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織田信長軍の赤母衣衆だった金森長近が、天正4年(1576)から、4年かけて築いた越前大野城。その後、城主はたびたび変わるが、天和2年(1682)に入封した土井氏が幕末まで続く。天守は安永4年(1775)の火事で焼失しており、現在の建物は昭和43年(1968)に復興された。天守内部は、歴代城主の遺品を展示する資料館となっている。 越前大野城のある亀山は大野盆地内の独立丘陵であるため、朝霧が発生する冬季には雲海に浮かぶ「天空の城」となり、竹田城(兵庫県朝来市)、備中松山城(岡山県高梁市)と並んで城郭ファンや写真愛好家の注目を集めている。撮影スポットは城の西、約1kmにある戌山。近年木々が伐採され、眺望も良くなったことから、雲海の時期には百人近くが絶景を観ようと集まることもある。ただし、見事な雲海が見られるのは年に数回なので、空振りの覚悟も必要だ。なお、同山にはこの地域の要の城であった戌山城跡が
マチュピチュのような遺跡風景なら竹田城が有名だが、こちらは現存する天守を有する天空の城で日本三大山城、岡山県高梁市にある「備中松山城」だ。朝霧に包まれた備中松山城は、戦国というイメージにぴったりな幻想的な風景を醸し出すので、一度は訪れておこう。 備中松山城の雲海を楽しむには 雲海(朝霧)に包まれた備中松山城は、いつ行っても見られるという訳ではない。備中松山城を訪れる際は、朝霧という自然現象を知り、雲海が発生する条件をしっかりおさえてから行くことが大切だ。竹田城の雲海ページでその発生条件を詳しく解説しているのでチェックされたし。 雲海展望台と撮影場所をチェック! 雲海は、備中松山城から直線距離でおよそ1.1kmの雲海展望台から見る。朝霧より高い位置から望むことから、展望台まで相当歩くのかと思いきや、実はほぼドア・ツー・ドア。まずはその場所からチェックしていこう。マップ上のカメラマークが、雲海
織田信長が近江に築いた革新的な城、安土城。城跡には石垣や多数の曲輪があり、城内を堅牢な虎口で仕切る主要部の中央には本丸御殿跡と天主台が残る。その名は平安楽土から。天正4年(1576)、信長は丹羽長秀を奉行とし、安土城築城にとりかかった。ときに信長43才。越後の上杉謙信の侵攻、石山本願寺(大坂城の前身)の攻撃の拠点であり、京にも近く中山道の要所である近江蒲生。六角氏の居城だった観音寺城の尾根つづきの安土山を縄張りし、これまでにない新しい城郭を構えた。 安土城は直線的な大手道で防御があまり考えられていないように感じるが主要部は、南は黒金門跡、北にも堅牢な虎口を設け、主要部を守っていた(非公開エリア・岡 泰行 撮影)。 八角形の天主台で礎石が見られる。 安土城の中心部から八角平や台所跡へと続く登城路。石垣に囲われ地下道だった可能性があるらしい(非公開エリア・岡 泰行 撮影)。 外観5層の天主は、
竹田城の雲海を楽しむには 雲海(朝霧)に包まれた竹田城は「天空の城」と謡われ、訪れる者を圧倒する迫力がある。竹田城跡は兵庫県朝来市和田山町にある山城だ。集落は山の麓にあり、円山川と播但街道が通る。ベストシーズンは晩秋。放射冷却により、主に円山川から発生した朝霧で、竹田城が覆われ、いかにも戦国といった幻想的な風景となる。朝霧をその上から(竹田城や立雲峡から)観た場合、海のように広がる景色から、これを雲海という。朝霧は自然現象のため、竹田城の雲海は、いつ行っても見られるという訳ではない。竹田城に行く際は、雲海が発生する条件をしっかりおさえてから行くことが大切だ。 竹田城の歴史を簡単に 竹田城(たけだじょう)は、標高353.7mの古城山にそびえる山城。播但街道、山陰街道が通り山陰地方、山陽地方、京都を結ぶ要所にあり、秀吉の中国侵攻で天正5年(1577)、竹田城は陥落し、秀吉配下となった赤松広秀に
竹田城(たけだじょう)は、播但街道(但馬街道)、山陰街道が通り山陰地方、山陽地方、京都を結ぶ要所にある。近年の地図でも、JR山陰本線や播但線(ばんたんせん)や高速道路が付近を縦横に走っているのがわかる。城は嘉吉年間(1441〜1443)、但馬国守護・山名持豊(宗全)の被官で守護代の太田垣氏(異説あり)の築城とされ、代々の城主も務めた。竹田城は尾根に多くの曲輪や竪堀などを設けた大規模な山城であったようだ。この頃は石垣は無く、土の城だったと考えられている。 天文7年(1538)以降は、生野銀山の採鉱が本格化し、その領有権でも重要な城となる。秀吉が姫路に入って後、西の上月城を攻め、弟の小一郎秀長は、天正5年(1577)、3,000の兵で但馬攻めを行い竹田城は陥落する。石垣は主に文禄年間から慶長初期の間に、当時秀吉配下となった元播磨龍野城城主、赤松広秀(斎村政広(さいむらまさひろ))によって修築さ
城 Pickup 能島城 しまなみ海道に浮かぶ能島城。能島村上氏(村上水軍)の拠点だった城跡で、島全体が城だった。周囲の海は潮流が激しく、流れを知らなければ近寄ることもできない。岸には武者走りが掘られ、岩礁ピットと呼ばれる柱穴が残る。
Webが始まった1996年から、「城」「戦国」ジャンルを独自の切り口で盛り上げてきた強者に敬意を表し、個人が自伝として書き下ろした意欲作を中心に約100サイトをご紹介。城戦国の個人サイトの歴史です。自治体や博物館、資料館サイトも含まれていますが、その昔は各所のWeb担当者が、インターネットの繋がりを大切にした古き良き時代でした。おおよそ、時代順に並んでいます。 Bookmarkリンク集へサイト推薦 Electric Samurai 城をコンテンツに持つホームページでは老舗中の老舗。WebMaster 菊竹さん撮影の360度パノラマ(QuickTimeVR)は、城コンテンツでは初めてのもの。お城の臨場感がよく伝わる。海外から見れば、日本の戦国コンテンツの名実共に草分け的存在で、1995年代から日本のWebを作った先駆者のひとり。 城郭紹介 / 戦国武将 戦国群像 「戦国Xファイル」ほか、毛利
能島城 しまなみ海道に浮かぶ能島城。能島村上氏(村上水軍)の拠点だった城跡で、島全体が城だった。周囲の海は潮流が激しく、流れを知らなければ近寄ることもできない。岸には武者走りが掘られ、岩礁ピットと呼ばれる柱穴が残る。 つづきを読む
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