サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
ノーベル賞
www.realtokyo.co.jp
情報化が進み、VR(仮想現実)やAR(拡張現実)が実体性を浸食しつつある現代において、彫刻/立体造形芸術の概念は大きく変わろうとしている。彫刻はどこから来てどこに向かってゆくのか? 現代日本を代表する2人の若手彫刻家に、自作について、互いの作品について、そして彫刻の可能性について、存分に語ってもらった。 小崎:小谷さんは11月27日から森美術館で、名和さんは2011年の6月に東京都現代美術館で、それぞれ大規模な個展を開催されます。2月にはニューヨークでの日本アートのグループ展に2人とも参加される。現代アートの状況について語ってもらおうという案もあったのですが、国際的に活躍するこの2人を迎えて、状況論というのはちょっともったいない。やるならがっつり現代アートについて、それも2人とも彫刻家なので、現代彫刻はこれからどこに向かっていくのか、そんな話になるといいなと思っています。 2次元を3次元化
横浜美術館で開催中の『ノンセクト・ラジカル 現代の写真III』は、非常に筋が通ったグループ展だ(9/20まで)。イスラエルvs.パレスチナ紛争の陰に隠されたベドウィンの日常(アハラム・シブリ)。米兵相手のバーで働く沖縄のフィリピン人ダンサーたち(石川真生)。一見ただの美しい風景に思えるが、実はコソボ戦争の最前線や南北朝鮮国境の地雷原などなど(米田知子)……。トマホークの発射音と着弾音を口笛で表現する青年のビデオの後に、野原でサッカーに興じる少年たちの映像を観ると、シュートの瞬間にその着弾音が脳裏によみがえる(アンリ・サラ)。いずれもが普段は不可視の、あるいは意識に上らない「現実」を生々しく捉えている。だがこの展覧会には、決して埋められない大きな欠落がある。高嶺格のビデオ作品『木村さん』が、開催直前に公開中止となったのだ。 「画竜点睛を欠きましたね」。担当学芸員の天野太郎は、僕の質問を待ちも
鈴木理策 ≪エチュード≫2010 chromogenic color print ©Risaku Suzuki Courtesy of Gallery Koyanagi 12月11日(土)オープニングイベント 「写真分離派宣言」基調レクチャー 17時~19時 倉石信乃 x 清水穣 (入場無料・予約不要) ※19時から20時にささやかなレセプションパーティを行います。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 写真家・鷹野隆大がそれぞれに声をかけ、ここに3人の写真家(鈴木理策、鷹野隆大、松江泰治)と2人の写真評論家(倉石信乃、清水穣)による「写真分離派宣言」を発表するはこびとなりました。 参加する3名の写真家はプリントを最終形態として活動を続けており、2人の批評家と共に全員が1963年生まれです。 近年、デジタルカメラの普及に伴って写真のあり方が大きく変化している。電気信号に変換された像は加工・合成
はじめまして。 アトリエ・ワンに公開質問状を出しました。 返事はまだない。 というか、回答期限(10月23日)をとっくに過ぎているので、回答を拒否したものと理解せざるえないのですが。 質問の内容はリンク先を見ていただくとして、質問状の経緯と個人的な見解を、この場を借りて書かせていただきます。 ぼくも参加している246表現者会議が、この質問状の送り主です。 246表現者会議というのは、2007年に、渋谷駅近くの国道246号線沿いの高架下に街づくり協議会の依頼により日本デザイナー学院が壁画を描き、アートギャラリーになったからという理由により(!)、その場にいる野宿者たちを追い出そうとした……その出来事を表現の危機とも現在とも捉えて発足した「会議体」です。 この問題については会田誠さんのREALTOKYOでの文章もあるので参考にしてください。 月一度のペースでこの高架下の路上での会議を続けてきま
伝説の実験的バンド「マライア」、坂本龍一とともに出演したナム・ジュン・パイクによる衛星通信プロジェクト『バイ・バイ・キップリング』などの活動を経て、1983年「清水靖晃&サキソフォネッツ」活動開始。以降、現在に至るまで、サキソフォンという楽器を通して、未踏の地平へと歩む清水靖晃。2月末にバッハ≪ゴルトベルク変奏曲≫コンサートを準備中の音楽家に、現在の心境を語ってもらった。 最近、都心から三浦半島に引っ越したそうですね。 いいよ、三浦。空気もいいし、波の音とか虫の音もいい。スタジオもコンパクトにして、ケーブル800本捨てました(笑)。 環境が変わると音楽も変わるのでしょうか。 それはどうだろう。もうあんまり変わらないかもしれないね。 昨年のキューバ公演はいかがでしたか。 バッハとペンタトニカの交互作戦。3回公演して、とても良かったよ! ハバナの現代音楽フェスティバルに出演して、その後は音楽大
チェルフィッチュ『わたしたちは無傷な別人であるのか?』の上演が始まった(2/14〜26@STスポット/3/1〜10@横浜美術館)。約2年ぶりの新作は、何を契機として書かれ、何を訴えかけるのか。チェルフィッチュ以外の舞台の演出や小説の執筆などでも多忙を極める劇作家/演出家に、新作について、演劇とダンスの相違点について、そして他ジャンルとの協働について聞いた。 まず、最新作『私たちは無傷な別人であるのか?』について伺います。作品のテーマに関して岡田さん自身が書いている言葉の中に「2009年8月30日」という具体的な日付が出てきます。『三月の5日間』にも時事的な問題が背景にありましたが、これって政権交代が起こった選挙戦の投票日ですよね。 そうですね。『三月の5日間』のときもイラク戦争という時事的な背景があって、同じような方法論に沿ってはいるんですが、ただ今回の場合、それが何を意味して、どういう帰
文化人類学者のクロード・レヴィ=ストロース氏が10月末に亡くなった。100歳の大往生とはいえ、大きな虚脱感を覚える。 10年前に、2日間にわたってお話を伺ったことがある。僕は当時『くくのち』という愛知万博テーマ普及誌のエディトリアルディレクターを務めていて、その創刊号のためのインタビューだった。万博のテーマは「自然の叡智」というものだったから、「だったらレヴィ=ストロース氏に話を聞かなくちゃ」と提案し、当のテーマを考え出した中沢新一氏と、伊藤俊治氏、港千尋氏から成る編集委員会が賛成してフランスへ渡った。 夏のバカンスが始まっていて、レヴィ=ストロース氏はパリではなくシャンパーニュとブルゴーニュの境にある別邸にいらした。伊藤氏は都合が付かず、インタビューの聞き手は中沢氏が務め、港氏はビデオ撮影を行った。美貌の夫人とともに現れた氏の足取りはやや覚束なく、腕は小刻みに震えていたが、我々が著書にサ
様々なジャンルの表現者に話を聞く『対話の庭』シリーズを再開します。復活第1回は、2007年の静岡舞台芸術センターと今年春のフェスティバル/トーキョーで、平田オリザの『転校生』を演出し、本格的に演劇活動を再開したこの人。7月31日からリトルモア地下で、多田淳之介の『3人いる!』を12バージョンで日替わり上演、というまたまた冒険的な試みが始まります。公演を準備中の飴屋さんに近況を含めてお話を伺いました。 コーネリアスのライブ会場や、最近も新宿・花園神社での唐組の赤テント公演などで飴屋さんの姿はお見かけしていたのですが、声をおかけするきっかけもなく、今日初めてお話しさせていただきます。2年前にSPAC(静岡舞台芸術センター)秋のシーズンで、フェスティバル/トーキョーのディレクター相馬さんと一緒に飴屋さん演出の『転校生』(作:平田オリザ)を見ました。現役の女子高校生たちが演じたこの作品を見て、帰り
30年以上の歴史を持つカルチャー月刊誌『スタジオボイス』が、8/6発売の9月号をもって休刊する。「リニューアルしてから売上は上向いていたのに……」というような声が関係者からは聞こえるが、長年の構造的な出版不況に加え、昨秋からの経済危機による広告収入減が直接的な打撃となり、経営陣は「続けられない」と判断したのだろう。佐山一郎編集長時代から、すべての号にではないが目を通していたから、いろいろな意味で感慨深い。 『ART iT』も、印刷版は6/5発売の第24号をもって休刊し、全面的にウェブに移行した。SNS機能を導入するというアイディアが利いてか、おかげさまで評判もよく活況を呈している。公式ブロガーがアーティストを中心に現在60名ほど、サイト内サイトとして参加する「パートナーブース」が商業ギャラリーを中心に11、会員によるブログやコミュニティも日に日に増えている。四半世紀以上「紙育ち」だった身
正月は、久しぶりにロンドンとパリで過ごした。極寒のヨーロッパでは、ウクライナ経由のガスが止められた東欧のみならず、西欧でもホームレスなどの凍死者が続出している。ガザ地区の交戦に関して、反イスラエルや反ハマス・デモが渦巻いてもいる。そんな中、ロンドンではフランシス・ベーコン展(テート・ブリテン。終了)とマーク・ロスコ展(テート・モダン。2/1まで)に圧倒された。巨匠の力業を通観する最良の機会だった。 パリでは、「数学は最も純粋な美に属する」と言明する音楽家、池田亮司と、ハーヴァード大の学長まで務めた数学者、ベネディクト・グロスが協働した『V≠L』展が頭抜けていた(ル・ラボラトワール。終了)。41番目のメルセンヌ素数(2の冪よりも1小さい自然数がメルセンヌ数。メルセンヌ素数は素数であるメルセンヌ数のこと。41番目は、検証を経て素数であると確認されたものとしては現在最大で、723万5733桁)
2007年、カナダを拠点とする広告代理店が、設立15年を機に、ホームレスのための防寒コートの制作を始めた。名付けて「15 Below(氷点下15度)」。大型ポケットが内部にいくつもあって、古新聞を入れるだけで抜群の保温効果が得られるという。08年には、マイケル・ケイン、エルトン・ジョン、ヨーヨー・マ、ロバート・プラント、R.E.M.、イザベラ・ロッセリーニ、MIT教授のニコラス・ネグロポンテら錚々たる著名人が協力を買って出て、彼らのサイン入りコートがeBayでオークションに掛けられることになる。売上は3000着の「15 Below」とともに、ホームレス支援を行う慈善団体、救世軍に贈られる。 防水・防風仕様で耐久性もある。軽量で、折りたたむと枕としても使える。髭カバーや防水のジッパーまで付いている。零下30度以下になることもあるカナダでは、このコートは実際に凍死から人を救うのではないか。実
ガザ停戦の前日とその1週間後に、京都で『戦争と芸術III 美の恐怖と幻影』展を観た(京都造形芸術大学 ギャルリ・オーブ。2/5まで)。タイトルにあるように今回で3回目。前回はトマス・デマンド、ダレン・アーモンドも出展していたが、今回は藤田嗣治の戦争画が特別出品されている以外は、現役の日本人アーティスト6人の作品で構成されている。 戦争画は戦後、日本近代美術史におけるタブーであり、恥部であるとされた。後者について言えば、例えば画家、小説家の司修は「日本の戦争画から生まれたものは、芸術家の奢りと、『無智な大衆』より劣る精神の貧弱さでした。そのような作品(大東亜戦争画)が芸術として評価されてよいはずがありません」「大東亜戦争、あるいは十五年戦争が日本の歴史の恥部であるとすれば、『大東亜戦争画』も恥部、僕はそう思うのです」と断じている(『戦争と美術』1992年)。こうした、真摯ではあるが教条的に
『新潮』の矢野優編集長も書いているが、以前にも触れた小説家、水村美苗の『日本語が亡びるとき』(筑摩書房)が読書人の間で話題になっている。副題は「英語の世紀の中で」。乱暴に要約すると、インターネットの時代たる現代では、英語のひとり勝ち状態が続いている。ラテン語や漢文などかつての「普遍語」は英語に取って代わられ、近代に成立した「国語」の地位も危うい。「叡智を求める人」は普遍語=英語を直接読み書きするようになり、それとともに非英語圏では「国語」と「国民文学」の終わりが始まっている。大量消費社会の中で書物は廉価な「文化商品」となり、いまや、広く読まれる小説といえば、つまらないものばかりになってきている。 国語と国民文学の成立についての、水村の立論と分析は鮮やかである。小説家の池澤夏樹も、『毎日新聞』に「こんな明快な論には初めて出会った」と記しているほどだ。少数しか理解できなかった「普遍語」の書物
前回文字量がオーバーしてカットした分があるので、今回も僕が続けます。ただし文体は疲れるのでフツーに戻しますが……。 2年前東横線の綱島に住んでいて、駅の近くにある「綱島温泉」に週2回は通っていた。綱島は今では普通の住宅地だが、戦前は「東京の奥座敷」と呼ばれる温泉街で、芸者もたくさんいたそうだ。東京園は僅かに止めているその名残の一つ。 天然温泉なのに銭湯と同じ400円という良心的な入場料が、まずはありがたい(ただし1時間以内で出れば、もしくは夕方4時から入ればの値段で、昼間1時間を越えると800円と、ちょっとややこしい料金設定だが)。泉質は麻布十番や二子玉の「山河の湯」などと同じ、例のブラックコーヒーを4倍に希釈したような茶色いお湯。確かに肌はスベスベになる気がするが、薬効成分が濃すぎて、長く浸かると半日は足腰が立たなくなるほどグロッキーになるから、そのあと仕事が控えている人は注意が必
「We can change」のバラク・オバマ大統領誕生も与ってか、世界中が「変化/変革」ブームであるように思える。いや、話は逆で、あまりに展望のない停滞ムードが世界を覆っているからこそ、多くの人が変化/変革を望んでいるのだろう。そんな中(と書くと大げさだが)、来年開催される舞台芸術の祭典『フェスティバル・トーキョー』(F/T)の記者会見が開催された。ここには変化/変革の兆しがあるように僕には感じられた。 F/Tは2009年2月末から1ヶ月ほどの間に、池袋の東京芸術劇場などで開催される。今回が初開催だが、実質的には今年の春まで毎年開催されていた『東京国際芸術祭』(TIF)が形を変えたものと言ってよい。TIFは1988年に始まり、その後、『東京国際演劇祭』『東京国際舞台芸術フェスティバル』と名前を変え、08年をもって終了した。00年以降の運営には、一貫してNPO法人アートネットワーク・ジャ
アーティストグループ「Chim↑Pom(チン↑ポム)」(Out of Tokyo 179参照)の、美術館では初めてとなるはずだった個展が中止となった。11月1日から広島市現代美術館ミュージアムスタジオで開催される予定だったものだが、展覧会の突然の中止が作家にとって、主催者にとって、そしてもちろん観客にとって大ごとであることは言うまでもない。 10月21日にChim↑Pomが航空機を自費でチャーターし、原爆ドーム近くの上空に「ピカッ」の3文字を飛行機雲で描かせたことが発端だった(紅一点のエリイは今回参加していないという)。翌日には地元紙『中国新聞』が「読者提供」の写真とともに記事を掲載。他のメディアも追随し、多くの市民の知るところとなった。 問題はこの行動が、事前にマスコミを含む公的機関や被爆者団体らに知らされていなかった点だ。展覧会担当の学芸員が現場に居合わせたこともわかり、市民局と現
10月9日、韓国京畿道ヨンイン(龍仁)市に、ナム・ジュン・パイク・アートセンターが開館した。「ビデオアートの父」たるパイク本人と協議しながら、2001年から開設準備が進められていたが、作家はセンターの着工直前、完成の2年8ヶ月前に当たる06年1月末に世を去った。一般公開前日の8日に催されたプレス内覧会に招かれたので、開館記念展と併せて観に行ってきた。 ヨンイン市は首都ソウルから車で小1時間。IT産業が集まり、「韓国民俗村」という観光名所もあるとはいえ、典型的なベッドタウンという印象が強い。センターは地上3階、地下2階建て、建坪5600平米。ドイツ人建築家、キルステン・シェメルの設計で、グランドピアノの形を模したという。正面から見ると、全体のデザインは鋭角的で、ガラス窓の反射が美しい。ゆるやかな坂道に建てられているが、落ち着いたダークな色調の低層建築物とあって、どっしりとした安定感がある。
都市を舞台に活躍する、パフォーマー、アーティスト、デザイナー、プロデューサーなどの表現者たち。彼らがいま抱く、表現活動への姿勢やスタイルに迫るインタビュー連載。今回は引き続き、ミニマルミュージックの巨人、スティーヴ・ライヒを迎えての対話の後半をお送りします(インタビュ―は2008年5月来日公演時に収録)。 <前回からの続き> 「バッハは何かの始まりである前に、何かの終わりでもあった」というあなたの言葉が、「20世紀の音楽の歴史についても当てはまるのでは?」と言うのはどういうことでしょうか。 つまり、シュトックハウゼン、ベリオ、ブーレーズの時代はいつまで続くんだろうか、という問いだね。もちろん彼らの成し遂げたことは評価しているけど、一方で観客は増えず、また演奏家にとってもひどく難しい演奏技術が要求される音楽……。たとえ僕がいなかったとしても、誰かがこう言ったはずだ。「ちょっと待てよ。こん
都市を舞台に活躍する、パフォーマー、アーティスト、デザイナー、プロデューサーなどの表現者たち。彼らがいま抱く、表現活動への姿勢やスタイルに迫るインタビュー連載、今回はなんと! ミニマルミュージックの巨人であり、ジャンルの枠に収まらないリアルな「現代の音楽」をいまも紡ぎ続けるこの方です(インタビュ―は2008年5月来日公演時に収録)。 久しぶりの来日、とてもうれしいです。 僕のほうこそ、とてもうれしいよ。1997年の『ザ・ケイヴ』上演(Bunkamura シアターコクーン)以来だからね。 コンサートチケットは公演の3ヶ月前にほぼ売り切れました。特に若い観客が多かったですよね。 この反応にはとても驚いたし、また嬉しかったよ。観客の反応もファンタスティックだった。さらに、古くから知っている人たち、君もそうだけど、アンサンブル・モデルンの連中ともここ東京で仕事ができたことは、本当に大きな喜び
中央線が、嫌いだった。 例えば、フォークソング『神田川』が、嫌いだった。 子供の頃から、つまりリアルタイムで、嫌いだった。 子供心にも、あの人間性の矮小さは、明白だった。 ただの性器の結合をもったいぶって語ったりする、 自民党員より農協組合員よりズルい奴ら。 ヒッピー。サヨク。 その末流である、 ひとりよがりに絵具をこねくる、 「自由」以外の言葉を知らない脳味噌パーなビジュツくん。 薄っぺらな人生観をパターン通りのコードに乗せて歌い、 バカゆえに濡れやすい小娘の股間を効率よく漁るオンガクくん。 それらと似たり寄ったりなエンゲキくん。 エトセトラ。 東京に行っても、中央線にだけは住むまいと、心に誓った。 十把一絡げの、雑魚なカルチャー若造にだけは、なりたくなかった。 そういう「自己表現カス」が、東京には、 特に中央線あたりには、ウジャウジャ蠢いている気がした。 ちなみに私鉄や地下鉄
京都在住の批評家が日々の見聞や邂逅についてアト・ランダムに書き綴るメモランダム。ドタバタ紀行の跡を辿ると時代の動きが見えてくる……。(随時掲載) 前回、直島・犬島を二度も訪れたドタバタ紀行の話をしたのだが、実は二度目の旅はまず香川県の牟礼にあるイサム・ノグチ庭園美術館から始まった。実のところ、これは浅田家のルーツを訪ねる旅だったと言ってよい。浅田家は牟礼の庄屋で、医者めいたこともしていたという。で、祖父の浅田孝太郎が東京大学に進んで医学を学び、時代は下るが『ぼっちゃん』(夏目漱石)を思わせる形で香川ならぬ愛媛の松山の日本赤十字病院に赴任した、というわけだ。そこで三人の子どもが産まれ、末っ子の浅田享、つまり私の父は、祖父をついで医師になった。しかし、長男の浅田孝は東京大学に進んで新進の助教授だった丹下健三に建築を学び、戦争中、海軍将校として飛行場施設の建設やダムの修理–そして被爆した広島の救
ベネッセ・アートプロジェクトが犬島でも第1期のお披露目をするというので、前日の4月25日に直島を訪問、その後、直島に行ったことがないという磯崎新を案内して6月14日にも直島を再訪することに。直島周辺にはこれまで何度も出かけており、とくに地中美術館のオープニングに招かれたとき田中康夫とこの地域の表と裏を短時間ながらかなり徹底的に見て歩いたことがあるのだが、これほど短期間に二度も訪れるのはさすがに初めてだ。 予想したとおり、磯崎新の全体的な評価はさほど高いものではなかった。地中美術館に見られるようにアートを擬似宗教化することで巡礼型の動員を図って成功しているという観察は当たっているだろう(最近も某誌が瀬戸内を舞台に「アートの聖地巡礼」という特集を組んだばかりだ)。 しかし、それはかまわない。われわれの第一のお目当ては大竹伸朗が家をまるごとコラージュの対象にした「はいしゃ」だったから。私は、
6月頭に、所用があって山口に行くことになった。それを聞きつけた友人の潮田敦子からメールが届いた。「実は4年前から夢中になっている絵描きが山口にいて、だーれも知らない人ですが、実は天才です。30年で3万点の作品、どこにも発表なし……あなたを連れて行きたいのよ、その田上さんのところに」。そこで、連れていってもらったのだが、メールにはいくぶん誇張があった。しかし、本質的な部分は文句なく正しい。天才だった。 田上允克。1944年山口県生まれ。本人曰く「30歳近くになるまで、まったく絵には縁がない生活でした。仕事もするのがイヤでねえ。家具屋で働いたこともあるけれど、ほとんど続かなくて……。ずっと親のすねをかじってましたね(笑)」。転機が訪れたのは29歳のとき。突然、女性ヌードが描きたくなり、それだけの理由で絵画教室に入る。以降、絵の魅力に取り憑かれ、64歳になるこれまでの30有余年に「2万5千か、
京都在住の批評家が日々の見聞や邂逅についてアト・ランダムに書き綴るメモランダム。ドタバタ紀行の跡を辿ると時代の動きが見えてくる……。(随時掲載) 前回、ハンス・ウルリッヒ・オブリストとともにメタボリズム周辺に関する大規模なインタヴュー集を準備しているレム・コールハースが、その一環として4月30日に行なった群馬県立近代美術館での磯崎新への公開インタヴューのことに触れた。その後、彼が「それにしても、丹下健三研究室の『東京計画1960』以後、あれに匹敵するほどヴィジョナリーな東京改造計画を見たことがない、これはいったいどういうことだろう?」と尋ねたのに応えて、私はおおよそ次のようなことを言った。 メタボリズムは生物のように新陳代謝する建築や都市を目指したけれど、それは資本主義の「死の欲動」による建設と破壊の繰り返しとして、具体的には、下河辺淳(あなたもインタヴューした)や武村正義をブレーンとす
都市を舞台に活躍する、パフォーマー、アーティスト、デザイナー、プロデューサーなどの表現者たち。彼らがいま抱く、表現活動への姿勢やスタイルに迫るインタビュー連載です。今回のゲストは、緻密で大胆な音・映像世界を生み出しつつ、世界各都市をライブツアーで巡るこの方です——。 コーネリアスの表現は、音楽と映像、そしてアートワークまで非常に完成度が高く、でも実は小山田さんを中心にごく少人数のスタッフで、たっぷりと時間をかけて生み出されていますね。クリエイションに際するそうした親密度が、コーネリアス独特のある種のシンプルさや、調和のとれた世界感にもつながっているのでしょうか。 制作に関しては、あちこちに行くより自分のスタジオで作りたい方です。面倒くさがり屋みたいですが(笑)、ここだと、考えられるすべての状況やトラブルにも対応できるから。あと、時間をかけて作るのは確かですね。最近はツアーに出ると100本
京都在住の批評家が日々の見聞や邂逅についてアト・ランダムに書き綴るメモランダム。ドタバタ紀行の跡を辿ると時代の動きが見えてくる……。(随時掲載) 連休明けに行ったら休みだったので(当たり前か)、5月16日に渋谷の松濤美術館を再訪、中西夏之の『絵画の鎖・光の森』展を見る。ネオダダ時代に洗濯ばさみをびっしりつけた作品をつくっていた、その洗濯ばさみが藤の花びらめいたタッチに変わって日本画のように装飾的になったら美術館が喜んで受け容れるようになった——かつて冗談半分でそんなことを書いてアーティストを激怒させたことがあるのだが、日本美術に重点を置く松濤美術館で開かれた今回の展覧会は、そんな中西夏之の絵画がきわめて洗練された段階に到達したことを示すと同時に、それがネオダダ時代となんら変わらない実験精神——たとえば図と地の反転を徹底するといった——に貫かれていることを示す。かつての妄言を撤回し、アーティ
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『RealTokyo -CULTURE REVIEW SITE-』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く