サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
TGS2024
www.l.u-tokyo.ac.jp/~shimizu
弁証学(論理学)が依拠する基本テキストの筆頭に位置するポルフュリオス『アリストテレスのカテゴリー論への序論(いわゆるエイサゴゲー)』は、その冒頭に、 「類や種(すなわち普遍)は実在するのか、それとも単に理解のうちに存在するのみなのか」 といった問題提起をしていた。 この著作のボエティウスによるラテン語訳および注解が西欧中世に伝えられていたが、はじめは特に注目されず、学者たちは事実上実在論の立場を受け容れていた。この問題をめぐる議論が起こったのは、11世紀後半になってからである。 音声言語論 議論の端緒は『(エ)イサゴゲー』はそもそも何について論じたものであるかをめぐって、〈もの〉(res)についてであるという見解に対して、〈音声・言葉〉(vox)についてであると主張し、〈音声言語論派〉(vocales)と呼ばれた人々が登場したことにある。 このような主張は『エイサゴゲー』への文法学的アプ
授業用資料をアップします。ここから入る資料は皆、私が今までにどこかで書いたものに基づいています。今回の講義に合わせて話の筋を通すまでにはなっていませんが、そこは実際の講義に出て補ってください。 内容目次 イントロ: 伝統的論理学とは カロリンガ・ルネサンスとアルクイヌス 普遍を巡る問題の登場と文法学 アンセルムスの言語理解 普遍に関する実在論 アベラルドゥスの言語哲学 12世紀後半-13世紀 -> suppositio論の発達 オッカムの言語哲学 中世的言語理解へのルターの批判
以前やっていた授業の内容目次(暫定的)と資料です。ここから入る資料は皆、私が今までにどこかで書いたものに基づいています。 内容目次 中世哲学の源流 初期キリスト教の思想形成: イエス以後 / パウロ思想 / ヨハネ思想 / ギリシア哲学との出会い / ユスティノス / テオフィロス etc. / トピック:無からの創造説の成立 --- cf. テルトゥリアヌス 三一論の形成: ラテン語による思索の始まり: アウグスティヌス / ボエティウス 古代末期から中世へ 中世哲学の成長 カロリンガ・ルネサンスとアルクイヌス エリウゲナ Dialectica と Theologia アンセルムス 普遍を巡る問題の登場と文法学 アベラルドゥス / アベラルドゥスの唯名論 中世哲学の展開 12世紀後半-13世紀: 大学の成立 / アラビアからの新資料 / 中世論理学の発展-> suppositio論の発
以下に掲載するのは、同書の概要である。 オッカム論理学の基礎をなす 〈項辞terminus〉 の働きである 〈表示significatio〉と 〈代表suppositio〉 の理論、および、オッカム認識論の基礎をなす 〈直覚知notitia intuitiva〉の理論に向かう。 第一部 人間に現前している事柄 1. 項辞 2. 代表 3. 認識 我々に対して現前していないものの語り・認識 4. 過去・未来のもの・こと 5. 存在可能なもの・こと 6. 存在しないもの・こと 第1章 記 号 〈項辞〉 (=命題を構成する項)の 〈表示significatio〉 という働きについて考える。項辞は 〈記号signum〉 であり、従って、ここでは 〈言葉〉 と 〈もの〉 との関わりが問題になる。ただし、言葉とものとを見比べることが出来ないような 〈記号〉 関係を提示することが、眼目である。 1 〈表
お知らせ 2013年 1月~4月 臨床倫理セミナー各地で開催中。 2013年 1月16日 臨床死生学・倫理学研究会 2013年 2月 3日 公開講座「自分らしい治療・ケアの選択のために―食べられなくなったらどうしますか」参加募集中。ほぼ満席になってます。お申し込みはお早めに Information 清水哲郎プロフィール プロフィール(日本語PDFファイル)CV(英語:ただしデータが古い) 著書・論文リスト 活動する諸現場 臨床倫理・臨床死生学言語哲学・中世哲学・キリスト教思想史 教育活動・社会活動 研究室の場所 東京大学 法文二号館3階 Update: 2013-1-15 メールアドレス:shimizu@l.u-tokyo.ac.jp 上のアドレス中の@は全角です。半角に直して使ってください。 spamを防ぐため、このように書いています。 このアドレスを勝手にインターネット上に公開しないで
伝統的論理学の一部門であって、誤った推論の誤りの性格を分類しつつ明らかにしようとするもの。アリストテレス『詭弁論駁論』(Sophistici Elenchi)に遡源し、これが西欧に知られるようになった12世後半以降伝統的論理学のなかで研究されるようになった。「虚偽論」ともいう。 推論の誤りは、元来は形式上の誤りである<誤謬推理ないし論過paralogismus>(正しい推論がみたしているべき形式上の条件を満たしていない、つまり規則に違反した推理)と、内容上の誤りである<詭弁ないし狭義の虚偽sophismus>に大別され、さらに後者は<言語上の誤謬fallacia dictionis>と<言語外の誤謬fallacia extra dictionis>に分類されて、説明されていた。誤謬推理と詭弁とを論証に関するものとしてまとめた上で、これに定義および分類に関する誤りを加えて、<統整法上の誤謬>
「精神的苦痛」、なかでも「意味のない生をこれ以上続けるのは私の尊厳を損なう」と患者が考える状況は、安楽死の条件として認められ得るか。 ここでは倫理的問題、すなわちともかく何らか死期が迫っている状況、つまり自分の身体が徐々に衰えていき、先頃まではできたことができなくなってしまう、ということを自覚して、「このようになってしまったらもう、私は生きていても仕方ない」と考えた場合に、それを認めるかということに話を限って考える。 もちろん、そのような自己の状況認識をその当人が一時的な混乱によって思っただけではなく、十分考えた上でなおそう考えていることだ、ということを確認するコミュニケーションのプロセスが必要だろう。その上で、なお次の二つの可能性があるように思われる。 スピリチュアル・ペインと看做す 生きる意味を見出だせなくなっている状況をスピリチュアル・ペインと見る立場からは、「私はもう生きていても
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『www.l.u-tokyo.ac.jp』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く