というタイトルで記事にしたかった。 ひきポスの編集会議に、昨年秋から顔を出すようになった筑波大学院生(取材時点)のイタリア人、フランさんが、日本で精神科医になることを目指している、と聞いたとき以来のことである。 医学のなかでも、精神科という領域は、内科・外科といった他の領域に比べ、言語に頼る比重がとりわけ大きい。精神科があつかう病気は、言葉のやりとりによって医師が診断しなければならない部分が大きいのである。 日本語のネイティブではない日本の精神科医は、彼が日本史上初になるのではないのか。 もちろん在日コリアンの方などで、日本で精神科医になっている人はたくさんいるだろうが、日本語を外国語として学び、精神科医になった人は、日本の歴史の中で
2019年3月29日放送 NHK「ニュースウォッチ9」より 文・山瀬健治 編集・ぼそっと池井多 やはり、「ひきこもり」は「暗い部屋にこもってゲームしてる」というステレオタイプが強いんでしょうか? 中高年「ひきこもり」問題に関係して、3月29日、わたし山瀬健治がNHKのニュース番組で報道されたことで、まとめサイトを中心に「これはヤラセではないか」「捏造報道だ」といった誤解が広まりました。 完全な誤解から、「ひきこもり」への誤解あるあるといったもの、さらには耳を貸すに値する意見まで色々ありました。インターネットの「集合知」って面白いですね。 報道された本人として、まとめサイトに流れた話について思うところがありましたので、ひきポスさんのご厚意を得て書かせていただきます。 会社役員やってるひきこもり? まず、単純な誤解として 「ネットで名前探したら、会社で執行役員/COOやってるぞ。どこがひきこ
震災廃棄物の上に積もった雪 2013年1月 写真・ぼそっと池井多 文・ぼそっと池井多 ここ数日、ひきこもりについての対話交流会のため岩手県にお邪魔しており、3.11の今日は被災地となった沿岸部を南下している。 東京で生活していると、3.11はすでにまるで敗戦記念日のように歴史化している。しかし、実際に津波に被災した自治体では、それぞれに追悼式典がおごそかに行われ、ある意味で3.11はいまだ「現在」であることが強く感じられる。 東日本大震災は、ひきこもりたちにとっても、大きな選択をせまった未曽有の災害であった。 震災を機に、ひきこもり状態から脱して、がぜん活動的になり、自分が住んでいる村や町の復興に活躍するようになった方がいる。 一方では、避難せず、ひきこもったまま津波に呑まれてしまわれた方もいる。 前者を(A)、後者を(B)とさせていただく。 地震が起こってから津波がせまってくる数十分のあ
シオラン という思想家がいる。 一般ではあまり知られていないこの思想家は、神と人間を否定する数々の書物を残した。数行の短い言葉からなるアフォリズムを特徴とし、シオランは万物を呪わんとする。 激怒 憂鬱 嫌悪 恐怖 憎悪 不安 絶望 ……その言葉の中ではあらゆる苦しみが渦を巻き、読む者に地獄を案内する。 今回はその一端を紹介する。 自殺のアフォリズム 悲痛のアフォリズム 文学のアフォリズム 孤独のアフォリズム シオランを読むためのブックガイド 自殺のアフォリズム 特に死に関する言葉において、シオランの舌鋒は激しい。 結局のところ、私たちが自殺しないのは、自殺の理由がありすぎるからだ。 『カイエ』 生の秘密の一切は、次の点に帰着する。すなわち、生には何の意味もないが、にもかかわらず私たちはそれぞれ生に意味を見出しているのである。 『思想の黄昏』 なぜ私は自殺しないのか。生同様、死が私に嫌悪感
文・ぼそっと池井多 さて、今年もひきこもりの頭上はるか上空を通り過ぎていくバレンタインデーがやってきた。 世の女性たちはあれこれと戦略を考えていらっしゃることだろう。 そこで、たいへんお役に立つ情報を提供したいのである。 昨年秋、世の女性たちが合コンしたいと思っている男の職業のランキング上位10位が発表された。(*1) *1. 女性の「合コンしたい職業」ベスト10が意外な結果に。 弁護士は10位… 女子SPA 2018.10.22 https://joshi-spa.jp/882743/2 25歳から39歳の女性100名にアンケートを実施した結果なのだという。 1位 医師 33% 2位 公務員(国家・地方) 26% 3位 税理士・公認会計士 20% 4位 パイロット 18% 5位 専門職(薬剤師など) 17% 6位① 消防士・警察官・自衛官 16% 6位② 商社マン 16% 6位③ 俳優・
(文・湊 うさみん) 「ニートはお金どうしてるの?」 みんな知りたいだろうけれど、あんまり聞かれない質問です。というのも日本においてはお金の話をするのはタブーとされてますしね。お金について聞くとがめついって思われてしまいそうですし。 ニートの金銭事情は大体三つに分けられるでしょう。 「親からのお小遣い」 「生活保護」 「障がい年金」 お小遣いか生活保護か 私の場合は、お小遣いをもらっています。いい歳こいて自分の生活費すら稼げないのがものすごいコンプレックスではあるんですが、かといって普通に働くこともできないので……。 そんなにコンプレックスになってるのなら、他の二つの方法を考えたらどうなの?と思われるでしょう。 生活保護は親類が「養う気はない」という意思表示をしないともらえません。親や兄弟に担当職員から確認の電話がかかってくるそうです。 私の母親が養う気満々なんです。私自身は「生活保護をも
「生産」というと工場のような場所における モノの生産を思い浮かべる人が多い。 写真・photoAC 文・ぼそっと池井多 昨年の流行語大賞は、 「そだねー」 が取ったようだが、私としては 「生産性」 が取るべきであったと思っている。 それほど昨年は「生産性」論議に明け暮れる一年であった。 発端はいうまでもなく、昨年7月に「新潮45」に発表された杉田水脈衆院議員の論文であるが、これは見かけ上はLGBTの人口的再生産における生産性を論じようとしているものであった。すなわち、 「生物的に子どもを産めば生産性がある」 と考えているような、見地の浅い論議である。 しかし、「生産性」という言葉がまず想起させるものは、やはり工場でガッチャンガッチャンと何かモノを生産しているような経済的生産性であるだろう。そのため生産性の議論が盛んになるにつれ、白い眼で見られるようになったのが、いわゆる「働いてない人」、す
お詫び 本当はこの記事は、「ゲイがオススメするLGBT映画」になるはずだった。私はいわゆる「ゲイ」で、ひきこもっている時に、それなりの数の映画を観てきた。最近なら『ボヘミアン・ラプソディ』や『おっさんずラブ』の映画化など、いくつかLGBTの話題をピックアップすることもできる。読みやすいエンタメ情報を集めることもできた。 けれど、普段は別にゲイを意識して映画を観ているわけではなく、セクシャリティの分類を越えた名作(迷作)もある。どうせならあまり語られないような、マニアックな作品を紹介したい欲が出てしまった。 その結果、この記事では誰も一生観ないような映画が集まっている。入手困難なので「オススメ」でさえない。それでも私には大感動だった作品だちで、忘れられるには惜しいものばかりだ。当初の企画からは完全にズレたけれど、これはこれで紹介してしまおうかと思う。「LGBT映画」ではなく、(ほぼ男同士の)
バングラデシュの首都ダッカの河畔 文・インタビュー・ぼそっと池井多 写真・Pixabay 「日本が先進国で裕福だから、お前たちはひきこもれるのだ」 という人々がいる。 はたして、彼らが言っていることは本当か。 先進国でなくても、裕福でなくても、 ひきこもりになる人は、いるのではないか。 そんな疑問を、私はつとに抱き続けてきた。 それは私の実存にかかわる疑問であった。 多くの方のご助力を得てGHO(*1)を創設させていただいたのも、そんな疑問の答えを見つけたかったからかもしれない。 これまで、先進国ではない国々のひきこもりとして、アルゼンチンのマルコ・アントニオ(*2)、フィリピンのCJ(*3)、などを紹介させていただいてきた。 そして今回、バングラデシュのイッポをご紹介する。 バングラデシュとは、インドの東にある比較的に小さな国で 面積は日本の4割ほど、イスラム教徒が9割近くを占める。 バ
文・ぼそっと池井多 ・・・<前篇>からのつづき 「ひきこもり」概念の拡大 両親が苦労した建てた家の二階の一番奥の 自分の部屋から出てこないで 部屋の入り口まで母親の食事を運ばせ ゲームばかりやっている未婚の若い日本の男の子 <前篇>に詳しく述べてきたように、 2000年前後にこのような「原型的ひきこもり像」が造られ、 以後こんにちに到るまで根強く国内外に浸透してきた。 しかし、ここ二、三年は、 以下のようにひきこもりのイメージを特定していた制限がどんどん外されている。 「若くなくてもひきこもり」 「男の子でなくてもひきこもり」 「結婚していてもひきこもり」 「子どもがいてもひきこもり」 「部屋から出られてもひきこもり」 「いろいろ活動していてもひきこもり」 「就労して働いていてもひきこもり」 「日本以外の国でもひきこもり」 なぜならば、これまでのひきこもり成立要件が否定されるようなひきこも
文・ぼそっと池井多 遍在する「ひきこもり」 こんにち「ひきこもり」と呼ばれるような人たちは、 もともと昔から世界各地に少なからず居たのだろう、 と私は考えている。 つまり、ひきこもりは、きっと 現代の日本社会や高度産業社会だけに特有の産物などではないのだ。 人間社会が存在するところでは、 どこでも一定数の人たちが「その他大勢」になじめず、 こんにち私たちが「ひきこもり」と呼ぶ状態になっていただろうし、 今もまたそうであろうと考えるのである。 半世紀前、1960年代に学園紛争に明け暮れる若者たちの生活は、 いまの「そとこもり」系ひきこもりたちと 深く似通っている要素が見い出される。 だが、彼らにはすがりつくことができた、 まだナイーヴな政治的イデオロギーがあった。 それがあったために彼らは「ひきこもり」とされない、 とも云えると思う。 今の世代にとって、 政治的イデオロギーはそんな単純なもの
(文・湊 うさみん) 明日があるー♪ 明日があるー♪ 明日があるーさー♪ 私「明日もあるのか……」 今日で世界が終わってしまえばいいと本気で思うこともよくあるのですが、無慈悲に明日はやってきます。 朝は11時か12時くらいに目が覚めるのですが、「明日」がやってきてしまった現実を直視したくないために、布団から出ません。 ずーーーっとまどろみの中でうだうだしていて、時には部屋が暗いままスマホで音楽を聴いたりして、起床するのは15時くらいです。昼夜逆転はニートの基本。 朝(すでに朝じゃないけど)起きると大体憂鬱です。薬の影響なのかメンヘラ特有の症状なのか、起きてから数時間はとってもグロッキーです。 パソコンをつけてメールやニュース、チェックしているサイトを確認。その間も何度か「だるー……」となって布団に横になります。どれだけ布団が好きなの私と思いますが、布団は私を裏切らないですからね。 元気やや
文・ぼそっと池井多 ・・・「あなた何してる人 第2回」からのつづき 一本のキュウリが変えた近所の均衡 前回「第2回」で述べたように、 私のボロアパートの隣にある、 白亜の一戸建てに住むオバサマから 一本のキュウリをいただいてしまったことにより、 私はハタと頭を抱えた。 戴き物をしたからには、何か御礼をしなければならない。 いかに生活保護で暮らしていようとも、私は乞食ではないのだ。 お返しに何を持っていけばよいのか。 もしキュウリ夫人のように、私も家庭菜園でもやっていれば、 こちらの畑で獲れた自慢の野菜の一つでも持っていけばよい。 キュウリに対抗するには、ダイコンで十分だろう。 いや、ナスでいいかもしれない。 ところが、なんせ東京郊外の貧困層であるから、 畑など持っているわけがないのである。 では、スーパーで何か買ってきて差し上げるか。 それもおかしい。 だいたい、キュウリ夫人は、そこそこの
まこっちゃん(サイトウマコト)さん 編集・文・写真 ぼそっと池井多 解説: 2018年9月29日、西東京市田無公民館において、現在「庵-IORI- 」「ひきこもり大学 in 下町」ほかの活動を精力的におこなっている、ひきこもり経験者「まこっちゃん」ことサイトウマコトさんが体験談の講演を行なった。講演を企画したのは、田無公民館と西東京市TOMOPO(共歩)の皆さんである。 この講演は2か月ほど前、同年7月に予定されていたのだが、台風のため延期になっていた。ところが、新しい予定日に向けて再び大型台風が接近し、再び延期が懸念されたが、暴風雨がまだ小雨だった間にすべりこみセーフで敢行された。したがって私は、昭和時代に3回にわたってリメイクされた日本映画『嵐を呼ぶ男』にちなんで、ひそかに「嵐を呼ぶ男講演」と呼んでいる。 会場となった西東京市田無公民館 なぜひきこもったのか サイトウマコト: こんにち
前篇からのつづき・・・ 福井という地方性とひきこもり ぼそっと池井多 東京など都会のひきこもりと、地方のひきこもりの違いといったことを知りたいのですが、西見さんからごらんになって、福井のひきこもりの暮らし方は、たとえば東京や神奈川と比べてどうですか。たとえば福井には居場所が少ないとか、居場所までたどりつくのに時間がかかるとか。 西見 逆にぼくは、東京周辺のひきこもりの生活を知らないので、なんとも言えません。福井の状態を「こんなもんかな」と思って過ごしていますので。逆に東京の方のことを知りたいです。 ぼそっと池井多 なるほど、それもそうですね。たとえば福井では、居場所はありますか。 西見 あります。私の友達が、仕事を持ちながら、わざわざ家賃を払って、物件を借りて、ひきこもりたちがいつ来てもよいような居場所にしています。二十代から四十代のひきこもり当事者たちが集まってきているようです。 ぼそっ
写真:パラナ市庁 文・ぼそっと池井多&マルコ・アントニオ・クリヴィオ・ベニテス ・・・「第2回」からのつづき 行政からの支援 ぼそっと池井多 さっき、きみはこんなことを言っていたね。「ほとんどの国の政府は、自分の国のひきこもりのことなんて、どうでもいいんだ」と。 そうだね。アルゼンチンの政府は、おそらく自分たちの国にひきこもりがいるということすら知らないだろう。もし、アルゼンチン政府がひきこもり対策に乗り出すとしたら、きみは行政からどんな支援を期待するかい。 マルコ・アントニオ わからないね。 はたして行政がひきこもりの持つ問題を解決するのを手伝えるものなのだろうか。政府は、ひきこもりが外へ行くのを助けることはできないし、他の人に話しかけるのをサポートすることもできないだろう。 政府は、仕事ができないひきこもりにお金を与える福祉事業を創設することはできるかもしれないけど、でも、もし政府
メビウスの輪 写真:Pixabay 文・ぼそっと池井多 いまさら「当事者発信とは何か」 このひきポスを含め、 当事者が自分たちの声を発信することを当事者発信という。 「当事者の、当事者による、当事者のための発信」 と要約されることもある。 しかし、改めて考えてみると、 この当事者発信とはいったい何だろうか。 もともと「できない」ことをやっている試みとも思えてくるのである。 まず、 「当事者は、他の当事者を代表したり代弁したりできない。」 というテーゼがある。 当事者は、それぞれ個別の問題を生きているから当事者なのであり、 その本人でもない人が、 本人であるかのように語ることは、 「当事者憑依(とうじしゃひょうい)」 と呼ばれ、本人の人権侵害につながると考えられる。 だから、当事者の問題は、 その当事者本人が語るのが望ましいのである。 さらに、ここにもう一つのテーゼもどきがある。 それは、
文・コンスタンティン・シモン 訳・ぼそっと池井多 謎の人々 「ヒキコモリ」... その単語は、まず僕を魅惑した。奇妙な、エキゾチックな響き。謎の語源。翻訳しようとする時の難しさ。フランスの代表的劇作家モリエールの言葉たちがとつぜん色褪せたみたいだった。隠遁者? 世捨て人? 自発的亡命者? どの訳語もあてはまらない。ある語を翻訳しようとして行き詰まるときは、僕たちは必ずといってよいほど、何か複雑な概念に近づいているのだ。 2018年3月末、フランスのテレビ局フランス24の特派員として拠点を日本に移した僕は、最初の取材テーマとしてひきこもりを選んでいた。それまでに僕は、ひきこもりに関するいくつかの報道を読んでいた。僕自身はむしろ「社会的な」人間なので、社会から撤退したように言われている、ひきこもりと呼ばれる人たちが、いったい何を考えているか知りたかった。いくつかの団体に連絡をしたところ、あなた
Photo by PhotoAC 文・インタビュー ぼそっと池井多 瀬戸さんは現在47歳、女性のひきこもり当事者である。以前ほかのメディアで発表した彼女のインタビューを編集して、ダイジェスト版でお届けする。 蒸し暑い夏でもお風呂に入れない ぼそっと池井多:私は中高年の男性のひきこもりですけども、うつで動けなくて何日もお風呂入れないと、 「自分の体臭がくさいんじゃないか」 といろいろ考え、それが原因でさらに外へ出かけられない、という状態になります。 とくに夏場はこわいですよね。 さらに中高年になってくると、自分では感知できない加齢臭というのが加わります。これで指さされ、責められるとなると、まるでカフカ『変身』のザムザ状態となり、自分ではわからない理由で他人から指弾されるわけです。 こうなってくると、世の女性たちが「オヤジはくさい!」みたいな話をネットでしているのを見るだけで、なんか罪人にでも
(文 喜久井ヤシン) 私は一時期映画を観まくっていた。 一日のほとんどの時間、体がぐったりとして動けなかったので、目をあけているだけでいい映画鑑賞が最良の時間つぶしだった。レンタルショップで10枚いっぺんに借り、それを数日で観終わっては、またすぐに借りに行くのが唯一の外出、という生活をしていた。 誰とも話さずに年間数百本のペースで観ていた中から、今回は「ひきこもり」目線でオススメ映画を選んでみようと思う。私の好みはかたよっているし、重いものばかりだけれど、暗い作品を探している人には参考になるかもしれない。 4部門に分け、3作品ずつピックアップ。計12作品を紹介している。 Ⅰ「ひきこもり」的映画部門 Ⅱ 極上の絶望映画部門 Ⅲ 剥き出しのドキュメンタリー映画部門 Ⅳ 空前絶後の鬱映画部門 ネタバレなしでの紹介。読み飛ばしつつ適当にご覧ください。 Ⅰ「ひきこもり」的映画部門 エンタメやサスペン
盧德昕「In The Mood For Love」A Instructed by Alexey M., Collaborated with Kordae H.and Nancy A. 文・盧德昕 & VOSOT池井多 <プロフィール> 盧德昕(ル・テシン):台湾出身。現在、南カリフォルニア建築協会で修士として勉強するかたわら、ロサンゼルスで映画制作に関わる。日本のひきこもりを題材とした映画作品を製作中。その他、創作活動は出版、著述、映画、空間デザイン、イベント企画、美術展など多岐にわたる。 盧德昕ホームページ :https://lutehsing.com/ ぼそっと池井多 :日本出身。ひきこもり。当事者の生の声を自分たちの手で社会へ発信する「VOSOT ぼそっとプロジェクト」主宰。三十年余りのひきこもり人生をふりかえる「ひきこもり放浪記」連載中。 …「第1回」からのつづき 社会における「ひ
盧德昕「Taipei Delirium」 文・盧德昕 & ぼそっと池井多 究極の選択 盧德昕(ル・テシン): まずは自己紹介させてください。 私はロスアンゼルスで建築を学んでいます。私がやっていることは、この世界で現在起こっている現象を目に見えるものにすることです。 私の出発点は、「人々は狂気というものをどう考えているか」という問題でした。 狂気の定義とは何か。ミシェル・フーコーとアーヴィング・ゴフマンは、彼らの著書の中で狂気についてこう述べています。「狂気とは、基本的に時代ごとに異なるものである」と。 たとえば、もしあなたが20世紀半ばに生きる女性で、強い性欲を持っていたら、あなたはたちまちヒステリーのレッテルを貼られたことでしょう。 また、もし産業革命のあとの時代で、あなたが働かない人であったなら、やはりあなたは「どこかおかしい」というレッテルを貼られていることでしょう。 これが、私が
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く