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パリ五輪
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広告圧力の問題に切り込んだ『電通と原発報道』(亜紀書房)の著者で元博報堂営業部に勤務していた著述家の本間龍さんとトークしました。例によって宮台発言の一部を抜粋します。この本は当然ながらマスメディアではまったく紹介されていませんが、1万5000部以上売れています。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 宮台◇ こうした本の内容を伝えないことで、かえってマスメディアの権威が失墜します。原発推進勢力が情報を隠蔽することで、原発行政への信頼を失墜させ、かえって原発推進を困難にすることに似ています。 宮台◇ マスメディアを通じて日本国民は、日本にしかないデタラメな神話を信じ込まされました。「絶対安全」神話であり、「全量再処理」神話ないし「いつかは回る核燃料サイクル」神話、「原発は安い」神話などです。これらはパーフェクトなデタラメであることがバレました。 宮台◇ 僕たちが新聞報道やそれをベースにしたテレビ報道以
MIYADAI.com Blog (Archive) > 若松監督『理由なき暴行』について書いた文章をアップします。 « 若松監督とのツーショット写真 | 『電通と原発報道』(亜紀書房)の著者本間龍さんとトークしました » 若松孝二監督『理由なき暴行』を初めてみたのが中二のとき、つまり1972年。それから35年後に、あらためて『理由なき暴行』を論じました。そのときの文章(『〈世界〉はそもそもデタラメである』に所収)をアップします。 ─────────────────────────────────────── “外への鮮烈な願望”と“外の不可能性への痛切な認識”が同居した69年。“願望”が消え“認識”だけ残った2004年。両者の差異を『理由なき暴行』『誰も知らない』に見る─────────────────────────────────────── 【「自由の輝き」説と「アノミー」説の違い
若松孝二監督ご逝去の報に衝撃を受けています。中二のとき『理由なき暴行』を文芸地下劇場で観たのが最初の体験でした。後しばしば『アンダーグラウンドの蠍座』で若松特集を見ました。中高生時代の僕には監督の作品が心の支え。監督なくして今の僕はない。若松監督の御冥福を心よりお祈り申し上げます。 若松監督は若き時代の僕の「神」でした。大学を卒業するまでに全作品を見ました。90年代半ばに若松監督に初めてお会いしました。ロフトプラスワンの若松監督トークイベント。客は僅か数十名。この場で僕は『ゆけゆけ二度目の処女』の挿入歌(中村義則氏の詩に秋山未痴汚氏が曲をつけた)を通しで暗唱しました。 ママ、僕出かける。もうママに観光バスが停まり、閑古鳥が鳴くだろう。No See you again。僕を裏切り差し入れしなかったパンサーのD。ジャンやミラーやノーマルメイラーはもう不景気さ。勃起した赤いネオンは前進色じゃなく
MIYADAI.com Blog (Archive) > 『怪奇大作戦』について長い原稿を書きました(ピースボート船上で一気に書き上げました) « エリート論に関連してパターナリズム論を書きました。 | 若松孝二監督の御冥福を心よりお祈り申し上げます。 » 『怪奇大作戦』が明かす〈昭和性の本質〉 ―我々から濃密さが失われた理由は何か― ────────────────── 【得体の知れないものとしての科学】 ■『怪奇大作戦』シリーズには、あらゆる面で「昭和性」が鮮烈に刻印されている。むろん『怪奇大作戦』に先立つ『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』にも刻印されている。だが『怪奇大作戦』は、「昭和がどんな時代だったから、こうした作品群が作られたのか」を明かす〈メタポジション〉にあると私は考えている。 ■〈メタポジション〉の最大モチーフは「科学の両義性」だ。とりわけ1964年の東京オ
今日パターナリズム研究が重要な理由 〜グローバル化と民主制の両立不能性〜 目次 【グローバル化による困難と、日本であるがゆえの困難】 【グローバル化による困難:リスクの配分と感情の政治】 【日本であるがゆえの困難:エリート層と非エリート層】 【今日も全く変わらぬ日本の状況:尖閣諸島と北方領土】 【日本的状況の進展の歴史:クレージークレーマー問題】 【共同体空洞化に見舞われた日本を追いかける先進各国】 【共同体は全体主義のインキュベーターかストッパーか】 【自立的/依存的個人と、自立的/依存的共同体の関係】 【実践論へ:住民投票とワークショップの組合せの意味】 【民主制の条件が不十分ならばパターナリズムは不可避】 【グローバル化による困難と、日本であるがゆえの困難】 ■今日パターナリズム研究が重要な理由は二つある。二つとも学の外側からつきつけられた要求である。第一は、グローバル化即ち〈資本移
語源は「選ばれた者」を意味するラテン語。社会の指導的地位を独占する特別に優秀な能力を持つ人または集団を指す。寡頭制概念はローマ時代の古来よりあるが、とりわけエリート概念を用いる場合、19世紀末以降の大衆社会現象を踏まえることが一般的である。 政治とは、集合的意志決定(集合体成員全員を拘束する決定)を生み出す機能を指す。その意味での政治研究は、初期ギリシアにおいて、ソクラテスによるポリスと市民の関係への問いに始まり、プラトンの哲人君主論やアリストテレスの政体比較論に受け継がれた。 これらの議論はポリスにおける市民のあり方を説く倫理学でもあったが、中世を挟んでルネサンス期になると、国民国家の秩序を維持する手段の合理性に議論の焦点が移動する。マキャベリは君主の権謀術数を、ボダンは国家主権を、グロティウスは国際法を重視した。 他方、市民(ブルジョアジー)の浮上を背景に、ホッブズ,ロック,ルソーらが
1942年の脳抑制会議に参加した神経生理学者と、44年の目的論学会に参加した数学者や工学者に、社会科学者や精神病理学者を加えて45年春に学際的な「生物学と社会科学におけるフィードバック機構と因果的循環システムに関する会議(メイシー会議)」が開かれた。 ノーバート・ウィーナー(情報学)、フォン・ノイマン(数学)、レナード・サベッジ(統計学)、ケネス・ボールディング(経済学)、マーガレット・ミード(人類学)、グレゴリー・ベイトソン(生物学)、ウォーレン・マカロック(神経学)、エリク・エリクソン(心理学)、ローマン・ヤコブソン(言語学)など戦後米国の自然科学や社会科学の流れを作った者たちが参加していた。 理論生物学者として参加していたのが、オーストリアのルートヴィヒ・フォン・ベルタランフィだった。彼は『理論生物学』(原著1932年)で生命の特質は流動平衡と階層構造(後述)を特質とすると述べていた
同一機能を果たすものという意味。構造機能主義を提唱したパーソンズの弟子マートンが機能概念の精緻化を目指す中で提唱した。そもそもマリノフスキーやラドクリフブラウンなど人類学的機能主義では「全体に対する肯定的働き」という意味で機能概念が用いられた。 マートンはかかる機能概念は曖昧だとした上、まず、設計者等の主観的目的と、主観的目的から独立した客観的帰結とを区別し、機能概念を後者に限定した。次に、この帰結が認知の対象か否かで、顕在的機能と潜在的機能を区別し、さらに、順機能と逆機能を区別した。 加えて、人類学的機能主義にありがちな誤前提を三つ挙げた。第1は、全体に対する機能を想定すること(機能的統一性)。だが全体概念は過剰に抽象的で、実際には、ある部分に対して順機能でも、別の部分に対して逆機能である、といった現実が存在するだけである。 第2は、存在する部分全てに機能があるとの想定(機能的普遍性)。
1950年代後半の男女交際誌で長期的愛人契約の意味で用いられたのが最初の用法。今日のように売春の意味で使われるようになったのは90年代に入ってからだ。85年に誕生して瞬く間に全国化したテレクラが今日につながる援助交際の歴史の出発点にあった。 テレクラには当初売春は殆どなかったが、出会ってすぐに性交できるという事態の未規定性を規定化するべく、男性が自発的に「お小遣い」を置いていく現象が頻発した。それを前提に、80年代末になると「お小遣いがほしいんだけど」と持ちかける若い女性が増えた。 90年代に入ると、テレクラに加えてNTT伝言ダイヤルやダイヤルQ2サービス上で、出会いを求める女性コールの大半が売春希望という事態に発展した。この頃から、かつての長期的愛人契約の意味でなく、一回限りの売春という意味で「援助交際」の語が使われ始める。 92年夏から都内で使用済の下着や制服をマニア向けの店(ブルセラ
システム概念の要諦を「全体が部分の総和以上のもの」と見做すところに求めるなら、そのルーツはアリストテレスの『政治学』第一巻にまで遡れる。そこで彼は、手足が体全体から切り離されたら意味をなさないことを例に、全体が部分和に優越するのだと述べた。 理論としては、生物現象に見られる特異性についての共通の認識枠組としてベルタランフィが1940年代に提唱して以来の歴史しかないが、統計熱力学の発展と相俟って1960年代には一般的な用語系を築きあげた(ベルタランフィ『一般システム理論』原著1968)。 まず、環境との相互作用がない場合を「孤立システム」という。均衡(平衡)概念は、初期状態設定後は孤立する場合にだけ適用できる。連立常微分方程式を用いた質点力学の枠組や、これを応用した経済学の一般均衡理論の枠組は、孤立システムに関するものである。 また、環境との間でエネルギー移動があっても物質移動のない場合を「
MIYADAI.com Blog (Archive) > 社会学における「機能主義」とは何か?(ある場所に書いた記事です) « ACTA(偽造品の取引の防止に関する協定)に関する宮台発言をアップします | 「社会システム理論」とは何か(ある場所に書いた記事です) » ある事象を、その事象以外の事象に対する、またはその事象自身を含む全体に対する、何らかの貢献的または逆貢献的な作用によって、把握する立場一般を言う。ちなみに貢献的な作用を正機能、逆貢献的な作用を逆機能と呼ぶ。 その思考伝統は紀元前四世紀のアリストテレスによる、作用因(因果性による原因)と区別された目的因(目的による原因)の区別に遡る。そこでは、世界(ありとあらゆる全体)を、第一原因に関係づける思考と、究極目的に関係づける思考とが、結びつけられた。 社会学的機能主義のルーツは人類学的機能主義だとされる。マリノフスキーによれば、未開
MIYADAI.com Blog (Archive) > 自治創造学会シンポジウム(2012年5月11日)での宮台発言です。 « 「リオ+20」について議論しました。宮台発言の抜粋です | ACTA(偽造品の取引の防止に関する協定)に関する宮台発言をアップします » 宮台 日本には国際標準的な意味での自治がありません。自治は自治体の営みではないんですね。僕は今、世田谷区基本構想審議会座長代理と、厚生労働省の社会保障教育に関する検討会の委員をやっております。それとは別にグリーンアクティブというワークショップを中心とした自治のプラットホームの発起人をやっています。また昨日マスコミが話題にしていたように、「原発都民投票条例の制定を求める住民直接請求」の請求代表人として署名活動をしてきました。これらの活動はすべて同一の目的を目指したものです。つまり日本に、従来存在しなかった自治を、歴史上はじめて存
■ヤクザがいいのかマフィアがいいのか 宮台真司(社会学者・首都大学東京教授) ※「警察問題」よりむしろ「新住民問題」 ここ二年で一挙に全国化した暴排条例、あるいは二〇年前に施行された暴力団新法、そして間もなく国会審議に入ると予想される新暴対法の本質は、第一に〈過剰に包括的な規定による境界線の曖昧化〉であり、第二に〈全体を見ない新住民的な排除の論理〉です。 第一の問題については、既に今回も指摘されるように、暴力団への便宜の供与などという未規定な概念を用いることで、合法違法の境界線がその都度警察の行政的裁量に委ねられるようにし、関連企業の天下り先など、裁量権を元にした権益を増やす機能があります。 それは自明なので、社会学者の役割上、第二の問題に照準します。これは、日本がここ四〇年間どう変質してきたのかに関わり、かつ〈ヤクザ(非合法領域で活動する可視的集団)とマフィア(非合法領域で活動する不可視
MIYADAI.com Blog (Archive) > 京大原子炉実験所教授の山名元氏をマル激にお呼びし、原子力政策の合理性について話しました « モーリー・ロバートソン氏とクラブ終夜営業規制問題について長い対談をしました | 5.31「暴対法改訂反対」院内集会での宮台発言 » 京都大学原子炉実験所教授で山名元氏(原子力村の有力者とされる)をマル激にお呼びし、原子力政策の合理性について話しました。例によって宮台発言の一部を抜粋します。トーク全体は7月18日発売サイゾーをご覧下さい。 〜〜〜〜〜〜 宮台◇三年前に神保さんとCOP15(気候変動枠組み条約第15回締約国会議)でコペンハーゲンに行った頃まで、僕は、再生エネルギーの発展途上で不安定さを吸収する過渡的なベース電力源としてCO2を出さない原子力に希望を託する立場でした。欧米のディープエコロジストにはスチュアート・ブラントを始めとして珍
MIYADAI.com Blog (Archive) > 6月半ばの街作りについての講演の、概要をまとめました。 « 福山哲郎氏の新著『原発危機-官邸からの証言』へのオビ文(案)です。 | モーリー・ロバートソン氏とクラブ終夜営業規制問題について長い対談をしました » イベント:街づくりの仲間たち 講師:宮台真司 主題:街作りは住民のニーズに応じてはならない 日時;6月17日(日)14:30〜16:00 場所;キャロットタワー5F セミナールーム ■人間を中心にして、人間のニーズに応える「安全・安心・便利・快適」で街を評価するような功利主義的な発想では街や環境を保全できない。街づくりが住民ニーズに応えてきた結果「満足度は高いが幸福度は低い国」になった。どこよりも「安全・安心・便利・快適」で、どこよりも不幸せな国、日本。 ■ベアード・キャリコット(環境倫理学者)は、人ではなく「場所」を主体に
MIYADAI.com Blog (Archive) > モーリー・ロバートソン氏とクラブ終夜営業規制問題について長い対談をしました « 6月半ばの街作りについての講演の、概要をまとめました。 | 京大原子炉実験所教授の山名元氏をマル激にお呼びし、原子力政策の合理性について話しました » 宮台■そう。ドキュメンタリー番組です。僕が93年に朝日新聞でブルセラ女子高生についての論説を書いたら、テレビ局から番組に出演する女子高生を紹介するよう頼んできたので、僕の持つネットワークをつないであげたら、やがて連日のように彼女たちがテレビに出るようになって、96年の援交ブームのピークにつながります。 ■その縁で、有害図書規制を担当する東京都女性青少年部(当時)の部長や警視庁の生活安全課の人との交流機会があり、実態照会や摘発相談を受けますが、それを通じてクラブの終夜営業を風営法違反で摘発する可能性があるこ
MIYADAI.com Blog (Archive) > 1年前の代々木公園デモ冒頭のアピールです。手直ししています。 « 出口汪さんとの対談(前半)が出口汪オフィシャルWebサイトにアップされました。 | マル激で京都大学の植田和弘教授を招いて、委員会の経産官僚お手盛り審議について語り合いました » 宮台真司「原発をなくす有効な方法――落選運動と不買運動」 2011.5.7 代々木公園 原発やめろデモにて 僕は、2001年に始まった「マル激トーク・オン・デマンド」というインターネット上のニュース解説動画配信番組で、2004年に六ヶ所村中間貯蔵施設の稼働問題が議論沸騰する前から、原子力行政の問題点について議論してきています。 原発がコスト的にもリスク的にも合理性を欠くことは、この2004年の騒動を通じて保守論壇や原子力ムラですら理解されました。保守論壇については当時の猪瀬直樹氏や櫻井よしこ
2003年1月20日 (前回の書き込みは1月6日です) ──────────────────────── プライバシーの無理解が生む「二重の不自由」 ──────────────────────── [リード] 恋人の携帯メモリーや子供の日記を盜み見る日本人だからこそ、 情報管理行政の格好の餌食になる。果たして、これでいいのか。 ■前回、名誉毀損とプライバシー侵害を混同しがちな日本人は、情報管理行政の怖さに無 頓着になりやすいと述べた。今回はその続きだ。四年前の盗聴法論議で「自分は悪いこと してないから別に盗聴されても構わない」という人が多勢いて、驚いたことがある。 ■住基ネット論議でも「知らないうちに行政がデータを蓄積しようがデータ結合しようが 自分にやましいところはないから、そんなことで行政への異議申し立て動機が挫かれるこ とはない」と私に反論する人がいた。そういう問題か。 【携帯メモ
MIYADAI.com Blog (Archive) > 一昨日の、思想塾・非公開イベントにおける議論の、参考になる文章で « 人生の一枚:ファウスト『ファウストIV』(1974年) | 【改訂】まもなく行われるトークイベントを告知します » ─────────────────────────────────── 東西ドイツ「統一」は、観念の世界にも現実の世界にも大規模な混乱を生じさせた。 混乱から生まれた映画『善き人のためのソナタ』に、表現と思想の最前線を見出す。 ─────────────────────────────────── 【統一ドイツの混乱が観念世界を深くする】 ■東西ドイツ「統一」から17年経つ。朝鮮半島には同じく冷戦体制下で「分裂」した国があるにもかかわらず、この日本では「統一」の意味がなかなか理解されない。むろん東西ドイツの場合には、「統一」とはいえ、実際には東ドイツ
MIYADAI.com Blog (Archive) > マル激で11年目を総括しました。まなもく全体がサイゾーに掲載されます « ウェブマガジン「VOBO」に僕のインタビュー記事「泥沼のマスキュリニティ」が載っています | 出口汪さんとの対談(前半)が出口汪オフィシャルWebサイトにアップされました。 » 例によって、宮台発言の一部を抜粋して掲載します。全体は『サイゾー』5月18日発売号をご覧下さい。 〜〜〜 宮台:[再稼働問題に見る原発対応の出鱈目についての]第一の説明は、電力会社の法外な収益へのタカリ。地域独占供給体制(競争排除)と総括原価方式(高額料金)による収益に、どの地域も経済的、政治的、文化的に依存します。経済面では、地方マスコミから地元優良企業まで電力会社が大株主で、地元経済団体のボスは電力会社。政治面でも、自民党の集票母体は電力会社で、民主党の集票母体も電力労組。文化面で
MIYADAI.com Blog (Archive) > 沖縄風俗関連のツイートを今朝連投しましたので、まとめました。 « マル激トーク・オン・ディマンド更新しました。 | イベント出演のお知らせ » miyadai 4:29am, Apr 27 from HootSuite むろん理解しています。RT @SoyBeansPeacock: @miyadai 初めまして。沖縄出身の者です。今週のマル激の中でアメリカを説得したとされていた団体のHPを見て、地元の人間として合点が行くと同時に…沖縄には基地という麻薬に溺れていない人々もまた多くいることにご留意 miyadai 4:33am, Apr 27 from HootSuite 沖縄取材に協力していただける方は、沖縄の二重性を自覚しておられます。二重性には二つあります。「土建業界と民衆の二重性」「土建屋的再配分に預かる民衆の“基地は嫌”と“
MIYADAI.com Blog (Archive) > 『ダークナイト』でのジョーカーの輝きはヒース・レジャーの熱演が理由ではない « 書籍発売日の変更 | マル激トーク・オン・ディマンド更新しました。 » ──────────────────────────────────── 『ダークナイト』でのジョーカーの輝きはヒース・レジャーの熱演が理由ではない 〜ヘブライズム(神義論)とヘレニズム(逆神義論)の反復する対立と西洋的なもの ──────────────────────────────────── ■クリストファー・ノーラン監督『ダークナイト(闇の騎士)』(08)のエンドロールに、映画でジョーカー役を演じた後にオーバードーズで急逝したヒース・レジャーと、同じく急逝した特殊効果技師のコンウェイ・ウィックリフに捧げられていることが記されている。 ■巷での評判通り、この映画で最も強い印象
ワークショップの社会学 ―越えられない壁を「越える」ために― 【「社会化」と「エトス」】 社会学が教育を扱う仕方は常識とは二点で異なる。第一に、教育を子供が幸せな大人になるためのものだと理解する向きが多いが、社会学では「動機づけと選別」を通じて社会システムの再生産に必要な、分業編成に応じた人材養成を行う営みだと理解する。 謂わばパースンシステムでなく社会システムに準拠するこの種の理解は、例えばライオンが谷底に突き落として這い上がってきた子だけを育てるといった初期ギリシア以来の寓話として知られる。社会のために子供を不幸にしても良いとする構えである。 第二に、教育の成功を教育する側の教育意図の貫徹には求めない。つまり学校や教室が適切な環境であるがゆえに授業が円滑に行われることに意味を見出さない。むしろ「荒れた」教室や学校で育つことで、社会システムが必要とする人材が供給されると見る。 一九七一年
MIYADAI.com Blog (Archive) > 『週刊読書人』最新号(昨日発売)で先日逝去された吉本隆明氏について大塚英志氏と対談しました。 « 園子温『ヒミズ』と塚本晋也『KOTOKO』について批評しました | ワークショップを社会学的に論じる文章を書きました » 例によって宮台発言の一部のみ抜粋します。 大塚発言を含んだスリリングな全体はぜひ『週刊読書人』最新号をお読み下さい。 【宮台】本日のポイントは三つ。吉本さんが亡くなった日の夕方、僕は橋爪大三郎さんとニコ生の追悼番組に出て、大塚さんに電話出演いただきました。そこで話したように大塚さんは民俗学がルーツ、僕は社会学がルーツで、そこから来る吉本さんの見え方の違いがあることが第一点。第二点は、同世代である大塚さんと僕が吉本さんの思想の何をシェアしているのか。第三点は、3・11原発災害の一年後に亡くなられたタイミングの意味ですね
―――――――――――――――――――――― 住民投票条例を制定する目的はどこにあるか? ―――――――――――――――――――――― ■原発都民投票条例の制定を求める直接請求に必要な署名活動の請求代表人として、この活動の目的である住民投票条例の実現について、巷にしばしば見かける誤解を解きたい。 ■第一に、これは脱原発条例ではない。原発推進であれ反対であれ住民の意見を住民投票で表明することを可能にする条例だ。その証拠に脱原発派にも条例反対者が少なくない。 ■第二に、住民投票は「世論調査による政治決定」の如きポピュリズムではない。そうではなく、住民の民度を上げることで代議制民主主義の弊害を除去することを目的とする。 ■半年後の住民投票に向けて公開討論会やワークショップを繰返す。行政や企業に情報を出させ、立場の異なる専門家を次々に呼んで住民が「本当の所どうなのか」を見極める。 ■ポイントは二つ
関連する2本の映画批評原稿を書きました。 園子温『ヒミズ』と塚本晋也『KOTOKO』についてです。 【第一原稿】 ―――――――――――――――――――――― 「震災後のポストモダン」試論 〜園子温『ヒミズ』〜 ―――――――――――――――――――――― 【アントニオーニ『欲望』と鈴木清順『殺しの烙印』】 ■先日、私が主催する私塾において、二本の映画--ミケランジェロ・アントニオーニ『欲望』(1966)と鈴木清順『殺しの烙印』(1967)--を見て表現と時代の間の関係を探るという企画を立て、朝から夜まで議論した。なお参加者は大多数が二〇歳台前半である。 ■選んだ理由は二本の映画に共通するものにある。一口で言えば〈社会〉についての告げ知らせということになろう。『欲望』の原題は"Blow Up"(引き伸ばし)。若い世代のために言うと、ネガフィルムを透過した光を印画紙に拡大投影して焼き付ける作
米国流グローバル化に戦略的に対処しつつ、 感情的安全を保証する生活世界を護持せよ ■どの社会にも「自己実現に結びつく仕事=創意工夫の必要な仕事」と「自己実現に結びつかない仕事=創意工夫のいらない仕事」があります。「自己実現に結びつく仕事」はどの社会でも稀で、今日ではかつてよりも稀少になりました。成熟社会化(汎サービス産業化)で熟練仕事が減って「役割とマニュアル」に基づく仕事が増え、転職頻度が上がって職場での人間関係が希薄になったからです。 ■とはいえ「創意工夫の必要な仕事」をこなすエリートの質が、企業が生き残れるか否かを決めます。要は「役割とマニュアル」を創出する側の人材ですね。優秀なエリートを選抜するには、「仕事での自己実現」が可能だと思い込んで競争する若者が多いほど都合がいいので、若者をそちら方向に煽ります。 ■でも「仕事での自己実現」が可能な人間は一握りです。煽り言葉を真に受ければ、
MIYADAI.com Blog (Archive) > 本日(12.02.13)グリーンアクティブ記者会見(議員会館)でのアピール文 « 本日(12.02.13)グリーンアクティブ記者会見(議員会館)でのアピール文 | 原発都民投票条例の請求代表人として原稿を書きました。 » ──────────────────────── 「グリーンアクティブ」に関する宮台真司のアピール ──────────────────────── 日本はいまだに民主主義の社会ではない。 民主主義を獲得するには政治文化の以下のような改革が必要だ。 〈任せて文句たれる社会〉から〈引き受けて考える社会〉へ 〈空気に縛られる社会〉 から 〈知識を尊重する社会〉へ 日本は非民主主義的な政治文化を背景に官僚天国になった。 官僚天国を抑止できない政治文化が日本をでたらめにした。 他の先進国に比べて公務員数が少ない日本。 他の
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