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パリ五輪
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<日本のすごさは物価の安さだけじゃない。大江千里が一時帰国で再発見した、「世界中で日本だけ」のクオリティー> 久しぶりの一時帰国からニューヨークへ戻り、日本の「当たり前」が妙に、恋しくなった。 8月、2年半ぶりに帰国すると、東京オリンピックを経て日本が変わったように感じた。具体的には、地下鉄の表示が外国人でも分かるように書かれるようになったこと。新幹線の車掌さんの英語アナウンスも聞き取りやすい。さぞ外国人は安心だろうと思った。 ココイチ(カレーハウスCoCo壱番屋)や富士そばが安くておいしくてびっくり。手際がよく調理時間も短い。ドルでギャラをもらっていると驚くような物価高にも麻痺しているが、日本に帰国すると改めて「物価の安さ」に舌を巻く。 ニューヨークで「刺し身クオリティー」と呼ばれるほど新鮮な生魚に、甘いトマト、シラスを買って600円だ。ニューヨークだと2500円はいく。 今回、最も感動
<NYの家賃は今年1月までの1年間で33%もアップし、今年3月までの1年間でアメリカの消費者物価は8.5%、平均時給は5.6%上昇。それでも生きていけるニューヨーカーの不思議> 最近、スーパーで合計金額を聞くたび「あれ?」と思う。インフレからか食料品、レストランなどの値段が上がっているのを感じる。 うちには犬がいるので、朝晩のご飯の材料買い出しに2日置きにスーパーへ行く。鶏の胸肉は分厚いものが2枚で10ドル前後だったのが、17ドルくらいに値上がりした。カリフラワーが1個6ドル、レタス類は2個で7ドル、卵は1ダースで9ドルほど。 僕のようにざっくり買い物する人でも、「あれ? 高いぞ」と支払い時に首をひねる。元が高いのだ。なのに最近はもっと高い。店としても値段を高くしすぎると客離れが起こるので、悩ましいところだと思う。 輸入食品は、輸送費高騰のせいか手に入らないものまで出てきている。僕が月一く
<大江が見たK-POPアーティストの実像と、そもそも海外市場を視野に入れてこなかったJ-POP、BTSとピコ太郎の成功が意味するもの> 最近、アメリカ人の友人の娘さん(12歳)がBTSに夢中。「かっこいい」と目を輝かせる。今やK-POPは「世界で売れる音楽」だ。 思えばジャニーズをテキストにK-POPは始まった。日本への憧憬から2000年代に日本市場に進出したK-POPは、次は欧米に標準を合わせる。K-POPはマーケットでてっぺんを取るためにつくられ、BTSはその最も成功した例だ。 K-POP界の人は生き残りを懸けて戦うというか、自国を背負う感覚で音楽をやっている。デビュー時には既にダンスも歌もクオリティーが高く、顔のお直しも完了している。 一方の日本は、宝塚に代表されるようにファンと一緒に成長する過程を楽しむ独特のスタイルだ。少しぐらい「へたうま」のほうがファンには応援しがいがある。 K
<来るもの拒まず去るもの追わずのニューヨークは、秋篠宮家の長女・眞子さんと小室圭さんをどう迎える? 移住歴13年の先輩ニューヨーカー、大江千里が本音でつづるメッセージ> 結婚された秋篠宮家の長女・眞子さんと小室圭さんは、ここニューヨークで新しい生活を始められるらしい。眞子さんは天皇の姪であり、上皇の初孫。ご本人の皇室への貢献度も高く、日本の誇るべき内親王だった。であれば幸せに、多くの国民に祝福されてほしいと思う。 お二人の結婚に第三者がとやかく言うのもはばかられるけれど、僕はお二人がニューヨークで成功しようが破滅されようが、それこそが彼らの人生であると思う。だからこそ、ご自分たちで決められた人生を自分の足で歩むということそのものが、かけがえのないものであってほしいと切に願う。 さて今回は、ニューヨークで新生活を始めるお二人のような若者に贈る言葉をつづってみよう。第1に、この街は夢を持って移
<自分が触れ合う人たちは新型コロナのワクチンを接種済みであるという「思い込み」は、相手にリスクをもたらすことも。日本と同じく市民の65%がワクチン接種済みのニューヨークで、大江千里が学んだこと> ニューヨークは新型コロナウイルスのデルタ株の感染拡大がすごい。僕の友達もかかって味覚を失った。ただしワクチンを2回打っているので、大ごとにならず自宅にいる。 9月6日のレーバーデー(労働者の日)がオフィス再オープンののろしになるかと思えば、在宅勤務続行に切り替える企業が増えた。再開時期のめどはアマゾン社が来年1月、ニューヨーク・タイムズ社は今も未定。僕が関係するソニーのオフィスも、9月半ばに訪れたときには99.9%、人がいなかった。 レストランでの屋内飲食や美術館に入館する際などに、ワクチンを打ったことを示す「ワクチンパスポート」を見せることが義務付けられ、僕はIDを忘れて家を飛び出すことが多く、
<コロナワクチンのブースター接種が解禁されるアメリカで、モデルナ製ワクチンの2回目接種後にアナフィラキシーショックを経験した大江千里は迷いつつも3回目を接種するという。そうせざるを得ない訳とは......> アメリカで9月22日、ファイザーワクチンの3回目の接種、いわゆるブースターショットが65歳以上や基礎疾患がある人たちなど、リスクが高い人たち限定で許可された。2回目の接種から半年以上たつとブースター接種が可能になるという。 モデルナワクチンはまだブースターの許可は出ていないが、今年2月にモデルナワクチンの2回目を打ちアナフィラキシーショックを経験した僕は、3回目には迷いがある。もちろん打つだろうが、その後は誰かにそばにいてもらう。1人で夜を越すのはあまりに危険だ。でもはっきり言って、3回目を打たないと社会生活は厳しくなるだろう。 8月17日以降、ニューヨーク市では屋内飲食やジム、娯楽施
<人々が自粛を強いられる不平等な状況下で金銀銅を決めるイベントをやる必要は本当にあるのか。ここまで犠牲を払って目くらましのようなイベントをやる意味を、世界は冷静に見ていると思う> アメリカに住んで13年になるが、オリンピックに夢中になる人を見掛けたことがない。そもそも今、東京五輪が開催されていることすら知らない人もいる。 それでも先日、珍しいことが起きた。イタリア料理店で「オリンピック開会式を見たの?」と、イタリア出身の店員に聞かれたので「え? 君は見たの?」と聞くと、けんもほろろに「見るわけないじゃん」と大笑いされた。店の人たちは僕が日本人だと分かっていたと思う。妙な雰囲気で、何人かから「お気の毒」という感じの失笑があった。 今回は特殊な状況というのを差し引いても、普段スポーツバーに入り切れないほど人が集まり大盛り上がりするサッカーやバスケットに比べ、世界的スポーツの祭典オリンピックがな
<1月10日にモデルナ社の新型コロナワクチンを接種した大江氏。長蛇の列を経てワクチンを接種した先に見た、新しい世界とは――> マンハッタンに再び陽が昇り始める。ニューヨークは感染者が急増し、健康診断や予防接種で病院に行くたびに深刻な様子をじかに感じるようになった1月9日、僕の元にニューヨーク市から携帯メールが届いた。明日から自分もワクチンが無料で打てるというのだ。 送られたアドレスから登録をしたら、翌日の12時20 分の予約が取れた。「たとえ10分でも早くには来ないで。必ず時間どおりに来てください」という注意書き。 翌日、接種場所である小学校へ時間ちょうどに行ったら大変な列ができていた。2キロくらいだろうか。後ろのほうの男の子に聞くと「俺は11時の回だよ」という。これは2時間待ちだなと覚悟を決める。 「5時間コースだね。ばかばかしい」。そう吐き捨てるように言って離脱する人もいた。しかし、ほ
<ニューヨーク市では9月29日、コロナ検査の陽性率がこれまでの1~2%から3.25%に上昇。第二波の到来が懸念されるなか、大江千里氏が実践する、見ず知らずの人と触れ合わず、いたい人とだけいる時間の作り方とは――> 日本では「都道府県をまたぐ移動自粛」の是非が話題になるようだが、僕が住むニューヨーク州は、感染が拡大している地域から州内への移動者に対して14日間の隔離を要請している。ニューヨークに住む人が対象州に移動して戻ってきた場合も同じ。 つまり州をまたぐ移動は何かと面倒なので、ニューノーマルな暮らしの一環として、ニューヨーク州の自然の中に家を借りて気分転換することを実験的に始めてみた。 今回3泊するメンバーは、僕とマネージャー、彼女の息子フィルとガールフレンドのローラの4人。ニューヨークといえば摩天楼のイメージが強いが、一歩マンハッタンの外へ出るとワイルドな自然がふんだんにある。 僕たち
<ニューヨーク・ブルックリン在住の大江千里氏が、日常的に出くわす黒人差別を語る。「黒人を犯罪者に仕立て上げるsystemic racism(構造的差別)にこそ問題がある」――。> アメリカでは、きっとマイルス・デイビスでも夜はタクシーを止められないことがある。以前こんな経験をした。夜遅い時間に、黒人の仲間の中に東洋人の僕が1人というグループで食事をし終えタクシーを拾う段になったときの話だ。 黒人の仲間がいくら手を挙げても車が止まらない。「夜に僕たち黒人が手を挙げたところでこんなものさ」。自嘲気味に笑う友人を押しのけて僕が車道へ出て「ヘイ、タクシー!」と手を挙げた。そうするとすぐに車が止まったのだ。 「みんな、車が来たよ」と、僕はドアを開けて彼らを呼び寄せた。死角にいた彼らがドッと車道に出てきた途端に、車はドアを開けたまま急発進して去って行ってしまったのだ。「ほら! この国ではたとえマイルス
<大江氏はジャズをどう作曲するのか? ジャズを始めた頃、「ポップスの書き方をそぎ落とさないとジャズ曲は産めない」と考えていたという大江氏がたどり着いた、ポップスを経ての自分らしいジャズとは> 前回は「なぜポップスをやめたか」を書いたが、今回は「ジャズをどう作曲するのか」について書く。 ポップスには、未経験への憧れを描ける年齢には限界があるという意味の「不自由さ」がある。一方でジャズには、ルールを守れば自由に遊べる「不自由さを超えた自由」がある。 ジャズの不自由さとは、「自由」を生み出すために多くの基礎知識が必要であること。この道は行き止まり、天気が悪くても傘は差せない、など覚えておくほうがいい規則がある。 ジャズはどこまで「即興」なのかとよく聞かれるが、決まっているのは頭の部分だけ。それを最初と最後に2回演奏するという約束事さえ覚えておけば、あとは「自由」だ。 大人の遊び方ってフリースタイ
<ポップスを作るのに必要なのは、心地よい数分間に人生や恋のさわりを咀嚼して聴かせるテクニックだ。これを本能でできる年齢にはリミットがある。大江氏がポップスを手放して、ニューヨークに渡りジャズと手をつなぐまで> 僕がなぜ、ポップスからジャズに転身してニューヨークに渡ったのかという話をまだ書いていなかった。 ポップスは、ジャズもフォークもロックもクラシックも全てを材料にし昇華できる、音楽の中じゃ最も間口が広くて深い、その分、難しいジャンルだ。そこでは時代をあらゆるアングルから読む目が問われる。読む目とは「何を歌わないべきか」であり、ポップスという心地よい数分の中に人生や恋のさわりを咀嚼して聴かせるテクニックが必要になる。 この「歌わないべき」を本能でできる年齢にはリミットがある。10代のころ大阪の内陸に育った僕は海を見た経験がないから、想像しては憧れる海の曲がいっぱい描けた。団地のベランダに干
<事実上「ロックダウン」のNYで、人々は何を考えどう過ごしているのか。NY在住の大江千里氏が現地の様子を緊急寄稿。街角から人が消え、静寂に包まれたとき、逆に見えてきたニューヨーカーの本質とは――。> ニューヨークから音が聴こえなくなった。 24時間走り回っていた救急車も、ひっきりなし威嚇してくるクラクションも。それはまるで 普段、「オーマイゴッド」と口にする我々に神様から禊(みそぎ)の水が注ぎ込まれたかのよう。 完全ロックダウンは大変だ。ちょっとずつ前から買っていたもので、2週間はとりあえず大丈夫か。 大きなスーパーは長い列で、あそこへ行くとかなりの確率で感染する。なので人の少ない小売店に夜中にこっそり行く。 そこで会った青年が「コロナハグって知ってる?」と言う。今はスキンシップができないので、肘と肘、脚の踵(かかと)と踵をあわせるのだそうだ。「踵の方が安全だけどね」、と教えてくれる。 僕
<「6歳の頃、ピアノの発表会でトルコ行進曲を弾いているとBパートで魔が差した。Aに戻れなくなったのだ。ひたすらBをループ。」そのとき、6歳の大江氏がとった行動とは――。> ニューヨークでピアノを弾いていると、花をいただくことがある。「感謝を伝えたくて」と手渡してくれるその人は、近くのグロッサリーストアに買いに走ってくれたのだろう。 「ありがとう」を伝えたいとき、ニューヨーカーは花を買いに走る。バレンタインには、たった1本のバラを手に地下鉄に乗る人や、花屋の列に並ぶ男たちの姿を見掛ける。 感謝といえば、僕に作曲をするきっかけをくれた先生がいる。僕がピアノを始めたのは3つの時。「男なのにピアノなんてダメだ」の一点張りだった両親に、僕は障子にクレヨンで鍵盤の絵を描いて「プレゼン」した。 ドレミファと歌いながら絵のピアノを弾く僕を、ふすまの隙間から両親がこっそりのぞいている。三日三晩これを続けて、
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