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8月3日に開催された、ハタガク第5回をレポートさせていただくオルカです。ただいま学生最後の夏休みを謳歌することに全力を注いでいる、ミーハーな女子大生です。 今回、「働くを『働きかける』に変える」をテーマに、自分の仕事を、自分で生み出す働き方についてお話してくださったゲストは、電通のコピーライター阿部広太郎さん。なりたい職業がたくさんあり、コピーライターというお仕事にも憧れのある私にとって、絶対に参加したい回でした。 そして阿部さんは冒頭で、今日の目標として 「たったひと言でも、忘れられない言葉を、 お土産として持って帰ってもらいたい」 とおっしゃっていたのですが、終わってみて思いました。 お土産が多すぎて、スーツケースが必要。 そのくらい、忘れられない言葉がたくさん詰まったお話だったんです。 ということで、その大量のお土産の中でも今回特に印象深かったものを、いくつかピックアップしてご紹介し
酒の肴にもいろいろありますが、何も口に入れるだけが肴じゃございません。お酒は五感で楽しめるものです。 たとえば、味覚はもちろんのこと、視覚ならボトルのラベルや、バーのカウンターの木目、ライティングなど、視覚情報はいろいろとあります。 触覚ならグラスやコースターの素材感、灰皿の重量、良く締まった氷を指でなぞったときの、あの冷たさ。 嗅覚ならばグラスのなかで開いていくウイスキーの香りはもちろん、店中の酒と、紫煙(シエン)、さらには棚に収納された膨大なヴァイナルコレクションが醸し出すポリ塩化ビニールの匂いが混ざりあった、どこか懐かしくもある香り。 そして聴覚、隣の人の会話やグラスをカウンターに置く音、バーテンダーが氷を削る音、消防車、パトカーのサイレンなどなどありますが、なかでも耳に入ってくるのは、やはり音楽でしょう。 私は音楽が大好きで、さらにお酒も好きなので、そういった酒を提供して音楽もしっ
会社を辞めて7か月。まさか、ここまで無職期間が長引くとは、我がことながらアンビリーバブル。 今は、この無職状態がデフォルト状態、通常運転、日常生活、になりつつあるのが自分でもわかっておそろしい。 先日、親戚一同が集う法事に参加した。自分の信条としてジジイとババアしかいない巣鴨みたいな場所やイベントへ積極的に参加することなどありえず、出来ることなら断りたかったけれども、 「誰かが心臓発作で倒れたとき、少しでも若い人間がいたほうがいい」という母からのワンダーかつネガティブな要請を受けて参加したのだ。 はっきりいえば、無職という弱い立場に付け入られ、足下を見られ、断ることができなかったのだ。 結論からいうなら、法事に参加したのは失敗であった。少なからず傷ついた。 このハートブロークンは、かつて一度だけ参加したロックフェス、音楽に身をゆだねることなく若いギャルとのチョメチョメを求めて参加したロック
奇跡は起こらないから奇跡なのかもしれない。それでも奇跡を信じていなければ生きていけないのは、人間が弱すぎるあまり、奇跡にすがっていないと生きていけないからなのだろうか。そのクエスチョンへの答えを、僕はまだ見つけられていない。 歌舞伎役者の市川海老蔵さんの奥様、小林麻央さんが亡くなったという一報に触れたとき、僕の胸に去来したのは、奇跡が起こる確率の低さを呪う気持ち、「嗚呼、ダメだったんだ・・・」という残念な気持ち、そして「やっぱり・・・」という彼女のブログを読んでいた人なら誰もが感じたであろう不吉な予感が思いのほか早い時期に当たってしまったという、ある種の申し訳なさだった。 同時に僕は、自分の家族のことを思い出していた。ウチの父も亡くなる前2年間あまりを、会社を辞めて自宅で家族と過ごしていたからだ。海老蔵さんと真央さんのように闘病をしていたわけではなかったけれども、最後の数年間を家族と過ごし
糸井重里さんは、「ほぼ日」のサイトで、27文字×40行を一年365日休みなく、20年近く「毎日」エッセイを書かれている。ぜんぜん「ほぼ」じゃないのである。 そして糸井さんはその中から選んだ言葉を短くまとめて、書籍として刊行している。 これは非常に密度の濃い方法で、完成した本は「エッセンス」としか言いようがなく、煮こごりみたいなものである。 対して無位無冠無職の私はどのようにものを書くか。まったく逆なのである。私が一年365日休みなく続けているのは、140文字のツイッターへの書き込みだけであり、これを1日数十回、多い日は100回ほど、8年近く「毎日」つづけている。「ほぼ」じゃなく、「あほ」という象限に属しているといっていい。 そして私はその中から選んだ言葉をできるだけ長く引き伸ばして、コラムとして連載している。 これは非常に密度の薄い方法で、完成したコラムは「水増し」としか言いようがなく、血
田中泰延 特別寄稿 小説家の誕生。 2016年は、人生が滅茶苦茶になった年だった。24年間も働いた会社を、辞めた。いま、仕事は何にもない。収入もない。それは、この男のせいだと思っている。 燃え殻。ふざけた名前だ。 その男とはじめて接触したのは2014年の暮れ、ツイッターでひとこと、言葉を交わしただけだった。
全国津々浦々の無職の皆様が、さまざまな犯罪行為あるいは変態行為に手を染めてワイドショーやニュース番組をにぎわしてくれているおかげで、不本意ながら定職につけずにいる僕の社会的立場・家庭的立場も壊滅的に失墜している。犯罪者と変質者には、死んで詫びてもらいたい。そもそも仕事をしていない状態にある人間を「無職」の一語でカテゴライズすることが乱暴で、間違っている。 ただ、職を失っているだけの無職。労働する意思と能力を持ちつつも、職に就くことがかなわない哀しき失業者。2者はまったく違う、いや、正反対といってもいい生き物だ。無職が死んだ目で「有効求人倍率など俺には関係ない・・・」と、毎日絶望しながらハローワークにも行かずに元気に生きている一方、失業者は死んだ目で毎日ハローワークに行って「有効求人倍率が向上している状況なのに仕事が見つからない俺はダメ人間なのかしらん・・・」と絶望して心の病の淵にいるのであ
こんにちは。西島へんしゅちょです。 この記事がバズったおかけで今や会う人会う人に「JK!」「JKの西島!」と呼ばれることも多くなりました。 JK用語で「鶴の恩返し」を読んでみた 「まだ読んでねーぞ!」という方は、是非一人でこっそり読んでみてください。 そんな、ここ2、3年JKづいている私、ふと覗いたTwitterのタイムラインで以下のツイートを目撃しました。 10代の子と話したら「ツイッターやりたくないです。クラスの人気者ほど同学年や先輩後輩からフォローされるのでフォロワーやいいねが多くて、ちょっとスタバの写真を載せるだけで62いいねくらいつく。ヒエラルキーが可視化されるんです」って言ってて、私の知ってるツイッターランドじゃなかった。 — 朝井麻由美@『「ぼっち」の歩き方』 (@moyomoyomoyo) 2017年5月2日 なな、なんとTwitterでスクールカーストが可視化される! そ
梅雨があけたら、夏本番だ。ひと夏の恋とかビーチで恋愛とか、どうせ誰かが浮かれはじめる。でも大丈夫。恋愛なんてしなくても、我々には小説がある。恋愛をしている人もしていない人も、する気がない人もしたくてたまらない人も、現実の夏なんてほったらかして、恋愛小説を読もうじゃないか。 ※著者五十音順 1.『ヴァイブレータ 新装版』赤坂真理(2013)講談社 雑誌の編集に携わる傍ら小説を執筆し、1995年に『起爆者』でデビュー。4年後の1999年、赤坂真理の『ヴァイブレータ』は第120回芥川賞候補となった。 体から始まる恋の物語である。とはいえ、肉欲がたぎる迫力のある小説、というイメージとは少し違う。『ヴァイブレータ』で描かれる肉体はみな、透明感のある切実さを湛えて読者の前にあらわれる。ライターである主人公の「あたし」は、言葉の過剰さから逃れるように、コンビニで知り合った男のトラックに乗り込む。「中学も
定職が見つからない苛立ち、家族からの就職プレッシャー、加齢にともなう体力低下、減るいっぽうの預金残高。まあ、全部自分の責任なわけだけれど、それらに起因するヤケクソで「紙の書籍なんて無くなってしまえばいい」と心の底から思っている。だって邪魔でしょ。場所は食うし。重いし。 確か、ミステリー作家の森博嗣先生がエッセイか対談かで、今後、紙の書籍は贈答品のようなスペシャルなものになっていくのではなかろうかと仰っていたけれど、まったく同感。それが時代というやつなのである。現在、出版に関わっておられる人たちには厳しすぎる現実だが、僕をみれば分かるように退職金もなく職を失ってもなんとかなるものだ。時代は紙から離れていくのだ。 それでもときどき、「自称」本好きの人間というものに出くわす。彼らが「やっぱり紙の温もりがたまらない」「紙の本でしか伝わってこないものがある」などと言っているのを見て、この人は紙フェチ
あいかわらず「雑記」なのに雑に書けない。 そもそもこの連載を始めた時点ではこんな風に書こうと方針を定めていたのだ。 おれ、ひろのぶ! あざーっす! 何書いていいかわかんねーけど、おれ、ゴミの分別はあんまりしないんだよな。 これだ。この雑さだ。この程度の文章を雑に書き飛ばして収益を得るビジネスモデルで特許を取得しようという構想だったはずだ。 ひょっとして意外と自分は丁寧だったのか? 卓球選手だったのか? そんな疑問が頭をピンポンピンポンとよぎるなか、2017年6月2日がやってきた。 さて。6月2日とはなんなのか、とびとびに書いているので、 連載のうちの、この2回を続けて読んでから今日の雑な回を読んでもらえるとありがたい。 6月2日、ある集まりに私は出席した。1987年に誕生したリョーマ、そしてSYNの結成30周年記念式典が開催されたのだ。 リョーマ、SYNとはなにか。私は口を酸っぱくして言っ
この連載のタイトルは「雑記」である。 最近は、この「雑記」に、何度か過去の思い出話を書いていたのだが、心ない人に「いい話を書くいい人と思われたがっている」と言われたり、椅子に画鋲を置かれたりとさんざんな仕打ちを受けている。 そんな「いい人おじさん」だと思われたいわけではないし、画鋲は尻ではなく壁に刺していただきたいので今後はもっと雑に書いていこうと思う。 べつに「いい話」を書きたいのではない。だが「書く」という行為は、あたりまえだが多くの場合「思い出す」という行為と直結している。なにか思い出さなければ、私はいま、たとえば目の前のキーボードの形状のことを書くぐらいしかない。 私が、なにか書くことのほかに続けていることといえば、写真を撮ることである。写真は、それ自体が見る価値のある「作品」になったりするわけだが、すべての写真が絵画のように発表されて飾られるわけでもないので、多くの場合「記録」と
1ヶ月前、私はこの雑記の中で、30年来の友人たちの実名を挙げて思い出を語った。 午前2時のプールサイド【連載】ひろのぶ雑記 というか、これが1ヶ月前というのが衝撃だ。早すぎる。先週と言われても絶対に信じる。私は自分を信じる。信じるものは救われる。 みんな同じ感覚があると思うが、自分が子供の頃や若い頃に比べて時間が進むのが早い。実感としては、10年ごとに倍になっている。平均寿命が延びて「人生100年時代」などという。だがしかし計算してみよう。100歳まで生きるとしても10年ごとに進み方が倍になるということは、方程式にすると できなかった。高1の途中で数学がわからなくなった私にそんなことができるわけがない。 なんとなく図にしたら理解できるのではないか。年齢とともにだんだん時間の長さが圧縮して感じられるのだから、 こういうナニだろうか。さらにこれを絵画に応用すると 考えれば考えるほどわからなくな
この原稿を書いている時点(2017年4月26日)で、米の大統領と北の将軍がプロレス的な睨み合いをしていて、日本に飛んでくる弾道ミサイルの脅威が現実のものとなっている。しかし、あえて空気を読まずに僕個人の問題を申し上げさせていただくと、2008年1の月より魔法のオクスリに頼らなければ役に立たない、僕の股間に配備されているミサイルの方が大きな問題であり、このエッセイの担当であるO女史の「一般常識なのであえて言う必要はないけれども、理解力に乏しい貴兄のためにご説明差し上げると、黄金週間に入るので〆切は前倒しになります」という冷酷な通達の方が、北の将軍様の無慈悲な攻撃よりもはるかに身近であり、かつ脅威なのである。 つーか、黄金週間の存在を忘れていた。昨年末に会社員を辞めてから、休日祝祭日といった概念が失われているからである。そもそも、この地上に生み落されて以来、黄金週間というものが大嫌いなのである
ゴールデンウィーク明けの5月8日(月)、株式会社dof主催で「働くを考える学校 ハタガク」というイベントの第一回が開催されました。今回は「その就活、それでいいの?」というテーマのもと、角ハイボールの仕掛け人である齋藤太郎さんと街角のクリエイティブ編集長である西島知宏さんという電通を辞めて、現在はベンチャー企業で社長として活躍している2人が対談しました。 意識低すぎて浮いている右端の金髪、ranran(大学4年生、本来なら就活真っ最中)です。「なに、この超絶意識高そうイベント・・・」と思いながらも、意識低い系大学生代表としてこのイベントに震えながら参加をしてきました。 そんなイベントの冒頭で齋藤さんが「働き方改革」について疑問を投げかけました。 齋藤さん 「働き方改革」って「みんなが長時間労働をせずにワークライフバランスをよくしましょう」というものなんですが、この先、どんな産業でもシリコンバ
みなさんはペットを飼っていますか? 飼っている方は、何をペットとして飼っていますか? 私の友人に、女子大生をペットととして飼っている男性(以下、Bさん)がいます。その話を初めて聞いたときは、恋人間のプレイか流行りのパパ活の類かなと思っていました。しかし、よくよくその話を聞いてみると、どうやらそうでもないらしい。今回は、そのBさんのお話を元にペットと飼い主という新しい男女の関係性についてご紹介したいと思います。 女子大生の捕獲方法は?
実際、僕は他人のことはもちろん、無職に堕ちてしまった自分のことさえもわからないでいる。何で考えもなく会社を辞めちゃったのだろうか。あのときの自分を殴ってやりたい。 ただ、わからないから、無職だからといって、距離を置く必要はない。わからないままで付き合うことが、生きていくうえではとても大事なのである。それが多様性とか他人を受け入れるということなのである。 僕は生来、女子大生が好きではあるけれども、彼女たちが何を考えているのか、普段何をしているのか、さっぱりわからない。わかろうとも思わない。ただ、わからないものをわからないまま受け入れる準備なら僕はできている。だから全国の女子大生諸君は安心して僕の胸に飛び込んできて欲しい。貴女たち女子大生が、いい年こいて無職状態にあるオッサンのことをどう思っているかなんて僕にはわからないし、永遠にわからないままでいい。 【過去4回の「神様がボクを無職にした」は
僕たちは皆、泣きながら生まれてきた。大声で、泣き叫びながら生まれてきたとき、僕たちは、皆、等しく無職だった。つまり、無職こそが人間本来の姿なのだ。それなのに、なぜ、無職というだけで、下に見られなければならないのだろうか。生まれてきたときの記憶を失ってしまったからだろうか。年齢を重ねるにつれ心が汚れてしまうからだろうか。僕にはわからない。 僕は無職であることに恥ずかしさを感じていないので、「年末に仕事を辞めてしまい、現在、絶賛無職中で、ハローワークに通いながらアルバイトで日銭を稼いで何とかしのいでいる」というシビアな告白であっても、何の葛藤もなくいたしてしまう。そういった告白を聞いた友人、知人たちの10人中8人は、「その年齢で会社を辞めて大丈夫なのか?」「家族もいるのに大変だなあ」という心配ベースの声をあげ、残りは「なんで辞めたのだ?」「問題でも起こしたのか?」という野次馬ベースの問いかけを
無職だからもはや私には関係ないのだが、世間ではゴールデンウィークである。 ゴールデンウィークなので書き出しも先週と同じにして手を抜いてみた。どうせ誰も読んでない。みな、レジャーだの旅行だのにうつつを抜かしているに違いない。 だいたい、なにが大型連休や。おれの連休は大型すぎる365連休や、と言ってみたいのだが、退職以来1日も休みなくちょこまかと雑文を書き続けているので会社員のときよりよほど忙しい。 ちなみに、さっき見たニュースでは、国内、海外を含めてこの大型連休に旅行に出かける人数は約2千万人だという。 すごい。なにがすごいか。どこへも行かない人が1億679万人もいることがである。総務省によると2016年末の日本の総人口は1億2千679万人であるから、実に85パーセントもの人がどこにも行かないのである。 85パーセント。視聴率でいうとすごいよ。それだけの人が家でごろごろしている可能性があるの
2010年代は創作物、ドキュメンタリーに関わらず本当にさまざまな良作がありまして、個人的にもここらで一度まとめてみようと思い立ち、このコラムを書いています。 ちなみに2010年代はゾンビ映画も「ウォーキングデッド」の煽りを受けたのかはさておき、非常に豊富なので、これもまとめておきたいのですが、それはまた別の機会に。 さて、後に2010年代は音楽映画の時代と呼ばれるかもしれないほどに、良作揃いのここ数年、ちょっと数が多いので、ベスト5としてしまうと選ぶのに悩んでいるうちに2010年代を終えてしまいそうです。ので、いくつかルールを決めてみました。 ベスト5とタイトルが付いているが、1位〜5位との間は精神状態により順不同とする (そうでもしないといつまでたっても順位が決められないため) ミュージシャンを追ったドキュメンタリーであること、架空のミュージシャンやバンドがメインで登場していること (サ
無職だからもはや私には関係ないのだが、世間ではまもなくゴールデンウィークである。 ゴールデンウィークは、1951年、現在のゴールデンウィークにあたる期間に上映された映画『自由学校』が正月やお盆興行よりヒットしたのを期に、多くの人に映画を見てもらおうと、当時、大映専務であった松山英夫氏による造語で和製英語。 引用:Lookvise,Inc.『語源由来辞典』 だそうで、ゴールデンつまり黄金というのはどうも我々の利益というより、映画会社のカネのことであった。 映画「自由学校」は、1950年に新聞連載された獅子文六の小説が原作で、なんと松竹(監督:渋谷実)、大映(監督:吉村公三郎)が競作し、しかも同じ週に封切られたというちょっと考えられない事態になっている。映画会社どっちも儲かったんだからそりゃゴールデンだ。 松竹のほうの映画では、劇中で佐田啓二が発する「とんでも」と英語の「happen」がくっつ
自分の人生にかかわることを他人のせいにするのは、あまりにも無責任で、一人の大人としてとても褒められた行為ではなく、『絶対にやってはいけないこと』と自戒しているけれども、真面目に生きてきた僕が40代も半ばに差し掛かった今、アルバイト生活に堕ちてしまったのは、全部、大予言者ノストラダムスのせいとしか思えないのである。 少年時代に、1999年7の月での人類滅亡を唱えたノストラダムス、199X年に世界は核の炎に包まれると宣言した北斗の拳、宇宙世紀0079年にジオン公告によるコロニー落としが行われると通告した機動戦士ガンダム、といった世紀末的な世界観、少年漫画的な終末思想を刷り込まれた僕にとって、1999年人類滅亡はほぼ既定路線だった。1999年の夏に25歳という人間として一番脂に乗った時期に死んでしまうという絶望は、僕の青春に影を落としただけでなく、人生そのものを陰湿なものに変えてしまった。 小学
目の前を通っていく人がどんな風に人生を過ごしてきたのか、考えたことはあるだろうか。わたしは結構妄想します、彼らがどんな事情を抱えているのか。 だってもしかして、前を歩く人にだって昨日までイチャイチャしていた彼女から突然振られた経験があるかもしれないし、隣を歩く人にだって靴下の片っぽが見つからなくて適当なものを履いた日に限ってお座敷の席に通された思い出があるかもしれない。 そういういろんな出来事を経て、いまここにいる。 そう思うと、なんかもう、他人のだいたいのことは許してあげたいような気持ちになってくる。大変だったね、そんなことがあったんだねって気分になって。え、そんな気持ちになることはない? いやもしかしたら全然大変なことなんてないのかもしれないけれど、まぁ、彼らの事情をわたしは生涯知る由もないのだから、言ってみれば想像するのも自由。 そういうわけでわたしは日々、人の事情を妄想する。
「ホワイトデーのお返しは何がいいかな?」 「ホワイトデーはこの際どうでもいいので、どうか、一刻も早く、どうか、どうか、どうか、ホワイトカラーになってください」 この非人道的で悲しいやり取りは、去る平成29年3月14日火曜日、ホワイトデーというフザけたイベントがあった日の夕刻に、僕と妻のあいだで交わされたものである。妻の容赦ない言葉は、パートタイム労働者である僕の心を激しく揺り動かした。ショッピングモールの中心で立ち尽くした僕は、封印したはずだった黒い記憶に頭を抱えてしまう。 あれは中学1年の2月上旬。正義漢のワダ君から「ホームルームの時間に正義の提案をするので賛同して欲しい」と要請された。その提案とは「バレンタインのチョコ廃止」であった。ワダ君はモテなかった。徹底的にモテなかった。モテないのなら皆も巻き添えにしてやる! 陰湿で、たちの悪い情念が彼を衝き動かしていた。 正直な感想をいえば、た
われわれ人類は多くの問題を抱えている。 たとえば地球温暖化である。これは問題である。しかしまじめに考えると大変である。専門家の意見を読んでいると頭が痛くなる。面倒になって酒を飲んで眠りたくなる。酒を飲んで寝てしまえば、翌朝には解決してるんじゃないか? もちろん解決していない。まあいい。どうせ偉いやつらがなんとかするだろう。偉いやつらはそういうことをなんとかするから偉いのである。私は地球温暖化とか知らん。エコバッグ使ってるしそれでいいだろ。もう寝る! 私はそんな人間である。 しかし、ノリと勢いだけで地球温暖化を解決しようとする人間を見てみたい。だからひとつの物語を考えた。三人の男が、地球温暖化を解決しようと頑張る。ひでつぐ、まさつぐ、しげつぐという三人の兄弟である。三人は完全なるアホである。しかしアホなりに頑張るのである。 私は、この三人に夢を託したい。 三兄弟が地球温暖化を知る ひでつぐ、
ある日のことだ。私、田中泰延は一通のメールを受け取った。よく考えると、人生には「ある日のこと」しかない。そんなことはない、「ある夜のこと」もあるじゃないかという反論をクソリプという。クソリプすると人間の品格が下がるのでやめたほうがいい。 クソリプのせいで話が前に進まない。要するに、ある日、私にこの『街角のクリエイティブ』の西島編集長から一通のメールが届いたのだ。よく考えると、誰かから何百通まとめてメールが来ようと、読むのは一通ずつなのだから、どんな要件も結局は「一通のメール」に書いてある。よく考えるとか言いつつ、こういうのもやはりクソリプなので、もうよく考えないほうがいい。 西島編集長のメールには、わりと軽いテンションで、まずこの動画を見てほしいとあった。 Reference:YouTube 絶句した。とりあえず家族と一緒に見ないで本当に良かった。CMのスタイルとしては、たとえば保険会社の
先日、“ライフプランナー”と称する男がやってきた。来るなり、彼は言った。 「会社辞めるとかアホやで」 棒グラフと、折れ線グラフが描いてある紙を喫茶店のテーブルに広げ、話を聞かされる。 この棒グラフと、折れ線グラフを見てどうだ? なにか気がつかないか? と彼が尋ねるので 「あとは円グラフがあればグラフ御三家が揃うし、そこにシュテフィ・グラフが加われば、アンドレ・アガシもやってくるに違いない」 と答えると、完全無視のまま話は続いた。テニスに興味がないのだろう。 気づくも気づかないも、グラフの上に大きな赤い文字で と書いてあるではないか。グラフを読み取る必要などなさそうだ。 ひろのぶ、お前は47歳で会社を辞めた。だが日本の男性の平均寿命は80歳だ。しかも生存数の指標で考えると、80歳で死ぬのは半数以下だ。お前はそれ以上生きる確率の方が高い。まだ人生の半分ぐらいは残っている可能性がある。 そうなる
才能や才覚や固定資産が皆無なうえ、両親から引き継いだ歪んだ性格のために窮屈で不愉快な思いばかりしている。昨年末に退職して無職フリーダムに堕ちて、めでたく、世間から羨望の眼差しの先にいるはずの自由人になれたのに、なぜだろう、より窮屈で不愉快な思いをしている。とにかく生きにくいのだ。 ツラすぎるからだろうね、茜色の夕焼けを見上げたり、通帳残高を眺めたりするだけで溢れてくる涙。正社員への道の想像以上の厳しさに自律神経がクラッシュしたのかもしれない。病院で診察を受けたいが自己負担額すら払えない。このような極限状態にあるときは、心を殺してネットニュースのコメント欄を眺めるようにしている。 そこに寄せられた市井の人たちの、コカ・コーラあるいは醤油のような黒く澄んだ精神、そこから発せられる無垢な声に僕は癒されるのだ。特に癒されるのは、知名度の低いアイドルの引退ニュースに寄せられる「どこの誰だか知りません
デッテッテ テレッテレテッテ デッテッテ テレッテレテッテ 映画「ラ・ラ・ランド」 みなさんこんにちは。田中泰延です。ひろのぶと読んでください。青年失業家の僕が映画や本、音楽などのエンタテインメントについてお話するというこの連載。 知ってますよね。僕、先週この連載落としたんですよ。すみません。書けませんでした。 経緯を報告します。 記 まず、2017年2月25日。 僕は原稿を納品したつもりでいたのです。 街角のクリエイティブ 編集部小野様 田中泰延のエンタメ新党 (3月15日掲載文) 校正済原稿納品します。 (以下本文) ふだん無職の僕が自腹のこの連載。 今月は「ラ・ラ・ランド」観て来ました。 号泣や号泣!!ぐおー!! では、また来月! (以上本文 51文字) — 田中泰延 (@hironobutnk) 2017年2月25日 ところが2日後、意外な事実が判明したのです。 【お詫び】 3月の
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