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買ってよかったもの
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最初はパソコンを人並みに使えるようになりたいと思っていても、いざ人並みになると、今度は人とは違った使いこなしをしたいと思うようになる(^^;) 本当は高度な操作法を習得したりして、作業の効率化を図るのがいちばんなのだが、壁紙を取りかえたり、起動画面を書き換えたり、アイコンを変更したりというような「見た目のカスタマイズ」で、「他の人とは違うぞ」という自己主張をしたりすることもある。 私もその例に漏れず(^^;) いろいろいじっているのだが、デスクトップのアイコンを変更するのがいちばん効果的(自尊心をくすぐる)なようだ。 デスクトップ上のアイコンを右クリックして「プロパティ」を選び、ショートカットタブから「アイコンの変更」を選択するのだが、この作業では、Windowsやアプリケーションが最初から準備しているアイコンを使うしかない。 最初のうちはそれでもそれなりに満足するが、次第に自分だけのアイ
近ごろ、100円ショップにはまっている。ちょっと前までの100円ショップは店舗も小さく、品数もそんなになかったので、私はあまり店に入ることもなかったのだが、最近になって、全国にどんどん店舗を増やしている「ダイソー」が、うちの近所にもいくつか出店してきた。 興味本位で覗いてみたら、「これがホントに100円で買えるの?」という商品がたくさん並んでいた。 ちゃんと作動する時計やストップウォッチも100円。試しに買ってみたが、なかなかのものである。 中でも私のお気に入りは100円CDである。音楽CDは「まあ、若干のお買い得かな」というレベルだが、浪曲や落語の名演を収録したCD(カセットテープもある)はお勧めである。私は父親に落語と浪曲のカセットを15巻プレゼントしたが、これで1575円(消費税込み)。安い買い物である。浪曲や落語を勉強(それほど大げさなことでもないのだが)してみたいという場合、3千
今は落ち着いたのだが、今年度初め頃、むやみに忙しい時期があった。 転任したということもあったのだが、それ以外にも公的・私的な事務局のような仕事が、申し合わせたように集中してきて、数えてみるといちばん忙しかった時期には10個以上の仕事を同時進行していることもあった。 忙しいのはあまり嫌いではないのだが、ちょっと気乗りしない仕事が多く、その時期、私の「やる気エネルギー」はかなり低下したように思う。 少し大げさにいうと、何もやる気がしなくなって、子供ならば不登校になりそうな感じだった。(まあ、それほど深刻ではなかったのだが‥‥) その頃の自分の状態を振り返って見ると、子供が学習意欲を失うことと、かなり共通する要素もあるような気がするので、自分が子供の教育にあたる場合の参考になる覚え書きとして(あまり面白いハナシではないが)まとめてみようと思う。 1.なんで私がやらなきゃいけないの (動機づけ不十
完全学校週五日制になり、授業日数が少なくなったため、この頃では学校行事も様変わりしてきているが、私の周辺の学校では今でも秋になると徒歩の遠足を行っているところが多い。 行き先は山・海辺・川辺など様々だが、だいたいは学校から歩いて1時間程度で行ける範囲である。 自然の中で遊ぶだけでなく、鍋や食材を持って行き、野外で調理をして昼食をとるというのが一般的なパターンである。 私の地方では、このような遠足を「なべっこ遠足」と呼んでいる。 秋田県内の多くの学校(小・中・高・大学)や幼稚園・保育園で行われているようだし、呼び名も「なべっこ遠足」で共通なので、全国で通用する呼び方かと思っていたのだが、先日、同僚から「『なべっこ遠足』という呼び方は秋田県でしか通用しないらしい」という話を聞いた。 子供の頃から当たり前のように「なべっこ遠足」という言葉を使っていた私にはちょっと信じられないことだったので、イン
小学校2年生の国語の教科書(光村図書)に、「スイミー」という物語が載っている。 別の教科書会社の本を使っている地域の方には馴染みがないかもしれないが、光村の国語教科書を使っている地域の方には、かなり有名な教材である。 原作は、レオ・レオニの絵本。日本語訳は谷川俊太郎である。 物語のあらましは、以下の通り。(ほぼ教材文を引用) 広い海のどこかに、小さな魚のきょうだいたちが、楽しくくらしていた。 みんな赤いのに、1ぴきだけは、からす貝よりも真っ黒。およぐのは、だれよりもはやかった。 名まえはスイミー。 ある日、おそろしいまぐろが、おなかをすかせて、すごいはやさでミサイルみたいにつっこんできた。 一口で、まぐろは、小さな赤い魚たちを、1ぴきのこらずのみこんだ。 にげたのはスイミーだけ。 スイミーはおよいだ、くらい海のそこを。こわかった。さびしかった。とてもかなしかった。 けれど、海には、すばらし
西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」という歌を聴くと、私はしみじみと共感してしまう。 ピアノはおろかオルガンさえも持っている家庭が少なかった時代に育った私。今のように鍵盤ハーモニカを学校で使用することもなかった。音楽の授業で鍵盤の練習をするときには、音楽の教科書の真ん中の見開き2ページの紙鍵盤であった(^^;) これだと運指がでたらめだろうが、間違った鍵盤を叩こうが、他の人には迷惑がかからない。なにしろ音が出ないのだから‥‥(^^;) そんな具合で、ピアノが弾けるのは学年でも1人か2人ぐらい。ピアノ教室に通っているお金持ちのお嬢様くらいだった。 その後、趣味でロックバンドをやったり、教師という商売柄、どうしても授業で使わなければいけなかったりということで、鍵盤楽器に触ることになり、とりあえずは伴奏らしきものを弾いてはいるが、私の奏法は全くの我流で、左手でベース音、右手でコード(和音)を弾
小学生は、マス目や形式が工夫された「教科別ノート」を使うことが多いが、中学生ぐらいになると、いわゆる「大学ノート」と呼ばれる横罫のノートを使うことが多い。 中学生や高校生が使っても「大学ノート」とは、おかしな感じがしないでもないが(^^;)その歴史について書いている本を見つけた。(佐藤秀夫著「学校ことはじめ事典」小学館発行) この「大学」とは、東京大学のことらしい。 それについて書く前に、前述の本から、筆記用紙の歴史を簡単にまとめてみよう。 書きつけることを目的として、白紙をあらかじめ綴じ合わせておくというのは、紙が大量に生産されるようになってからののことで、それ以前は、書きつけた紙を保存するために、あとで綴じ合わせるのが一般的だった。現存する日本最古の大福帳は17世紀初頭のものだが、それは自家製で、商品として大福帳が販売されるようになったのは18世紀中頃からだという。和紙を用いた日本特有
子育てのコツに「1つ叱って3つほめ」という言葉があるが、これは学校教育にも言えることであろう。 この頃は特に「それぞれの子供の良さを認める」という傾向が主流になっているので、子供を意識的にほめるということが重視されている。 ところが、いざほめることになると、これが難しい。実際の授業現場で見ても、上手にほめている例はなかなかないようだ。敢えて辛口にいうならば「とってつけたようなほめ方」や「うわべだけのほめ言葉」も多い。上手なほめ言葉を見つけるために四苦八苦している教師も多いのではないだろうか。 これが叱ることになると、そんなに苦労しない(^^;) ちょっと古いうんちくのネタになるが、No.82「教師の禁句」に私などが昔よく使っていた皮肉っぽい叱り方の例がある。 こういうのは良くない例なので、そうならないように気をつけさえすれば、叱る言葉はあまり無理をしなくてもすらすらと出てくる(^^;) W
ご存じのように、先日、長崎市で、4歳の幼児が中学校1年生の12歳の少年によって殺害されるという痛ましい事件が起きた。 その年頃の子供たちを扱う私たち教育関係者にとっては、大きな衝撃である。 この事件の背景には様々な要素があるのだろうが、マスコミ報道しか情報がない私が、この事件についてあれこれ言うのは適当ではないかもしれないので、ここでは触れないことにする。 ただ、こういった事件の再発を防ぐために、子供たちに生命の大切さを理解させることは、教育に携わる者にとって大事なことである。 基本となるのは、毎日、直接、子供たちに触れる学級担任の指導であるが、今回のように重大な事件が起きた場合には、全校集会等の場で、校長や生徒指導担当者がそれに触れた話をすることもあるだろう。 そのような場合、よく使われるのが、「一人の人間の生命は、地球よりも重い」という表現である。 生命の大切さを訴えるときに常套句のよ
小学校の音楽の教科書に載っている曲というのは、教師以外の方はあまり聴く機会がないかもしれない。教師であっても音楽を担当していない場合は触れる機会が少ないし、音楽の授業をもっていても自分が担当する学年の曲以外は知らないということも多い。 この頃の音楽の教科書には、なかなか良い曲が載っている。「子供の歌」としてだけでなく、大人が聴いても「いい曲だなぁ」と思うような曲も多い。私が若い頃に流行していた曲などでも教材曲になっているものもある。(小学校6年生の「翼をください」とか、中学校の「イエスタデイ」とか) 学習指導要領で共通教材として指定されている曲は、全ての教科書会社の教科書で扱われるが、その他の歌唱教材は会社ごとに選曲されるので、それぞれの教科書会社では工夫をこらした選曲をしている。文部省唱歌などのように昔から親しまれていた名曲も多く取り上げられているが、上記のような往年の(^^;)ヒット曲
行動を起こさせる働きや過程は動機づけ(モティベーション)といわれています。動機づけにはいろいろな分け方がありますが、特に教育的な意味においては、外発的動機づけと内発的動機づけに分ける分け方が重要です。 外発的動機づけとは、主として外からの力によって動機づけられる場合で、引き起こされる行動は目標に到達するための手段という意味を持ちます。例えば、賞や罰による場合、賞を得る、あるいは罰を避けるということが目標となり、そのために役に立つ行動が動機づけられるということになります。この種の動機づけには、その性質から、いくつかの教育的な問題点が内在しています。その一つは、外部からの力によって動機づけられるということから、他律的あるいは依存的傾向を助長するということ、また一つには、引き起こされる行動が手段的行動であるということから、望ましくない行動が引き起こされる可能性があるということ、などが考えられます
聞こえている曲は「森のくまさん」である。 (ブラウザの設定によっては鳴らないかもしれません。その場合は申し訳ございません。) 小学校1年生の教材曲にも採り上げられているし、テレビやラジオの子供の歌番組等でもよく扱われているので、ほとんどの方はご存じの曲かと思う。 作詞はBさん、作曲は同じBさんになっていることもあるし、アメリカ民謡となっていることもある。おそらくアメリカ民謡にBさんが歌詞をつけたか、訳詞をして発表したのであろう。 森のくまさん 1.ある日 森の中 くまさんに出会った 花咲く森の道 くまさんに出会った 2.くまさんの言うことにゃ お嬢さんお逃げなさい すたこらさっささのさ すたこらさっささのさ 3.ところが くまさんが あとから ついてくる とことことっことっこと とことことっことっこと 4.お嬢さん お待ちなさい ちょっと 落とし物 白い貝殻の 小さなイヤリング 5.あら
「いじめや仲間はずれのない楽しい学級づくりを」と、学級担任であれば誰しも願う。 「みんな仲良くしなさいよ」といつも言うことも大事ではあるが、それで事足りるぐらいなら苦労はしない(^^;) いじめなどのない学級づくりのためには、学級の子供の人間関係を正しく把握し、実態に応じた具体的な手立てを講じることが必要である。 学級集団での人間関係を調べるのに効果的なのが「ソシオメトリー(sociometry)」である。 ギリシア語で集団あるいは社会を意味する「socius」と、測定を意味する「metrum」を語源とする言葉で、社会測定という意味である。アメリカの精神医学者のモレノ(Jacob Levy Moreno、1892~1976)によって提唱された理論に対して限定的に使われる言葉である。 この理論に沿って行われるのが「ソシオメトリック・テスト」である。 具体的には、集団の中で各成員が他のどの成員
運動会のように広い場所で放送をする場合、どの場所でも聞こえるように、下の図のようにスピーカーを複数個配置する。 この図では家庭用のステレオ装置と同じように見えるが、屋外放送アンプの大きな違いはスピーカーから出る音がモノラルだということである。 家庭用のステレオアンプでも、スピーカーから出る音をモノラルにする「L+R」というスイッチがある機種もあるので、その場合は屋外放送用にも使えるが、そうでない場合は、左右から出る音が違ってしまうので、会場全体に均一な放送をすることができなくなってしまう。 音楽CDはほとんどステレオ音源なので、右のスピーカーから出る音と左のスピーカーから出る音は違っている。ビートルズの曲の場合、「フロム・ミー・トゥ・ユー」「イエロー・サブマリン」「ミッシェル」「レディ・マドンナ」「デイトリッパー」「エリナー・リグビー」等の曲は、歌声は右チャンネル、楽器演奏は左チャンネルに
ギタレレという小さな6弦楽器を買った。 ウクレレみたいな大きさでギターと同じ奏法ができるので名付けられたらしい。ヤマハの製品である。 いきなり話がわき道にそれるが、私の世代(昭和20年代後半から30年代前半に生まれた、現在40歳から50歳ぐらいの世代)は、ギターを弾く人の割合がとても高いという特別な世代らしい。今の30代以下の若い人は、かなりの音楽好きでもないとギターは弾かないようだ。 エレキブームからフォークブームのまっただ中、日本中の若者の誰もがジーパンをはきギターをかき鳴らすという時代に青少年期を過ごした私の世代は、上手下手は別として、誰でも一度はギターを抱えたことがあるといっても過言ではなかろう。 高校時代のクラス会を開くことになった。例によって私が幹事である(^^;) 高校時代は私の世代が最もギターをかき鳴らしていた頃。幹事の私としても、クラス会の場には当然ギターを準備しなければ
←リンク用バナー ◎毎日新聞の秋田版の紹介記事◎ 推奨の閲覧環境は、ブラウザ(Netscape Communicator 4以上) フォント(MSゴシック) 表示画面(800×600ドット以上)です。 Internet Explorerで見るときはフォントを「小」にしてください。
私の「プロフィール紹介」や「Akira’sコンサート」にも書いているように、高校・大学時代はロックバンドで歌っていたし、教職に就いてからも視聴覚機器の担当などをしていたので、私とマイクロフォンとのつき合いは長い。 そういうこともあって、自分はマイクの扱いについてはセミプロ級だなどと自負していて、うんちく講座でもNo.183「正しいマイクの握り方」などというコンテンツを書いたりしたのだが、先日、ある放送関係の人と話をして、自分の知識もたいしたことがないことを思い知った(^^;) 具体的には、マイクコードの巻き方についてなのだが、既にご存じの方もいらっしゃるかもしれないが、私が初めて知ったことを書いてみる。 マイクのコードはけっこう長い。大きなステージで使うコードなどは数十メートルのものもある。短いものでも2・3メートルはある。 このコードをしまっておくときに、私は単にぐるぐる巻きにすることが
ちょっと物騒なタイトルをつけてしまったが、ここでいう「子供たち」は、生きている児童ではなく、「子供たち」という言葉そのものである。 この文章を書いているのは12月なのだが、この時期になると各種の経営反省だの研究紀要だのと、いろいろな人の意見をまとめて文章にする機会が多くなる。 その際、ご本人が書いたものを私がワープロで打ち出すなどということも多くあるのだが、漢字や仮名遣いの表記は原文のまま(本人が書いたまま)表記するというのが原則になる。 そのときに困るのが「こどもたち」という言葉だ。 この言葉、書く人によって、かなり表記が異なる。 「子ども達」 「子どもたち」 「子供たち」 「子供達」 「こどもたち」 「こども達」 この文章をお読みの皆さんは、どの「こどもたち」をお使いだろうか。 結論から言ってしまうと 「子供たち」と表記するのが望ましい。 詳しい説明は、このページの最後の方で述べるので
この数値を全て一覧にしたサイトはなかったので、いくつかのサイトから得た数値を私が1つにまとめたのがこれだが、だいたい間違いはないはずである。 これは大変なことである(^^;) 学校で教師が一生懸命に勉強を教えても、子供は1時間もたたないうちに半分以上の内容を忘れ、家に帰った頃には3分の2程度を忘れ、翌日になると4分の1程度しか覚えていないということになる。 そうなると、帰宅後に必ず復習を義務づけないと子供の学習内容は定着しないということになってしまう。 この忘却曲線をもとに考えると、復習は学習後なるべく早い時間に行わせたほうが効果が高いようだ。また復習の回数は1回だけでなく、複数回行わせたほうがより効果があると考えられる。 また、学校で学習する前に予習を行えば、学校での学習そのものが復習の意味を持つことになるので、これも学習内容の定着には効果が高いだろう。 ただし、ここで考えておかなければ
私、佐々木彰が、教育・文化・その他に関してへりくつめいたうんちくをかたむける このコーナー。 下の一覧表をクリックして、読んでみてください。
この「うんちく」は、「情報ください」ネタである。私自身もはっきりした結論を出せない。「本当はこうだ」とか「うちのほうではこうだ」という情報をいただければ幸いである。いただいた情報は今後、随時追加していく予定である。 「ABCの歌」というのがある。その名の通り、「A,B,C,D,E,‥‥」と、順にアルファベットを歌っていく歌で、おそらくほとんどの方はご存じだろう。メロディーを確認したいという方は、下のプレーヤーの再生ボタンをクリックして、聞いていただきたい。 お気づきの方もいらっしゃるだろうが、このメロディー、「キラキラ星」という別の題名でもおなじみである。 英題は「Twinkle, twinkle, little star」で、歌詞は次の通りである。 Twinkle, twinkle, little star, How I wonder what you are! Up above the
宴会の締めに「それでは、三本締めでお願いします」と言われると、私は何も悩むことなく、気持ちよく手をたたくわけである(^^;) ところが、最近では「一本締めでお願いします」という場面も多くなった。 これが問題である。 私の感覚では、三本締めが上の例のようなのだから、一本締めはその3分の1ということになり、下のリズム譜のように、「シャシャシャン、シャシャシャン、シャシャシャンシャン」を1回だけやるという具合になるはずである。 そのつもりで、「シャシャシャン‥‥」と手拍子をしようとすると、「よーぉっ、ポン」と手拍子一発で終わってしまうことがある。他の人が手拍子一発で終わるのに二拍目以降をたたいてしまうと、実にかっこうが悪い(^^;) これを最初に体験したときは(ちょうど酒宴だったので)おふざけでやっているのかと思ったのだが、最近は結婚披露宴とか○○祝賀会というようなあらたまった席でも、この「よー
講堂や体育館などでマイクを使って音声を拡大するときに、ハウリングという現象が起きることがある。 「howling」と書き、「howl」(犬や狼などが吠える)が語源なのだが、スピーカーから出た音がマイクでひろわれ、これが繰り返されて、特定の周波数で共振が起き、「ウォーン」とか「キーン」という音が発生する現象のことをいう。 スピーカーの出力を上げ過ぎたり、マイクの入力を上げ過ぎたりすると起き、かなり耳障りなので嫌がられる。 コンサート会場や講演会などでは、こういった現象が起きないように、使用するマイクは「単一指向性」マイクという種類のものを使うことが多い。 下の図が、「単一指向性マイク」と「無指向性マイク」の構造図である。 無指向性マイクは、拡声装置としてではなく、録音装置に使われることが多い。 この場合は、マイクからひろった音をスピーカーを使って外部に出すことがないので、周囲の音を全てひろう
私のホームページの掲示板「千客万来ルーム」でも、以前に話題になったことなのだが、ここでもう一度まとめてみたい。 どうも某テレビ局の朝のニュースワイドショーが発端になったようなのだが、3月頃に「小学校の新しい教育課程では、円周率を『3』として教えるのだそうだ」という話が広まった。 私もちょうどその番組を見ていたので、「へえー!そうなんだ!!」と思ってしまった。職場に行ってみても「今度の新しい学習指導要領では円周率を『3』として扱うんですってね」というような話が出ていた。 私のところの掲示板に限らず、インターネット上でもそのことが話題になっているようで、掲示板で賛否両論が交わされたり、個人のホームページでそのことについて意見を述べているところも多いようだ。(検索エンジン等で「算数・円周率」をキーワードにして探してみれば、かなりの数のページが見つかる) 私も最初は、「これまで3.14として教えて
お気づきの方も多いと思うが、私は自分のホームページの文章や、掲示板に書き込む文章で、読点に「、」を使っている。 これは、現役の国語教師としては「ちょっとマズイこと」なのである(^^;) 言葉の表現が乱れていると問題になっている昨今、私たちはできるだけ正しい言語表現を使うように心がけなければならない。特に児童生徒の見本となるべき教師は、どのような表現が標準であるかをきちんと知り、それに合った表現をすべきである。 私もそれに気をつけて、「子ども達」ではなく「子供たち」、「一人ひとり」ではなく「一人一人」など、いわゆる「正しい表現」を使うように心がけている。このことについては、うんちく講座No.168「せっかく育てた子供たちが」に詳述しているのでご参照いただきたい。 では、読点についての標準はどうなっているのだろうか? その前に、読点ということについて、ちょっとおさらいをしておきたい。 読点は「
カラオケで歌うと自分の声の高さに合わない曲がある。 特に女性歌手の曲を、男性である私が歌うと、キーが高すぎて苦しかったり、かといって1オクターブ下げて歌うと低い方の音が出なかったりで具合が悪いことがある。 今のカラオケはキーを上げたり(♯)下げたり(♭)することができるので、調整が可能だが、どのくらい上げたり下げたりすればよいかは、何度も試行錯誤しなければならず、なかなか難しい(^^;) 声の出る範囲を音符で表すと、個人差がある。 これは、声帯の長さや厚さと、声の使い方が関係するのだそうだが、一般的には一番下の音から一番上の音まで2オクターブもあれば、「音域が広い」と呼んでもよいだろう。 私の場合は、まがりなりにも「自称ロックボーカリスト」(^^;)なので、一般の方よりは音域が広い。私が(裏声を使わない)地声で歌えるのは、次のような範囲である。 ただし、これは「とりあえず歌声として出せる」
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