サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
ノーベル賞
www.kclc.or.jp
German Version 17世紀に布教のため日本を訪れたジュスイット派の宣教師が日本語の複雑さに困惑した挙句、これは布教を妨げるための悪魔の仕業であるとして<悪魔の言語>であると断じたという伝説が残っている。もちろん勝手な決めつけに過ぎないけれども、ヨーロッパの言語とは異質な言語に遭遇したときの戸惑いとしては十分に理解できる。逆に日本の識者の中にも日本語の「異質さ」を殊更に強調する向きが一部にあり、これがまた「<日本はユニーク>という神話」として外からの批判の的になることも知られている通りである。 言語学の枠内でも言語間の異同という点についての議論は、<相対性>を強調する立場と<普遍性>を強調する立場の間で大きな動揺があった。しかし、もっとも新しい傾向としての<認知言語学>の流れの中では、人間の認知の営みによって規定される一定の枠内での動揺という形で<類型論>的に捉えるという方
German Version 序 人間の自己認識は、最も古い神話や宗教と共に始まった。哲学的人間学の祖型も、人間の魂や行動や存在意義を考えた古代哲学や中世の神学に見出される。人間の認識の根拠や情念の諸形態を実証的・経験主義的に検討した近代の諸思想も、夫々の《人間の哲学》を提示していたといえる。しかし、より自覚的かつ総合的に人間という特異な存在を捉えようとする、本格の哲学的人間学の志向は、20世紀に至って初めて明確な形で現われた。これには、文明の進歩に対する批判や戦争・社会不安を不断に生み出す現代人の在りようへの反省という、一般的理由の外に、個別科学の発達に伴い却って人間の全体像が失われる、という矛盾が下地になっていた。 今世紀初頭マクス・シューラーは、現代人間学の地平を拓いた著作“宇宙における人間の地位”(1930)の中で、人間研究にたづさわる特殊科学がますます増大する反面で「人間
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『一般財団法人 海外FXボーナス比較研究センター』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く